1. 生い立ちと教育
ジョンソン・トリビオンは1946年7月22日、パラオのアイライ州で生まれた。彼は1965年から1966年にかけてグアム大学で学び、その後、ワシントン大学法科大学院に進学した。1972年には法学博士(Juris Doctorジュリス・ドクター英語)の学位を、1973年には法学修士(Master of Lawsマスター・オブ・ローズ英語)の学位を取得した。彼の法学修士論文の題目は「船舶による油汚染とミクロネシア:海事管轄権と適用法に関する調査」(Oil Pollution by Ships and Micronesia: A Survey of Maritime Jurisdiction and Applicable Laws船舶による油汚染とミクロネシア:海事管轄権と適用法に関する調査英語)であった。
2. 初期キャリアと政治活動
トリビオンは1980年にパラオ上院議員に選出され、政治家としてのキャリアをスタートさせた。
彼は大統領職を目指し、複数回選挙に立候補している。1992年のパラオ大統領選挙では、現職のンギラトケル・エトピソンが2,084票、ライバルのクニヲ・ナカムラが3,125票を獲得する中、トリビオンは3,188票を獲得した。しかし、いずれの候補者も50%以上の票を得られなかったため、ナカムラとトリビオンによる決選投票が行われたが、トリビオンはここで敗れた。
また、1996年の大統領選挙にも出馬したが、この時は決選投票を前に候補を辞退している。これは、1992年選挙に比べて支持が伸び悩んだことと、当時発生したコロール・バベルダオブ橋の崩落問題が政府の全面的な関心を必要とするとトリビオンが表明したためであった。
2001年から2008年まで、彼は中華民国(台湾)駐在パラオ大使を務め、外交経験を積んだ。また、彼はアイライ州の伝統的な首長である「Ngirakedンギラケド英語」の称号も持っていた。
3. パラオ大統領としての経歴
ジョンソン・トリビオンは、2009年から2013年までパラオ大統領を務め、その任期中に環境保護や外交政策において重要な取り組みを行った。
3.1. 2008年大統領選挙
2008年11月に行われたパラオ大統領選挙において、トリビオンは再び大統領候補として出馬した。彼の副大統領候補は、パラオ国民会議の代議員であったケライ・マリウールであった。対立候補は、当時の副大統領であったエリアス・カムセック・チンであった。
開票序盤の非公式集計では、トリビオンが1,629票、チンが1,499票と、トリビオンがリードしていた。このリードは最終的に維持され、トリビオンは選挙でチンを破り、大統領に当選した。
3.2. 大統領任期(2009年-2013年)
トリビオンは2009年1月15日にパラオの大統領として就任した。彼の任期は2013年1月17日に終了した。
3.2.1. 環境政策
トリビオン大統領は、環境保護に積極的に取り組み、2009年には世界初のシャークサンクチュアリの設立に貢献した。これにより、パラオの排他的経済水域(EEZ)内でのサメの捕獲が違法とされた。このEEZは、約60.00 万 km2(フランスとほぼ同じ面積)にも及ぶ広大な海域である。トリビオン大統領は、地球規模でのフカヒレ漁の禁止も訴え、「これらの生物は虐殺されており、私たちが積極的に保護措置を講じなければ、絶滅の危機に瀕するかもしれない」と述べた。
3.2.2. 主要な国内・外交課題
トリビオン政権は、国内外の重要な課題に直面した。その一つが、グアンタナモ湾収容キャンプに収容されていた6人のウイグル人元被拘禁者を受け入れる問題であった。彼らはパラオ社会に馴染むことに困難を抱え、この問題はトリビオンが2012年の大統領選挙で敗北する一因ともなった。この人道的な受け入れは、国際社会からの評価を得た一方で、国内では社会的な統合の難しさが浮き彫りになった。
3.3. 2012年大統領選挙
2012年の大統領選挙で、トリビオンは再選を目指したが、前任のトミー・レメンゲサウに敗れた。この敗北により、2013年1月17日に大統領職を退任した。
4. 選挙記録
ジョンソン・トリビオンのパラオ大統領選挙への出馬記録は以下の通りである。
選挙名 | 職責名 | 代数 | 政党 | 1次得票率 | 1次得票数 | 2次得票率 | 2次得票数 | 結果 | 当落 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1992年選挙 | パラオの大統領 | 第6代 | 無所属 | 37.80% | 3,191票 | 49.30% | 4,707票 | 2位 | 落選 |
1996年選挙 | パラオの大統領 | 第6代 | 無所属 | 33.89% | 3,092票 | - | - | 辞退 | 辞退 |
2008年選挙 | パラオの大統領 | 第8代 | 無所属 | 27.49% | 2,526票 | 51.07% | 5,040票 | 1位 | 当選 |
2012年選挙 | パラオの大統領 | 第8代 | 無所属 | 32.95% | 3,100票 | 41.11% | 4,287票 | 2位 | 落選 |
5. 私生活と近年の活動
ジョンソン・トリビオンは弁護士としても活動を続けており、近年では訴訟問題に巻き込まれている。2024年1月22日、トリビオンと彼の妻であるクリスタ・ナフスタッド・トリビオンは、現在のパラオ大統領であるスラングル・ウィップス・ジュニアと司法長官のアーネスティン・レンギールを相手取り提訴した(民事訴訟24-006号、キャスリーン・サリイ判事担当)。
この訴訟は、2022年にアーネスティン・レンギール司法長官がクリスタ・ナフスタッド・トリビオンを「好ましくない外国人」のリストに追加したことに関連する。訴状では、レンギール司法長官がナフスタッド・トリビオンを「ブラックリスト」に載せた理由は、ジョンソン・トリビオンが32歳年下のクリスタ・ナフスタッド・トリビオンと結婚するために離婚するのを阻止するためであったと主張されている。ジョンソン・トリビオン夫妻はともに弁護士であり、自身で訴訟代理人を務めている。現在、クリスタ・ナフスタッド・トリビオンのパラオへの入国禁止により、夫妻は離れ離れになっている。
6. 功績
ジョンソン・トリビオンは、パラオおよび国際社会に対し、特に環境保護分野で持続的な影響を与えた。彼の主導による世界初のシャークサンクチュアリ設立は、海洋生物保護における画期的な取り組みとして高く評価されている。また、グアンタナモ湾収容キャンプからのウイグル人受け入れという困難な人道問題への対応は、パラオが国際社会の一員として責任を果たす姿勢を示したものであり、彼のリーダーシップの複雑な側面を浮き彫りにしている。弁護士、政治家、そして大統領として、トリビオンはパラオの発展と国際的な地位向上に貢献した。