1. 生涯
アール・ウィリアム・エビーの生涯は、彼の出生から幼少期、学歴、そして第一次世界大戦中の軍務といった多様な経験によって形成された。
1.1. 出生と幼少期
エビーは1894年11月18日にイリノイ州オーロラで生まれた。幼少期を過ごした後、彼はシカゴへと移り、そこで高校に通った。具体的には、キャルメット高校とロヨラ・アカデミーで学んだ。
1.2. 学歴
高校卒業後、エビーはペンシルベニア大学に進学した。彼は1916年に同大学に入学し、学業と並行して大学の陸上競技チームであるペン・クエーカーズの一員として競技活動を行った。
1.3. 軍務
エビーは第一次世界大戦中にアメリカ陸軍に所属し、フランスで少尉として従軍した。軍務中の1919年には、パリで開催された競技会に参加し、400メートル走で優勝、800メートル走で2位という成績を収めている。
2. 主要な活動と功績
アール・エビーの主要な活動は、その輝かしい陸上競技キャリアと、引退後のジャーナリストとしての功績に集約される。
2.1. 陸上競技キャリア
エビーの陸上競技キャリアは、初期の国際大会での成功から、大学時代、そして国内および国際舞台での頂点へと続いた。
2.1.1. 初期大会参加
第一次世界大戦中に軍務に就いていたエビーは、1919年にパリで開催されたインター・アライド・ゲームズに参加した。この大会で彼は400メートル走で優勝し、800メートル走ではニュージーランドのダニエル・メイソンに次ぐ2位に入賞した。
2.1.2. 大学時代
ペンシルベニア大学に所属していたエビーは、大学陸上競技界で傑出した成績を収めた。彼はNCAA(全米大学体育協会)の800メートル競走で優勝した。また、IC4A(インターカレッジ・アマチュア陸上競技協会)主催の880ヤード競走では、1920年と1921年に優勝を飾った。さらに、AAU(アマチュア運動連合)が主催する600ヤード室内選手権でも、1920年と1923年に優勝を果たしている。彼の個人最高記録は、400メートル走で48秒7(1920年)、800メートル走で1分53秒5(1920年)であった。
2.1.3. 国内および国際大会
エビーは国内大会でもその実力を証明し、1920年の全米屋外陸上競技選手権大会の800メートル走で優勝した。この優勝により、彼は1920年アントワープオリンピックへの出場権を獲得した。
アントワープオリンピックでは、800メートル競走に出場した。
- 準々決勝では1分57秒7の記録で3位となり、準決勝へと進出した。
- 準決勝では1分57秒0で2位に入り、決勝への切符を手にした。
- 決勝では、イギリス代表のアルバート・ヒルに惜敗したが、見事銀メダルを獲得した。

3. 引退後の活動
陸上競技選手としての現役を引退した後、アール・エビーはジャーナリストとしてのキャリアをスタートさせた。彼は陸上競技専門の記者として活動し、その分野でアメリカで最も偉大な記者の一人に数えられる存在となった。
4. 死亡
アール・ウィリアム・エビーは1970年12月14日に、ペンシルベニア州バレーフォージで76歳で死去した。