1. 生涯
エヴェルトン・ケンペス・ドス・サントス・ゴンサウベスは、ブラジルで生まれ育ち、幼少期からサッカーに情熱を傾け、プロの道を歩み始めた。
1.1. 出生と幼少期
ケンペスは1982年8月3日にブラジルのペルナンブーコ州にあるカルピーナで生まれた。幼い頃にリオデジャネイロ州へ移住し、17歳の時にトライアルでその才能を認められ、カント・ド・リォFCに入団した。
1.2. 初期キャリア
2001年にはカント・ド・リォFCのトップチームに昇格。その後、ナシオナウ・ジ・ムリアエを経て、2004年にはカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAに所属するパラナ・クルーベに移籍し、プロキャリアを本格的にスタートさせた。
2. プロキャリア
ケンペスはブラジル国内の多くのクラブを渡り歩き、日本でのプレー経験も持つなど、多様なキャリアを築いた。彼のキャリアは、特にゴール前での決定力によって特徴づけられる。
2.1. ブラジルでのクラブキャリア
パラナ・クルーベではあまり出場機会に恵まれなかったものの、その後エスピリトサント州のクラブでプレー。イストレーラ・ド・ノルテFCでは2005年にコパ・エスピリトサントで優勝に貢献し、同大会で12試合に出場、5得点を挙げた。ヴィトーリアESでは2006年にカンピオナート・カピシャーバを制覇した。
その後もセルトンジーニョFCやクルーベ・キンゼ・デ・ノヴェンブロでプレーし、2007年7月11日にはセアラーSCと契約。2008年にはSERカシアス・ド・スルに移籍し、同年のカンピオナート・ガウーショではクラブの最多得点者となった。同年、イパチンガFCに期限付き移籍し、8月10日のフルミネンセFC戦でセリエA初ゴールを記録した。
2009年1月11日にはクリシューマECに加入。同年6月4日にはポルトゥゲーザに移籍し、彼の保有権の70%がポルトゥゲーザに買い取られた。ポルトゥゲーザでは期待されたほどの活躍はできなかったものの、期限付き移籍でECノヴォ・アンブルゴ(2010年)、セアラーSC(2010年)、アメリカ・ミネイロ(2011年)といったクラブでプレーした。特にアメリカ・ミネイロでは、2011年のカンピオナート・ブラジレイロ・セリエAで13得点を挙げた。
2015年3月2日にはジョインヴィレECに加入し、コパ・スダメリカーナにも1試合出場した。
2.2. 日本でのクラブキャリア
2012年、ケンペスはブラジル国外での初のプレーとなるセレッソ大阪へ期限付き移籍した。2012年のJ1リーグでは27試合に出場し7得点を挙げ、Jリーグカップでは5試合に出場し1得点を記録した。しかし、同年10月16日に退団とポルトゥゲーザへの復帰が発表された。
2013年1月にはジェフユナイテッド市原・千葉へ完全移籍。2013年のJ2リーグでは38試合に出場し22得点を記録し、J2リーグ得点王に輝いた。また、J1昇格プレーオフにも1試合出場した。この活躍により、2013年10月にはJリーグ月間MVPも受賞している。2014年には千葉ロッテマリーンズ対福岡ソフトバンクホークスの試合で始球式に登場した。
2014年のJ2リーグでは33試合に出場し13得点を挙げ、天皇杯では3試合に出場し2得点を記録した。この年もJ1昇格プレーオフに1試合出場した。
ジェフユナイテッド市原・千葉では、2013年と2014年の2シーズンで公式戦合計75試合に出場し38得点を記録した。2015年1月に契約満了により退団が発表された。
2.3. シャペコエンセでのキャリア
2015年12月16日、ケンペスはシャペコエンセへ移籍。このクラブで彼は2016年のカンピオナート・カタリンエンセ優勝に貢献した。また、コパ・スダメリカーナでは4試合に出場した。シャペコエンセは、同年のコパ・スダメリカーナの決勝に進出し、その初戦のためコロンビアのメデジンへ向かう途中であった。
3. 統計
ケンペスのプロキャリアにおける各クラブでの出場記録と得点数は以下の通りである。
クラブ | シーズン | リーグ | 州リーグ | カップ | 大陸大会 | その他 | 合計 | |||||||
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ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
パラナ・クルーベ | 2004 | セリエA | 2 | 0 | - | - | 0 | 0 | - | 2 | 0 | |||
イストレーラ・ド・ノルテFC | 2005 | セリエC | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 12 | 5 | 15 | 5 | |
ヴィトーリア-ES | 2006 | セリエC | 6 | 1 | 11 | 4 | - | - | - | 17 | 5 | |||
クルーベ・キンゼ・デ・ノヴェンブロ | 2007 | ガウーショ | - | 15 | 8 | - | - | - | 15 | 8 | ||||
セアラーSC | 2007 | セリエB | 0 | 0 | - | - | - | - | 0 | 0 | ||||
SERカシアス・ド・スル | 2008 | セリエC | 0 | 0 | 13 | 5 | - | - | - | 13 | 5 | |||
イパチンガFC | 2008 | セリエA | 14 | 1 | - | - | - | - | 14 | 1 | ||||
クリシューマEC | 2009 | セリエC | 2 | 0 | 16 | 9 | 4 | 5 | - | - | 22 | 14 | ||
ポルトゥゲーザ | 2009 | セリエB | 20 | 3 | - | - | - | - | 20 | 3 | ||||
2010 | 13 | 5 | - | - | - | - | 13 | 5 | ||||||
2011 | 0 | 0 | 12 | 2 | 2 | 1 | - | - | 14 | 3 | ||||
2012 | セリエA | 0 | 0 | - | - | - | - | 0 | 0 | |||||
2013 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||||
合計 | 33 | 8 | 14 | 2 | 2 | 1 | - | - | 49 | 11 | ||||
ECノヴォ・アンブルゴ (期限付き移籍) | 2010 | ガウーショ | - | 9 | 1 | - | - | - | 9 | 1 | ||||
セアラーSC (期限付き移籍) | 2010 | セリエA | 9 | 0 | - | - | - | - | 9 | 0 | ||||
アメリカ・ミネイロ (期限付き移籍) | 2011 | セリエA | 32 | 13 | - | - | - | - | 32 | 13 | ||||
セレッソ大阪 (期限付き移籍) | 2012 | J1 | 27 | 7 | - | 2 | 1 | - | 5 | 1 | 34 | 9 | ||
ジェフユナイテッド市原・千葉 | 2013 | J2 | 38 | 22 | - | 1 | 1 | - | 1 | 0 | 40 | 23 | ||
2014 | 33 | 13 | - | 3 | 2 | - | 1 | 0 | 37 | 15 | ||||
合計 | 71 | 35 | - | 4 | 3 | - | 2 | 0 | 77 | 38 | ||||
ジョインヴィレEC | 2015 | セリエA | 30 | 6 | 9 | 3 | 2 | 0 | 1 | 0 | - | 42 | 9 | |
シャペコエンセ | 2016 | セリエA | 26 | 9 | 18 | 5 | 5 | 2 | 4 | 0 | - | 53 | 16 | |
キャリア通算 | 255 | 83 | 105 | 38 | 17 | 9 | 5 | 0 | 19 | 6 | 398 | 136 |
- Jリーグ初出場 - 2012年3月10日 J1第1節 サガン鳥栖戦 (鳥栖スタジアム)
- Jリーグ初得点 - 2012年3月17日 J1第2節 ガンバ大阪戦 (長居陸上競技場)
4. 受賞歴
ケンペスはキャリアを通じて、個人およびチームで複数のタイトルを獲得した。
4.1. 個人タイトル
- J2リーグ得点王: 2013年(22得点)
- Jリーグ月間MVP: 2013年10月
4.2. クラブタイトル
- コパ・エスピリトサント: 2005年(イストレーラ・ド・ノルテFC)
- カンピオナート・カピシャーバ: 2006年(ヴィトーリアES)
- カンピオナート・ブラジレイロ・セリエB: 2011年(ポルトゥゲーザ)
- カンピオナート・カタリンエンセ: 2016年(シャペコエンセ)
- コパ・スダメリカーナ: 2016年(シャペコエンセ、死後追贈)
5. 死去
2016年11月28日、ケンペスはシャペコエンセのチームメイトやスタッフと共に、コパ・スダメリカーナ2016決勝の初戦のためコロンビアのメデジンへ向かう途中でラミア航空2933便墜落事故に遭遇し、34歳でこの世を去った。この事故では、搭乗していた77人のうち71人が命を落とすという悲劇的な結果となった。
ケンペスの死去を受け、彼がかつて所属したセレッソ大阪やジェフユナイテッド市原・千葉は、公式ウェブサイトで追悼メッセージを発表した。セレッソ大阪時代のチームメイトである柿谷曜一朗や杉本健勇、ジェフユナイテッド市原・千葉時代のチームメイトで、ケンペスから初アシストを記念して腕時計を贈られた町田也真人、そして家族ぐるみで交流があった佐藤勇人らも、SNSやメディアを通じて追悼のコメントを寄せた。特に佐藤勇人は、事故発生後に自身のTwitterでケンペスの無事を祈るメッセージを送っていた。
彼の死は、サッカー界全体に大きな衝撃と悲しみをもたらした。