1. 生涯と教育
スミスはテキサス州ブレッケリッジで生まれた。テキサス大学オースティン校を卒業し、在学中は陸上競技チームの一員として活躍し、また学生団体「シルバー・スパーズ」のメンバーでもあった。
2. スポーツ経歴
スミスは陸上競技選手として輝かしい成績を収めた後、プロフットボール選手としての短い期間を経て、ロデオカウボーイとしても活動するなど、多様なスポーツ分野でその才能を発揮した。
2.1. 陸上競技
1952年にAAU主催の100メートル競走選手権で優勝を果たした。同年開催されたヘルシンキオリンピックでは、100m競走で4位に入賞し、さらにアメリカ合衆国代表チームの一員として4×100mリレーに出場し、金メダルを獲得した。このリレーでは第1走者を務め、予選と準決勝を1位で通過し、決勝では2位のソビエト連邦代表チームに僅差で勝利した。テキサス大学の陸上競技チームのスプリンターとして、彼は100ヤード走を9.4秒で走り、当時の世界記録までわずか0.1秒に迫る記録を樹立した。
2.2. プロフットボール
テキサス大学オースティン校卒業後、スミスはプロフットボール選手としてロサンゼルス・ラムズとピッツバーグ・スティーラーズに在籍したが、レギュラーシーズン中に試合に出場する機会はなかった。
2.3. ロデオ
スポーツ選手としての第一線から退いた後、スミスはアマチュアのロデオ選手として活動を始めた。彼はベアバック・ブロンコ・ライディングとカーフ・ローピングの種目で競い、両種目でチャンピオンシップを獲得している。その功績が認められ、プロフェッショナル・ロデオ・カウボーイズ・アソシエーション(PRCA)の名誉会員に選ばれた。1997年5月には、歌手のリーバ・マッキンタイアが主催した「プロ・セレブリティ・ロデオ」のチームローピングイベントにも参加した。
3. ハリウッド経歴
スポーツキャリアの後に、スミスはプロのロデオカウボーイとして活動しつつ、スタントマンおよび俳優としてハリウッドでのキャリアをスタートさせた。彼は数多くの西部劇映画に出演し、スタントを務めた。主な出演作には、ジョン・ウェインが監督・主演を務めた『アラモ』(1960年)、『コマンチェロ』(1961年)、『西部開拓史』(1962年)、『マクリントック!』(1963年)、『リオ・コンチョス』(1964年)、『ビッグ・ジェイク』(1971年)、『エル・ドラド』(1966年)、『リオ・ロボ』(1970年)などがある。
また、テレビの西部劇ドラマにも多数出演しており、『ウェルズ・ファーゴの物語』、『マーベリック』、『ガンスモーク』、『ローマン』、『拳銃無宿』、『アイアンホース』、そして『炎のテキサス・レンジャー』などが挙げられる。
特に印象的なスタントとしては、映画『マクリントック!』でモーリン・オハラが主演するシーンで、2階建ての建物から干し草の荷馬車に飛び降りるというものがあった。スミスは1958年のロザリンド・ラッセル主演映画『メイム叔母さん』の撮影中に、著名な映画監督ジョン・フォードの目に留まり、その結果、フォード監督のその後の多くの作品に起用されることとなった。
4. 受賞歴と栄誉
スミスは選手時代からハリウッドでのキャリアを通じて、数々の賞や栄誉を受けている。
- 2006年には、テキサス・ロデオカウボーイ殿堂入りを果たした。
- 2009年には、ナショナル・マルチカルチュラル・ウェスタン・ヘリテージ博物館および殿堂に迎えられた。
- テキサス陸上競技コーチ協会殿堂のメンバーでもある。
- ハリウッド・スタントマン殿堂の一員でもある。
- 1997年には「All American Cowboyオール・アメリカン・カウボーイ英語」の称号を授与された。
- 1998年には、西部劇で活躍した俳優やスタッフに贈られる「Golden Boot Awardゴールデンブーツ賞英語」を受賞した。
- 2007年には、映画界におけるスタントマンとしての多大な貢献が評価され、「Silver Spur awardシルバー・スパー賞英語」を授与された。
5. 個人情報
スミスは2023年6月24日に91歳で死去した。
6. 大会記録
年 | 大会 | 場所 | 種目 | 結果 | 記録 |
---|---|---|---|---|---|
1952 | ヘルシンキオリンピック | ヘルシンキ(フィンランド) | 100m | 4位 | 10秒84(電気計時)/10秒4(手動計時) |
1952 | ヘルシンキオリンピック | ヘルシンキ(フィンランド) | 4×100mリレー | 1位 | 40秒26(電気計時)/40秒1(手動計時) |