1. 概要
洛国富(洛国富ルオ・グオフ中国語)は、ブラジル出身の元プロサッカー選手であり、ストライカーとして活躍しました。ブラジルでのキャリアを経て、中国に帰化し、2021年には中国代表として国際舞台にデビューしました。本名はアロイージオ・ドス・サントス・ゴンサウヴェス(Aloísio dos Santos Gonçalvesアロイージオ・ドス・サントス・ゴンサウヴェスポルトガル語)であり、「アロイージオ」の愛称で広く知られています。彼の中国への帰化は、中国サッカーの強化政策の一環として注目され、その後のキャリアにおいて中国サッカー界に多大な影響を与えました。
2. 生い立ちと背景
2.1. 生年月日と個人背景
アロイージオ・ドス・サントス・ゴンサウヴェスは、1988年6月10日にブラジルのサンタカタリーナ州アララングアで生まれました。幼少期からサッカーに情熱を傾け、その才能を開花させました。
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2.2. 帰化と改名
2019年7月30日付でブラジル連邦官報『Diário Oficial da União』に掲載されたことにより、アロイージオがブラジル国籍を正式に離脱し、中国国籍を取得したことが明らかになりました。この帰化は、2020年には彼の中国語名である洛国富(洛国富ルオ・グオフ中国語)として広く知られるようになりました。彼の帰化は、中国サッカー協会が進める中国代表チームの強化を目的とした「帰化選手」政策の重要な一例となりました。
3. クラブ経歴
3.1. ブラジルでの初期キャリア
アロイージオは2006年6月にブラジルの名門クラブ、グレミオとプロ契約を結び、5年間の契約期間と725.00 万 GBPのバイアウト条項が設定されました。同年10月14日にはサンカエターノ戦でトップチームデビューを果たしました。
2007年8月にはスイス2部リーグのキアッソへ2シーズンにわたる期限付き移籍を経験しました。その後、2011年5月18日にシャペコエンセでの活躍が評価され、フィゲイレンセに加入しました。シャペコエンセでは19試合で14得点を記録し、チームをチャンピオンズトロフィーへと導くなど、目覚ましいパフォーマンスを見せていました。
2012年12月1日には、サンパウロとの仮契約に署名したことを確認し、同年12月7日にはサンパウロのジュベナル・ジュベンシオ会長が、アロイージオが2013年シーズンからチームでプレーすることを正式に発表しました。
サンパウロでは、2013年7月10日のバイーア戦で、クラブ史上1,000ゴール目となる記念すべき得点を記録しました(試合は1-2で敗戦)。その後も重要な得点を重ね、同年10月27日にはインテルナシオナル戦で初のハットトリックを達成し、チームを3-2の勝利に導きました。
3.2. 中国でのキャリア
2014年1月、アロイージオは中国スーパーリーグの山東魯能に500.00 万 EURの移籍金で完全移籍しました。山東魯能ではその得点能力を遺憾なく発揮し、2015年シーズンには28試合で22得点を挙げ、リーグ得点王に輝きました。
2016年7月には、同じく中国スーパーリーグの河北華夏幸福へ移籍しました。河北華夏幸福では、在籍中に37試合に出場し20得点を挙げるなど、チームの攻撃を牽引しました。
2018年1月16日、アロイージオは中国甲級リーグに昇格した広東華南虎(旧称:梅州梅県鉄漢)に2年契約で加入しました。このクラブでは2シーズンで51試合に出場し23得点を記録しました。
2020年1月には、広州恒大(現在の広州FC)に加入。広州での2シーズンで、彼は14試合に出場し3得点を記録しました。
3.3. ブラジルへの復帰と引退
2022年4月8日、洛国富はブラジルのアメリカ・ミネイロと契約を結び、ユニフォームの背中には中国名である「Luo GF」のピンイン表記を着用しました。これは、彼が中国に帰化した選手としてのアイデンティティを保ち続ける意思を示しました。同年7月には、彼のサイン入りユニフォームがサッカー記念品ウェブサイト「MatchWornShirt.com」で競売にかけられました。
アメリカ・ミネイロを退団し、度重なる負傷に苦しんだ後、洛国富は2024年6月24日に36歳でプロサッカー選手としての引退を発表しました。
4. 代表経歴
4.1. 中国代表チーム
洛国富は2021年9月7日、2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選の日本代表戦で中国代表としての国際デビューを果たしました。試合は0-1で敗戦しました。
彼の2試合目となるサウジアラビア代表戦(2021年10月12日)では、後半に中国代表初ゴールを記録しました。この試合で中国は2-3で惜敗しましたが、洛国富の得点は重要な瞬間となりました。彼は2021年から2022年にかけて中国代表として計5試合に出場し、1得点を記録しました。
5. タイトル・栄誉
5.1. クラブタイトル
- グレミオ
- カンピオナート・ガウショ: 2007
- シャペコエンセ
- カンピオナート・カタリネンセ: 2011
- サンパウロ
- エウゼビオ・カップ: 2013
- 山東魯能
- 中国FAカップ: 2014
- 中国サッカー・スーパーカップ: 2015
5.2. 個人タイトル
- 中国サッカー・スーパーリーグ 得点王: 2015
6. キャリア統計
6.1. クラブ成績
| クラブ | シーズン | リーグ | 州リーグ | 国内カップ (スイスカップ、コパ・ド・ブラジル、中国FAカップを含む) | 大陸大会 | その他 | 合計 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
| グレミオ | 2006 | セリエA | 5 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 5 | 0 | ||
| 2007 | 0 | 0 | 7 | 1 | 0 | 0 | 2 (コパ・リベルタドーレス出場) | 0 | - | 9 | 1 | |||
| 合計 | 5 | 0 | 7 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 14 | 1 | |||
| キアッソ | 2007-08 | スイス・チャレンジリーグ | 14 | 7 | - | 1 | 2 | - | - | 15 | 9 | |||
| カシアス | 2010 | セリエC | 7 | 1 | 8 | 0 | - | - | - | 15 | 1 | |||
| シャペコエンセ | 2011 | セリエB | 0 | 0 | 20 | 14 | - | - | - | 20 | 14 | |||
| フィゲイレンセ | 2011 | セリエA | 21 | 4 | - | - | - | - | 21 | 4 | ||||
| 2012 | 30 | 14 | 17 | 14 | 0 | 0 | 2 (コパ・スダメリカーナ出場) | 0 | - | 49 | 28 | |||
| 合計 | 51 | 18 | 17 | 14 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | 70 | 32 | |||
| サンパウロ | 2013 | セリエA | 33 | 11 | 15 | 4 | 0 | 0 | 15 (コパ・リベルタドーレス9試合2得点、コパ・スダメリカーナ6試合2得点) | 4 | 2 (レコパ・スダメリカーナ出場) | 1 | 65 | 20 |
| 山東魯能 | 2014 | 中国サッカー・スーパーリーグ | 27 | 10 | - | 7 | 4 | 6 (AFCチャンピオンズリーグ出場) | 1 | - | 40 | 15 | ||
| 2015 | 28 | 22 | - | 3 | 2 | 0 | 0 | 1 (中国サッカー・スーパーカップ出場) | 0 | 32 | 24 | |||
| 2016 | 11 | 1 | - | 2 | 1 | 0 | 0 | - | 13 | 2 | ||||
| 合計 | 66 | 33 | - | 12 | 7 | 6 | 1 | 1 | 0 | 85 | 41 | |||
| 河北華夏幸福 | 2016 | 中国スーパーリーグ | 11 | 6 | - | 0 | 0 | - | - | 11 | 6 | |||
| 2017 | 26 | 14 | - | 0 | 0 | - | - | 26 | 14 | |||||
| 合計 | 37 | 20 | - | 0 | 0 | - | - | 37 | 20 | |||||
| 広東華南虎 | 2018 | 中国サッカー甲級リーグ | 26 | 12 | - | 0 | 0 | - | - | 26 | 12 | |||
| 2019 | 25 | 11 | - | 1 | 0 | - | - | 26 | 11 | |||||
| 合計 | 51 | 23 | - | 1 | 0 | - | - | 52 | 23 | |||||
| 広州FC | 2020 | 中国スーパーリーグ | 5 | 0 | - | 1 | 1 | 3 (AFCチャンピオンズリーグ出場) | 0 | - | 9 | 1 | ||
| 2021 | 9 | 3 | - | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 9 | 3 | ||||
| 合計 | 14 | 3 | - | 1 | 1 | 3 | 0 | - | 18 | 4 | ||||
| アメリカ・ミネイロ | 2022 | セリエA | 22 | 4 | - | 4 | 0 | 2 (コパ・リベルタドーレス出場) | 0 | - | 28 | 4 | ||
| 2023 | 5 | 3 | 9 | 4 | 4 | 4 | 2 (コパ・スダメリカーナ出場) | 0 | - | 20 | 11 | |||
| 合計 | 27 | 7 | 9 | 4 | 9 | 4 | 4 | 0 | - | 48 | 15 | |||
| キャリア合計 | 305 | 123 | 76 | 37 | 24 | 14 | 32 | 5 | 3 | 1 | 439 | 180 | ||
6.2. 代表成績
| 中国 | ||
| 年 | 出場 | 得点 |
|---|---|---|
| 2021 | 4 | 1 |
| 2022 | 1 | 0 |
| 合計 | 5 | 1 |
代表得点
| No. | 日付 | 会場 | 対戦相手 | スコア | 結果 | 大会 |
|---|---|---|---|---|---|---|
| 1. | 2021年10月12日 | キング・アブドゥッラー・スポーツ・シティ・スタジアム、ジッダ、サウジアラビア | サウジアラビア | 1-2 | 2-3 | 2022 FIFAワールドカップ・アジア3次予選 |
7. 評価と影響
洛国富の中国への帰化は、単なる一選手の移籍以上の意味を持ち、中国サッカー界に多大な影響を与えました。彼の帰化は、中国が2020年代にワールドカップ予選やその他の国際大会で競争力を高めるため、ブラジル出身の優秀な選手を戦略的に「帰化選手」として代表チームに加えるという政策の象徴となりました。
彼は、その得点能力と献身的なプレースタイルで、中国スーパーリーグで活躍し、特に2015年シーズンには得点王に輝くなど、中国サッカーのレベル向上に貢献しました。また、中国代表としてプレーした際には、母国ブラジルでのキャリアで培った経験と技術をチームにもたらし、アジアの強豪国との対戦においても奮闘しました。彼の存在は、中国のサッカーファンにとって、国際舞台での成功への希望を抱かせるものでした。
一方で、帰化選手政策は、長期的な若手育成への影響や、国内リーグにおける外国人枠との兼ね合いなど、様々な議論を呼びました。しかし、洛国富はブラジルに戻ってからも、ユニフォームの背中に中国名「Luo GF」を記すなど、中国への強い愛着とアイデンティティを示し続けました。これは、彼が単なる「助っ人外国人」ではなく、中国サッカーの一員としての自覚を持っていたことの証であり、彼のキャリアが中国サッカーの歴史における特異な一章を形成したことを物語っています。