1. 概要

ダヴィッド・バブンスキー(Давид Бабунскиダヴィッド・バブンスキーマケドニア語、1994年3月1日生まれ)は、北マケドニア共和国・スコピエ出身のプロサッカー選手である。ポジションは主に攻撃的ミッドフィールダー。現在はスコティッシュ・プレミアシップのダンディー・ユナイテッドFCに所属している。
彼はFCバルセロナの著名な育成組織であるラ・マシア出身であり、その後レッドスター・ベオグラード、日本の横浜F・マリノスや大宮アルディージャ、ルーマニア、ハンガリーのクラブでプレーしてきた。国際舞台では、北マケドニアの各年代別代表を経て、2013年にA代表デビューを果たしている。
バブンスキーは、元サッカー選手で指導者のボバン・バブンスキーを父に持ち、弟のドリアン・バブンスキーもプロサッカー選手である。また、彼は難民の人権を強く支持する社会活動家としても知られており、2015年のクリスマスをゲヴゲリヤの難民キャンプで過ごした経験もある。この多様なキャリアと社会貢献活動は、彼を単なるスポーツ選手以上の存在として位置付けている。
2. 幼少期と家族の背景
ダヴィッド・バブンスキーの幼少期と、彼の成長に深く関わった家族的背景は、その後のキャリアと人柄形成に大きな影響を与えた。
2.1. 幼少期と教育
バブンスキーは1994年3月1日に北マケドニア共和国のスコピエで生まれた。彼のサッカーキャリアは、UDAグラメネトを経て、2006年に12歳でFCバルセロナの著名な育成組織であるラ・マシアに加入したことから始まった。2011年12月には、空手家のAziz IsmailやBerat Jakupiを抑え、マケドニア年間最優秀若手スポーツ選手に選出されるなど、幼少期からその才能は高く評価されていた。
また、彼の幼少期には特異な経験がある。父ボバン・バブンスキーのキャリアに伴い、2歳から4歳までの期間、日本の大阪府に居住し、現地の幼稚園に通っていた。この日本での生活が、彼の後のJリーグでのキャリアにも影響を与えることになる。FCバルセロナのカンテラ時代には、後に日本のスター選手となる久保建英も在籍しており、共にトレーニングを積んだ経験がある。
2.2. 家族と影響
バブンスキーの家族は、彼のサッカーキャリアと人生において極めて重要な役割を果たしている。彼の父であるボバン・バブンスキーもまた、元プロサッカー選手であり指導者である。ボバンはスペインを含む複数の国でプレーし、日本のガンバ大阪でも活躍した経験を持つ。現在はU-21北マケドニア代表のコーチを務めている。
ダヴィッドの弟、ドリアン・バブンスキーもプロサッカー選手であり、フォワードとしてプレーしている。ドリアンはレアル・マドリードCFの育成組織で育ち、後に兄ダヴィッドと共にハンガリーのデブレツェニVSCでプレーする経験もしている。さらに、彼の曽祖父の曽祖父にあたるヨヴァン・バブンスキーは、歴史上のヴォイヴォダ(軍事指導者)であり、ダヴィッド自身がヨヴァン・バブンスキーの子孫であることを誇りに思っていると公言している。このような家族のサッカーとの深い繋がりや、歴史的背景がダヴィッドのアイデンティティ形成に影響を与えたことは間違いない。
3. クラブキャリア
ダヴィッド・バブンスキーのプロサッカー選手としてのキャリアは、欧州のトップクラブの育成組織から始まり、セルビア、日本、ルーマニア、ハンガリー、スコットランドと多岐にわたるリーグを渡り歩いてきた。
3.1. FCバルセロナB
2006年にラ・マシアに加入した後、バブンスキーは2013年6月にFCバルセロナのリザーブチームに昇格した。プロデビューは2013年8月24日で、セグンダ・ディビシオンのCDルーゴ戦に後半途中から出場し、チームは2-1で勝利を収めた。初ゴールは2014年5月31日、ADアルコルコンとの試合で試合終了間際に決勝ゴールを決め、4-3の勝利に貢献した。
2014-15シーズンには16試合に出場したが、チームはセグンダ・ディビシオンBへの降格を経験した。2015年2月28日のRCDマヨルカ戦では、ハーフタイムに途中出場したものの、2-4で敗れた試合で一発退場処分を受けている。FCバルセロナの育成組織で10年間を過ごした後、2016年1月には双方合意の上で契約を解除し、クラブを離れることとなった。
3.2. レッドスター・ベオグラード
FCバルセロナを退団した翌日の2016年1月28日、バブンスキーはセルビアのレッドスター・ベオグラードと2年半の契約を結んだ。セルビア・スーペルリーガデビューは2016年2月20日のFKムラドスト・ルチャニ戦で、アレクサンダル・カタイに代わって試合終盤に出場し、チームは2-1で勝利した。この2015-16シーズンにはさらに5試合に出場し、レッドスターは27度目のリーグ優勝を果たした。しかし、セルビアでの在籍期間中、多くの試合に絡む機会は少なかった。
3.3. 日本でのキャリア
2017年1月30日、バブンスキーは日本のJ1リーグに所属する横浜F・マリノスに完全移籍で加入した。これは、同年1月にレッドスターからウーゴ・ヴィエイラに続く2人目の獲得となった。2017年2月25日のJ1リーグ開幕戦、浦和レッドダイヤモンズ戦でデビューを飾り、先制点を挙げてチームの3-2の勝利に貢献した。このゴールは、Jリーグにおいて外国人親子選手(父ボバン・バブンスキーもJリーグで得点経験あり)が揃って得点を記録した初の事例となった。2018年8月16日、双方合意のもとで横浜F・マリノスとの契約を解除した。この日、奇しくも久保建英のFC東京から横浜F・マリノスへの期限付き移籍が発表され、新旧ラ・マシア出身選手が入れ替わる形となった。
横浜F・マリノスを退団した直後の2018年8月22日、バブンスキーはJ2リーグの大宮アルディージャへの加入が発表された。大宮アルディージャでのプレー期間中、2019年4月21日のJ2第10節FC町田ゼルビア戦では、町田に所属する弟のドリアン・バブンスキーとJリーグ史上初の兄弟対決を果たした。両選手は同じタイミングで途中出場し、ピッチサイドで抱擁を交わすと、両チームのサポーターから温かい拍手が送られた。2019年12月25日、契約満了に伴い大宮アルディージャを退団した。
3.4. ルーマニアでのキャリア
2020年3月2日、バブンスキーはルーマニアのリーガ1に所属するFCボトシャニと1年半の契約を結んだ。しかし、2020年12月29日には双方合意の上で契約を解除し、クラブを離れることとなった。
そのわずか2週間後の2021年1月11日、彼は同じくリーガ1のFCヴィトルル・コンスタンツァと2年半の契約で加入した。しかし、このクラブでの滞在も短く、2021年6月8日には再び双方合意の上で契約が解除された。
3.5. ハンガリーでのキャリア
2021年7月8日、バブンスキーはハンガリーのデブレツェニVSCと2年契約を結んだ。このクラブでは、2022年の冬の移籍期間に弟のドリアン・バブンスキーも加入し、プロキャリアで初めて兄弟が同じチームでプレーすることとなった。しかし、2022年の夏にはデブレツェニVSCとの契約も双方合意の上で解除された。
その後、2022年9月20日、バブンスキーはメゼーケヴェシュド・ジョーリSEに加入した。2023年1月には、このクラブと新たに2年半の契約を締結している。
3.6. ダンディー・ユナイテッド
2024年7月16日、ダヴィッド・バブンスキーはスコットランドのスコティッシュ・プレミアシップに所属するダンディー・ユナイテッドFCに1年契約で移籍した。この契約には、さらに1シーズン延長するオプションが含まれている。
4. 代表キャリア
ダヴィッド・バブンスキーは北マケドニア共和国のサッカーにおける将来を担う選手として、各年代別代表でその才能を発揮し、その後A代表の舞台へと進んだ。
4.1. ユース代表
バブンスキーは北マケドニアのユース代表チームに常に選出される常連であった。2012年5月25日には、U-21北マケドニア代表としてU-21アルバニア代表との親善試合に出場し、チームの2点目となるゴールを決め、試合は2-2の引き分けに終わった。また、彼は2017年に開催されたUEFA U-21欧州選手権にも出場し、チームのキャプテンを務めたが、チームはグループリーグで敗退した。
4.2. フル代表
2013年8月、バブンスキーはブルガリア代表との親善試合に向けたA代表に初招集された。そして、同年8月14日にスコピエで行われたこの試合で、後半31分間プレーし、チームの2-0の勝利に貢献してA代表デビューを果たした。2013年以降、彼は北マケドニアのA代表として国際試合に出場している。
5. 私生活と社会活動
ダヴィッド・バブンスキーは、サッカー選手としてのキャリアと並行して、公に知られている私生活や社会活動にも積極的に関与している。彼は特に難民の人権を強く支持する姿勢を明確にしている。
2015年のクリスマスには、彼自身と弟、そして4人の友人がゲヴゲリヤの難民キャンプで過ごした。ゲヴゲリヤはギリシャ国境に位置するマケドニアの町であり、西欧への避難を求める人々にとっての主要なバルカン・ルートの一部となっていた。この行動は、彼が単なる口先だけでなく、自らの行動を通じて社会問題、特に弱い立場にある人々の苦境に寄り添う姿勢を示している。彼のこの活動は、その深い人間性と社会貢献への熱意を物語っている。
6. 栄誉と受賞
ダヴィッド・バブンスキーは、そのキャリアを通じていくつかの栄誉と受賞を経験している。
レッドスター・ベオグラード
- セルビア・スーペルリーガ: 2015-16
個人
- マケドニア年間最優秀若手スポーツ選手: 2011年12月
- Jリーグ・月間ベストゴール賞: 2017年3月
7. キャリア統計
7.1. クラブ
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | リーグカップ | 欧州 | その他 | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
バルセロナB | 2013-14 | セグンダ・ディビシオン | 19 | 1 | - | - | - | - | 19 | 1 | ||||
2014-15 | 16 | 0 | - | - | - | - | 16 | 0 | ||||||
2015-16 | セグンダ・ディビシオンB | 13 | 0 | - | - | - | - | 13 | 0 | |||||
合計 | 48 | 1 | - | - | - | - | 48 | 1 | ||||||
レッドスター・ベオグラード | 2015-16 | セルビア・スーペルリーガ | 6 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | - | 6 | 0 | ||
2016-17 | 5 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | - | 7 | 0 | ||||
合計 | 11 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | - | 13 | 0 | ||||
横浜F・マリノス | 2017 | J1リーグ | 20 | 3 | 4 | 0 | 3 | 0 | - | - | 27 | 3 | ||
2018 | 5 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | - | - | 11 | 0 | ||||
合計 | 25 | 3 | 5 | 0 | 8 | 0 | - | - | 38 | 3 | ||||
大宮アルディージャ | 2018 | J2リーグ | 6 | 0 | - | - | - | - | 6 | 0 | ||||
2019 | 28 | 4 | 2 | 0 | - | - | - | 30 | 4 | |||||
合計 | 34 | 4 | 2 | 0 | - | - | - | 36 | 4 | |||||
ボトシャニ | 2019-20 | リーガ1 | 7 | 0 | - | - | - | - | 7 | 0 | ||||
2020-21 | 7 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | - | 9 | 0 | ||||
合計 | 14 | 0 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | - | 16 | 0 | ||||
ヴィトルル・コンスタンツァ | 2020-21 | リーガ1 | 13 | 0 | - | - | - | - | 13 | 0 | ||||
デブレツェン | 2021-22 | ネムゼティ・バイノクシャーグI | 24 | 1 | 2 | 0 | - | - | - | 26 | 1 | |||
メゼーケヴェシュド | 2022-23 | ネムゼティ・バイノクシャーグI | 24 | 3 | 2 | 0 | - | - | - | 26 | 3 | |||
キャリア通算 | 193 | 12 | 13 | 0 | 8 | 0 | 2 | 0 | - | 216 | 12 |
7.2. 代表
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
北マケドニア | 2013 | 3 | 0 |
2014 | 3 | 0 | |
2015 | 0 | 0 | |
2016 | 2 | 0 | |
2017 | 1 | 0 | |
2018 | 0 | 0 | |
2019 | 0 | 0 | |
2020 | 0 | 0 | |
2021 | 0 | 0 | |
2022 | 4 | 0 | |
2023 | 2 | 0 | |
通算 | 15 | 0 |