1. 概要
スーゾ・チェッキ・ダミーコ(Suso Cecchi d'Amicoイタリア語、本名:スザンナ・ジョヴァンナ・チェッキ、Susanna Giovanna Cecchiイタリア語)は、イタリアを代表する脚本家であり、イタリア映画界の巨匠の一人として知られる。1914年にローマで生まれ、2010年に96歳でその生涯を閉じるまで、約60年にわたり数多くの傑作映画の脚本を手がけた。彼女はイタリア映画における最初の女性脚本家の一人であり、イタリアン・ネオリアリズモ運動の先駆者として、第二次世界大戦後のイタリア社会の現実、貧困、そして疎外された人々の生活を深く掘り下げた作品群を通じて、映画史に多大な貢献を果たした。
彼女の作品は、簡潔かつ力強いセリフと、社会の底辺に生きる人々の心情を繊細に捉える筆致が特徴であり、女性としての視点から映画界のジェンダーバランスにも貢献した先駆的な役割を担った。ルキノ・ヴィスコンティ、ヴィットリオ・デ・シーカ、マリオ・モニチェッリ、フランコ・ゼフィレッリといったイタリア映画界の巨匠たちとの協業により、『自転車泥棒』、『山猫』、『いつもの見知らぬ男たち』など、数々の受賞作品を生み出した。その功績は高く評価され、ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞生涯功労賞やヴェネツィア国際映画祭功労金獅子賞など、多くの栄誉に輝いた。本記事では、彼女の生涯、キャリア、芸術的功績、そして映画を通じて社会に与えた影響を多角的に考察する。
2. 生い立ちと教育
スーゾ・チェッキ・ダミーコの幼少期からキャリア初期にかけての背景には、芸術的な家族環境と、映画界への関心を深める教育経験があった。
2.1. 出生と家族背景
スザンナ・ジョヴァンナ・チェッキは、1914年7月21日にローマで生まれた。出生後すぐに、父によって「スザンナ」と改名され、両親のトスカーナ地方のルーツから「スーゾ」という愛称で呼ばれるようになった。彼女の父エミリオ・チェッキ(1884年-1966年)はフィレンツェ出身で、文学評論家、作家として知られるだけでなく、映画プロデューサーや監督としても活躍した。母レオネッタ・チェッキ・ピエラッチーニ(Leonetta Cecchi Pieracciniレオネッタ・チェッキ・ピエラッチーニイタリア語、1882年-1977年)はシエーナ出身の著名な画家であり作家であった。このように、スーゾは幼少期から芸術的、文化的な豊かな環境で育ち、その後のキャリアに大きな影響を受けることとなる。
2.2. 教育と初期の経験
スーゾはローマのフランス語リセで教育を受け、その後スイスやケンブリッジで高等教育を修めた。ローマに戻ると、その語学力を活かして外務省で職を得た。1932年、父エミリオ・チェッキがアメリカでの2年間の教授職から帰国した際、海外の映画産業の状況を目の当たりにし、政府によってチネス映画スタジオの新たなディレクターに任命された。この時期から、スーゾはチネス映画スタジオの撮影現場に頻繁に足を運び、映画製作のプロセス、スタッフ、脚本家、俳優たちと交流を深める中で、映画界への関心を深めていった。この初期の経験が、彼女が後にイタリア映画界の主要な脚本家となるための基盤を築いた。
3. 私生活と家族
彼女の私生活では、特に夫フェデーレ・ダミーコとの結婚と、第二次世界大戦中の困難を乗り越えた家族の絆が重要であった。
3.1. 結婚と子供たち
1938年、スーゾは音楽学者のフェデーレ・ダミーコと結婚した。フェデーレは演劇評論家シルヴィオ・ダミーコの息子であった。第二次世界大戦中、フェデーレは反ファシスト系の出版物に携わっていたため、身を隠すことを余儀なくされるなど、夫妻は困難な時期を経験した。しかし、この夫婦の間には、後にイタリア文化に多大な貢献をすることとなる3人の子供が生まれた。彼らはマソリーノ、シルヴィア、カテリーナである。家族との絆は、彼女の創作活動にも影響を与えたと考えられている。
4. キャリア
スーゾ・チェッキ・ダミーコのキャリアは、第二次世界大戦後のイタリアン・ネオリアリズモ運動への貢献と、数々のイタリア映画界の巨匠たちとの協業によって特徴づけられる。
4.1. キャリアの始まり
第二次世界大戦が勃発すると、スーゾ・チェッキ・ダミーコは外務省の職を辞し、文学作品の翻訳家としての活動を始めた。この時期、彼女は父の同僚たちから、脚本を読んでフィードバックを提供するよう頻繁に依頼された。やがて、プロデューサーのカルロ・ポンティや監督のレナート・カステラーニから、自ら脚本を執筆するよう依頼され、これをきっかけに脚本家としてのキャリアをスタートさせた。彼女は「イタリア映画界の貴婦人」という愛称を得て、女性脚本家の先駆者として活躍した。男性中心の脚本家チームの中で、女性の視点からの意見が不足していると感じられていた当時、彼女の貢献は高く評価され、信頼性のある女性キャラクターの創造と描写に尽力した。
4.2. イタリアン・ネオリアリズモへの貢献
スーゾ・チェッキ・ダミーコは、第二次世界大戦後のイタリアで興隆し、世界的な注目を集めたイタリアン・ネオリアリズモ運動の形成期に、その才能を開花させた。彼女の執筆スタイルは、文学的素養と庶民に対する深い理解を融合させたものであり、特に簡潔なセリフが特徴であった。これは、ネオリアリズモ映画でしばしば起用された演技経験の少ない素人俳優たちにとって、セリフを覚えやすくするためでもあった。
彼女は、ネオリアリズモの精神に基づき、第二次世界大戦後のイタリア社会が直面する現実、貧困、そして社会から疎外された人々の生活を、リアリズムに根ざした描写で深く描き出した。その代表的な貢献は以下の作品群に見られる。
- 『平和に生きる』(1947年、ルイジ・ザンパ監督):この作品で、彼女はロカルノ国際映画祭最優秀脚本賞とナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞し、脚本家としての地位を確立した。
- 『自転車泥棒』(1948年、ヴィットリオ・デ・シーカ監督):この作品では、デ・シーカ、チェーザレ・ザヴァッティーニらとの共同執筆により、翌1949年にナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞した。
- 『春が来た』(1950年、レナート・カステラーニ監督):この作品でも、カステラーニ、チェーザレ・ザヴァッティーニらと共にナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞した。
これらの作品を通じて、彼女は「ネオレアリズモ」を代表する映画人としての地位を確固たるものにしていった。
4.3. 主要な監督との協業
スーゾ・チェッキ・ダミーコは、戦後イタリア映画界を代表するほとんど全ての著名な監督たちと協業し、数々の受賞作品を執筆または共同執筆した。彼女の多岐にわたる協力関係は、イタリア映画の多様なジャンルとスタイルに貢献した。
- ルキノ・ヴィスコンティ: 彼女はヴィスコンティ監督の最も信頼する脚本家の一人であり、長年にわたり緊密な関係を築いた。『ベリッシマ』、『若者のすべて』、『夏の嵐』、『白夜』、『山猫』、『ルートウィヒ 神々の黄昏』、『家族の肖像』、『イノセント』など、ヴィスコンティの代表作の多くを手がけた。特に『白夜』ではヴィスコンティと共にサン・ジョルディ賞最優秀外国脚本賞を、『若者のすべて』ではヴィスコンティ、パスクァーレ・フェスタ・カンパニーレ、エンリコ・メディオーリと共にナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞している。
- ヴィットリオ・デ・シーカ: ネオリアリズモの傑作『自転車泥棒』や『ミラノの奇蹟』といった作品で共同執筆し、運動の発展に貢献した。
- マリオ・モニチェッリ: 『いつもの見知らぬ男たち』、『歓喜の爆笑』、『ゴールデン・ハンター』(ビデオ題『カサノヴァ'70』)、『女たちのテーブル』、『暗い悪』など、イタリア式コメディの傑作群でモニチェッリと協業した。『いつもの見知らぬ男たち』ではモニチェッリ、アージェ=スカルペッリと共にナストロ・ダルジェント賞最優秀脚本賞を受賞し、『ゴールデン・ハンター』では第38回アカデミー賞脚本賞にノミネートされた。
- フランコ・ゼフィレッリ: 『じゃじゃ馬ならし』、『ブラザー・サン シスター・ムーン』、『ナザレのイエス』などで脚本を担当した。
- ミケランジェロ・アントニオーニ: 『女ともだち』の脚本を手がけた。
- アレッサンドロ・ブラゼッティ: 『こんなに悪い女とは』で協業した。
- ルイジ・ザンパ: 『平和に生きる』、『アンジェリーナ』で脚本を担当した。
- フランチェスコ・ロージ: 『サルヴァトーレ・ジュリアーノ』、『挑戦』などで共同執筆し、特に『挑戦』ではロージと共にナストロ・ダルジェント賞最優秀原作賞をダブル受賞した。
- ルイジ・コメンチーニ: 『ルナ・パークの窓』などの作品を手がけた。
- アルベルト・ラットゥアーダ: 『肉体は悪魔』で脚本を担当した。
- ウィリアム・ワイラー: アメリカ映画の傑作『ローマの休日』(1953年)の脚本をエンニオ・フライアーノと共に執筆したが、クレジットはされなかった。この作品は1954年に第26回アカデミー賞脚本賞を受賞している。
また、彼女はニーノ・ロータのオペラ『二人の臆病者』のリブレットも執筆している。
4.4. 執筆スタイルと特徴
スーゾ・チェッキ・ダミーコの脚本は、その簡潔かつ力強いセリフ回しと、社会の底辺に生きる人々の心情を繊細に捉える筆致によって高く評価されている。彼女の作品は、登場人物の心理を深く掘り下げ、特に社会的な弱者や疎外された人々の視点から物語を描くことに長けていた。
彼女は、女性脚本家としての先駆的な役割も果たした。男性優位の映画界において、彼女は女性の視点を脚本に持ち込み、それまで不足していた信頼性のある女性キャラクターを創造することに貢献した。彼女のインプットは、脚本家チームにおいて非常に価値あるものとされ、その存在は多くの女性脚本家にとっての道標となった。彼女の作品は、社会写実主義的な側面と人間ドラマの深い描写が融合しており、イタリア映画の発展に不可欠な要素となった。
5. 主な業績と受賞歴
スーゾ・チェッキ・ダミーコの長きにわたるキャリアは、ナストロ・ダルジェント賞、ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞、ヴェネツィア国際映画祭功労金獅子賞など、数多くの国内外の栄誉ある賞によって彩られた。
- ナストロ・ダルジェント賞**:
- 1947年:『平和に生きる』で最優秀脚本賞を受賞。
- 1948年:『自転車泥棒』で最優秀脚本賞を受賞。
- 1950年:『春が来た』で最優秀脚本賞を受賞。
- 1959年:『いつもの見知らぬ男たち』で最優秀脚本賞を、『挑戦』で最優秀原作賞をダブル受賞。
- 1961年:『若者のすべて』で最優秀脚本賞を受賞。
- 1987年:『インクアイリー/審問』で最優秀原作賞を受賞。
- ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞**:
- 1980年:生涯功労賞を受賞。
- 1986年:『女たちのテーブル』で最優秀脚本賞を獲得。また、ルキノ・ヴィスコンティ没後10年を記念したルキノ・ヴィスコンティ賞を受賞。
- 2006年:ダヴィド・ディ・ドナテッロ賞50周年記念賞を受賞。
- ヴェネツィア国際映画祭**:
- 1993年:第50回ヴェネツィア国際映画祭でピエトロ・ビアンキ賞を受賞。
- 1994年:第51回ヴェネツィア国際映画祭で功労金獅子賞を受賞。
- アカデミー賞**:
- 1966年:『ゴールデン・ハンター』(ビデオ題『カサノヴァ'70』)で第38回アカデミー賞脚本賞にノミネートされた。
- その他の賞と栄誉**:
- 1960年:『白夜』でサン・ジョルディ賞最優秀外国脚本賞を受賞。
- 1982年:第35回カンヌ国際映画祭の審査委員を務めた。
- 2001年:テレビ映画『外に雨が降るときのように』で、ビアリッツ・国際テレビ映像プログラミングフェスティバル(FIPA)金賞脚本賞を受賞。
- 2009年:全米脚本家組合賞「ジャン・ルノワール賞」を受賞。
これらの受賞歴は、彼女がイタリア映画界において、そして国際的にも、その脚本の質と貢献において最高の評価を受けていたことを示している。
6. 死去
スーゾ・チェッキ・ダミーコは、2010年7月31日にローマで96歳で死去した。彼女の死に際し、当時のイタリア大統領ジョルジョ・ナポリターノは、「イタリア映画の最高の時代の偉大な主役の一人であった」と追悼の言葉を述べた。彼女の脚本における最後の作品は、同じくイタリア映画界の巨匠であり、長年にわたる共同作業者であったマリオ・モニチェッリ監督の遺作ともなった『砂漠の薔薇』(2006年)である。
7. 遺産と影響
スーゾ・チェッキ・ダミーコは、その革新的な脚本スタイルと社会問題への深い洞察を通じて、イタリア映画界、そして後世の脚本家たちに計り知れない影響を与えた。彼女の作品は、批評家や観客から高い評価を受け続け、その功績はイタリア映画史に深く刻まれている。
7.1. イタリア映画界への影響
チェッキ・ダミーコは、単なる脚本家にとどまらず、イタリア映画の発展における重要な推進力であった。彼女の革新的な脚本スタイルは、特にイタリアン・ネオリアリズモの確立と普及に大きく貢献した。貧困や社会的不平等をリアルに描き出す彼女の筆致は、戦後のイタリア社会の姿を映画に映し出し、観客に深い共感を呼んだ。
また、女性脚本家としての先駆的な役割も特筆される。男性中心の映画製作現場において、彼女は女性の視点を持ち込み、より多角的で人間味あふれるキャラクター像を創造した。これにより、イタリア映画における女性像の描写が豊かになり、後続の女性映画製作者たちに大きな影響を与えた。彼女の作品は、社会問題への深い洞察と、人間ドラマの繊細な描写が融合しており、イタリア映画の芸術的、社会的な深みを増す上で不可欠な存在であった。
7.2. 批評的評価
スーゾ・チェッキ・ダミーコの作品は、同時代および後世の批評家や観客から一貫して高い評価を受けている。特に、彼女の社会写実主義的な側面と、人間ドラマの描き方に対する評価は非常に高い。
批評家たちは、彼女の脚本が単なる物語の骨格にとどまらず、登場人物の心理や社会背景を深く掘り下げ、観客に強い感情的な共鳴を呼び起こす力を持っていると指摘する。彼女は、複雑な人間関係や社会的な葛藤を、簡潔かつ示唆に富むセリフと描写で表現する能力に優れていた。例えば、『自転車泥棒』における貧困と絶望の描写や、『山猫』における貴族階級の衰退と時代の変遷の描写は、その深い洞察力と繊細な筆致の好例として挙げられる。
彼女の作品は、その時代を超えて普遍的なテーマを扱い、今日においても多くの映画製作者や研究者にとって重要な研究対象となっている。彼女の遺産は、イタリア映画の黄金時代を形作っただけでなく、世界中の映画に影響を与え続けている。
8. フィルモグラフィ
スーゾ・チェッキ・ダミーコが脚本を担当した映画作品は多岐にわたり、年代ごとにイタリア映画の変遷を映し出している。彼女は100を超える脚本作品を手がけており、下記はその一部である。
8.1. 1940年代
脚本家としてのキャリア初期、特に第二次世界大戦後のイタリア社会を映し出した作品群を中心に、1940年代に発表された主な映画作品を列挙する。
- 1946年:『教授、わが息子』(Mio figlio professoreミオ・フィーリオ・プロフェッソーレイタリア語) - 監督:レナート・カステラーニ
- 1946年:『無防備都市』(Roma città liberaローマ・チッタ・リベライタリア語) - 監督:ロベルト・ロッセリーニ
- 1947年:『肉体は悪魔』(Flesh Will Surrenderフレッシュ・ウィル・サレンダーイタリア語) - 監督:アルベルト・ラットゥアーダ
- 1947年:『平和に生きる』(To Live in Peaceトゥ・リヴ・イン・ピースイタリア語) - 監督:ルイジ・ザンパ
- 1947年:『アンジェリーナ』(Angelinaアンジェリーナイタリア語) - 監督:ルイジ・ザンパ
- 1948年:『春が来た』(È primavera...エ・プリマヴェーラ...イタリア語) - 監督:レナート・カステラーニ
- 1948年:『自転車泥棒』(Ladri di bicicletteラドリ・ディ・ビチクレットイタリア語) - 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
- 1949年:『沼の上の天国』(Heaven over the Marshesヘヴン・オーヴァー・ザ・マーシェズイタリア語)
- 1949年:『ファビオラ』(Fabiolaファビオライタリア語)
- 1949年:『鉄格子の彼方』(The Walls of Malapagaザ・ウォールズ・オブ・マラパガイタリア語) - 監督:ルネ・クレマン
8.2. 1950年代
イタリア映画の黄金期を支えた作品群、特にネオリアリズモの系譜を継ぐ作品や、多様なジャンルへの挑戦が見られる1950年代の主な作品を解説する。
- 1950年:『彼の最後の12時間』(His Last Twelve Hoursヒズ・ラスト・トゥエルヴ・アワーズイタリア語)
- 1950年:『悪魔との契約』(Pact with the Devilパクト・ウィズ・ザ・デビルイタリア語)
- 1950年:『父のジレンマ』(Father's Dilemmaファザーズ・ディレンマイタリア語)
- 1950年:『愛のロマンス』(Romanzo d'amoreロマンツォ・ダモーレイタリア語)
- 1951年:『延期されたハネムーン』(Honeymoon Deferredハネムーン・ディファードイタリア語)
- 1951年:『ベリッシマ』(Bellissimaベリッシマイタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1951年:『ミラノの奇蹟』(Miracle in Milanミラクル・イン・ミラノイタリア語) - 監督:ヴィットリオ・デ・シーカ
- 1952年:『都市は裁かれる』(The City Stands Trialザ・シティ・スタンズ・トライアルイタリア語)
- 1952年:『世界は彼らを非難する』(The World Condemns Themザ・ワールド・コンデムズ・ゼムイタリア語)
- 1952年:『ハロー・エレファント』(Buongiorno, elefante!ブオンジョルノ、エレファンテ!イタリア語)
- 1952年:『赤いシャツ』(Red Shirtsレッド・シャツイタリア語)
- 1953年:『空虚な瞳』(Empty Eyesエンプティ・アイズイタリア語)
- 1953年:『生きることに熱心』(Eager to Liveイーガー・トゥ・リヴイタリア語)
- 1953年:『椿のない女』(The Lady Without Cameliasザ・レディ・ウィズアウト・カメリアズイタリア語)
- 1953年:『われら女性』(第五話) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1953年:『敗者』(I Vintiイ・ヴィンティイタリア語)
- 1953年:『人生と愛について』(Of Life and Loveオブ・ライフ・アンド・ラヴイタリア語)
- 1953年:『ローマの休日』(Roman Holidayローマの休日英語) - 監督:ウィリアム・ワイラー、ノンクレジット
- 1954年:『夏の嵐』(Sensoセンソイタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1954年:『グラツィエッラ』(Graziellaグラツィエッライタリア語)
- 1954年:『愛の100年』(Cento anni d'amoreチェント・アンニ・ダモーレイタリア語)
- 1954年:『人生の一片』(A Slice of Lifeア・スライス・オブ・ライフイタリア語)
- 1954年:『陽気な飛行隊』(The Cheerful Squadronザ・チアフル・スクワドロンイタリア語)
- 1954年:『こんなに悪い女とは』(Peccato che sia una canagliaペッカート・ケ・シア・ウナ・カナリアイタリア語) - 監督:アレッサンドロ・ブラゼッティ
- 1954年:『禁じられた』(Proibitoプロイビートイタリア語)
- 1955年:『女ともだち』(Le amicheレ・アミーケイタリア語) - 監督:ミケランジェロ・アントニオーニ
- 1956年:『キーン』(Keanキーンイタリア語)
- 1956年:『ルナ・パークの窓』(The Window to Luna Parkザ・ウィンドウ・トゥ・ルナ・パークイタリア語)
- 1956年:『幸運な女』(Lucky to Be a Womanラッキー・トゥ・ビー・ア・ウーマンイタリア語) - 監督:アレッサンドロ・ブラゼッティ
- 1957年:『街の夫たち』(Husbands in the Cityハズバンズ・イン・ザ・シティイタリア語)
- 1957年:『私の愛を守る』(Difendo il mio amoreディフェンド・イル・ミオ・アモーレイタリア語)
- 1957年:『白夜』(Le notti biancheレ・ノッティ・ビアンケイタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1958年:『いつもの見知らぬ男たち』(Big Deal on Madonna Streetビッグ・ディール・オン・マドンナ・ストリートイタリア語) - 監督:マリオ・モニチェッリ
- 1958年:『挑戦』(La sfidaラ・スフィーダイタリア語) - 監督:フランチェスコ・ロージ
- 1959年:『そして荒々しい女たち』(...And the Wild Wild Women...アンド・ザ・ワイルド・ワイルド・ウーメンイタリア語)
- 1959年:『激しい季節』(Violent Summerヴァイオレント・サマーイタリア語) - 監督:ヴァレリオ・ズルリーニ
8.3. 1960年代
ルキノ・ヴィスコンティやマリオ・モニチェッリといった巨匠たちとの協業が深化し、イタリア式コメディの隆盛期にあった1960年代の代表的な作品を紹介する。
- 1960年:『情熱的な泥棒』(The Passionate Thiefザ・パッショネート・シーフイタリア語)
- 1960年:『青い伯爵夫人』(La Contessa azzurraラ・コンテッサ・アッズーライタリア語)
- 1960年:『ナポリ湾』(It Started in Naplesイット・スターテッド・イン・ネイプルズ英語) - 監督:メルヴィル・シェイヴルソン
- 1960年:『歓喜の爆笑』(Risate di gioiaリサーテ・ディ・ジョイアイタリア語) - 監督:マリオ・モニチェッリ
- 1960年:『若者のすべて』(Rocco and His Brothersロッコ・アンド・ヒズ・ブラザーズイタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1961年:『放蕩者』(The Wastrelザ・ウェイストレルイタリア語)
- 1962年:『サルヴァトーレ・ジュリアーノ』(Salvatore Giulianoサルヴァトーレ・ジュリアーノイタリア語) - 監督:フランチェスコ・ロージ
- 1962年:『好敵手』(The Best of Enemiesザ・ベスト・オブ・エネミーズ英語) - 監督:ガイ・ハミルトン
- 1962年:『三つの愛の寓話』(Three Fables of Loveスリー・フェイブルズ・オブ・ラヴイタリア語)
- 1962年:『ボッカチオ'70』(第1話) - 監督:マリオ・モニチェッリ、第3話 - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ、オムニバス
- 1963年:『山猫』(Il Gattopardoイル・ガットパルドイタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1964年:『無関心な人々』(Gli indifferentiグリ・インディフェレンティイタリア語)
- 1965年:『私、私、私...そしてその他』(Me, Me, Me... and the Othersミー、ミー、ミー...・アンド・ジ・アザーズイタリア語)
- 1965年:『ゴールデン・ハンター』(Casanova 70カサノヴァ・セブンティイタリア語) - 監督:マリオ・モニチェッリ
- 1965年:『熊座の淡き星影』(Sandraサンドライタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1966年:『セックスカルテット』(Sex Quartetセックス・カルテットイタリア語)
- 1966年:『大声で撃て、もっと大声で...理解できない』(Shoot Loud, Louder... I Don't Understandシュート・ラウド、ラウダー...・アイ・ドント・アンダースタンドイタリア語)
- 1967年:『じゃじゃ馬ならし』(The Taming of the Shrewザ・テイミング・オブ・ザ・シュルー英語) - 監督:フランコ・ゼフィレッリ
- 1967年:『裏切りの荒野』(Pride and Vengeanceプライド・アンド・ヴェンジェンスイタリア語) - 監督:ルイジ・バッツォーニ
- 1967年:『異邦人』(The Strangerザ・ストレンジャーイタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1969年:『彼女について何も知らずに』(Senza sapere niente di leiセンツァ・サペーレ・ニエンテ・ディ・レイイタリア語)
- 1969年:『ジャコモ・カサノヴァ:幼少期と青年期』(Giacomo Casanova: Childhood and Adolescenceジャコモ・カサノヴァ:チャイルドフッド・アンド・アドルセンスイタリア語)
8.4. 1970年代
ヴィスコンティ没後も精力的に活動を続けた1970年代の作品群、特にテレビシリーズなどへの関与も含めて解説する。
- 1970年:『わが青春のフロレンス』(Metelloメテッロイタリア語) - 監督:マウロ・ボロニーニ
- 1971年:『レディ・リバティ』(Lady Libertyレディ・リバティイタリア語)
- 1972年:『なぜ?』(Perché?ペルケ?イタリア語)
- 1972年:『脳の中の悪魔』(Devil in the Brainデビル・イン・ザ・ブレインイタリア語)
- 1972年:『ブラザー・サン シスター・ムーン』(Brother Sun, Sister Moonブラザー・サン・シスター・ムーン英語) - 監督:フランコ・ゼフィレッリ
- 1972年:『ピノッキオの冒険』(Le avventure di Pinocchioピノッキオの冒険イタリア語) - 監督:ルイジ・コメンチーニ、テレビミニシリーズ
- 1972年:『ルートウィヒ 神々の黄昏』(Ludwigルートヴィヒイタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1973年:『愛と体操』(Amore e ginnasticaアモーレ・エ・ジンナスティカイタリア語)
- 1974年:『苦い愛』(Amore amaroアモーレ・アマーロイタリア語)
- 1974年:『家族の肖像』(Conversation Pieceコンヴァーセイション・ピースイタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1975年:『司祭、奇跡を起こせ』(Prete, fai un miracoloプレーテ、ファイ・ウン・ミラコロイタリア語)
- 1976年:『私のためなら何でもすると言って』(Tell Me You Do Everything for Meテル・ミー・ユー・ドゥ・エヴリシング・フォー・ミーイタリア語)
- 1976年:『イノセント』(L'innocenteイノセントイタリア語) - 監督:ルキノ・ヴィスコンティ
- 1976年:『親愛なるミケーレ』(Caro Micheleカーロ・ミケーレイタリア語)
- 1977年:『ナザレのイエス』(Jesus of Nazarethナザレのイエス英語) - 監督:フランコ・ゼフィレッリ、テレビミニシリーズ
- 1976年:『ヴィスコンティの肖像』 - 監督:ルーカ・ベルドーネ、出演
8.5. 1980年代 - 2000年代
晩年に至るまで、イタリア映画界の変遷とともに活動を続けた1980年代から2000年代にかけての作品を網羅的に紹介する。
- 1983年:『言葉で伝える』(Les Mots pour le direレ・モ・プール・ル・ディールフランス語)
- 1984年:『ベルトールド、ベルトリーノ、そしてカカセンノ』(Bertoldo, Bertoldino e... Cacasennoベルトールド、ベルトリーノ・エ...・カカセンノイタリア語)
- 1985年:『マッティア・パスカルの二つの人生』(The Two Lives of Mattia Pascalザ・トゥー・ライヴズ・オブ・マッティア・パスカルイタリア語)
- 1985年:『クオーレ』(Cuoreクオーレイタリア語) - テレビミニシリーズ
- 1985年:『女たちのテーブル』(Let's Hope It's a Girlレッツ・ホープ・イッツ・ア・ガールイタリア語) - 監督:マリオ・モニチェッリ
- 1986年:『カラヴァッジオ』(Caravaggioカラヴァッジオ英語)
- 1987年:『インクアイリー/審問』(The Inquiryザ・インクアイリーイタリア語) - 監督:ダミアーノ・ダミアーニ、原作
- 1987年:『マンマ・ミーア人生』(Big Deal After 20 Yearsビッグ・ディール・アフター・トゥエンティ・イヤーズイタリア語) - 監督:マリオ・モニチェッリ
- 1987年:『ラ・ストリア』(La Storiaラ・ストリアイタリア語)
- 1987年:『黒い瞳』(Dark Eyesダーク・アイズイタリア語) - 監督:ニキータ・ミハルコフ
- 1987年:『プライベート・アフェアーズ』(Private Affairsプライベート・アフェアーズイタリア語)
- 1988年:『ならず者たち』(The Roguesザ・ローグスイタリア語)
- 1988年:『ストラディバリ』(Stradivariストラディバリイタリア語)
- 1988年:『興味本意の女たち』(La moglie ingenua e il marito malatoラ・モリエ・インジェヌア・エ・イル・マリート・マレートイタリア語) - 監督:フランチェスコ・マサロ、テレビ映画
- 1989年:『暗い悪』(Il male oscuroイル・マーレ・オスクーロイタリア語) - 監督:マリオ・モニチェッリ
- 1991年:『ロッシーニ!ロッシーニ!』(Rossini! Rossini!ロッシーニ!ロッシーニ!イタリア語)
- 1992年:『親戚の蛇』(Parenti serpentiパレンティ・セルペンティイタリア語)
- 1993年:『終わりは知られている』(The End Is Knownジ・エンド・イズ・ノウンイタリア語)
- 1994年:『親愛なるクソッタレな友人たち』(Cari fottutissimi amiciカーリ・フォットゥティッシミ・アミーチイタリア語)
- 1995年:『楽園を作ろう』(Facciamo paradisoファッチャーモ・パラディーゾイタリア語)
- 1998年:『シロッコの間』(The Room of the Sciroccoザ・ルーム・オブ・ザ・シロッコイタリア語)
- 1998年:『最後の夏 - もしあなたが望まないなら』(Der Letzte Sommer - Wenn Du nicht willstデア・レッツテ・ゾンマー - ヴェン・ドゥ・ニヒト・ヴィルストドイツ語)
- 1999年:『汚れた布』(Panni sporchiパンニ・スポルキイタリア語)
- 1999年:『魔法の友人:ニーノ・ロータ師』(Un amico magico: il maestro Nino Rotaウン・アミーコ・マジコ:イル・マエストロ・ニーノ・ロータイタリア語)
- 1999年:『マーティン・スコセッシ 私のイタリア映画旅行』(My Voyage to Italyマイ・ヴォヤージュ・トゥ・イタリー英語) - 監督:マーティン・スコセッシ
- 2000年:『外に雨が降るときのように』(Come quando fuori pioveコメ・クアンド・フオリ・ピオーヴェイタリア語) - テレビ映画
- 2000年:『空が落ちる』(Il cielo cadeイル・チエロ・カーデイタリア語)
- 2005年:『ラウル:殺しに直行』(Raul: Straight to Killラウル:ストレート・トゥ・キルイタリア語)
- 2005年:『三兄弟』(Tre fratelli三兄弟イタリア語)
- 2006年:『砂漠の薔薇』(Le rose del desertoレ・ローゼ・デル・デゼルトイタリア語) - 長篇遺作
9. 女優としての活動
- 1962年:『ボッカチオ'70』(「レンツォとルチアーナ」のセグメント)