1. 生涯と選手キャリア
申連浩の選手としてのキャリアは、幼少期のサッカーとの出会いから始まり、大学での活躍、プロリーグでの実績、そして国家代表としての輝かしい功績へと続いた。
1.1. 幼少期と大学選手キャリア
申連浩は1964年5月8日に大韓民国全羅南道麗水市で生まれた。身長は1.76 m。幼少期からサッカーに親しみ、後にプロサッカー選手としての道を歩むことになる。
申連浩は高麗大学校に在学中(1983年 - 1986年)にサッカー選手として頭角を現した。大学時代には、1985年の韓国全国サッカー選手権大会で高麗大学の優勝に貢献している。この時期には、関節炎を患い、ストライカーからミッドフィールダーへとポジションを変更することになった。
1.2. プロクラブ選手キャリア
1987年、申連浩はKリーグ1の現代ホランイ(現蔚山現代FC)に入団し、プロサッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。1994年に現役を引退するまで、現代ホランイ一筋でプレーし、合計155試合に出場し11得点を記録した。
現代ホランイでの主な功績には、Kリーグ1での2度の準優勝(1988年、1991年)および2度の3位入賞(1992年、1993年)がある。また、1989年の韓国全国サッカー選手権大会では準優勝、1993年の韓国リーグカップでも準優勝を経験した。さらに、現代ホランイのBチームの一員として、1990年の大韓民国大統領杯全国サッカー大会で準優勝している。
1.3. 国家代表選手キャリア
申連浩はU-20韓国代表として国際舞台で活躍した。1982年のAFCユース選手権(当時)では、韓国代表の優勝に貢献した。
メキシコで開催された1983 FIFAワールドユース選手権では、U-20韓国代表の主力選手として出場。この大会で6試合に出場し3得点を挙げる大活躍を見せた。特に、準々決勝のウルグアイ代表戦では2得点を記録し、チームをベスト4に導く原動力となった。これは韓国サッカー史上、FIFA主催大会での初の4強入りという歴史的快挙であり、「4強神話」として語り継がれている。この大会後には、1984年ロサンゼルスオリンピックのアジア予選で韓国A代表でもプレーし、12試合に出場して5得点を挙げている。
2. 指導者キャリア
選手引退後、申連浩はクラブコーチ、大学チーム監督、国家代表監督など、多様な指導者としての役割を歴任し、数々のチームを成功に導くとともに、多くの才能ある選手を育成した。
2.1. 初期指導者キャリア
1995年、申連浩は全北現代モータースのコーチに就任し、本格的に指導者としてのキャリアをスタートさせた。2001年までの7シーズンにわたって全北現代に在籍し、1999年のFAカップで準優勝、2000年のFAカップで優勝、2000年のKリーグで4位、2001年のFAカップで4強進出など、チームの成功に貢献した。
2.2. 大学およびユースチーム指導者キャリア
2002年、申連浩は湖南大学校サッカー部の監督に就任し、2006年までの4年間チームを率いた。この期間中に、黄智洙、廉基勲、金東賛、文民貴などの有望な選手を発掘し、その指導力が広く認められた。また、湖南大学監督在任中には、2006年のFAカップでKリーグ1の済州ユナイテッドやナショナルリーグの蔚山現代尾浦造船ドルフィンズといった強豪チームを次々と破り、湖南大学をベスト8に導く快進撃を見せた。
2009年には檀国大学校サッカー部の監督に就任し、再び大学サッカーの現場に戻った。就任初年度の2009年Uリーグ王中王戦ではチームを優勝に導き、自身も指導者賞を受賞した。その後も、2014年と2015年の全国体育大会忠南(チュンナム)地域で2連覇を達成し、2017年の秋季連盟選手権でも優勝を飾るなど、檀国大学を大学リーグ最強チームの一つへと押し上げた。この期間には、尹榮善、洪喆、羅相虎といった選手たちが檀国大学を経て韓国代表に選出されるなど、多くの優秀な選手を育成した。
2021年1月には、自身の母校である高麗大学校サッカー部の監督に就任。同年には1・2年生大学サッカー連盟戦でチームを準優勝に導き、高麗大学監督としてのデビュー戦を成功裏に飾った。
2.3. 国家代表チーム指導者キャリア
湖南大学校監督在任中の2005年には、トルコのイズミルで開催された2005年夏季ユニバーシアードの韓国代表チームの監督も務め、国際大会での指導経験も積んだ。
3. その他の活動
申連浩は選手や指導者としての活動に加え、サッカー解説者や地域サッカー教室の運営を通じて、韓国サッカーの多角的な発展に貢献している。
3.1. サッカー解説者活動
指導者として大邱FCのコーチを務めた後、2007年にはSBSスポーツでサッカー解説者としても活動を開始した。2020年にはスカイスポーツのサッカー解説委員に任命され、再びマイクを握った。解説者としては、試合の戦術的な分析や選手の技術的な評価を専門とし、サッカーファンに対して深い洞察を提供している。
3.2. サッカー教室運営
2008年には、故郷である麗水市に「申連浩サッカー教室」を設立した。このサッカー教室の運営を通じて、高宗秀や任裕煥といった選手を輩出した麗水地域のサッカー復興と青少年選手の育成に尽力しており、地域サッカーの発展にも積極的に貢献している。
4. 受賞と業績
申連浩は、選手時代と指導者時代を通して、数々の大会で優れた成績を収め、その功績は多岐にわたる。
4.1. 選手時代の主要な受賞
- 高麗大学校
- 韓国全国サッカー選手権大会優勝: 1985年
- 現代ホランイ
- Kリーグ1準優勝: 1988年、1991年
- Kリーグ13位: 1992年、1993年
- 韓国全国サッカー選手権大会準優勝: 1989年
- 韓国リーグカップ準優勝: 1993年
- 現代ホランイBチーム
- 大韓民国大統領杯全国サッカー大会準優勝: 1990年
- U-20韓国代表
- AFCユース選手権優勝: 1982年
- FIFA U-20ワールドカップ4位: 1983年
4.2. 指導者時代の主要な受賞
- 全北現代モータース(コーチ)
- 韓国FAカップ優勝: 2000年
- 韓国FAカップ準優勝: 1999年
- Kリーグ14位: 2000年
- 韓国FAカップ4強: 2001年
- 湖南大学校(監督)
- 韓国FAカップベスト8: 2006年
- 檀国大学校(監督)
- Uリーグ王中王戦優勝: 2009年
- Uリーグ指導者賞: 2009年
- 全国体育大会忠南地域優勝: 2014年、2015年
- 秋季連盟選手権優勝: 2017年
- 高麗大学校(監督)
- 1・2年生大学サッカー連盟戦準優勝: 2021年
5. 評価と影響
申連浩は、選手、指導者、そして多方面での活動を通じて、韓国サッカーの発展に多大な貢献を果たし、その影響力と評価は確固たるものとなっている。
5.1. 韓国サッカー発展への貢献
選手としては、1983 FIFAワールドユース選手権での韓国代表の歴史的なベスト4進出に大きく貢献し、韓国サッカー界に大きな自信と希望をもたらした。プロ選手としても、現代ホランイの主力としてチームをKリーグのトップに導き、その後の蔚山現代FCの基盤形成にも寄与した。
指導者としては、全北現代での実績を皮切りに、湖南大学、檀国大学、高麗大学といった大学チームで多くの若手選手を育成し、プロや国家代表へと送り出した。彼の指導を受けた選手の中には、現在の韓国サッカーを支える重要な選手も多数含まれている。これは、彼が単に勝利を追求するだけでなく、長期的な視点で韓国サッカーの人材育成に尽力した証である。
また、サッカー解説者としては、試合の深い洞察力と分析力を通じて、ファンにサッカーの魅力を伝え、理解を深める役割を果たした。故郷でのサッカー教室運営は、地域社会の活性化と青少年サッカーの普及に貢献し、サッカーが地域に根ざしたスポーツとして発展するための重要な役割を担っている。
5.2. 世間および歴史的評価
申連浩は、韓国サッカー界において一貫して誠実かつ情熱的な姿勢で活動してきた人物として評価されている。彼の謙虚な姿勢とリーダーシップは、選手や同僚指導者からの尊敬を集めている。特に、厳しい環境下でもチームをまとめ上げ、予想を上回る結果を出す指導力は高く評価されており、「サッカー指導者のレジェンド」と称賛されることもある。
メディアやファンからも、韓国サッカーの「生き証人」として、その功績と経験が常に注目されている。彼の活動は、韓国サッカーの過去、現在、そして未来を繋ぐ架け橋として、歴史的な文脈においても肯定的に評価されている。
6. 外部リンク
- [http://www.kfa.or.kr/news/news_interview_view.asp?BoardNo=467&Page=1&Query=PageSize%3D10%26Gubun%3D11499%26Key%3D1%26Word%3D%EC%8B%A0%EC%97%B0%ED%98%B8 KFAによるインタビュー]