1. 生い立ちとユースキャリア
アレクシス・ルアーノ・デルガドは1985年8月4日にマラガで生まれた。彼は地元のクラブであるマラガCFの下部組織でサッカーのキャリアをスタートさせ、2001年から2004年にかけてBチームのアトレティコ・マラゲーニョでプレーし、50試合に出場した。その間、トップチームとBチームを掛け持ちする形で経験を積んだ。
2. クラブキャリア
アレクシスのプロキャリアは、スペインの複数のトップリーグクラブでの堅実な守備と重要な貢献によって特徴づけられる。各クラブでの彼の役割は、チームの安定性を高め、しばしば重要な局面で決定的な影響を与えた。
2.1. マラガCF、ヘタフェCF (第一次在籍)
アレクシスは2004年2月15日、RCDエスパニョール戦での5-2の勝利でマラガCFのトップチームにデビューし、8分間プレーした。マラガでは3シーズンにわたり53試合に出場し、3ゴールを記録した。しかし、2005-06シーズンにプリメーラ・ディビシオン(1部)で最下位となり、セグンダ・ディビシオン(2部)への降格が決定したため、アレクシスは新たな挑戦を求めた。
2006年夏、アレクシスは移籍金250.00 万 EURでヘタフェCFに移籍した。ヘタフェでの最初のシーズン、2006年10月14日のレアル・マドリード戦では、1-0のホームでの勝利となる決勝ゴールを挙げ、チームに貢献した。このシーズン、ヘタフェは38試合でわずか33失点とリーグで最も堅い守備を誇り、その中心選手の一人としてアレクシスは飛躍的な成長を遂げた。彼の活躍は、ACミラン、バレンシアCF、レアル・マドリード、FCバルセロナといったビッグクラブの注目を集めた。
2.2. バレンシアCF
2007年4月(日本版の情報では5月16日)、アレクシスは移籍金650.00 万 EURでバレンシアCFと2013年までの6年契約を結び、レアル・マドリードとの争奪戦を制した。しかし、2007-08シーズンは重度の膝の怪我によりシーズンの大半を棒に振った。それでも、彼はチームのコパ・デル・レイ優勝に貢献した。決勝の相手は古巣のヘタフェで、フアン・マタが先制点を挙げた後、アレクシスは追加点を決め、チームは3-1で勝利し、9年ぶり7回目のタイトルを獲得した。
2008-09シーズンはラウール・アルビオルとセンターバックのコンビを組み、9月14日のUDアルメリア戦では2-2の引き分けとなるゴールを挙げたが、恥骨炎のため2ヶ月間離脱した。アルビオルがレアル・マドリードに移籍した後の2009-10シーズンは、主にアンヘル・デアルベルトとコンビを組み、リーグ戦24試合に出場。チームはラ・リーガで3位となり、UEFAチャンピオンズリーグ出場権を獲得した。このシーズン最終節のCDテネリフェ戦では、後半ロスタイムに決勝ゴールを決め、1-0での勝利に貢献した。この結果、テネリフェは2部降格となり、同時に降格の危機にあった古巣マラガCFを救う形となった。バレンシアでは合計62試合に出場し、2ゴールを記録した。
2.3. セビージャFC、ヘタフェCF (第二次在籍)
2010年8月24日、アレクシスはセビージャFCに500.00 万 EURで移籍し、6年契約を結んだ。彼はアーセナルFCに移籍したセバスティアン・スキラシの後釜としての加入であった。セビージャでの最初のシーズン、2010-11シーズンはリーグ戦21試合を含む公式戦26試合に出場し、チームは5位でUEFAヨーロッパリーグ出場権を獲得した。しかし、後半戦以降はフェデリコ・ファシオにポジションを奪われるなど、絶対的な存在にはなれなかった。
2011-12シーズンにはエミル・スパヒッチの加入もあり、アレクシスの立場はさらに悪化した。リーグ戦での出場機会は限られ、新監督マルセリーノ・ガルシア・トラルの下では4番手または5番手のセンターバックという位置づけであった。しかし、2011年9月10日のビジャレアルCF戦ではアウェイで2-2の引き分けとなる86分にヘディングで同点ゴールを記録した。2012年2月下旬には、アルベルト・ロポの長期離脱による守備陣の深刻な負傷問題に直面していた古巣ヘタフェCFへ、シーズン終了までの期限付き移籍が認められた。この期限付き移籍は2012-13シーズンも延長された。セビージャでは合計22試合に出場し、1ゴールを記録した。
2013年夏、アレクシスはヘタフェと4年間の完全移籍契約を結んだ。ヘタフェでの2度目の在籍期間中、彼は健康な状態であれば不動の先発選手として活躍したが、規律上の問題により出場停止処分を受ける試合も複数あった。特に「言葉による警告」でイエローカードを受けることがあった。この期間、ヘタフェでは73試合に出場し、2ゴールを記録した。
2.4. ベシクタシュJK
2016年1月21日、30歳になったアレクシスは、キャリアで初めて国外でのプレーを選択し、トルコ・スュペル・リグのベシクタシュJKへ200.00 万 EURで移籍した。ベシクタシュでは10試合に出場し、1ゴールを記録した。
ベシクタシュでの在籍中に、彼のパフォーマンスが批判の対象となり、疑惑が持ち上がった出来事があった。2016年4月23日のアクヒサル・ベレディイェスポルとのアウェイ戦で3-3の引き分けに終わった後、彼の不振なプレーに対し、一部から八百長行為があったのではないかという疑惑が提起された。この疑惑はトルコ国内のメディアで報道され、ファンの間でも論争となった。
2.5. デポルティーボ・アラベス
2016年7月29日、アレクシスはスペインのトップリーグに復帰し、昇格組のデポルティーボ・アラベスと契約した。アラベスでは2016-17シーズンに24試合に出場し、2ゴールを挙げた。チームはこのシーズンを9位で終え、彼は守備陣の重要な役割を担った。アラベスでは合計52試合に出場し、3ゴールを記録した。
2.6. その後のキャリアと引退
2018年6月22日、アレクシスは再び国外へ渡り、サウジ・プロフェッショナルリーグのアル・アハリ・ジッダと2年契約を結んだ。アル・アハリでは8試合に出場したが、ゴールは記録しなかった。
その後、2019年8月7日にはスペインに帰国し、当時セグンダ・ディビシオン(2部)に昇格したばかりのラシン・サンタンデールと2年契約を結んだ。ラシン・サンタンデールでは20試合に出場し、無得点であった。ラシン・サンタンデールでのプレーが、彼の最終的なプロキャリアとなった。
3. 代表キャリア
アレクシスはスペインの各年代別代表チームで活躍した。
- U-17スペイン代表**: 2001年から2003年にかけて18試合に出場。
- U-19スペイン代表**: 2002年から2004年にかけて11試合に出場。2004年にスイスで開催されたUEFA U-19欧州選手権に参加し、セルヒオ・ラモスらとともに決勝でU-19トルコ代表を破り、優勝を果たした。
- U-20スペイン代表**: 2002年から2005年にかけて8試合に出場。2003年に開催された2003 FIFAワールドユース選手権に出場し、U-20カナダ代表やU-20コロンビア代表を破り、準優勝した。また、2005年にオランダで開催されたFIFAワールドユース選手権にも出場し、フェルナンド・ジョレンテやダビド・シルバなどの活躍によりベスト8に進出した。
- U-21スペイン代表**: 2004年から2006年にかけて3試合に出場。
4. プレースタイル
アレクシスは主にセンターバックとしてプレーし、その堅実な守備で知られていた。彼は空中戦に強く、ヘディング能力が高く、セットプレーからの得点源となることもあった。また、マラガCF時代には右サイドバックとしてプレーすることもあり、状況に応じて左サイドバックでもプレーできる柔軟性も持ち合わせていた。彼の守備スタイルは、ボール奪取能力とポジショニングの良さが特徴であり、チームの守備の安定に大きく貢献した。
5. タイトル
アレクシスはプロキャリアにおいて、クラブおよび年代別代表チームで以下の栄誉を獲得している。
5.1. クラブタイトル
- コパ・デル・レイ**
- 優勝: 2007-08(バレンシアCF)
- 準優勝: 2006-07(ヘタフェCF)、2016-17(デポルティーボ・アラベス)
- スュペル・リグ**
- 優勝: 2015-16(ベシクタシュJK)
5.2. 代表タイトル
- UEFA U-19欧州選手権**
- 優勝: 2004(U-19スペイン代表)
- FIFA U-20ワールドカップ**
- 準優勝: 2003(U-20スペイン代表)
5.3. 個人タイトル
- ドン・バロン・アワード**
- ラ・リーガブレイクスループレイヤー: 2006-07
6. 議論・論争
アレクシスのキャリアには、いくつかの議論の的となった出来事も含まれる。最も注目されたのは、2016年にトルコのベシクタシュJKに在籍していた際に持ち上がった八百長疑惑である。2016年4月23日のアクヒサル・ベレディイェスポル戦でのパフォーマンスが著しく悪く、チームが3-3で引き分けた後、一部のメディアやファンの間で、彼が意図的にミスを犯したのではないかという疑惑が報じられた。この疑惑は、彼のキャリアにおける評価に影を落とすことになった。
また、ヘタフェCFでの2度目の在籍期間中には、健康な状態であれば不動のレギュラーであったものの、「言葉による警告」としてイエローカードを受け、出場停止処分を受けることが何度かあった。これは、ピッチ上での彼の言動が時に批判的な注目を集めたことを示している。
7. 評価と遺産
アレクシス・ルアーノ・デルガドのサッカーキャリアは、安定した守備能力と、所属クラブにおける重要な貢献によって評価される。彼はキャリアを通じて、主にセンターバックとしてチームの守備の要となり、特にヘタフェではリーグ最高の守備陣の一員としてチームの躍進を支えた。バレンシアでは、怪我に苦しむ時期もあったものの、コパ・デル・レイ優勝に貢献し、決勝での得点という形でその存在感を示した。さらに、古巣のマラガCFを降格から救った最終節での劇的なゴールは、彼のキャリアの中でも特筆すべき社会的な貢献として記憶されるだろう。これは、単なる個人の成績を超え、地域コミュニティに与えた影響として、中道左派的な視点からも高く評価されるべき点である。
一方で、ベシクタシュでの八百長疑惑や、規律上の問題による出場停止といった論争は、彼のキャリアの複雑な側面を形成している。これらの出来事は彼のプロフェッショナルとしての評判に影響を与えかねないが、彼のキャリア全体を見れば、スペインのトップリーグで長年にわたり活躍し、複数のクラブで重要な役割を担った堅実な選手であったことは間違いない。アレクシスは、派手さよりも実直なプレーでチームに貢献するタイプの選手として、その遺産を築いたと言える。彼の右腕には桜と日本語の文章の入ったタトゥーが彫られており、彼の個性の一端を示している。