1. 生涯
アレシュ・チェフは1968年4月7日に、当時ユーゴスラビアの一部であったマリボルで生まれた。彼の基本的な個人情報については、現役時代から引退後にかけての彼のサッカー人生がその大半を占めている。身長は174 cm、利き足は左足であった。

2. 選手経歴
アレシュ・チェフのサッカー選手としてのキャリアは、ユース時代からスロベニアとオーストリアの複数のクラブを経て、スロベニア代表として二度の主要国際大会に出場するなど、長きにわたり多岐にわたる。
2.1. クラブ
チェフは地元のクラブ、NDスロヴァンの下部組織でサッカーを始め、その後、同じくリュブリャナを拠点とするNKオリンピア・リュブリャナに加わり、1988年にプロデビューを飾った。同クラブでは1992年までプレーし、通算93試合に出場し4得点を記録した。この時期には、1991-92シーズンにスロベニア・プルヴァリーガで優勝を経験している。
1992年、彼はオーストリア2部リーグのグラーツァーAKへ移籍。その安定したミッドフィールダーとしてのプレーで、1995年にはチームをトップリーグへの復帰に貢献した。グラーツァーAKでは11年間にわたり在籍し、その間にオーストリア・カップで2000年と2002年に優勝、さらにオーストリア・スーパーカップでも2000年と2002年に優勝を経験した。また、UEFAカップやUEFAインタートトカップといった国際大会にも出場するなど、クラブの成功に大きく貢献した。2003年5月、35歳となったチェフはクラブから下部組織のコーチ職を打診されたものの、現役続行を望み、同年夏にグラーツァーAKを退団した。グラーツァーAKでは通算287試合に出場し3得点を挙げた。
グラーツァーAK退団後、2003年から2004年の冬まで故郷スロベニアのNKマリボルでプレーし、45試合に出場した。その後再びオーストリアに戻り、LASKリンツに2005年から2006年まで在籍し、42試合に出場し1得点を記録した。
2006年、彼は古巣であるNKオリンピア・リュブリャナ(2005年に創設された新クラブ)へ復帰。2008-09シーズンを最後に選手としてのキャリアを引退した。このクラブでの最後の期間には37試合に出場し2得点を挙げた。キャリアを通じて、クラブで合計504試合に出場し10得点を記録している。
2.2. 代表
チェフは1992年6月3日、エストニアとの親善試合でスロベニア代表としてデビューを果たした。
彼はUEFA EURO 2000予選では全6試合に出場し、そのうち2試合ではキャプテンを務めた。予選プレーオフでウクライナ代表を破り、スロベニア代表のEURO初出場に貢献。本大会であるUEFA EURO 2000では、グループステージで未勝利に終わったものの、チェフは全試合に先発フル出場した。
また、2002 FIFAワールドカップにも出場し、グループステージの全ての試合に主将として出場した。この大会でのパラグアイ代表戦が彼の最後の国際試合となった。
スロベニア代表としては通算74試合に出場し、1得点を記録した。彼の代表引退試合は、UEFA EURO 2004予選プレーオフのクロアチア代表とのファーストレグ(2003年11月15日)であった。
2.3. 記録
チェフはスロベニア代表として、通算74試合に出場し1得点を挙げた。彼の唯一の代表ゴールは、1995年12月6日にメキシコのエルモシージョにあるエスタディオ・エロエ・デ・ナコザリで行われたメキシコ代表との親善試合で記録された。この試合で彼は1-1となる同点ゴールを決め、最終的にスロベニアは2-1で勝利した。
2.3.1. 代表出場および得点
No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1995年12月6日 | エスタディオ・エロエ・デ・ナコザリ(エルモシージョ、メキシコ) | Mexico英語 | 1-1 | 2-1 | 親善試合 |
3. 獲得タイトル
アレシュ・チェフが選手として獲得した主なタイトルは以下の通り。
- オリンピア
- スロベニア・プルヴァリーガ: 1991-92
- グラーツァーAK
- ÖFBカップ: 2000年、2002年
- オーストリア・スーパーカップ: 2000年、2002年
- NKマリボル
- スロベニア・カップ: 2003-04
4. 指導者経歴
選手引退後、アレシュ・チェフは指導者の道に進んだ。
2009年から2010年にかけてスロベニア U-16代表のコーチを務めた。
2010年から2011年には、古巣であるNKオリンピア・リュブリャナでドゥシャン・コシッチのアシスタントマネージャーを務めるとともに、同時期にスロベニア U-18代表のアシスタントコーチも兼任した。
2011年6月には、選手時代に長く在籍したグラーツァーAKの監督に就任し、2012年まで指揮を執った。
その後、2012年から2013年までNKルデル・ヴェレニエの監督を務めた。
2013年から2017年の間はスロベニア代表のアシスタントコーチを務め、国際舞台での指導経験を積んだ。
2018年にはスロベニア U-19代表の監督を務めた。
2022年からはNKドラヴァ・プトゥイのU-19チームの監督を務めている。