1. 概要
セントクリストファー・ネイビス連邦は、カリブ海に位置する二つの島、セントクリストファー島(通称セントキッツ島)とネイビス島から構成される英連邦王国の一員である立憲君主制国家です。西半球で最も面積および人口が小さい主権国家であり、経済は長らく砂糖産業に依存していましたが、21世紀初頭に砂糖生産を停止し、現在は観光業、軽工業、オフショア金融サービスが主要産業となっています。また、投資と引き換えに市民権を付与する「投資市民権制度」を世界で最も早くから導入している国の一つとしても知られています。
歴史的には、先住民のカリナゴ族が居住していましたが、15世紀末のヨーロッパ人による「発見」以降、イギリスとフランスによる植民地化が進み、先住民の追放や虐殺、アフリカからの奴隷労働力を基盤とした砂糖プランテーション経済が展開されました。1983年にイギリスから独立を達成し、その後は民主主義の発展と人権状況の改善に努めていますが、ネイビス島の分離独立問題や経済の多角化といった課題も抱えています。
本稿では、セントクリストファー・ネイビスの国名の由来、先史時代から現代に至る歴史的変遷、地理的特徴、政治体制と国内外の課題、経済構造と社会状況、そして文化や著名な人物について、中道左派・社会自由主義的な視点から、特に人権、民主主義、社会の公正性、環境との調和といった観点に焦点を当てて詳述します。
2. 国名
セントクリストファー・ネイビス連邦の正式名称は、英語で Federation of Saint Christopher and Nevis英語 と Federation of Saint Kitts and Nevis英語 の二通りがあり、外務省は両方を正式名称として認めています。一般的には後者の Saint Kitts and Nevis英語(セントキッツ・アンド・ネイビス)が広く用いられ、St. Kitts & Nevis英語 と略表記されることもあります。
日本語の表記としては、「セントクリストファー・ネイビス」が一般的ですが、日本の外務省が編集協力していた『世界の国一覧表』では「セントキッツ・ネービス」と表記され、これが文部科学省の教科書検定基準にも影響を与えていました。しかし、2019年2月には日本の法令上の表記が「セントクリストファー・ネーヴィス」から、より国民に浸透している「セントクリストファー・ネービス」へと変更されました。「ネイビス」の日本語表記には、「ネビス」「ネービス」「ネイヴィス」「ネーヴィス」といった揺れが見られます。
主要な島であるセントクリストファー島は、クリストファー・コロンブスが1493年に「発見」した際に、自身の守護聖人であり旅行者の守護聖人でもある聖クリストフォロス(San Cristóbalスペイン語)にちなんで名付けたとされています。しかし、近年の研究では、コロンブスがこの島に Sant Yagoスペイン語(聖ヤコブ)と名付け、San Cristóbalスペイン語 の名は実際には北西に約 32187 m (20 mile) 離れた現在のサバ島に与えられた可能性も指摘されています。いずれにせよ、17世紀には San Cristóbalスペイン語 として広く知られるようになりました。英語の植民者たちはこの名を英語化し、St. Christopher's Island英語 としました。「クリストファー」の一般的な愛称が「キット(Kit英語 または Kitt英語)」であったことから、島は非公式に Saint Kitt's Island英語 と呼ばれるようになり、やがてさらに短縮されて「セントキッツ(Saint Kitts英語)」となりました。島の住民は「キティシャン(Kittitian英語)」と呼ばれます。
ヨーロッパ人が到来する以前、先住民のカリナゴ族はこの島を Liamuigacrb(リアムイガ)と呼んでいました。これはおおよそ「肥沃な土地」を意味します。
もう一方の島、ネイビス島について、コロンブスは San Martínスペイン語(聖マルティヌス)と名付けたとされています。現在の「ネイビス(Nevis英語)」という名称は、スペイン語の Nuestra Señora de las Nievesスペイン語(ヌエストラ・セニョーラ・デ・ラス・ニエベス、「雪の聖母」の意)に由来します。これは、4世紀にローマのエスクイリーノの丘で夏に雪が降ったというカトリックの奇跡を指しています。誰がこの名を島に付けたかは不明ですが、ネイビス山の山頂を常に覆っている白い雲が、誰かにこの奇跡を思い起こさせたと推測されています。島の住民は「ニビシアン(Nevisian英語)」と呼ばれます。
現在のセントクリストファー・ネイビス憲法では、国家を「セントキッツ・ネイビス」と「セントクリストファー・ネイビス」の両方で言及しており、前者が一般的に使用されていますが、後者は外交関係でよく用いられます。パスポートには国民の国籍が St. Kitts and Nevis英語 と記載されています。
3. 歴史
セントクリストファー・ネイビスの歴史は、先住民の居住から始まり、ヨーロッパ人の到来、植民地化、奴隷制に基づく砂糖プランテーション経済、そして独立と現代国家の形成へと至る複雑な道のりを辿ってきました。この過程は、国際的な紛争、経済的変動、そして社会的な変革によって特徴づけられています。
3.1. 先植民地時代
セントクリストファー島およびネイビス島に最初に居住した人々の正確な名称は不明ですが、考古学的証拠によれば、紀元前3000年頃には既に先アラワク系の集団が島々に定住していたと考えられています。その後、紀元前1000年頃にはアラワク族(またはタイノ族)が到来し、農耕や漁労を中心とした生活を営んでいました。彼らは高度な土器製作技術を持ち、複雑な社会構造を形成していたと推測されます。
西暦800年頃になると、南アメリカ大陸から移動してきたカリブ族(自称カリナゴ族)が島々に侵攻し、アラワク族を征服または追放しました。カリナゴ族は好戦的な海洋民族として知られ、カヌーを巧みに操り、島々を拠点として交易や襲撃を行っていました。彼らはセントクリストファー島を「リアムイガ(Liamuigacrb、「肥沃な土地」の意)」、ネイビス島を「ウアリー(Oualiecrb、「美しい水の土地」の意)」と呼んでいました。彼らの社会は村落を基本単位とし、首長制のもとに組織されていました。農耕(キャッサバ、トウモロコシなど)、狩猟、漁労に加え、優れた航海術と戦闘技術を持っていました。
3.2. ヨーロッパ人の到来と初期植民地時代

1493年11月、クリストファー・コロンブスの第二次航海艦隊がセントクリストファー島とネイビス島を「発見」しました。しかし、スペインはこれらの島々に直ちに植民地を建設することはありませんでした。
本格的なヨーロッパ人の入植は17世紀初頭に始まります。1623年、イギリスのトーマス・ワーナー卿に率いられた一団がセントクリストファー島西海岸のオールドロード・タウンに上陸し、カリナゴ族の首長オウブトゥ・テグレマンテとの合意のもと、最初のイギリス人入植地を建設しました。これはカリブ海におけるイギリス初の永続的な植民地となりました。続いて1625年には、フランスのピエール・ブラン・デスナンビュックがフランス人入植者を率いてセントクリストファー島に到着しました。当初、イギリス人とフランス人は島の資源を共同で開発することに合意し、島をイギリス領とフランス領の区域に分割しました。イギリスは1628年からネイビス島への入植も開始しました。
しかし、ヨーロッパ人入植者たちは島の資源を収奪することに熱心であり、先住民であるカリナゴ族との関係は急速に悪化しました。入植初期の3年間、カリナゴ族は抵抗を続けましたが、植民地年代記作家たちは、スペインの時代から続く文学的伝統に倣い、カリナゴ族の人間性を否定するプロパガンダを展開しました。1626年、イギリス人とフランス人の入植者は、カリナゴ族がヨーロッパ人入植者全員を追放または殺害する計画を立てているという口実のもと、共謀してブラッディ・ポイントとして知られる場所でカリナゴ族を虐殺しました(1626年のカリナゴ族虐殺)。この虐殺により、カリナゴ族の組織的な抵抗は終焉を迎え、生き残った者は島から追放されるか、奴隷化されました。
その後、イギリス人とフランス人は大規模なサトウキビプランテーションを設立し、アフリカから強制的に連れてこられた奴隷の労働力によって運営されました。これによりプランテーション所有者は莫大な富を得ましたが、島の人口構成は劇的に変化し、まもなくアフリカ系奴隷の数がヨーロッパ人の数を上回るようになりました。
1629年、スペインは自国の領有権を主張するため遠征隊を派遣し、セントクリストファー島のイギリス植民地とフランス植民地を破壊し、入植者を本国へ送還しました。しかし、1630年の英西戦争の和平協定の一環として、スペインはイギリスとフランスの植民地の再建を許可しました。スペインは後に、海賊対策におけるイギリスの協力と引き換えに、1670年のマドリード条約でセントキッツ島に対するイギリスの領有権を正式に認めました。
スペインの勢力が衰えるにつれて、セントクリストファー島はカリブ海におけるイギリスとフランスの拡大のための重要な拠点となりました。イギリスはセントクリストファー島からアンティグア島、モントセラト島、アンギラ島、トルトラ島へ、フランスはマルティニーク島、グアドループ諸島、サン・バルテルミー島へと植民を拡大しました。17世紀後半、フランスとイギリスはセントクリストファー島とネイビス島の支配権を巡って争い、1667年、1689年-1690年、そして1701年-1713年の間に戦争が繰り返されました。最終的に、1713年のユトレヒト条約によってフランスは両島に対する領有権を放棄しました。戦争によって既に荒廃していた島の経済は、自然災害によってさらに打撃を受けました。1690年には地震がネイビス島の首都ジェームズタウンを破壊し、チャールズタウンに新たな首都を建設する必要が生じました。1707年にはハリケーンがさらなる被害をもたらしました。
3.3. イギリス植民地時代

18世紀に入る頃には植民地は回復し、1700年代末までには、セントキッツ島は奴隷制を基盤とした砂糖産業の結果、一人当たりの所得においてカリブ海で最も裕福なイギリス王室直轄植民地となりました。18世紀には、かつては二つの島のうち裕福だったネイビス島が、経済的重要性の点でセントキッツ島に追い越されました。アメリカ合衆国財務長官となるアレクサンダー・ハミルトンは、1755年または1757年にネイビス島で生まれました。
イギリスがアメリカ独立戦争に巻き込まれると、フランスはこの機会を利用して1782年にセントキッツ島を再占領しました。しかし、セントキッツ島は1783年のヴェルサイユ条約によってイギリスに返還され、イギリス領として承認されました。
イギリス帝国におけるアフリカ人奴隷貿易は1807年に廃止され、奴隷制自体は1834年に完全に非合法化されました。これに続き、各奴隷には4年間の「見習い」期間が設けられ、その間、彼らは以前の所有者のために賃金を得て働きました。ネイビス島では8,815人の奴隷が、セントキッツ島では19,780人の奴隷が解放されました。この解放は奴隷たちにとって画期的な出来事でしたが、元奴隷たちは土地所有や経済的機会へのアクセスが依然として制限されており、プランテーション経済からの移行は困難を極めました。労働条件は依然として厳しく、低賃金や不当な扱いは社会不安の要因となりました。
1882年、セントクリストファー島、ネイビス島、そしてアンギラは連邦化されました。20世紀初頭の数十年間は、経済的困難と機会の欠如が労働運動の成長を促しました。世界恐慌は、1935年に砂糖労働者がストライキを起こすきっかけとなりました。1940年代には、ロバート・ルウェリン・ブラッドショーの下でセントキッツ・ネイビス労働党(当初はセントキッツ・ネイビス・アンギラ労働党)が設立されました。ブラッドショーは後に首席大臣、そして1966年から1978年まで植民地の首相を務め、砂糖を基盤とする経済を徐々に国家の管理下に置こうとしました。この政策は、一部からは経済的自立への道と評価されましたが、他方では経済の硬直化を招くとの批判もありました。より保守的な傾向を持つ人民行動運動(PAM)は1965年に設立されました。
西インド連邦(1958年-1962年)への短期間の参加の後、島々は1967年に完全な内政自治権を持つ関連州となりました。しかし、ネイビスとアンギラの住民は、連邦内でのセントキッツ島の支配に不満を抱いていました。アンギラは1967年に一方的に独立を宣言し、イギリスの介入を経て1971年にイギリスがアンギラの完全な支配を再開し、1980年に正式に分離しました。その後、焦点はネイビス島に移り、ネイビス改革党が将来の独立国家における小島の利益を保護しようとしました。最終的に、ネイビス島は独自の首相と議会を持つ一定の自治権を有し、独立に関する住民投票で3分の2の賛成多数が得られた場合には一方的に離脱する憲法上の権利も保障されることで合意に至りました。
3.4. 独立以降

セントクリストファー・ネイビスは、1983年9月19日にイギリスから完全独立を達成しました。1980年から首相であった人民行動運動(PAM)のケネディ・シモンズが、初代首相に就任しました。セントクリストファー・ネイビスはイギリス連邦内に留まることを選択し、当時のエリザベス2世女王を元首とし、現地では総督が女王を代表しました。
ケネディ・シモンズは、1984年、1989年、1993年の選挙で勝利を収めましたが、1995年にセントキッツ・ネイビス労働党(SKNLP)のデンジル・ダグラスが政権を奪還し、首相の座を退きました。
ネイビス島では、連邦内での疎外感に対する不満が高まり、1998年にセントキッツ島からの分離独立を問う住民投票が行われました。分離賛成票は62%に達しましたが、法的に独立を成立させるために必要な3分の2の多数には届きませんでした。この出来事は、連邦国家としての統合の難しさを示すとともに、ネイビス島の自治権拡大を求める声が依然として根強いことを示しました。
1998年9月下旬、ハリケーン・ジョージは約 4.58 億 USD の損害をもたらし、その年以降のGDP成長を抑制しました。一方、長年にわたり衰退し、政府の補助金によってのみ支えられていた砂糖産業は、2005年に完全に閉鎖されました。砂糖産業の終焉は、国の経済構造に大きな転換を迫るものであり、失業問題や地域経済への影響が懸念されました。政府は観光業や金融サービス業への多角化を急ぎましたが、労働者の再訓練や新たな雇用創出は大きな課題となりました。
2012年、世界保健機関(WHO)によると、セントクリストファー・ネイビスはマラリアの撲滅を宣言しました。
2015年の総選挙では、ティモシー・ハリスと彼が最近結成した人民労働党(PLP)が、PAMおよびネイビスを拠点とする憂慮する市民運動(CCM)の支援を受け、「チーム・ユニティ」の旗印のもとで勝利しました。
2020年6月、ティモシー・ハリス首相率いる現職政府のチーム・ユニティ連合は、総選挙でセントキッツ・ネイビス労働党(SKNLP)を破って勝利しました。
2022年8月に行われた解散総選挙では、SKNLPが再び勝利し、テランス・ドリューがセントクリストファー・ネイビスの第4代首相となりました。この政権交代は、国民が新たなリーダーシップと政策を求めていることを示唆しており、経済再建、社会正義の実現、そして民主主義のさらなる深化が期待されています。
4. 地理
セントクリストファー・ネイビスは、カリブ海のリーワード諸島に位置する二つの主要な島、セントクリストファー島(セントキッツ島)とネイビス島から構成されています。これらの島々は火山活動によって形成され、豊かな自然環境と独特の地形を有しています。


首都バセテールは、より大きなセントクリストファー島に位置しています。バセテールはまた、クルーズ船による乗客の入国および貨物の主要な港でもあります。より小さなネイビス島は、セントクリストファー島の南東約 3 0 に位置し、「ザ・ナローズ(The Narrows英語)」と呼ばれる浅い海峡を隔てています。
国の北北西にはシント・ユースタティウス島、サバ島、サン・バルテルミー島、セント・マーチン島(サン・マルタン島/シント・マールテン島)、アンギラが位置しています。東および北東にはアンティグア・バーブーダがあり、南東には小さな無人島レドンダ島(アンティグア・バーブーダの一部)とモントセラト島があります。
4.1. 地形
セントクリストファー・ネイビスは、二つの主要な島、セントクリストファー島とネイビス島から成り、これらはザ・ナローズ海峡によって約 3 0 隔てられています。両島とも火山起源であり、中央部には熱帯雨林に覆われた大きな山頂があります。人口の大部分は、より平坦な沿岸地域に居住しています。
セントクリストファー島の中央部には複数の山脈(北西山脈、中央山脈、南西山脈)があり、国内最高峰であるリアムイガ山(1156 m)がそびえ立っています。東海岸沿いにはカナダ・ヒルズとコナリー・ヒルズがあります。島の南東部は著しく狭くなり、より平坦な半島を形成しており、そこには国内最大の水域であるグレートソルトポンドがあります。南東のザ・ナローズには、小さなブービー島があります。両島の山々からは多数の川が流れ下り、地元住民に淡水を供給しています。
二つの主要な島のうち小さい方で、ほぼ円形をしているネイビス島は、ネイビス山(985 m)によって支配されています。
セントクリストファー・ネイビスには、リーワード諸島湿潤森林とリーワード諸島乾燥森林という二つの陸上エコリージョンが含まれています。2019年の森林景観健全性指数の平均スコアは4.55/10で、172カ国中121位でした。
4.2. 気候

ケッペンの気候区分によると、セントキッツ島は熱帯サバナ気候(Aw)、ネイビス島は熱帯モンスーン気候(Am)に属します。バセテールにおける月平均気温は 23.9 °C から 26.6 °C の間でほとんど変動しません。年間降水量は約 2400 -1 ですが、1901年から2015年の期間には 1356 1 から 3183 1 の間で変動しています。貿易風の影響を受け、夏には適度な雨が降る典型的なカリブ海気候です。リアムイガ山やネイビス山の山岳地帯では、低地よりも降水量が多く、気温は16℃~17℃程度になることもあります。7月から10月にかけてはハリケーンの被害を受けやすい時期にあたります。
月 | 1月 | 2月 | 3月 | 4月 | 5月 | 6月 | 7月 | 8月 | 9月 | 10月 | 11月 | 12月 | 年間 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
平均気温 (°C) | 23.9 | 23.8 | 24.0 | 24.7 | 25.5 | 26.2 | 26.3 | 26.6 | 26.4 | 26.0 | 25.4 | 24.4 | 25.3 |
降水量 (mm) | 150 | 102 | 99 | 153 | 219 | 181 | 214 | 232 | 222 | 289 | 286 | 225 | 2372 |
4.3. 動植物
国の国花はホウオウボク(Delonix regiaラテン語)です。一般的な植物には、パルメット(ヤシの一種)、ハイビスカス、ブーゲンビリア、タマリンドなどがあります。島の鬱蒼とした森林にはマツ属の種が一般的で、通常、さまざまな種類のシダに覆われています。
国鳥はカッショクペリカン(Pelecanus occidentalisラテン語)です。国内からは176種の鳥類が報告されています。また、17世紀にイギリス人入植者がペットとしてアフリカから持ち込み野生化したアフリカミドリザルがセントクリストファー島に生息しています。
4.4. 国立公園
セントクリストファー・ネイビスには、主に二つの国立公園があります。それはブリムストーン・ヒル要塞国立公園と中央森林保護国立公園です。
ブリムストーン・ヒル要塞国立公園は、その顕著な歴史的および建築的重要性が認められ、1985年に正式に国立公園として指定されました。この要塞は「西インド諸島のジブラルタル」とも称され、17世紀から18世紀にかけてイギリス軍によって建設された、カリブ海地域における最も保存状態の良い歴史的要塞の一つです。奴隷労働を含むアフリカ系の人々の労働力によって築かれました。その戦略的な位置と精巧な設計は、植民地時代の軍事技術とカリブ海の覇権を巡るヨーロッパ列強の争いを物語っています。1999年には、その普遍的価値が認められ、UNESCOの世界遺産に登録されました。公園内では、要塞の構造物だけでなく、周囲の自然景観や生態系も保護の対象となっています。
中央森林保護国立公園(Central Forest Reserve National Park英語)は、2006年10月23日に政府によって国立公園として指定され、2007年3月29日に正式に官報に掲載されました。この国立公園は、セントクリストファー島中央部の山岳地帯に広がる熱帯雨林を保護することを目的としています。リアムイガ山を含むこの地域は、多様な動植物の生息地であり、水源涵養林としての重要な役割も担っています。固有種や絶滅危惧種の保護、生物多様性の維持、そして持続可能なエコツーリズムの推進が公園管理の主要な目標とされています。この公園の設立は、国の自然遺産を保護し、環境意識を高める上で重要な一歩と考えられています。
5. 政治
セントクリストファー・ネイビスは、立憲君主制(英連邦王国)および議院内閣制をとる、主権を有し民主的な連邦国家です。現行憲法は1983年9月19日の独立に伴い施行されたものです。政治体制は、権力の分立と国民の代表による統治を基本原則としています。

中央政府の行政機能は主に首都バセテールに集約されています。ネイビス島は独自の議会と行政府を持ち、連邦内での自治が認められています。

5.1. 統治機構
国家元首はセントクリストファー・ネイビス国王であり、現在はイギリスのチャールズ3世国王が兼務しています。国王の権限は、国王によって任命される総督によって代行されます。総督は、首相および内閣の助言に基づいて行動します。
行政の実権は内閣が有し、その長である首相は、国民議会の多数派の指導者であり、総督によって任命されます。閣僚は首相の指名に基づき、総督が任命します。
立法府は一院制の国民議会です。定数は14議席で、そのうち11議席は選挙で選ばれる代表者(うち3名はネイビス島から選出)、残りの3議席は総督によって任命される上院議員です。上院議員のうち2名は首相の助言に基づき、1名は野党指導者の助言に基づき任命されます。他の国とは異なり、上院議員は独立した上院を構成するのではなく、選挙で選ばれた代表者と共に国民議会に着席します。全議員の任期は5年です。首相および内閣は議会に対して責任を負います。
セントクリストファー・ネイビスは連邦国家であり、ネイビス島は独自の半自治的な議会と行政府(首相が長)を持っています。ネイビス島議会は、憲法によって保護された特定の自治権を有しており、住民投票で3分の2の賛成多数が得られれば一方的に連邦から離脱する権利も認められています。これは、小島の権利を保障し、連邦内における多様性を尊重するための重要な仕組みです。
5.2. 地方行政区分
セントクリストファー・ネイビス連邦は、14の行政教区(parish英語、パリッシュ)に区分されています。これらのうち9教区はセントクリストファー島に、5教区はネイビス島にあります。行政教区は主に地理的な区分であり、地方自治体としての独自の行政機能は限定的です。
以下は14の行政教区の一覧です。
# クライストチャーチ・ニコラタウン教区 (Christ Church Nichola Town) - セントクリストファー島
# セントアン・サンディポイント教区 (Saint Anne Sandy Point) - セントクリストファー島
# セントジョージ・バセテール教区 (Saint George Basseterre) - セントクリストファー島(首都バセテールを含む)
# セントジョン・カピステール教区 (Saint John Capisterre) - セントクリストファー島
# セントメアリー・ケイオン教区 (Saint Mary Cayon) - セントクリストファー島
# セントポール・カピステール教区 (Saint Paul Capisterre) - セントクリストファー島
# セントピーター・バセテール教区 (Saint Peter Basseterre) - セントクリストファー島
# セントトーマス・ミドルアイランド教区 (Saint Thomas Middle Island) - セントクリストファー島
# トリニティ・パルメットポイント教区 (Trinity Palmetto Point) - セントクリストファー島
# セントジョージ・ジンジャーランド教区 (Saint George Gingerland) - ネイビス島
# セントジェームズ・ウィンドワード教区 (Saint James Windward) - ネイビス島
# セントジョン・フィグツリー教区 (Saint John Figtree) - ネイビス島
# セントポール・チャールズタウン教区 (Saint Paul Charlestown) - ネイビス島(ネイビス島の主都チャールズタウンを含む)
# セントトーマス・ローランド教区 (Saint Thomas Lowland) - ネイビス島
教区名 | 中心都市 | 人口 (2011年) | 面積 (km2) | 人口密度 (人/km2) | 島 |
---|---|---|---|---|---|
クライストチャーチ・ニコラタウン | ニコラタウン | 1,922 | 18 | 107 | セントクリストファー島 |
セントアン・サンディポイント | サンディポイント・タウン | 2,626 | 13 | 202 | セントクリストファー島 |
セントジョージ・バセテール | バセテール | 12,635 | 29 | 436 | セントクリストファー島 |
セントジョン・カピステール | デューピーベイ・タウン | 2,962 | 25 | 118 | セントクリストファー島 |
セントメアリー・ケイオン | ケイオン | 3,435 | 15 | 229 | セントクリストファー島 |
セントポール・カピステール | セントポール・カピステール | 2,432 | 14 | 174 | セントクリストファー島 |
セントピーター・バセテール | モンキー・ヒル | 4,670 | 21 | 222 | セントクリストファー島 |
セントトーマス・ミドルアイランド | ミドルアイランド | 2,535 | 25 | 101.4 | セントクリストファー島 |
トリニティ・パルメットポイント | トリニティ | 1,701 | 16 | 106 | セントクリストファー島 |
セントジョージ・ジンジャーランド | マーケット・ショップ | 2,496 | 18 | 139 | ネイビス島 |
セントジェームズ・ウィンドワード | ニューカッスル | 2,038 | 32 | 64 | ネイビス島 |
セントジョン・フィグツリー | フィグツリー | 3,827 | 22 | 174 | ネイビス島 |
セントポール・チャールズタウン | チャールズタウン | 1,847 | 4 | 462 | ネイビス島 |
セントトーマス・ローランド | コットン・グラウンド | 2,069 | 18 | 115 | ネイビス島 |
5.3. 対外関係
セントクリストファー・ネイビスは、主要な国際紛争には関与していません。カリブ共同体(CARICOM)、東カリブ諸国機構(OECS)、米州機構(OAS)の完全かつ積極的な加盟国です。1983年9月19日の独立と同時にイギリス連邦に加盟し、同月23日には国際連合に加盟しました。
特にOECSにおいては、通貨として東カリブ・ドルを共通に用い、東カリブ中央銀行の本部が首都バセテールに置かれるなど、経済的・金融的な統合を進めています。CARICOMを通じては、地域内の経済協力、外交政策の調整、共通市場の形成などに取り組んでいます。
外交政策においては、小島嶼開発途上国(SIDS)としての特有の課題(気候変動への脆弱性、経済の規模の小ささなど)に対応するため、国際社会における発言力の確保や、持続可能な開発目標(SDGs)の達成に向けた国際協力を重視しています。
特筆すべき二国間関係としては、中華民国(台湾)との外交関係が挙げられます。セントクリストファー・ネイビスは1983年の独立以来、台湾を承認しており、両国は農業、教育、技術協力、インフラ整備など多岐にわたる分野で協力関係を築いています。この関係は、台湾の国際的地位やカリブ海地域における外交的影響力といった文脈で注目されることがあります。
また、国際的な金融規制や税務透明性に関する取り組みにも参加しており、2014年6月30日にはアメリカ合衆国との間で外国口座税務コンプライアンス法(FATCA)に関するモデル1政府間協定を締結しました。1994年7月6日には、カリコム(CARICOM)二重課税救済条約にも調印しています。これらの協定への参加は、国際金融システムにおける責任ある一員としての役割を果たすと同時に、国内のオフショア金融センターの健全な発展を目指すものですが、タックスヘイブンとしての側面や、投資市民権制度に関連する資金の流れの透明性については、国際社会からの監視や、国内における社会経済開発や人権への影響という観点からの議論が続いています。
5.4. 軍事
セントクリストファー・ネイビスには、セントクリストファー・ネイビス国防軍(Saint Kitts and Nevis Defence Force英語, SKNDF)という小規模な武装組織が存在します。兵力は約300名で、主に警察活動の補助、麻薬密輸の取り締まり、災害救助、国の儀礼的任務などを担っています。国防軍は陸軍(歩兵部隊)と沿岸警備隊から構成されています。
セントクリストファー・ネイビスは独自の常備軍を持たず、防衛は主に地域安全保障システム(RSS)への加盟を通じて担保されています。RSSは、東カリブ海諸国の集団安全保障条約であり、加盟国間の相互防衛、自然災害時の救援活動、国境警備、密輸対策などで協力体制を敷いています。セントクリストファー・ネイビスは1983年の独立と同時にRSSに加盟しました。この枠組みは、小国が単独では対応困難な安全保障上の課題に共同で対処するための重要な基盤となっています。
5.5. 人権
セントクリストファー・ネイビスにおける人権状況は、近年いくつかの進展が見られるものの、依然として課題も残されています。憲法は基本的な市民的及び政治的権利を保障しており、信教の自由、言論の自由、集会の自由などが認められています。
特に注目すべき進展としては、性的少数者(LGBTQ+)の権利に関するものが挙げられます。長らくイギリス植民地時代の法律に基づき、男性間の同性愛行為は刑法で犯罪とされていましたが、2022年8月29日、東カリブ海最高裁判所は、この規定が憲法に違反するとの判決を下し、セントクリストファー・ネイビスにおいて男性間の同性愛は合法化されました。これは、カリブ海地域におけるLGBTQ+の権利擁護運動にとって重要な成果と評価されています。しかし、法的な保護が進んだ一方で、社会的な偏見や差別が依然として存在するという指摘もあり、LGBTQ+コミュニティに対する理解促進や差別禁止に向けた包括的な取り組みが求められています。2011年時点では、政府は同性愛の非犯罪化について「国民からの負託がない」との立場を示していました。
その他の人権問題としては、男女間の賃金格差や機会の不平等、家庭内暴力、児童虐待などが報告されています。政府はこれらの問題に対処するための法整備や啓発活動を進めていますが、実効性の確保や被害者支援体制の充実は継続的な課題です。また、小規模な経済と限られた資源の中で、全ての人々に質の高い教育、医療、社会保障へのアクセスを保障することも、人権の観点から重要な課題とされています。国際的な人権基準の遵守と、国内における人権擁護メカニズムの強化が、社会全体の進歩にとって不可欠です。
6. 経済
セントクリストファー・ネイビスの経済は、伝統的に砂糖を中心とした農業に依存していましたが、21世紀に入り大きな転換期を迎えました。現在は、観光業、軽工業(特に電子部品組立)、オフショア金融サービス、そして物議を醸しながらも重要な収入源となっている投資市民権制度が経済の柱となっています。小島嶼開発途上国(SIDS)特有の脆弱性を抱えつつも、経済の多角化と持続可能な開発を目指した政策が推進されています。
6.1. 主要産業
- 観光業: 1970年代以降、経済の牽引役として急速に発展しました。美しいビーチ、豊かな自然、歴史的建造物(ブリムストーン・ヒル要塞など)が観光客を惹きつけています。クルーズ船の寄港も重要な収入源です。2009年には観光客数が約58万7千人に達しましたが、世界金融危機の影響で一時的に落ち込み、その後回復傾向にあります。観光開発は雇用創出に貢献する一方で、環境への負荷、地域文化への影響、海外資本への依存といった課題も抱えており、持続可能な観光のあり方が模索されています。
- 農業: かつては砂糖が輸出の大部分を占めていましたが、生産コストの上昇、国際市場価格の低迷、そして奴隷制の象徴としての歴史的背景から、政府は2005年に国営製糖会社を閉鎖し、砂糖生産を完全に停止しました。現在は、野菜、果物、畜産など、国内消費向けの農業や輸出用作物の多角化が進められています。しかし、国土の狭さや自然災害のリスク、労働力不足などが課題となっています。
- 軽工業: 電子部品の組立や衣料品の縫製などが中心です。輸出志向型の製造業として、経済の多角化と雇用創出に一定の役割を果たしています。しかし、国際競争の激化や労働コストの上昇といった課題に直面しています。
- オフショア金融業: タックスヘイブンとしての特徴を活かし、国際ビジネス企業(IBC)の設立や信託サービスなどを提供しています。金融サービスは重要な外貨獲得源となっていますが、マネーロンダリングやテロ資金供与への対策、国際的な金融規制の強化への対応が求められています。透明性の確保と国際基準の遵守が、この産業の持続可能性にとって不可欠です。
2015年7月、セントクリストファー・ネイビスとアイルランド共和国は、「情報交換を通じた税務における国際協力の推進」を目的とした租税協定に署名しました。この協定は、OECDグローバル・フォーラムの効果的な情報交換に関する作業部会によって策定されたものです。
6.2. 交通

セントクリストファー・ネイビスには、国内外のアクセスを支える交通インフラが整備されています。
- 空港:
- ロバート・L・ブラッドショー国際空港(Robert L. Bradshaw International Airport英語、IATA: SKB): セントクリストファー島に位置する主要な国際空港です。カリブ海諸国、北米(アメリカ、カナダ)、ヨーロッパへの定期便やチャーター便が就航しています。観光客の主要な玄関口となっています。旧称はゴールデン・ロック国際空港。
- ヴァンス・W・エイモリー国際空港(Vance W. Amory International Airport英語、IATA: NEV): ネイビス島に位置する空港で、主にカリブ海地域の近隣諸島へのフライトが運航されています。
- 港湾:
- バセテール港(セントクリストファー島): クルーズ船の主要な寄港地であり、貨物輸送の拠点でもあります。
- チャールズタウン港(ネイビス島): 小規模ながら、ネイビス島へのアクセスや貨物輸送に利用されています。
両島間には定期的なフェリーサービスがあり、住民や観光客の移動手段となっています。
- 道路網:
総延長約 300 km の道路網があり、セントクリストファー島では主に海岸線に沿って道路が整備されています。島内の移動は主に自動車やタクシー、ミニバスが利用されます。
- 鉄道:
セントクリストファー・シーニック鉄道(St. Kitts Scenic Railway英語)は、かつてサトウキビ運搬用に建設された 58 km の路線を、現在は観光列車として運行しています。これは小アンティル諸島で最後に残る旅客鉄道であり、島の歴史や風景を楽しむアトラクションとして人気があります。
交通インフラの維持・改善は、観光業の発展と国民生活の向上にとって重要であり、特に気候変動による自然災害への対策や、持続可能な交通システムの構築が課題となっています。
6.3. 投資市民権制度
セントクリストファー・ネイビスは、外国人が特定の条件を満たす投資を行うことで市民権を取得できる「投資市民権制度(Citizenship-by-Investment Program英語, CBI)」を1984年に世界で初めて導入した国の一つです。この制度は、国の経済開発のための重要な資金調達手段となっており、特に2006年に国際的な市民権コンサルティング会社ヘンリー&パートナーズがプログラムの再編に関与し、砂糖産業基金への寄付を組み込んで以来、注目度が高まりました。
制度の概要と要件:
市民権を取得するためには、申請者はまず厳格な身元調査(デューディリジェンス)、面接、その他の法的要件を含む審査プロセスを通過する必要があります。その後、以下のいずれかの方法で国への投資を行います(金額や条件は変更されることがあります)。
1. 不動産投資: 政府承認の不動産プロジェクトに対して、最低 40.00 万 USD の投資。これに加えて、政府手数料やその他の諸費用が必要となります。
2. 持続可能島嶼国家貢献(SISC): 連邦統合基金への寄付。2023年7月時点での最低寄付額は、単独申請者で 25.00 万 USD。この金額には政府手数料が含まれますが、デューディリジェンス費用は別途必要です。
3. 公共公益事業への投資: 政府承認の公共公益事業への投資。
経済的影響:
CBI制度は、国の歳入に大きく貢献し、特に砂糖産業の終焉後、経済の多角化やインフラ整備、社会プログラムの資金源として活用されてきました。外国からの直接投資を誘致し、建設業やサービス業における雇用創出にも繋がっています。
社会的・倫理的考察:
一方で、CBI制度は以下のような社会的・倫理的な懸念や批判も招いています。
- 透明性と腐敗のリスク: 大規模な資金が動くため、資金洗浄や汚職、脱税に利用されるリスクが指摘されています。申請者のデューディリジェンスの徹底度や、資金の使途の透明性確保が常に課題となります。
- 安全保障上の懸念: 市民権が不適切な人物に渡ることで、国際的な安全保障上の問題を引き起こす可能性が懸念されています。
- 国家アイデンティティと市民権の価値: 金銭と引き換えに市民権を付与することについて、国家の主権や市民権の本質的な価値を損なうのではないかという倫理的な議論があります。また、富裕層に特化した制度であることに対する社会的な公平性の問題も指摘されます。
- 国際関係への影響: 他国、特にビザ免除協定を結んでいる国々から、CBI制度を通じて取得された市民権の悪用に対する懸念が示されることがあります。
セントクリストファー・ネイビス政府は、これらの懸念に対応するため、デューディリジェンスの強化や国際基準の遵守に努めていると主張していますが、制度の運営と影響については、引き続き国内外からの監視と議論の対象となっています。この制度が国の持続可能な発展と国民全体の福祉に真に貢献するためには、経済的利益と社会的・倫理的責任のバランスを慎重に取ることが求められます。
7. 社会
セントクリストファー・ネイビスの社会は、その歴史的背景、地理的条件、そして多様な文化的影響を反映しています。人口構成、民族、言語、宗教、教育制度は、この国の社会構造を理解する上で重要な要素です。
7.1. 人口
セントクリストファー・ネイビスの総人口は、2019年7月の推計で約53,000人であり、長年にわたり比較的安定しています。19世紀末には42,600人の住民がおり、20世紀半ばまでに徐々に5万人強に増加しました。しかし、1960年から1990年にかけては、経済的機会を求める国外への移住などにより、人口は5万人から4万人に減少しましたが、その後再び現在の水準まで回復しました。
人口の約4分の3はセントクリストファー島に居住しており、そのうち約15,500人が首都バセテールに集中しています。その他の比較的人口の多い集落としては、セントクリストファー島のケイオン(人口約3,000人)、サンディポイント・タウン(人口約3,000人)、ネイビス島のジンジャーランド(人口約2,500人)、チャールズタウン(人口約1,900人)などがあります。
平均寿命は、国連のデータによると約76.9歳です。歴史的に移住率が非常に高く、2007年の推定総人口は1961年の人口とほとんど変わらないほどでした。アメリカ合衆国への移民数は、1986年~1990年の3,513人から、2001年~2005年には1,756人へと減少傾向を示していましたが、2006年~2010年には1,817人と若干増加しました。このような人口動態は、国内の経済状況や雇用機会、そして海外での生活への期待などを反映していると考えられます。
7.2. 人種と民族
セントクリストファー・ネイビスの人口は、主にアフリカ系カリブ人(アフロ・キティシャンおよびアフロ・ネビシアン)で構成されており、2001年の推計では人口の92.5%を占めています。これは、植民地時代の砂糖プランテーションにおける奴隷労働のためにアフリカから強制的に連れてこられた人々の末裔です。
その他には、ヨーロッパ系(主にイギリス、フランス、ポルトガル系の子孫)が2.1%、インド系(主に契約労働者として移住した人々の末裔)が1.5%を占めるなど、少数ながら多様な民族的背景を持つ人々が共存しています。また、少数のレバノン系や中国系住民も存在します。
これらの異なる民族集団は、それぞれ独自の文化や伝統を保持しつつも、長年にわたる共生の中で互いに影響を与え合い、セントクリストファー・ネイビスの多文化社会を形成しています。人種間の調和は概ね保たれていますが、社会経済的地位における格差など、潜在的な課題も存在します。
7.3. 言語
公用語は英語です。政府の公文書、教育、メディアなど、公式な場面では英語が使用されます。
日常生活においては、セントキッツ・クレオール語(Saint Kitts Creole英語)も広く話されています。これは英語を基盤としながらも、アフリカの言語や他のヨーロッパ言語の影響を受けたクレオール言語であり、地域住民のアイデンティティや文化と深く結びついています。セントキッツ・クレオール語は、口語として主に用いられ、豊かな表現力と独自の語彙を持っています。英語とクレオール語のバイリンガル話者も多く、状況に応じて使い分けられています。
7.4. 宗教
セントクリストファー・ネイビスの住民の大多数(約82%)はキリスト教徒です。その中でも、聖公会(アングリカン)、メソジストが主要な教派であり、その他にも様々なプロテスタント諸派の教会が存在します。ローマ・カトリック教会も一定数の信者を擁しており、セントジョンズ・バセテール司教区に属しています。聖公会の信者は、北東カリブ海・アルバ教区に属しています。
2011年の国勢調査によると、宗教別人口構成は以下の通りです。
- 聖公会: 17%
- メソジスト: 16%
- ペンテコステ派: 11%
- チャーチ・オブ・ゴッド: 7%
- ローマ・カトリック: 6%
- バプテスト: 5%
- モラヴィア兄弟団: 5%
- セブンスデー・アドベンチスト教会: 5%
- ウェスレアン・ホーリネス教会: 5%
- その他キリスト教諸派: 4%
- ブレザレン教会: 2%
- 福音派キリスト教: 2%
キリスト教以外では、ヒンドゥー教が最大の宗教コミュニティを形成しており、人口の1.82%を占めています。これは主にインド系の住民によって信仰されています。また、ラスタファリアニズム(1.2%)、イスラム教(0.52%)なども少数ながら存在します。無宗教(無神論、不可知論などを含む)と回答した人々は8.7%でした。
憲法は信教の自由を保障しており、宗教的寛容性は概ね保たれています。宗教は、地域社会の結束や文化行事において重要な役割を果たしています。
7.5. 教育
セントクリストファー・ネイビスでは、5歳から16歳までの教育が義務教育とされています。教育制度は、初等教育、中等教育、高等教育の段階に分かれています。
公立の高等学校および中等学校は8校あり、その他にいくつかの私立の中等学校が存在します。政府は教育へのアクセス向上と質の改善に努めており、初等・中等教育は原則として無償で提供されています。
高等教育機関としては、国内にはクラレンス・フィッツロイ・ブライアント大学(Clarence Fitzroy Bryant College英語, CFBC)があり、準学士号や職業訓練プログラムを提供しています。また、いくつかのオフショアの医科大学(例:ウィンザー大学医学部)も存在し、主に外国人学生を受け入れています。
教育における課題としては、質の高い教員の確保、教育施設の近代化、カリキュラムの現代化、そして特に男子生徒の学業成績の向上が挙げられます。また、経済的困難を抱える家庭の子供たちへの支援や、特別な支援が必要な子供たちへの教育機会の提供も重要な課題です。政府は、教育が国の将来にとって不可欠であるとの認識のもと、これらの課題解決に向けた取り組みを進めています。
8. 文化
セントクリストファー・ネイビスの文化は、アフリカ、ヨーロッパ(特にイギリスとフランス)、そして先住民カリナゴの伝統が融合した、活気に満ちたクレオール文化です。音楽、祝祭、スポーツ、そして日常生活の中にその多様性が表れています。
8.1. 音楽と祝祭

セントクリストファー・ネイビスは、数多くの音楽的な祝祭で知られています。
- カーニバル(セントキッツ・ナショナル・カーニバル): 毎年12月18日から翌年1月3日にかけてセントキッツ島で開催される、国最大の祭りです。カリプソ、ソカ、スティールパンの音楽、色彩豊かな衣装をまとったパレード、ストリートダンス、ビューティーコンテストなどが催され、島全体が熱気に包まれます。この期間は、伝統音楽、舞踊、民俗芸能が披露される重要な機会でもあります。
- セントキッツ音楽祭(St. Kitts Music Festival英語): 毎年6月の最終週に開催される国際的な音楽祭で、レゲエ、ソカ、R&B、ジャズ、ゴスペルなど、多様なジャンルの国内外のアーティストが出演します。
- カルチュラマ(Culturama英語): ネイビス島で7月末から8月初旬にかけて1週間にわたり開催される祭りです。ネイビス島の文化と伝統を祝うもので、奴隷解放を記念して始まりました。音楽、ダンス、演劇、伝統料理、民芸品の展示などが行われます。
これらの主要な祭りの他に、セントキッツ島では各地域で以下のようなフェスティバルも開催されています。
- インナーシティ・フェスト(Inner City Fest英語):2月にモリーヌのニコラタウンで開催。
- グリーンバレー・フェスティバル(Green Valley Festival英語):通常、聖霊降臨祭の月曜日頃にケイオン村で開催。
- イースタラマ(Easterama英語):復活祭の頃にサンディポイント村で開催。
- フェストタブ(Fest-Tab英語):7月か8月にタバナクル村で開催。
- ラ・フェスティバル・ド・カピステール(La festival de Capisterre英語):セントクリストファー・ネイビス独立記念日(9月19日)頃にカピステール地域で開催。
これらの祝祭では、パレード、ストリートダンス、サルサ、ジャズ、ソカ、カリプソ、スティールパンといった音楽が溢れ、人々の生活に深く根付いています。また、映画『地獄のヒーロー/ブラドック2』(1985年)はセントキッツ島で撮影されました。
8.2. スポーツ
セントクリストファー・ネイビスで最も人気のあるスポーツはクリケットです。トップレベルの選手は、カリブ海諸国の多国籍チームである西インド諸島クリケットチームに選抜され、国際試合で活躍しています。故ルナコ・モートンはネイビス島出身の著名なクリケット選手でした。セントクリストファー・ネイビスは、2007 クリケット・ワールドカップの試合を開催した最小の国であり、試合はワーナー・パーク・スポーティング・コンプレックスで行われました。
サッカーも非常に人気があり、国内リーグ(SKNFAプレミアリーグ)も存在します。サッカーセントクリストファー・ネイビス代表は「シュガーボーイズ」の愛称で知られ、近年国際的な成功を収めつつあり、2006 FIFAワールドカップのCONCACAF予選では準決勝ラウンドに進出しました。グレンス・グラスゴーに率いられ、アメリカ領ヴァージン諸島とバルバドスを破りましたが、メキシコ、セントビンセント・グレナディーン、トリニダード・トバゴには及びませんでした。アティバ・ハリスは、同国出身者として初めてメジャーリーグサッカー(MLS)でプレーした選手であり、現在SKNFA(セントクリストファー・ネイビスサッカー協会)の会長を務めています。代表チームは、2023年の2023 CONCACAFゴールドカップでキュラソー代表とフランス領ギアナ代表を予選で破り、本大会初出場という歴史的快挙を成し遂げましたが、グループステージではジャマイカ、アメリカ合衆国、トリニダード・トバゴに3戦全敗しました。マーカス・ラッシュフォードやコール・パーマーといった著名なサッカー選手もセントクリストファー・ネイビスにルーツを持っています。
陸上競技も盛んで、特に短距離走のキム・コリンズは国の最も著名な陸上選手です。彼は世界陸上競技選手権大会とコモンウェルスゲームズの100m走で金メダルを獲得し、2000年シドニーオリンピックでは同国初のオリンピック決勝進出者となりました。コリンズを含む4人の選手は、2008年北京オリンピックにセントクリストファー・ネイビス代表として出場しました。男子4×100mリレーチームは、2011年の世界選手権で銅メダルを獲得しました。
その他、ネットボールやビリヤードも人気があります。セントクリストファー・ネイビスビリヤード連盟(SKNBF)は、両島におけるキュースポーツの統括団体です。
アメリカの作家で元フィギュアスケート選手、トライアスロン選手のキャスリン・バーティンは、2008年夏季オリンピックに女子自転車ロードレースでセントクリストファー・ネイビス代表として出場することを目指し、二重国籍を取得しました。彼女の挑戦はESPN.comでオンライン連載されましたが、最終的にオリンピック出場に必要なポイントを獲得できませんでした。2010年のUCIロード世界選手権のタイムトライアルには、レジナルド・ダグラスとジェームズ・ウィークスの2選手が出場しました。
8.3. メディア
セントクリストファー・ネイビスには、複数の新聞社、ラジオ局、テレビ局、オンラインメディアが存在し、国民への情報提供と世論形成に役割を果たしています。
主要な新聞には、「The St. Kitts-Nevis Observer」、「The Labour Spokesman」、「WINN FM News」などがあります。これらの新聞は、国内の政治、経済、社会問題に関するニュースや論評を掲載しています。
ラジオは依然として重要な情報源であり、ZIZ Radio (国営)、WINN FM、Freedom FMなどが主要なラジオ局として挙げられます。これらの局は、ニュース、音楽、トークショーなど多様な番組を放送しています。
テレビ放送は、国営のZIZ Televisionが中心的な役割を担っており、ローカルニュースや国内外の番組を提供しています。ケーブルテレビや衛星放送も普及しており、海外のチャンネルも視聴可能です。
近年では、オンラインニュースサイトやソーシャルメディアも情報伝達の手段として重要性を増しています。
報道の自由は憲法で保障されており、概ね尊重されています。しかし、小国であるためメディア市場が小さく、経済的な持続可能性やジャーナリストの専門性向上が課題となることもあります。また、政治的な影響力や自己検閲の可能性についての懸念が時折指摘されることもあります。民主主義社会におけるメディアの健全な発展のためには、報道の独立性の確保と、多様な意見が表明される環境の維持が重要です。
9. 著名な人物
セントクリストファー・ネイビスは、その小さな国土にもかかわらず、歴史、文化、社会の各分野で国際的に知られる、あるいは国内の発展に大きく貢献した数多くの人物を輩出してきました。
- アレクサンダー・ハミルトン (1755/1757年 - 1804年): アメリカ合衆国建国の父の一人であり、初代アメリカ合衆国財務長官。ネイビス島チャールズタウン生まれ。アメリカ合衆国の初期の金融システム構築に尽力し、その政治思想と経済政策は後世に大きな影響を与えました。彼の生家は現在、ネイビス歴史博物館の一部となっています。
- ロバート・ルウェリン・ブラッドショー (1916年 - 1978年): セントクリストファー・ネイビスの独立運動指導者であり、初代首相(当時は首席大臣)。セントキッツ・ネイビス労働党を設立し、労働者の権利向上と国の自治権獲得に生涯を捧げました。彼の功績を称え、セントクリストファー島の国際空港はロバート・L・ブラッドショー国際空港と名付けられています。
- ケネディ・シモンズ (1936年 - ): セントクリストファー・ネイビス独立時の初代首相(1983年-1995年)。人民行動運動(PAM)を率い、国の独立と初期の国家建設を指導しました。
- デンジル・ダグラス (1953年 - ): 1995年から2015年まで20年間にわたりセントクリストファー・ネイビスの首相を務めた政治家。セントキッツ・ネイビス労働党(SKNLP)党首。長期政権下で国の経済発展と社会基盤整備を推進しましたが、その政策や統治手法については評価が分かれる側面もあります。
- ティモシー・ハリス (1964年 - ): 2015年から2022年まで首相を務めた政治家。人民労働党(PLP)を創設し、「チーム・ユニティ」連合政権を率いました。
- キム・コリンズ (1976年 - ): 国際的に著名な陸上競技短距離選手。2003年世界陸上競技選手権大会男子100m金メダリスト。オリンピックやコモンウェルスゲームズでも活躍し、国民的英雄とされています。彼の活躍は、小国でも世界レベルのアスリートを育成できることを示しました。
- ジョーン・アーマトレイディング (1950年 - ): イギリスで活躍するシンガーソングライター、ギタリスト。セントキッツ島バセテール生まれ。グラミー賞に3度ノミネートされるなど、国際的な音楽シーンで高い評価を得ています。
- フェリックス・ベンチュラ (1957年 - 2023年): ドミニカ共和国出身ですが、長年セントクリストファー・ネイビスを拠点に活動した野球選手・指導者。カリブ海地域やマイナーリーグで活躍し、引退後は国内で野球の普及に貢献しました。
これらの人物は、それぞれの分野でセントクリストファー・ネイビスのアイデンティティ形成や国際的な認知度向上に貢献しており、国民に誇りを与えています。