1. オーバービュー
チャールズ・ウィリアム・パドック(Charles William Paddock英語、1900年8月11日 - 1943年7月21日)は、アメリカ合衆国の陸上競技選手であり、オリンピックで2度の金メダルを獲得した。彼は第一次世界大戦後の主要なスポーツイベントで成功を収め、「最速の人間」として知られるようになった。その特徴的なフィニッシュスタイルと、短距離走における数々の世界記録樹立により、陸上競技の歴史に名を刻んだ。
パドックのキャリアは、単なる競技活動に留まらず、ジャーナリズムへの関与、映画出演、自伝の執筆など多岐にわたった。しかし、彼の生涯は第二次世界大戦中の悲劇的な飛行機事故によって幕を閉じた。死後もその功績は高く評価され、全米陸上競技殿堂入りを果たし、彼の物語は映画『炎のランナー』にも描かれるなど、ポピュラーカルチャーにも影響を与えた。
2. 生涯
チャールズ・パドックの生涯は、テキサス州での幼少期から始まり、南カリフォルニア大学での学業と陸上競技キャリアの形成、そして軍務を経て、多岐にわたる活動を展開した。
2.1. 幼少期と教育
パドックは1900年8月11日、アメリカ合衆国テキサス州ゲインズビルで、チャールズ・H・パドックとルル(ロビンソン)パドック夫妻の間に生まれた。幼少期に家族はカリフォルニア州パサデナへ移住した。
第一次世界大戦中にアメリカ海兵隊での兵役を終えた後、パドックは南カリフォルニア大学に入学した。ここで彼は陸上競技チームの一員となり、特に短距離走でその才能を大きく開花させた。
2.2. 軍務
パドックは第一次世界大戦中、アメリカ海兵隊の野戦砲兵中尉として従軍した。戦後もウィリアム・P・アップシャー少将の個人スタッフとして勤務した。
第二次世界大戦中の1943年7月21日、パドックはアラスカ州シトカ近郊で発生した飛行機事故により、アップシャー少将と共に死亡した。この時、パドックは大尉の階級にあった。彼の遺体はシトカ国立墓地に埋葬されている。
3. 陸上競技キャリア
チャールズ・パドックは、その輝かしい陸上競技キャリアを通じて、数々の記録を樹立し、オリンピックでメダルを獲得した。

3.1. 初期キャリアと連合国大会
第一次世界大戦後、最初の主要なスポーツイベントである1919年の連合国大会において、パドックは100mと200mで優勝を飾った。この大会は、連合国の兵士たちが互いに競い合う場として開催された。この成功により、パドックは「最速の人間」(The fastest man alive英語)と称された最初の人物となった。
3.2. 1920年アントワープオリンピック
1920年アントワープオリンピックで、パドックはアメリカ代表として出場し、そのキャリアで最大の成功を収めた。彼は100m決勝で金メダルを獲得し、200mでは銀メダルに輝いた。さらに、アメリカの4x100mリレーチームの一員として、3つ目のオリンピックメダルとなる金メダルを獲得した。
3.3. 1921年の記録
翌年の1921年、パドックは110ヤード(約100.58 m)を10.2秒で走破する記録を樹立した。この110ヤードでの記録は、100mの世界記録がパドックの記録を下回る1956年まで破られなかった。また、彼はヤード法で行われる他のいくつかの距離においても、世界記録を樹立またはタイ記録を達成している。
3.4. 1924年パリオリンピック
1924年パリオリンピックにも出場したパドックは、再び100mと200mの決勝に進出した。しかし、4年前のアントワープオリンピックほどの成功は収められず、100mでは5位に終わり、200mでは銀メダルを獲得した。この大会では、アメリカのリレーチームには参加しなかった。
3.5. 1928年アムステルダムオリンピック
パドックは1928年アムステルダムオリンピックにも出場し、3度目のオリンピック参加を果たした。しかし、この大会では200m決勝に進むことはできなかった。
3.6. 競技スタイル
パドックは、レースの終盤にフィニッシュラインに向かって飛び込むようにゴールする、独特のフィニッシュスタイルで有名であった。この型破りなスタイルは、彼のトレードマークとなった。
4. その他の活動とキャリア
チャールズ・パドックは、陸上競技選手としての輝かしいキャリアに加え、多岐にわたる分野で活動した。
4.1. ジャーナリズムと経営
パドックは、現役の陸上競技選手である傍ら、いくつかの新聞社で経営職を務めていた。彼の義父は新聞発行者のチャールズ・H・プリスクであった。
4.2. 映画出演
1920年代後半には、いくつかの映画に出演した。1926年には、テキサス州出身のパラマウント映画のスター女優、ビーブ・ダニエルズと共演した白黒のサイレント映画『The Campus Flirt英語』(現在は失われた作品)に出演した。
4.3. 著作
1932年には、自身の自伝『The Fastest Human英語』を出版した。この著作は、彼が「最速の人間」として知られるようになった経緯や、陸上競技キャリアにおける経験を綴ったものである。
5. 死
チャールズ・パドックは、1943年7月21日、第二次世界大戦中にアラスカ州シトカ近郊で発生した飛行機事故により、ウィリアム・P・アップシャー少将と共に死亡した。彼はシトカ国立墓地に埋葬されている。
6. 死後の評価と功績
チャールズ・パドックは、その死後も陸上競技界における功績が広く認められ、ポピュラーカルチャーにおいてもその姿が描かれている。
6.1. 全米陸上競技殿堂入り
1976年、チャールズ・パドックは全米陸上競技殿堂(National Track and Field Hall of Fame英語)に殿堂入りを果たした。これは、彼の陸上競技における卓越した業績と、スポーツへの貢献が認められた証である。
6.2. ポピュラーカルチャーでの描写
パドックの物語は、1981年に公開され、アカデミー賞を受賞した映画『炎のランナー』(Chariots of Fire英語)にも描かれている。この映画は、1924年パリオリンピックでの陸上競技選手たちの活躍を描いたもので、パドックは俳優のデニス・クリストファーによって演じられた。