1. 概要
アルバロ・ペドロ・ドゥシェル(Álvaro Pedro Duscherアルバロ・ペドロ・ドゥシェルスペイン語)は、アルゼンチン出身の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活動している。主に守備的ミッドフィールダーとしてプレーし、そのフィジカルな存在感で知られた。プロキャリアの大部分をスペインで過ごし、特にデポルティーボ・ラ・コルーニャで長く活躍した。また、ポルトガルのスポルティングCPでもプレー経験がある。現役引退後は指導者の道に進み、現在はパラグアイU-20代表の監督を務めている。
2. 個人情報
2.1. 出生と初期のキャリア
アルバロ・ペドロ・ドゥシェルは、1979年3月22日にアルゼンチンのチュブ州エスケルで生まれた。彼は1996年にニューウェルズ・オールドボーイズでプロデビューを果たし、サッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。
2.2. 国籍と身体情報
ドゥシェルはアルゼンチン国籍を保有しているが、同時にオーストリアの二重国籍も有していた。選手時代の身体的特徴としては、身長は180 cm、体重は85 kgであった。
3. 選手経歴
ドゥシェルは、アルゼンチン、ポルトガル、スペイン、エクアドル、キプロス、ギリシャのクラブでプレーし、11シーズンにわたるラ・リーガでの経験を含む、総計348試合に出場し12得点を記録した。
3.1. ユース経歴
ドゥシェルは1995年から1997年まで、故郷アルゼンチンのニューウェルズ・オールドボーイズのユースチームでプレーした。
3.2. プロクラブ経歴
ドゥシェルはプロキャリアにおいて、以下のクラブに所属した。
年 | クラブ | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
1997-1998 | ニューウェルズ・オールドボーイズ | 31 | 1 |
1998-2000 | スポルティングCP | 55 | 6 |
2000-2007 | デポルティーボ・ラ・コルーニャ | 157 | 0 |
2007-2008 | ラシン・サンタンデール | 34 | 5 |
2008-2010 | セビージャFC | 37 | 0 |
2010-2012 | RCDエスパニョール | 19 | 0 |
2011-2012 | → バルセロナSC (loan) | 7 | 0 |
2012 | エノシス・ネオン・パラリムニFC | 8 | 0 |
2013 | ベリアFC | 0 | 0 |
3.2.1. ニューウェルズ・オールドボーイズ
ドゥシェルは1996年にニューウェルズ・オールドボーイズでプロデビューを果たし、1997年から1998年までトップチームでプレーした。この期間にリーグ戦31試合に出場し、1得点を挙げた。
3.2.2. スポルティングCP
1998年、19歳でヨーロッパに渡り、ポルトガルのスポルティングCPに移籍した。移籍2年目となる1999-2000シーズンにはプリメイラ・リーガ優勝を経験した。スポルティングCPでは合計55試合に出場し、6得点を記録した。
3.2.3. デポルティーボ・ラ・コルーニャ
スポルティングCPでの活躍後、ドゥシェルは1300.00 万 EURでスペインのデポルティーボ・ラ・コルーニャに移籍した。2000-01シーズンはラ・リーガでわずか5試合の出場にとどまったが、その後は出場機会を増やし、ベテランのマウロ・シウバの補完役および後継者として期待された。2001-02シーズンにはコパ・デル・レイとスーペルコパ・デ・エスパーニャの二冠達成に貢献した。このクラブには2007年まで在籍し、リーグ戦157試合に出場したが得点はなかった。
3.2.4. ラシン・サンタンデール
デポルティーボとの契約満了後、2007年7月にラシン・サンタンデールと契約した。2007-08シーズンにはチームのUEFAカップ(現UEFAヨーロッパリーグ)初出場権獲得に貢献する重要な選手となった。2007年12月9日に行われたRCDマヨルカ戦(ホームで3-1の勝利)では、スペインのトップリーグで自身8シーズン目にして初ゴールを記録した。ラシン・サンタンデールではリーグ戦34試合に出場し、5得点を挙げた。
3.2.5. セビージャFC
2008年8月、ドゥシェルはセビージャFCと3年契約を結んだ。セイドゥ・ケイタやクリスティアン・ポウルセンが退団した中盤でポジションを確保し、チームのリーグ3位に貢献した。2009年2月4日にはコパ・デル・レイ準決勝のアスレティック・ビルバオ戦1stレグ(ホームで2-1の勝利)でセビージャでの初ゴールを記録した(合計スコアでは2-4で敗退)。2009-10シーズンにはセビージャがリーグ4位となりUEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得したが、ドゥシェルの出場はわずか10試合(うちフル出場は3試合)にとどまった。その後、彼は契約を解除した。
3.2.6. RCDエスパニョール
セビージャとの契約解除後、ドゥシェルは同じくラ・リーガに所属するRCDエスパニョールと1年契約を結んだ。エスパニョールではリーグ戦19試合に出場し、得点はなかった。
3.2.7. バルセロナSC
2011年7月下旬、ドゥシェルはエクアドルのバルセロナSCに1年間のローン移籍で加入した。この期間にリーグ戦7試合に出場したが、得点はなかった。
3.2.8. エノシス・ネオン・パラリムニFC
エスパニョールを退団した後、2012年夏にキプロス・ファーストディビジョンのエノシス・ネオン・パラリムニFCに加入したが、わずか3ヶ月で退団した。このクラブでは8試合に出場したが、得点はなかった。
3.2.9. ベリアFC
2013年2月上旬、ドゥシェルはギリシャ・スーパーリーグのベリアFCに加入した。しかし、このクラブでは公式戦に出場することなく、34歳で現役引退を表明した。
4. 代表経歴
ドゥシェルはアルゼンチン代表として、年代別代表からA代表まで幅広く活動した。
4.1. アルゼンチン代表
2005年にアルゼンチンA代表に選出され、同年中に3試合に出場した。
4.2. 年齢別代表
アルゼンチンの年代別代表では以下の活動経歴を持つ。
- U-17代表:1995年に6試合に出場し、得点はなかった。
- U-20代表:1999年に4試合に出場し、得点はなかった。
- U-23代表:2000年に7試合に出場し、得点はなかった。
5. プレースタイルと特徴
ドゥシェルは主に守備的ミッドフィールダーとしてプレーした。ピッチ上でのフィジカルな存在感と、ボール奪取能力に優れた選手として知られていた。
6. 主な出来事・エピソード
ドゥシェルのキャリアには、いくつかの注目すべき出来事や逸話がある。
- デビッド・ベッカムへのタックル事件: 2002 FIFAワールドカップ直前の2002年4月10日、UEFAチャンピオンズリーグのマンチェスター・ユナイテッドFC戦において、当時イングランド代表の中心選手であったデビッド・ベッカムにタックルを行い、彼の中足骨を負傷させた。この負傷により、ベッカムは2002 FIFAワールドカップへの出場が危ぶまれる事態となった。
- 故郷のダム所有: ドゥシェルは故郷にダムを所有しているという逸話があり、インターネット上の掲示板などでは、しばしば「ダム」という愛称で呼ばれることがあった。
7. 指導者経歴
選手引退後、ドゥシェルは指導者の道に進んだ。現在はパラグアイU-20代表の監督を務めている。