1. 初期人生と背景
ジョゼップ・マリア・フステは1941年4月15日にカタルーニャ州リェイダ県リンヨラで生まれた。彼は身長175 cm、体重74 kgであった。
フステは1958年にFCバルセロナのユースチームに加入し、サッカー選手としてのキャリアをスタートさせた。
2. クラブキャリア
フステのプロサッカー選手としてのキャリアは、FCバルセロナでの長期にわたる活躍が中心であり、その間に他クラブへのレンタル移籍も経験した。引退後もFCバルセロナのベテランチームで活動を続けた。
2.1. FCバルセロナ
フステは1958年にFCバルセロナに加入し、その後CAオサスナへのレンタル移籍を経て、FCバルセロナのトップチームで10シーズンにわたりプレーした。この期間中、FCバルセロナはラ・リーガで4度2位となったものの、優勝を果たすことはなかった。特に1970-71シーズンには、バレンシアCFにわずか1ポイント差で優勝を逃している。
しかし、1960年代から1970年代初頭にかけて、FCバルセロナは様々なカップ戦で成功を収めた。
- 1962年、フステは自身初の欧州クラブ大会決勝であるインターシティーズ・フェアーズカップ決勝の第2戦に出場した。この試合は1-1の引き分けに終わったが、FCバルセロナは合計スコア3-7でバレンシアCFに敗れた。
- 1966年には、再びインターシティーズ・フェアーズカップ決勝に進出し、レアル・サラゴサを合計スコア4-3で破り、優勝に貢献した。
- 1968年には、コパ・デル・ヘネラリシモ決勝でレアル・マドリードCFを1-0で破ったチームの一員であった。この勝利により、FCバルセロナは翌シーズンのUEFAカップウィナーズカップ出場権を獲得し、決勝まで進んだが、ŠKスロヴァン・ブラチスラヴァに2-3で敗れ、準優勝に終わった。
- 1971年、フステはFCバルセロナをもう一度コパ・デル・ヘネラリシモ優勝へと導いた。バレンシアCFとの決勝戦で、FCバルセロナが2-0とリードされる中、途中出場したフステがチームの1点目を決め、最終的に延長戦の末に4-3で逆転勝利を収めた。
フステは1972年にFCバルセロナを退団するまでに、ラ・リーガで197試合に出場し47得点を記録した。
2.2. その他のクラブ
フステはFCバルセロナに所属しながら、1960年から1962年までCAオサスナにレンタル移籍した。CAオサスナ在籍中の1961年9月3日には、ラ・リーガでデビューし、RCDエスパニョールとの2-2の引き分けの試合でペナルティによる得点を挙げた。CAオサスナでは26試合に出場し10得点を記録した。
1972年にFCバルセロナを退団した後、フステは当時セグンダ・ディビシオンに所属していたエルクレスCFに加入し、1年間プレーした。エルクレスCFでは27試合に出場し2得点を記録した。
2.3. 引退後のクラブ活動
プロ選手としての現役引退後、フステはFCバルセロナのベテランチームでプレーを続け、2000年に完全に引退するまで印象的なパフォーマンスを見せた。また、彼はこのベテランチームのコーチも務めた。さらに、FCバルセロナのベテラン選手協会の会長も務めていた。
3. 代表経歴
フステはサッカースペイン代表として国際舞台でも活躍し、主要な国際大会に出場した。
3.1. スペイン代表
フステはサッカースペイン代表として8試合に出場し、3得点を挙げた。ホセ・ビジャロンガ・ジョレンテ監督によって、1964年3月11日に行われたUEFA欧州選手権1964予選のアイルランド共和国代表戦で代表デビューを果たした。この試合で彼は得点を挙げ、スペインは5-1で勝利した。彼は1964年から1969年までスペイン代表としてプレーした。また、1961年にはスペインB代表として1試合に出場している。
3.2. 主要大会出場
フステはスペイン代表として2つの主要な国際大会に参加した。
- 1964年にはUEFA欧州選手権1964に出場し、スペインの優勝に貢献した。
- 1966年には1966 FIFAワールドカップに出場し、グループステージの西ドイツ代表戦(1-2で敗戦)で得点を記録した。
4. 選手経歴統計
ジョゼップ・マリア・フステの選手経歴における合計出場試合数は250試合で、59得点を記録している。
4.1. 国際試合での得点記録
5. 受賞歴
5.1. クラブ
; FCバルセロナ
- インターシティーズ・フェアーズカップ: 1965-66
- インターシティーズ・フェアーズカップトロフィープレーオフ: 1971
- スペインカップ: 1962-63、1967-68、1970-71
5.2. 代表
; スペイン
- UEFA欧州選手権: 1964
6. 引退後の活動
サッカー選手を引退した後、フステはカタルーニャ州のスパークリングワイン会社である「コドルニウ」の広報担当役員として働いた。また、彼はFCバルセロナのベテラン選手協会の会長を務めた。1989年のFCバルセロナ会長選挙では、カタルーニャ民族主義者のシスト・カンブラを公に支持した。カンブラは、長年会長を務めたジョゼップ・リュイス・ヌニェスの対立候補であった。
7. 死去
ジョゼップ・マリア・フステは2023年4月20日にバルセロナで82歳で死去した。