1. 概要
アブドルマレク・リギ(عبدالمالک ریگیバローチー語、1979年頃 - 2010年6月20日)は、イラン南東部のシスタン・バルチスタン州を拠点とするスンニ派イスラム教系テロ組織武装組織ジュンダラの指導者でした。イランのバローチ族出身の武装勢力指導者として、リギはイラン政府に対する多数のテロ活動や民間人への攻撃を指揮し、多くの死傷者を出したことで知られています。彼はイラン国内のスンニ派イスラム教徒の権利向上やバローチ族の生活条件改善を組織の目標として掲げましたが、その活動は暴力と人権侵害を伴うものでした。2010年2月にイラン政府によって逮捕され、同年6月に処刑されました。彼の活動とその逮捕、処刑は、イラン国内の民族問題や国際的な情報戦の一端を示すものとして、広く議論されました。
2. 生涯
アブドルマレク・リギは、ジュンダラの創設以前から犯罪活動に関与し、教育と思想形成の過程を経て組織指導者としての基盤を築きました。
2.1. 幼少期と背景
アブドルマレク・リギは1979年頃に生まれ、イランのバローチ族に属するリギ部族の出身でした。
2.2. 初期犯罪活動と服役
ジュンダラを創設する以前の青少年期には、刃物による暴行事件で有罪判決を受け、服役していました。
2.3. 教育と思想形成
公式な教育を受けた経験はないものの、パキスタンのカラチにある神学校で学びました。この神学校は、多くのタリバン指導者も学んだ場所として知られています。このような環境が、彼の過激な思想形成に影響を与えたと考えられています。
3. ジュンダラ指導者としての活動
アブドルマレク・リギはジュンダラの指導者として、イラン政府に対する武装闘争を展開し、多くのテロ活動や民間人への攻撃を指揮しました。彼の活動は国内外で大きな論争を引き起こしました。
3.1. ジュンダラの創設と目的
ジュンダラは、イラン南東部のシスタン・バルチスタン州に拠点を置く武装組織で、リギがその指導者でした。彼は、組織の目標は分離独立したバローチ族国家の樹立ではなく、「バローチ族の生活条件を改善すること」であり、「イラン国内のスンニ派イスラム教徒の権利のために排他的に戦うこと」であると主張していました。
3.2. 主要なテロと民間人への攻撃
リギとジュンダラは、イラン国内で複数の大規模なテロ事件や民間人への攻撃に関与しました。2006年には、ザボルとザーヘダーンを結ぶ道路を封鎖し、新年を祝うために移動中だった22人の民間人を殺害しました。これ以外にも、ジュンダラは数多くの民間人を標的とした攻撃や暴動に関与し、社会に大きな影響を与え、人権侵害を引き起こしました。
かつての人質の証言によると、リギは2夜続けて同じ場所で眠ることがなく、手袋をせずに他者と握手をすることもなかったとされます。また、彼はアブー・ムスアブ・アッ=ザルカーウィーの行動や人質処刑のビデオを模倣していたとも伝えられています。イラン当局は、リギがイランの将軍を殺害し、イラン国内でテロ攻撃を実行したと主張しています。
3.3. 国際的な関連と論争
2007年以降、ジュンダラの国際的な支援者や協力関係については、大きな論争が巻き起こりました。多くの専門家は、ジュンダラがアルカーイダと関連していると主張しています。一方、ジュンダラがアメリカ合衆国政府と接触し、海外のバローチ系イラン人から資金提供を受けているという主張もありました。リギの兄弟であるアブドゥルハミド・リギも、兄がイランに対抗してアメリカと協力していると非難しました。
イラン政府は、ジュンダラ組織をスンニ派のアルカーイダ系組織網と関連付け、パキスタン、イギリス、アメリカがイランの不安定化のためにジュンダラを支援していると非難しました。2007年には、一部の欧米メディアがCIAがジュンダラに資金と武器を提供したと報じました。
3.4. メディア出演とインタビュー
アブドルマレク・リギは複数のメディアに出演し、自らの主張を国際社会に発信しました。彼はアメリカのケーブルテレビチャンネルHDネットのニュースマガジン「ダン・ラザー・リポート」のインタビューに応じ、その中で自身の義理の兄弟の首を自ら切断する映像が放映されました。同じインタビューで、リギは自らを「イラン人」であると述べ、独立したバローチ国家の樹立が目標ではないと否定しました。彼は自身の目標が「バローチ系民族の状況を改善すること」であり、彼のグループは「イランのスンニ派イスラム教徒の権利のためだけに戦っている」と主張しました。
2007年4月2日には、アメリカの国際放送局ボイス・オブ・アメリカ(VOA)にも出演し、VOAは彼を「著名なイランの抵抗運動指導者」として紹介しました。
3.5. 死亡誤報騒動
2005年4月7日、イランの新聞「カイハン」は、リギがアフガニスタンとの国境での作戦中に殺害されたと誤って報じました。しかし、これは事実ではなく、同年4月11日にはリギが生存している様子を映したビデオが公開されました。
4. 逮捕
アブドルマレク・リギの逮捕は、イラン政府がその成果を大々的に発表した一方で、その経緯については国際社会や他の情報機関の間で様々な憶測や相反する主張が飛び交いました。
4.1. イラン政府の公式発表
イラン政府によると、2010年2月23日、リギはアラブ首長国連邦ドバイからキルギスビシュケクへ向かう航空機に、偽造されたアフガニスタンのパスポートを使用して搭乗していました。航空機がペルシャ湾上空を通過中、イラン空軍の戦闘機がこれを阻止しました。イランの戦闘機はパイロットに対し、イラン領内に着陸するよう命令し、「複数の外国人乗客が強制的に降機させられた」とされます。航空機がバンダレ・アッバース国際空港に着陸すると、治安部隊がリギを特定し、逮捕しました。逮捕後、イラン国営テレビは、手錠をかけられたリギが4人の覆面姿のイラン軍特殊部隊員に護送される様子を放映しました。
4.2. 異なる主張と国際社会の反応
リギの逮捕を巡っては、イラン政府の発表とは異なる複数の主張がなされ、国際社会の関心を呼びました。
- パキスタン情報機関の協力説: アルジャジーラはパキスタンからの報道として、リギが実際にパキスタンで逮捕され、その後イランに引き渡されたと伝えました。テヘランのニュース分析サイトであるイラン・ディプロマシーも、パキスタン情報機関がアメリカとの「協議」の末、リギの逮捕に協力し、リギは航空機ではなく病院で逮捕されたと報じました。当時の駐テヘラン・パキスタン大使であったモハメド・アバシも、リギの逮捕はパキスタンの協力によって可能になったと述べています。
- 米国政府による関与否定: 一方、アメリカの元情報機関関係者は、リギはパキスタン当局によって捕らえられ、アメリカの支援を受けてイランに引き渡されたと主張し、「彼らが何を言おうと関係ない。彼らは真実を知っている」と述べました。しかし、アメリカ政府はジュンダラ組織との関与を否定しています。ロイター通信は、アメリカの国防総省報道官であるジェフ・モレルが、リギが逮捕直前まで米軍基地にいたとするイラン政府の発表を否定し、イラン側の非難は単なるプロパガンダに過ぎないと述べたことを伝えました。
- イラン情報相による「米国支援告白」とBBCの論評: 逮捕当日の記者会見で、イランの情報相ヘイダル・モスレヒは、リギが逮捕の24時間前までアフガニスタン国内の米軍基地に滞在していたと主張しました。モスレヒは記者会見で、リギが2人の男性とともに米軍基地にいるとする写真を提示しましたが、その米軍基地の所在地や写真の入手経緯は明らかにしませんでした。さらに、モスレヒは米国政府がリギに提供したとされるアフガニスタンのパスポートと身分証明書の写真も提示しました。また、彼はリギが2008年にアフガニスタンで元NATO事務総長であるヤコブ・シェフェールと会談し、複数の欧州諸国を訪問したと述べました。イランの工作員が5ヶ月間リギの行方を追跡したとされ、モスレヒはこの逮捕を「アメリカとイギリスの深刻な敗北」と表現しました。
2月25日、イラン国営テレビは、リギ自身がアメリカの支援を受けたことを告白する内容を放送しました。リギは、「アメリカ人はイランが独自路線を進んでおり、現在の最も重要な問題はアルカーイダやタリバンではなくイランだと述べた。アメリカはイランに対して軍事的な計画は持っておらず、イランを攻撃することは非常に困難である。彼らは私たち(ジュンダラ)を助け、私たちの捕虜を解放し、軍事装備、爆弾、機関銃、基地を支援すると言った」と述べたとされます。しかし、BBCはこの発言を報じる際に、「リギが自由な状況でこの言葉を話したのか、強制的な状況で話したのかは不明である」と付け加えました。
5. 裁判と処刑
アブドルマレク・リギはイラン政府に逮捕された後、裁判を経て、最終的に処刑されました。
2010年6月20日、イランおよび国際メディアは、リギがテヘランのエヴィン刑務所で絞首刑に処せられたと報じました。IRNAは、テヘランの革命裁判所の決定に基づき処刑が執行されたと発表しました。裁判所の声明では、「国内東部の武装反革命グループの首謀者は、武装強盗、暗殺未遂、軍隊や警察、一般市民に対する武装攻撃、そして殺人を犯した責任がある」と述べられました。彼の処刑は、ジュンダラにとって「深刻な打撃」であると評されました。リギの遺体はテヘラン南東部のカヴァラン墓地に埋葬されました。

6. 遺産と評価
アブドルマレク・リギの活動は、イラン社会と国際関係に複雑な影響を残し、彼の死後も様々な評価がなされています。
6.1. 歴史的評価
アブドルマレク・リギとその武装組織ジュンダラは、イラン国内のスンニ派少数民族の権利を主張する一方で、無差別なテロ行為や民間人殺害を繰り返しました。これにより、彼はイラン政府にとっては「テロリスト」として断固たる処罰の対象となり、その活動は国の安定を脅かすものと見なされました。人権の観点からは、彼の指揮した攻撃が多数の非武装民間人の命を奪った事実は、重大な人道に対する罪として批判されます。国際関係においては、彼の組織がアルカーイダとの関連を指摘され、また一部からはアメリカやパキスタンからの支援が噂されるなど、複雑な国際政治の道具と見なされる側面もありました。彼の歴史的遺産は、暴力を用いた目的達成の限界と、民族問題が抱える負の連鎖を示すものとして記憶されています。
6.2. 文化的影響
2019年には、イランのナルゲス・アブヤルが監督・脚本を手がけたドラマ映画『月が満ちる時』が公開されました。この映画は、リギの兄弟とその義姉の物語に基づいており、彼らの生きた過酷な環境と事件の背景を文化的側面から描いています。
7. 関連項目
- ジュンダラ
- シスタン・バルチスタン州
- イラン
- アルカーイダ
- ターリバーン
- エヴィン刑務所
- 2009年ザーヘダーン爆破事件
- 2010年ザーヘダーンモスク爆破事件