1. Early Life and Amateur Career
ポール・ダグラス・クリークの出生と成長の背景、およびアマチュア野球選手としての活動について記述する。
1.1. Birth and Background
クリークは1969年3月1日、アメリカ合衆国バージニア州フレデリック郡ウィンチェスターで生まれた。
1.2. Amateur Baseball
クリークはジョージア工科大学に進学し、大学野球で活躍した。1989年には日米大学野球選手権大会にアメリカ合衆国代表として出場した。この時のチームメイトには、後に日本プロ野球でプレーすることになるクリス・ヘイニーやエリック・シュールストロムらがいた。1990年には、大学野球のサマーリーグであるケープコッド野球リーグのコットゥイット・ケトルズでプレーした。
1990年のMLBドラフトでは、5巡目(全体152位)でカリフォルニア・エンゼルスから指名を受けたが、この時は契約せず、翌シーズンのドラフト対象選手として残った。
2. Professional Career
ポール・ダグラス・クリークのプロキャリアは、マイナーリーグでの経験から始まり、メジャーリーグでの複数の球団でのプレー、そして日本プロ野球での特異なシーズンへと続いた。
2.1. Minor League Career
1991年のMLBドラフトで7巡目(全体181位)でセントルイス・カージナルスから指名され、プロ入り契約を結んだ。契約後、クリークは1991年から1992年にかけて、A級リーグで複数のチームを渡り歩いた。この期間に所属したのは、ハミルトン・レッドバーズ、サバンナ・カージナルス、スプリングフィールド・カージナルス、セントピーターズバーグ・カージナルスの4球団である。主に先発投手として起用された。
1991年のハミルトンとサバンナでの初期の苦戦にもかかわらず、翌1992年にスプリングフィールドに加わると成績は向上した。スプリングフィールドではERA2.58という自己キャリア最低の数字を記録し、4勝1敗の成績を残した。その後、セントピーターズバーグでも引き続き好投を見せ、登板した13試合すべてに先発し、5勝4敗、防御率2.82という印象的な成績を収めた。AA級では通算18勝22敗、防御率4.00の記録を残し、その後AAA級のルイビル・レッドバーズに3度所属。ルイビルとアーカンソー・トラベラーズ(カージナルス傘下のAA級チーム)を行き来した。
2.2. Major League Debut and Early Teams
AA級リーグとAAA級リーグで安定した成績を残した後、セントルイス・カージナルスはクリークをメジャーリーグで起用することを決定した。1995年9月17日、彼はロサンゼルス・ドジャース戦でメジャーデビューを果たした。この試合で1イニングを投げ、2つの奪三振を奪い、ドジャース打線にヒットを許さなかった。その後、カージナルスでさらに5試合に登板し、合計6イニングを投げ、失点なしに抑えた。
1995年シーズン終了後、クリークはオフシーズンにサンフランシスコ・ジャイアンツとの複数選手間のトレードで移籍した。このトレードでは、クリークの他にリッチ・デルーシアとアレン・ワトソンがジャイアンツへ移籍し、カージナルスはロイス・クレイトンとクリス・ウィマーを獲得した。
1996年、当時27歳だったクリークはサンフランシスコ・ジャイアンツで63試合に登板し、48イニングを投げたが、防御率は6.52、0勝2敗と苦戦した。翌1997年はジャイアンツのAAA級傘下チームであるフェニックス・ファイアバーズで過ごし、25試合(うち18試合先発)で8勝6敗、2完投、1完封を記録した。AAA級での活躍により、彼は短期間ながらサンフランシスコに再昇格したが、3試合の先発登板で1勝2敗、防御率6.75、14奪三振という結果に終わった。
2.3. Hanshin Tigers Era (NPB)
1997年11月7日、シカゴ・ホワイトソックスがサンフランシスコ・ジャイアンツからクリークの契約を購入した。しかし、クリークがホワイトソックスでプレーすることはなく、1ヶ月も経たない1997年12月4日、彼の契約は日本の球団によって再度購入された。日本プロ野球のセ・リーグに所属する阪神タイガースがシカゴ・ホワイトソックスから彼の契約を買い取り、クリークは1998年シーズンを日本でプレーすることになった。
阪神では、セ・リーグの一軍とウエスタン・リーグの二軍の間でシーズンを分けることになり、大半を二軍で過ごした。ウエスタン・リーグでは17試合(うち16試合先発)に登板し、9勝1敗、防御率2.16という好成績を収めた。さらに、防御率と奪三振数(101個)でリーグトップの記録を残し、チームのウエスタン・リーグ優勝に貢献した。
1998年4月5日、横浜スタジアムで行われた横浜ベイスターズとの開幕3戦目で初登板・初先発登板を果たし、7回1/3を1失点(自責点0)に抑えたが、勝敗はつかなかった。この試合の1回裏には井上純から初奪三振を記録し、3回表には野村弘樹から中前安打で初安打も記録した。開幕当初はローテーション定着が期待されたが、一軍では7試合の登板に留まり、0勝4敗、防御率5.65と全く通用せず、10月には一軍復帰したものの、この年限りで退団した。
2.4. Later MLB Career
==== シカゴ・カブス
日本での1年間のプレーを終え、クリークは1999年1月29日にシカゴ・カブスと契約し、メジャーリーグに復帰した。シーズンの大半をカブスのAAA級傘下チームであるアイオワ・カブスで過ごし、25試合(うち20試合先発)で7勝3敗、防御率3.79を記録し、1セーブも挙げた。その後、カブスに昇格したが、登板した6試合では防御率10.50と苦戦した。
==== タンパベイ・デビルレイズ
2000年2月1日、タンパベイ・デビルレイズはクリークと契約し、クリークはその後2年半をデビルレイズで過ごすことになった。2000年には45試合(すべてリリーフ)に登板し、1勝3敗、防御率4.60を記録し、自身初で唯一のセーブも挙げた。翌2001年には防御率を4.31に改善し、自己キャリア最多となる66試合に登板、2勝5敗の成績で、自己キャリア最多の62イニングを投げた。
2002年レギュラーシーズンの最初の4ヶ月間もデビルレイズで過ごし、29試合に登板して2勝1敗を記録したが、防御率は6.27と高い数字だった。2002年7月24日、デビルレイズはクリークをシアトル・マリナーズに現金トレードで放出した。
==== シアトル・マリナーズ
2002年の残りシーズンをシアトル・マリナーズでプレーし、23試合に登板して1勝1敗、防御率4.91を記録した。2002年の合計成績は、両チーム合わせて52試合、3勝2敗、55.0イニング、防御率5.82であった。
==== トロント・ブルージェイズ
2002年10月、クリークはトロント・ブルージェイズと契約し、ブルペンの主要メンバーとなることを期待された。しかし、2003年シーズンは計画通りにはいかず、21試合に登板したがわずか13イニングの投球に終わり、防御率は3.29を記録した。2003年6月にはトミー・ジョン手術を受けた。
==== カージナルスへの復帰
2004年2月、クリークはかつて所属したセントルイス・カージナルスと再び契約した。カージナルスではAAA級のメンフィス・レッドバーズでリリーフとしてのみ起用され、33試合で2勝1敗、防御率4.71を記録した。
==== デトロイト・タイガース
2005年1月、デトロイト・タイガースは投手陣の層を厚くするためにクリークと契約した。タイガースのAAA級傘下であるトレド・マッドヘンズで28試合(うち1試合先発)に登板し、2勝2敗、防御率4.61の成績を残した。カージナルス時代とは異なり、クリークはタイガースでメジャーリーグのロースターに入り、20試合に登板した。デトロイトでの20試合で22イニングを投げ、防御率6.85でシーズンを終えた。この年を最後に現役を引退した。
3. Playing Style and Characteristics
クリークは左投左打の投手で、大学時代には工学博士号を取得していたという知的な側面を持っていた。彼の投球スタイルは、カーブ、チェンジアップ、そして左腕特有のスクリューボールといった球種を駆使し、球速の変化と縦の変化を巧みに操って奪三振を奪うテクニシャンであった。彼のストレートは最高で149 km/hを記録し、特に阪神タイガース時代には、球団が待ち望んでいた左の先発投手として首脳陣から大きな期待が寄せられていた。
4. Illness and Death
2024年4月に膵臓癌と診断された。クリークは病との闘病の末、2024年7月28日にこの病の合併症により死去した。享年55歳。
5. Career Statistics and Records
ポール・ダグラス・クリークのプロ野球キャリア全体にわたる主要な統計と記録を包括的に提示する。
5.1. Major League Baseball (MLB) Statistics
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 与死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1995 | STL | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | ---- | 24 | 6.2 | 2 | 0 | 3 | 0 | 0 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0.00 | 0.75 |
1996 | SF | 63 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 220 | 48.1 | 45 | 11 | 32 | 2 | 2 | 38 | 2 | 0 | 41 | 35 | 6.52 | 1.59 |
1997 | 3 | 3 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 0 | -- | .333 | 64 | 13.1 | 12 | 1 | 14 | 0 | 0 | 14 | 0 | 0 | 12 | 10 | 6.75 | 1.95 | |
1999 | CHC | 3 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ---- | 32 | 6.0 | 6 | 1 | 8 | 1 | 0 | 6 | 1 | 0 | 7 | 7 | 10.50 | 2.33 |
2000 | TB | 45 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 3 | 1 | 2 | .250 | 265 | 60.2 | 49 | 10 | 39 | 3 | 2 | 73 | 3 | 0 | 33 | 31 | 4.60 | 1.45 |
2001 | 66 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 5 | 0 | 15 | .286 | 279 | 62.2 | 51 | 7 | 49 | 5 | 4 | 66 | 4 | 0 | 34 | 30 | 4.31 | 1.60 | |
2002 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 0 | 4 | .667 | 172 | 37.1 | 39 | 8 | 21 | 1 | 3 | 37 | 2 | 0 | 27 | 26 | 6.27 | 1.61 | |
SEA | 23 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 1 | 0 | 1 | .500 | 90 | 18.1 | 18 | 2 | 14 | 1 | 4 | 19 | 2 | 0 | 10 | 10 | 4.91 | 1.75 | |
'02計 | 52 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 2 | 0 | 5 | .600 | 262 | 55.2 | 57 | 10 | 35 | 2 | 7 | 56 | 4 | 0 | 37 | 36 | 5.82 | 1.65 | |
2003 | TOR | 21 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | ---- | 69 | 13.2 | 14 | 2 | 12 | 3 | 2 | 11 | 2 | 0 | 6 | 5 | 3.29 | 1.90 |
2005 | DET | 20 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | ---- | 101 | 22.1 | 27 | 7 | 7 | 0 | 0 | 18 | 0 | 0 | 18 | 17 | 6.85 | 1.52 |
MLB:9年 | 279 | 3 | 0 | 0 | 0 | 7 | 14 | 1 | 25 | .333 | 1316 | 289.1 | 263 | 49 | 199 | 16 | 17 | 292 | 16 | 0 | 188 | 171 | 5.32 | 1.60 |
5.2. Nippon Professional Baseball (NPB) Statistics and Records
年度 | 球団 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 与死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1998 | 阪神 | 7 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | -- | .000 | 132 | 28.2 | 23 | 4 | 25 | 0 | 0 | 24 | 0 | 2 | 21 | 18 | 5.65 | 1.67 |
NPB:1年 | 7 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | -- | .000 | 132 | 28.2 | 23 | 4 | 25 | 0 | 0 | 24 | 0 | 2 | 21 | 18 | 5.65 | 1.67 |
- 「--」は記録なし
NPB投手記録
- 初登板・初先発登板:1998年4月5日、対横浜ベイスターズ3回戦(横浜スタジアム)、7回1/3を1失点(自責点0)で勝敗つかず
- 初奪三振:同上、1回裏に井上純から
NPB打撃記録
- 初安打:同上、3回表に野村弘樹から中前安打
5.3. Jersey Numbers
プロキャリアを通じて各チームで着用した背番号は以下の通りである。
- 37(1995年、1999年)
- 51(1996年 - 1997年)
- 21(1998年)
- 38(2000年 - 2002年途中)
- 36(2002年途中 - 同年終了)
- 39(2003年)
- 52(2005年)
5.4. Representative Career
- 第18回日米大学野球選手権大会 アメリカ合衆国代表(1989年)