1. 経歴
カルロス・アギレラのサッカー選手としての生涯は、故郷マドリードでの幼少期から始まり、アトレティコ・マドリードとCDテネリフェでの輝かしいクラブキャリア、そしてスペイン代表としての国際舞台での活躍、さらに引退後のクラブへの貢献へと続いた。
1.1. 幼少期とデビュー
カルロス・アギレラは1969年5月22日にスペインのマドリードで生まれた。彼のサッカーキャリアは、地元のクラブであるサン・クリストバルの下部組織を経て、幼少期にアトレティコ・マドリードのユースチームに加入したことから始まった。1988年、彼はアトレティコ・マドリードBでデビューを果たし、同年3月26日にはスポルティング・ヒホン戦でトップチームでの公式戦デビューを飾った。
1.2. クラブ経歴
カルロス・アギレラは、そのキャリアの大部分をアトレティコ・マドリードで過ごし、さらにCDテネリフェでも活躍した。ここでは、彼が所属した各クラブでの主要な活動と功績を詳細に記述する。
1.2.1. アトレティコ・マドリード (第一次)
アギレラは、1988年にトップチームデビューを果たした後、1993年までアトレティコ・マドリードに所属した。この期間に、チームは1990-91シーズンと1991-92シーズンに2年連続でコパ・デル・レイを獲得し、彼はその重要な一員として貢献した。
1.2.2. CDテネリフェ時代
1993年夏、アギレラはアトレティコ・マドリードからCDテネリフェへ移籍し、エリオドーロ・ロドリゲス・ロペスをホームとするこのクラブで3年間プレーした。ラ・リーガでの彼の最高のシーズンは1995-96シーズンで、39試合に出場して5得点を記録し、チームのUEFAカップ(現在のUEFAヨーロッパリーグ)出場権獲得に貢献した。奇しくも、このシーズンは彼の古巣であるアトレティコ・マドリードが歴史的なリーグとカップの2冠(ダブル)を達成した年でもあった。また、テネリフェ所属時の1993年12月8日には、ユヴェントスとのUEFAカップ3回戦で自身のUEFAカップ初ゴールを決めている(試合は2-1で勝利したが、合計スコアで2-4と敗退)。
1.2.3. アトレティコ・マドリード (第二次)
1996年夏、アギレラは古巣のアトレティコ・マドリードに復帰した。彼はその後もクラブに残り、2000年のラ・リーガからのセグンダ・ディビシオン降格という苦境を経験した後も、2年間セグンダ・ディビシオンでプレーを続けた。この2シーズンで、彼は78試合に出場し14得点を挙げるなど、堅実な成績を残した。2003-04シーズンを前に、彼は12か月の新契約に合意する際、クラブのために給与カットを受け入れるほどの忠誠心を見せた。アギレラは2005年に36歳で現役を引退した。彼はアトレティコ・マドリードでの通算出場試合数456試合を記録し、アデラルド・ロドリゲス、エンリケ・コリャル、トマス・レニョネスに次ぐクラブ歴代4位の記録を保持している。また、長年にわたり主将も務めた。
1.3. 代表経歴
アトレティコ・マドリードへの復帰後の好調なパフォーマンスが評価され、カルロス・アギレラはスペイン代表に選出された。彼の代表デビューは1997年9月24日、1998 FIFAワールドカップ予選のスロバキア戦(アウェイで2-1勝利)であった。彼はフランスで開催された1998 FIFAワールドカップ本大会のスペイン代表メンバーに選ばれ、グループステージのパラグアイ戦(0-0引き分け)とブルガリア戦(6-1勝利)に先発出場した。しかし、スペインはグループステージで敗退した。アギレラは1年間で合計7試合の国際Aマッチに出場した。
年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|
1997 | 3 | 0 |
1998 | 4 | 0 |
通算 | 7 | 0 |
また、彼は1989年から1990年にかけて、スペインU-21代表としても5試合に出場している。
1.4. 引退後の活動
2005年の現役引退後、カルロス・アギレラは6年後の2011年に、ディレクター職として再びアトレティコ・マドリードに復帰した。彼は主にクラブのユース組織のコーディネーターを務めたが、2017年10月にはその役職から離れることになった。
2. タイトル
カルロス・アギレラが選手時代に所属チームで獲得した主要なタイトルは以下の通りである。
- アトレティコ・マドリード
- コパ・デル・レイ:2回(1990-91、1991-92)
- 準優勝:2回(1998-99、1999-2000)
- セグンダ・ディビシオン:1回(2001-02)
- コパ・デル・レイ:2回(1990-91、1991-92)