1. 概要
クリスティナ・ラタン(Christina Lathanドイツ語、旧姓Brehmerブレーマードイツ語、1958年2月28日 - )は、旧東ドイツ出身の元陸上競技選手である。専門は400メートル競走。ラタンは、1976年のモントリオールオリンピックで400mにおいて銀メダル、4x400mリレーで金メダルを獲得し、1980年のモスクワオリンピックでも400mで銅メダル、4x400mリレーで銀メダルを獲得した。また、1976年には女子400mで初めて電気計時による50秒を切る世界記録(49秒77)を樹立するなど、1970年代後半から1980年代初頭にかけての女子400m界を代表する選手の一人として、数々の国際大会で輝かしい成績を収めた。

2. 生涯と初期キャリア
クリスティナ・ラタンは、幼少期から陸上競技に取り組み、才能を開花させた。
2.1. 出生と幼少期
クリスティナ・ラタンは、1958年2月28日に東ドイツのアルトデーベルンで生まれた。幼少期の詳細な背景や家族関係については多くは知られていないが、彼女は早い時期からスポーツに親しんだ。
2.2. 陸上競技への入門とトレーニング
ラタンは1969年に陸上競技のトレーニングを開始し、当初はSGディナモ・ゼンフテンベルクというスポーツクラブに所属していた。その後、1973年には東ドイツの主要なスポーツクラブであるSCディナモ・ベルリンへと移籍し、本格的な強化トレーニングを受けることとなった。SCディナモ・ベルリンでの訓練は、彼女の選手としての成長に大きく寄与した。1975年にギリシャのアテネで開催されたヨーロッパジュニア陸上競技選手権大会では、400m、4x100mリレー、4x400mリレーの3種目で金メダルを獲得し、その才能を国際舞台で広く知らしめた。
3. 主要な陸上競技キャリアと実績
クリスティナ・ラタンは、現役時代に数々の国際大会で優れた成績を収め、世界記録の樹立やオリンピックメダル獲得など、歴史に名を刻む活躍を見せた。
3.1. 世界記録と自己最高記録
ラタンは、1976年5月に400mで49秒77という当時の世界新記録を樹立した。これは、女子400mにおいて電気計時で初めて50秒の壁を破った歴史的な記録であった。しかし、この記録はわずか1か月後にポーランドのイレーナ・シェビンスカによって更新された。
彼女の自己最高記録は、1980年に記録した400mの49秒66である。この記録は、彼女のキャリアの中でも最高のパフォーマンスを示したものである。
3.2. オリンピック競技
ラタンは二度の夏季オリンピックに出場し、計4個のメダルを獲得した。
- 1976年モントリオールオリンピック**
- 女子400mでは、50秒51の記録でイレーナ・シェビンスカに次いで銀メダルを獲得した。
- 女子4x400mリレーでは、ブリギッテ・ローデ、エレン・シュトライト(400m銅メダリスト)、ドリス・マレツキと共に東ドイツチームのアンカーを務め、3分19秒23の記録で金メダルを獲得した。
- 1980年モスクワオリンピック**
- 女子400mでは、49秒66の記録でマリータ・コッホとヤルミラ・クラトフビロバに次いで銅メダルを獲得した。
- 女子4x400mリレーでは、1976年の金メダルチームから唯一の継続選手として、ガブリエレ・レーベ、バーバラ・クルーク、マリータ・コッホと共に第3走を務め、3分20秒4の記録で銀メダルを獲得した。
3.3. ヨーロッパ選手権
ヨーロッパ陸上競技選手権大会でも、ラタンは個人種目とリレー種目でメダルを獲得した。
- 1978年プラハ大会**
- 女子400mで50秒38の記録で銀メダルを獲得した。
- 女子4x400mリレーでは、クリスティアーネ・マルクヴァルト、バーバラ・クルーク、マリータ・コッホと共に東ドイツチームの一員として、3分21秒20の記録で金メダルを獲得した。
3.4. その他の主要国際大会
オリンピックやヨーロッパ選手権以外にも、ラタンは以下の主要な国際大会で活躍した。
- IAAFワールドカップ**
- 1977年と1979年の大会で、女子4x400mリレーで金メダルを獲得した。
- ユニバーシアード**
- 1979年にメキシコシティで開催された大会で、女子400mにおいて51秒59の記録で銅メダルを獲得した。
3.5. 主要実績一覧
クリスティナ・ラタンの選手キャリアにおける主な競技結果と獲得メダルを以下に示す。
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1975 | ヨーロッパジュニア選手権 | アテネ(ギリシャ) | 400m | 1位 | 51秒27 |
1975 | ヨーロッパジュニア選手権 | アテネ(ギリシャ) | 4x100mリレー | 1位 | 44秒05 |
1975 | ヨーロッパジュニア選手権 | アテネ(ギリシャ) | 4x400mリレー | 1位 | 3分31秒76 |
1976 | オリンピック | モントリオール(カナダ) | 400m | 2位 | 50秒51 |
1976 | オリンピック | モントリオール(カナダ) | 4x400mリレー | 1位 | 3分19秒23 |
1977 | ワールドカップ | デュッセルドルフ(西ドイツ) | 4x400mリレー | 1位 | 3分24秒04 |
1978 | ヨーロッパ選手権 | プラハ(チェコスロバキア) | 400m | 2位 | 50秒38 |
1978 | ヨーロッパ選手権 | プラハ(チェコスロバキア) | 4x400mリレー | 1位 | 3分21秒20 |
1979 | ユニバーシアード | メキシコシティ(メキシコ) | 400m | 3位 | 51秒59 |
1979 | ワールドカップ | モントリオール(カナダ) | 4x400mリレー | 1位 | 3分24秒28 |
1980 | オリンピック | モスクワ(ソビエト連邦) | 400m | 3位 | 49秒66 |
1980 | オリンピック | モスクワ(ソビエト連邦) | 4x400mリレー | 2位 | 3分20秒4 |
4. 評価と遺産
クリスティナ・ラタンは、その選手キャリアを通じて、女子400m界に大きな足跡を残した。
4.1. 主要な成果の要約
彼女は、1976年に電気計時で女子400m初の50秒切りという歴史的な世界記録を樹立し、その後のオリンピックでは金メダル1個、銀メダル2個、銅メダル1個の計4個のメダルを獲得した。また、ヨーロッパ選手権やユニバーシアード、ワールドカップといった主要な国際大会でも常に上位に食い込み、特に4x400mリレーでは東ドイツの強豪チームの一員として、幾度も金メダル獲得に貢献した。ラタンのキャリアは、1970年代後半から1980年代初頭の女子短距離界における東ドイツの優位性を象徴するものであり、その実績は陸上競技の歴史において高く評価されている。
5. 関連事項
- [https://www.olympedia.org/athletes/8286 クリスティナ・ラタン] - Olympedia(英語)
- イレーナ・シェビンスカ
- マリータ・コッホ
- ヤルミラ・クラトフビロバ
- 東ドイツのドーピング問題