1. Early life and background
アリウ・シセは1976年3月24日にセネガルのジガンショールで生まれた。9歳の時にフランス・パリへ移住し、幼少期をそこで過ごした。パリでは、地元の強豪クラブであるパリ・サンジェルマンFCでプレーすることを夢見て育った。
2. Playing career
アリウ・シセは、選手としてのキャリアを主にフランスとイングランドのクラブで築き、セネガル代表チームではキャプテンとして歴史的な成功を収めた。
2.1. Club career
シセはフランスでキャリアをスタートさせ、後にイングランドのクラブでもプレーした。
2.1.1. French club career
シセはリールOSCでプロとしてのキャリアをスタートさせた。その後、スダンを経てパリ・サンジェルマンFCへ移籍した。パリ・サンジェルマンでは、1999-2000シーズンにリーグ・アンで準優勝に貢献し、翌2000-01シーズンにはUEFAチャンピオンズリーグで4試合に出場した。しかし、その次のシーズンでは出場機会が減少し、モンペリエHSCへ期限付き移籍した。モンペリエでは2001-02シーズンのほとんどを過ごした。その後、ポーツマスFCでの2年間を経て、2006年11月に2週間のトライアル期間を経て再びスダンに復帰した。そして2008年9月には、スダンからフランスリーグ・ドゥのニームへ移籍。ニームでは2008-09シーズンに7試合に出場した後、33歳でクラブサッカーから引退した。
2.1.2. English club career and transfer controversy
2002 FIFAワールドカップでセネガル代表のキャプテンとしてベスト8に進出した後、シセはイングランドのクラブ、バーミンガム・シティに2002-03シーズンに向けて移籍した。これは同クラブにとってプレミアリーグでのデビューシーズンであった。シセはシーズン開幕戦のアーセナル戦で初出場を果たしたが、この試合で退場処分を受けた。この退場は後に撤回されたものの、彼はその後の6試合で5枚のイエローカードを受け、年末までに合計10枚のイエローカードを累積した。しかし、彼のシーズンは2月に負傷し、残りの試合を欠場することになり短縮された。
2003年7月にプレシーズントレーニングへの合流が遅れたため、当時の監督であったスティーブ・ブルースは彼を移籍リストに載せた。シセは最終的にトップチームに戻ったが、ブルースとの関係は悪化の一途を辿った。クリスマス以降、シセはそのシーズンにわずか3試合しか出場しなかった。シーズンの終わりに、彼はボルトン・ワンダラーズへの移籍が有力視されていたものの、最終的にポーツマスと30.00 万 GBPの2年契約を結んだ。この移籍は、2006年のイングランドサッカー汚職調査の対象となった複数の移籍の一つであり、2007年6月に発表されたスティーブンス・レポートではイングランドサッカーにおける汚職の懸念が表明された。シセの移籍に関して、同報告書は「エージェントのウィリー・マッケイがシセの移籍においてポーツマスのために活動した。(中略)この調査では現段階でこれらの移籍をクリアする準備ができていない」と述べている。
2.2. International playing career
アリウ・シセは、セネガル代表チームの選手として、特に2002 FIFAワールドカップとアフリカネイションズカップで中心的な役割を果たした。
2.2.1. 2002 FIFA World Cup

シセは2002 FIFAワールドカップでセネガル代表のキャプテンを務めた。この大会はセネガルにとって初のワールドカップ出場であり、デンマーク、前回の優勝国であるフランス、ウルグアイと同じ「死のグループ」と見なされたAグループに組み込まれた。しかし、初戦でフランスに1-0で勝利するという大金星を挙げ、デンマークとウルグアイには引き分け、見事に決勝トーナメント進出を果たした。
決勝トーナメント1回戦ではスウェーデンと対戦し、延長戦までもつれ込んだ激戦の末、アンリ・カマラのゴールデンゴールにより2-1で勝利し、ベスト8に進出した。これは1990 FIFAワールドカップでカメルーン代表が達成して以来、アフリカ勢としては2度目の快挙であった。しかし、準々決勝のトルコ戦では、またしても延長戦に突入し、今度はイルハン・マンスズにゴールデンゴールを決められ0-1で敗退し、ベスト4進出はならなかった。この大会でのシセとセネガル代表の活躍は、「テランガのライオン」としてセネガルの国民に大きな誇りをもたらした。
2.2.2. Africa Cup of Nations participation
選手として、アリウ・シセは2002 アフリカネイションズカップに参加した。この大会でセネガルは決勝まで進出したが、カメルーンとの決勝戦でPK戦の末に敗れ、準優勝に終わった。シセ自身もPK戦でキックを失敗した選手の一人であった。
3. Managerial career
アリウ・シセは選手としてのキャリアを終えた後、指導者としてセネガルサッカー界に貢献し、特にセネガル代表チームの監督として大きな成功を収めた。
3.1. Early coaching roles
アリウ・シセは2012年1月、セネガル代表チームのアシスタントコーチに推薦された。これは、彼の豊富な国際的サッカー経験が期待されたためである。2012年には一時的にアマラ・トラオレ監督の解任後、暫定的にセネガル代表の指揮を執った。2012年から2013年にかけては、U-23代表チームのアシスタントコーチを務め、その後2013年から2015年まで同チームのヘッドコーチを務めた。
3.2. Senegal national team manager (2015-2024)
2015年3月初旬、アリウ・シセはセネガル代表チームのヘッドコーチに正式に任命された。当時の監督であったアラン・ジレスが2015 アフリカネイションズカップのグループステージ敗退の責任を取り辞任した後の後任であった。
3.2.1. 2018 FIFA World Cup
2018年のFIFAワールドカップ・アフリカ予選において、シセが率いるセネガル代表は2017年11月10日に南アフリカに2-0で勝利し、本大会への出場権を獲得した。シセは2017年12月1日にロシアのモスクワで行われた組分け抽選会に出席し、セネガルがポーランド、コロンビア、日本と同じグループHに入ったことを知ると、「バランスは良いが厳しいグループだ」との感想を述べた。彼はコロンビアを「好みのチーム」と評し、別のインタビューでは「セネガルにとって厳しいグループになるだろう。ポーランドはご存知の通り。コロンビアは国際試合の経験が豊富だ。日本はやれることは何でもやる(努力を惜しまない)だろう」と述べ、それゆえ「セネガルらしさを保ったままの代表チームで、ここ(ロシア)に再び来たい」と語った。
日本代表チームの監督であったヴァイッド・ハリルホジッチは抽選会直後のインタビューで「私はセネガル代表チームをよく知っている、約2メートルの長身選手たちを前に動揺せず、私たちの流儀を貫くことが重要だ」と述べた。シセはセネガル帰国後、ハリルホジッチのコメントへの感想を問われると、「サッカーに確定的なことは何一つない、シンプルに、たくさんのことを議論し、決断するだけだ」と述べた。セネガルのメディアでは、セネガル代表チームにとって16年ぶりの出場となる2018年のワールドカップが2002年の躍進の再来となることを期待する論調が多く見られた。
しかし、セネガルはグループステージで、日本とフェアプレーポイントによるタイブレークで史上初めて敗退したチームとなった。シセは「これはルールのひとつだ。我々はそれを尊重しなければならない」と述べ、「もちろん、他の方法で敗退した方が良かった。我々にとっては悲しい日だが、これが規定であることは知っていた」とコメントした。
3.2.2. Africa Cup of Nations success

シセは2019 アフリカネイションズカップでセネガルを指揮し、チームを2002年以来となる決勝に導いた。しかし、決勝ではアルジェリアに1-0で敗れ、初のタイトル獲得はならなかった。グループステージでも同じスコアで敗れていた。
2019年2月、セネガルサッカー連盟(FSF)はシセとそのスタッフの契約を2021年8月まで延長した。そして2022年2月6日、シセは2021 アフリカネイションズカップでセネガルを優勝に導いた。決勝ではエジプトをPK戦の末4-2で破り、セネガル代表史上初のタイトルを獲得した。これは、過去2回の決勝での敗退の雪辱を果たすものであった。
3.2.3. 2022 FIFA World Cup and dismissal
2022 FIFAワールドカップでは、シセはセネガル代表を率いて2002年に選手として出場して以来、初めて決勝トーナメントに進出した。
2024年10月2日、アリウ・シセは2023 アフリカネイションズカップでのラウンド16敗退と、2026 FIFAワールドカップ予選での期待外れの成績を受けて、セネガル代表監督を解任された。
4. Personal life
アリウ・シセは2002年9月26日にガンビア沖で発生した旅客船ル・ジョラ号の沈没事故で家族数名(報道により9人、11人、または12人)を失った。この悲劇の後、シセは犠牲者1,000人以上の家族のために義援金を募るチャリティーマッチ(セネガル対ナイジェリア)に参加した。彼の元所属クラブの一つであるバーミンガム・シティも、犠牲者の家族のために義援金を募り、マンチェスター・シティとの試合中に巨大なセネガル国旗を掲げてシセを称えた。この出来事は彼の人生に深く影響を与え、社会貢献への意識を高めるきっかけともなった。
5. Statistics
アリウ・シセの選手キャリアと監督キャリアにおける統計データを示す。
5.1. Player statistics
選手として所属クラブおよび国家代表戦での出場記録、得点記録など、数値化されたデータは以下の通り。
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | リーグカップ | 大陸大会 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | 出場 | ゴール | ||
リール | 1994-95 | ディヴィジョン1 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 |
1995-96 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1996-97 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
合計 | 6 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | ||
スダン | 1997-98 | シャンピオナ・ナショナル | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 |
パリ・サンジェルマン | 1998-99 | ディヴィジョン1 | 8 | 0 | 3 | 0 | 5 | 1 | 0 | 0 | 16 | 1 |
1999-2000 | 25 | 1 | 2 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | 32 | 1 | ||
2000-01 | 10 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | ||
2001-02 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
合計 | 43 | 1 | 6 | 0 | 7 | 1 | 6 | 0 | 62 | 2 | ||
モンペリエ (期限付き移籍) | 2001-02 | ディヴィジョン1 | 17 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 17 | 1 |
バーミンガム・シティ | 2002-03 | プレミアリーグ | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 21 | 0 |
2003-04 | 15 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 15 | 0 | ||
合計 | 36 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 36 | 0 | ||
ポーツマス | 2004-05 | プレミアリーグ | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 20 | 0 |
2005-06 | 3 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | ||
合計 | 23 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 24 | 0 | ||
スダン | 2006-07 | リーグ・アン | 11 | 0 | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 14 | 0 |
2007-08 | リーグ・ドゥ | 10 | 1 | 1 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 12 | 0 | |
合計 | 21 | 1 | 4 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 26 | 1 | ||
ニーム | 2008-09 | リーグ・ドゥ | 7 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 8 | 0 |
キャリア通算 | 153 | 3 | 12 | 0 | 9 | 1 | 6 | 0 | 181 | 4 |
5.2. Managerial statistics
監督としての勝敗記録や在任期間など、彼の指導者キャリアに関する統計データは以下の通り。
チーム | 就任 | 退任 | 記録 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試合 | 勝利 | 引き分け | 敗戦 | 勝率 | ||||
セネガル代表 | 2015年3月5日 | 2024年10月2日 | 136 | 82 | 33 | 21 | 60.29% | |
合計 | 136 | 82 | 33 | 21 | 60.29% |
6. Honours
アリウ・シセが選手および監督として獲得した個人およびチームの栄誉をリストアップする。
6.1. Player honours
選手時代に獲得したチームおよび個人のタイトルと賞をリストアップする。
パリ・サンジェルマン
- クープ・ドゥ・ラ・リーグ準優勝: 1999-2000
- UEFAインタートトカップ: 2001
セネガル
- アフリカネイションズカップ準優勝: 2002
6.2. Managerial honours
監督時代に獲得したチームおよび個人のタイトルと賞をリストアップする。
セネガル
- アフリカネイションズカップ: 2021(開催は2022年)
- アフリカネイションズカップ準優勝: 2019
6.3. Individual honours
個人として受賞した主要な賞および表彰をリストアップする。
- アフリカネイションズカップ 大会最優秀監督: 2021
- CAFアワード 最優秀監督: 2022
7. Legacy and reception
アリウ・シセは、選手としても監督としても、セネガルサッカーの発展に計り知れない影響を与えた人物である。選手時代には2002 FIFAワールドカップでセネガルをベスト8に導く歴史的な快挙のキャプテンを務め、セネガルの「テランガのライオン」としての勇猛果敢なイメージを世界に知らしめた。そのリーダーシップはピッチ上だけでなく、ル・ジョラ号フェリー沈没事故の際には、自らも家族を失いながらも慈善活動に積極的に参加し、国民の悲しみに寄り添う姿は、彼の人間性と社会的な影響力の深さを示している。
監督に就任してからは、セネガル代表を強豪チームへと変革させた。2018 FIFAワールドカップでの惜敗(フェアプレーポイントによる敗退)は苦い経験となったが、その後の2019年大会での準優勝、そして2021年大会(開催は2022年)での悲願の初優勝は、彼の指導者としての手腕と、困難を乗り越える強い意志の証である。セネガル国内では、彼が代表監督を務めた期間が「黄金時代」として記憶されており、若手選手の育成とチーム全体のレベルアップに大きく貢献したと評価されている。メディアやファンからは、冷静沈着でありながらも情熱的な指揮官として尊敬を集め、セネガルサッカーのアイコンとしての地位を確立した。彼の存在は、セネガルサッカー界に希望と自信を与え、今後の世代にも大きな影響を与え続けるだろう。