1. 概要
バカリ・サニャは、1983年2月14日にフランスのサンスで生まれた元プロサッカー選手であり、主に右サイドバックとして活躍しました。セネガル系フランス人である彼は、堅実な守備と献身的なプレースタイルで知られ、かつてアーセナルの指揮官アーセン・ベンゲルから「プレミアリーグ最高の右サイドバック」と評されるほどの信頼を得ていました。右サイドバックを本職としながらも、必要に応じてウィングバックやセンターバックとしてもプレーする多才な選手でした。
プロキャリアはオセールでスタートし、2005年にはクープ・ドゥ・フランスのタイトルを獲得しました。その後、2007年にアーセナルへ移籍し、7年間在籍。その間にFAカップを制覇し、クラブにとって長年の無冠時代に終止符を打つ重要な役割を果たしました。2014年にはマンチェスター・シティへ移籍し、さらにEFLカップのタイトルを獲得しました。短期間ではありましたが、イタリアのベネヴェントや、北米のMLSに所属するモントリオール・インパクトでもプレーし、2019年にはカナディアン・チャンピオンシップを獲得するなど、キャリアを通じて複数のクラブで成功を収めました。
フランス代表としては、2007年から2016年まで国際舞台で活躍し、2010 FIFAワールドカップ、2014 FIFAワールドカップ、そして自国開催のUEFA欧州選手権2016に出場しました。ピッチ外では、イスラム教徒としての信仰を持ち、家族を大切にする一面を見せています。また、HIV予防を目的とした国際的な非営利団体「Grassroot Soccer」のアンバサダーを務めるなど、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいました。サニャは、その信頼性の高さから「Mr. Reliableミスター信頼できる男英語」の愛称で親しまれ、多くのファンから愛された選手でした。
2. 生い立ちと背景
バカリ・サニャは1983年2月14日、フランスのヨンヌ県にあるサンスで、セネガル人の両親のもとに生まれました。幼少期はFCサンスのユースチームでサッカーを始め、1998年まで所属しました。
17歳の時、サニャは自身のルーツであるセネガル代表としてプレーすることを強く望みましたが、当時のセネガルサッカー協会からは返答がありませんでした。そのため、彼は失望を感じたと言います。しかし、その後オセールのトップチームで活躍し始めると、フランスU-21代表から声がかかり、セネガル代表からの連絡とフランスU-21代表での試合が同日に行われるという状況に直面しました。その際、彼はフランスU-21代表でのプレーを選択しました。
サニャはイスラム教徒であり、その信仰を公言しています。2010年にはフランス系アルジェリア人のモデルでジャーナリストのリュディヴィーヌ・カドリと結婚しました。二人の間には、2009年に長男エリアスが、2013年には次男カイスが誕生しています。サニャは試合後、長男エリアスを抱いてピッチを一周するなど、家族を大切にする姿を見せていました。
彼の従兄弟には、イングランドのレディングやトルコのAkhisar Belediyesporでプレーしたイブライマ・ソンコがいます。
また、サニャは長く特徴的なドレッドヘアのスタイルで知られていました。これは、ある試合で彼が2ゴールを挙げたら髪型を変えるという父親との賭けに勝った結果、ヘアーエクステンションを着け始めたことによるものです。しかし、2015年以降はエクステを外し、短髪でプレーしました。チームメイトからは「バク(Bac)」という愛称で親しまれていました。
2011年3月31日、サニャは「Grassroot Soccer」のアンバサダーに就任しました。これは、サッカーの力を活用して地域社会にHIVの予防に関する教育、啓発、動員を行う国際的な非営利団体です。彼はソーシャルメディア、特にTwitterを活用してファンと交流し、自身の活動や情報を発信していました。
3. クラブ経歴
バカリ・サニャのプロキャリアは、フランスのオセールで始まり、その後イングランドのアーセナルとマンチェスター・シティで長く活躍しました。キャリアの終盤にはイタリアのベネヴェント、カナダのモントリオール・インパクトに所属し、多くのタイトルを獲得しました。
3.1. オセール
サニャはFCサンスのユースチームでキャリアをスタートさせ、1998年まで所属しました。その後、1998年にオセールのユースチームに移籍し、2002年まで育成期間を過ごしました。2004-05シーズンにはトップチームに昇格し、ジョアン・ラデに代わってレギュラーの座を獲得しました。
オセールでは、アブー・ディアビ(後にアーセナルでチームメイトとなる)やユネス・カブール(後にトッテナム・ホットスパーのセンターバックとなる)らと共にプレーし、2005年にはクープ・ドゥ・フランスで優勝を経験しました。トップチームに所属した3シーズン全てでUEFAカップ(現在のUEFAヨーロッパリーグ)に出場し、合計17試合に出場しました。
彼の右サイドバックとしての傑出したパフォーマンスは高く評価され、2006-07シーズンにはリーグのベストイレブンに選出されました。さらに、このシーズンにはクラブの年間最優秀選手にも輝き、ファンからはその信頼性の高さから「Mr. Reliableミスター信頼できる男英語」と呼ばれました。
3.2. アーセナル
2007年7月12日、サニャはオセールからアーセナルへの移籍を完了しました。移籍金は初期費用で約900.00 万 EUR(約700.00 万 GBP)と報じられ、最大で1100.00 万 EURまで上昇する可能性があるとされました。彼は、1年前にチェルシーへ移籍した元ディフェンダーのアシュリー・コールが着用していた背番号3を引き継ぎ、5年契約を締結しました。
サニャは2007年7月19日に行われたトルコのゲンチレルビルリギとの親善試合でアーセナルデビューを果たし、3対0の勝利に貢献しました。リーグ戦デビューは、2007年8月12日のフラム戦で、チームは2対1で勝利を収めました。彼はエマニュエル・エブエとの右サイドバックのポジション争いを制し、すぐにレギュラーの地位を確立しました。当時の指揮官であるアーセン・ベンゲルは、彼を「プレミアリーグ最高の右サイドバック」と評するほどの信頼を寄せていました。
3.2.1. 2007-08 シーズン
2008年2月13日、アーセナルがチャンピオンズリーグの決勝トーナメント1回戦でミランと対戦するちょうど1週間前に、サニャの兄オマール・サニャが28歳で亡くなりました。この訃報はサニャ自身の誕生日(2月14日)の前日に届いたものでしたが、彼は父親の助言を受けて試合に出場しました。アーセナルはこの試合で0対0と引き分け、続く2ndレグでは2対0で勝利し、合計スコアで勝ち上がりました。
2008年3月23日、サニャはロンドンのライバルであるチェルシーとのダービーマッチで、セスク・ファブレガスのコーナーキックから低いヘディングで自身初のプレミアリーグゴールを記録し、アーセナルに1対0のリードをもたらしました。しかし、彼はこの試合で負傷し、その後チェルシーが逆転して2対1で勝利しました。シーズン終了後、彼はその活躍が評価され、PFA年間ベストイレブンに選出されました。
3.2.2. 2008-09 シーズン
サニャは2008-09シーズンの開始前にアーセナルとの新たな契約にサインし、契約期間を2014年まで延長しました。彼は「アーセナルが大好きだ、素晴らしいクラブだ」と述べ、「監督も素晴らしいし、来シーズンは全てのトロフィーを狙って戦う」と語りました。2008年12月26日のアストン・ヴィラ戦では、相手のシュートをゴールライン上でオーバーヘッドキックでクリアするという驚異的な守備を見せ、2対2の引き分けに貢献しました。
3.2.3. 2009-10 シーズン
2009-10シーズンは怪我の影響もあり、前の2シーズンと同じような貢献ができませんでした。しかし、多くのアシストを提供し、その中でも特に重要だったのは、2010年4月3日のウルヴァーハンプトン・ワンダラーズ戦で、94分にニクラス・ベントナーへ送ったクロスでした。このクロスから生まれたゴールが決勝点となり、アーセナルは1対0で勝利しました。このシーズン中、彼はセリエAのインテルなど、複数のクラブから移籍の関心を集めていると報じられました。
3.2.4. 2010-11 シーズン

サニャはエミレーツ・スタジアムでのアーセナルでの初ゴールを、2010年のエミレーツ・カップのセルティック戦で記録しました。この試合はアーセナルが3対2で勝利し、2年連続でエミレーツ・カップのタイトルを獲得しました。2010年10月3日には、チェルシーとのリーグ戦でアーセナルでのリーグ戦100試合出場を達成しましたが、試合は2対0の敗戦となりました。
2010年11月14日には、エヴァートン戦でアーセナル公式戦通算2点目となるゴールを、ニアポストからの強烈なシュートで決め、2対1のアウェイでの勝利に貢献しました。同年12月8日に行われたチャンピオンズリーグのグループステージ最終戦、セルビアのパルティザン戦では、アーセナルでのキャリア初のレッドカードを受け退場処分となりましたが、チームは3対1で勝利しました。
2011年1月1日、バーミンガム・シティとの試合中に、サニャがタックルで倒れた後、相手選手のリー・ボウヤーに足を踏みつけられるインシデントが発生しました。この行為により、ボウヤーはFAから3試合の出場停止処分を受けました。1月5日には、マンチェスター・シティとの試合終盤に、相手サイドバックのパブロ・サバレタと頭をぶつけ合い、両者ともにレッドカードを受け退場となりました。
1月19日、FAカップ3回戦の再試合、リーズ・ユナイテッド戦で、彼はシーズン2点目となるゴールを記録し、アーセナルの3対1の勝利に貢献しました。これはサニャにとってキャリア最高の得点数であり、これまでの最高は2007-08シーズンの1得点でした。2010-11シーズンでの活躍が評価され、彼は再びPFA年間ベストイレブンに選出されました。
3.2.5. 2011-12 シーズン
2011年8月13日、サニャは2011-12シーズン開幕戦のニューカッスル・ユナイテッド戦で先発出場し、フルタイムでプレーし、0対0の引き分けに貢献しました。その1週間後の8月20日には、リヴァプール戦で左サイドバックとして先発出場し、フルタイムでプレーしましたが、チームは2対0で敗れました。8月28日には、体調不良のためマンチェスター・ユナイテッド戦を欠場しました。
2011年10月2日に行われたノース・ロンドン・ダービーで、トッテナム・ホットスパーのブノワ・アスー=エコトとの競り合い中に不自然な着地をしたことで右足の腓骨を骨折し、全治3か月と診断されました。2012年1月29日、アストン・ヴィラ戦で89分に途中出場し、怪我からの復帰を果たしました。
2012年2月26日には、再びノース・ロンドン・ダービーで先発出場し、ミケル・アルテタのクロスからヘディングシュートを決めました。このゴールは、アーセナルが0対2の劣勢から5対2で逆転勝利を収めるきっかけとなりました。しかし、このシーズン終盤の5月5日、ノリッジ・シティとのホーム最終戦で再び同じ右足の腓骨を骨折する不幸に見舞われ、これによりEURO2012への参加を断念せざるを得なくなりました。
3.2.6. 2012-13 シーズン
2012年10月、サニャはクイーンズ・パーク・レンジャーズ戦に先発出場し、アーセナルの1対0の勝利に貢献し、トップチームへの復帰を果たしました。11月3日にはマンチェスター・ユナイテッドとのアウェイ戦で右サイドバックとしてフル出場しましたが、試合は2対1で敗れました。彼が怪我で離脱している間、カール・ジェンキンソンが代役を務め、高い評価を得ていましたが、復帰後は再びサニャがアーセナルの第一選択肢の右サイドバックとなりました。
2013年2月9日、サンダーランド戦のウォーミングアップ中にローラン・コシールニーが負傷したため、サニャは急遽センターバックとしてプレーすることになりました。彼はこの試合で10人になったアーセナルが1対0で勝利するのに貢献しました。しかし、4月28日のマンチェスター・ユナイテッド戦では、ロビン・ファン・ペルシーに対してペナルティエリア内でタイミングの悪いタックルを犯し、相手にPKを与えてしまいました。この結果、試合は1対1の引き分けに終わりました。
3.2.7. 2013-14 シーズン

2013-14シーズンも、サニャはカール・ジェンキンソンとの競争を制し、アーセナルの第一選択肢の右サイドバックとして開幕を迎えました。9月22日のストーク・シティ戦では、メスト・エジルのフリーキックに頭で合わせ、アーセナルでのキャリア通算5点目となるシーズン初ゴールを記録し、3対1の勝利に貢献しました。
2014年5月17日、サニャはウェンブリー・スタジアムで行われたFAカップ決勝のハル・シティ戦に先発出場し、チームは3対2で勝利しました。これは彼にとってアーセナルでの初めてのトロフィー獲得となりました。
2014年5月27日、サニャはシーズン終了をもってアーセナルとの契約を延長しないことを発表しました。アーセナルは2年間の契約延長を提示しましたが、サニャは「クラブとの話し合いが望む方向へ進まなかった」ため、契約延長を拒否したとされています。当時、マンチェスター・シティを含む複数の欧州トップクラブが彼への関心を表明していました。彼はアーセナルで7年間を過ごし、公式戦通算284試合に出場しました。
3.3. マンチェスター・シティ
2014年6月13日、サニャはアーセナルとの契約が6月30日に満了するのを受け、フリーエージェントとしてマンチェスター・シティへの加入が発表されました。彼はこの夏のマンチェスター・シティにとって最初の補強選手であり、3年契約を結び、アーセナル時代と同じ背番号3を着用することになりました。この移籍により、彼は2011年までアーセナルで共にプレーしたガエル・クリシーと再会しました。
マンチェスター・シティでは、2015-16シーズンにEFLカップ(キャピタル・ワン・カップ)優勝メンバーの一員となりました。彼は2017年6月に契約満了に伴いクラブを退団しました。
3.4. ベネヴェント
マンチェスター・シティ退団後、7ヶ月間のフリー期間を経て、2018年2月3日にイタリアのセリエAに所属するベネヴェントとシーズン終了までの契約を締結しました。この契約には1年間の延長オプションが含まれていました。ベネヴェントは当時セリエA最下位に沈む昇格組でしたが、サニャはリーグ戦13試合に出場し、1得点を記録しました。唯一のゴールは4月29日のウディネーゼ戦で、試合終了間際の90分にヘディングで同点ゴールを決め、3対3の引き分けに持ち込みました。しかし、チームは最終的に降格し、契約延長オプションは行使されませんでした。
3.5. モントリオール・インパクト
2018年8月8日、サニャはMLSのモントリオール・インパクトへ移籍しました。彼は2018年シーズン終了までの契約を結び、1年間の延長オプションが付帯していました。この移籍は、レミ・ガルドが監督を務めるモントリオールへの加入でした。
2018シーズン中、彼はMLSで9試合に出場し、1得点を記録しました。当初、契約オプションは行使されないと報じられましたが、その後2018年12月25日に1年間の契約延長に合意し、2019シーズンもモントリオール・インパクトでプレーすることになりました。2019シーズンはMLSで26試合に出場し、1得点を挙げました。また、この年にチームはカナディアン・チャンピオンシップで優勝しました。2020年1月、サニャはTwitterでの投稿を通じて、前月をもってモントリオール・インパクトを退団したことを発表しました。
4. 代表経歴
バカリ・サニャは、ユースレベルからA代表まで、フランス代表として国際舞台で活躍しました。
4.1. ユース代表
サニャはフランスU-21代表として13試合に出場し、1得点を記録しました。彼は2006年のUEFA U-21欧州選手権にも参加し、チームはベスト4に進出しました。
4.2. A代表
サニャは2007年8月22日に行われたスロバキアとの親善試合で、フランソワ・クレールとの交代で途中出場し、フランスA代表デビューを果たしました。試合はフランスが1対0で勝利しました。同年10月13日、EURO2008予選のフェロー諸島戦ではフル出場し、フランスは6対0で大勝しました。しかし、2008年3月にアーセナルでのリーグ戦で右足の怪我を負ったため、本大会のメンバーには選出されませんでした。
怪我から復帰した後、サニャは2008年8月のスウェーデンとの親善試合で代表に復帰し、3対2のアウェイでの勝利にフル出場しました。これを機に、彼は2010 FIFAワールドカップ予選でフランス代表のレギュラーとして定着し、全試合で先発出場して本大会出場に貢献しました。しかし、本大会では「悲惨な」フランス代表の一員となり、開催国の南アフリカに2対1で敗れるなど、グループステージで敗退しました。
2012年5月5日に再び右足を骨折したため、彼はEURO2012への参加を断念せざるを得ませんでした。しかし、怪我からの復帰を経て、サニャは2014 FIFAワールドカップとUEFA欧州選手権2016にフランス代表として出場しました。EURO2016ではチームは準優勝を果たしました。サニャは2007年から2016年までフランス代表として活躍し、国際Aマッチ通算65試合に出場し、0得点という記録を残しました。
5. 人物
バカリ・サニャはセネガルからの移民である両親のもとに生まれ、自身もイスラム教徒として信仰を持っています。
彼のトレードマークとも言えるドレッドヘアは、実際にはヘアーエクステンションでした。これは、ある試合で彼が2得点を挙げたらエクステンションを着けるという父親との賭けに勝ったことから始まりました。この個性的な髪型は彼の代名詞となりましたが、2015年以降はエクステンションを外し、短髪でプレーするようになりました。
私生活では、オセール出身のフランス系アルジェリア人モデル、リュディヴィーヌ・カドリと結婚しています。二人の間には、2009年に長男エリアス、2013年に次男カイスが誕生しました。彼は2010年7月17日に故郷のヨンヌ県で結婚式を挙げ、チームメイトや親交のあったマルアーヌ・シャマフらが出席しました。サニャは家庭を大切にし、2009-10シーズンの最終節には長男エリアスを抱いてピッチを一周する姿も見られました。
また、レディングやトルコのAkhisar Belediyesporでプレーしたイブライマ・ソンコは彼の従兄弟にあたります。
サニャは社会貢献活動にも熱心であり、2011年3月31日には国際的な非営利団体「Grassroot Soccer」のアンバサダーに就任しました。この団体は、サッカーの力を利用してHIVの拡大防止のための教育、啓発、動員を地域社会で行っています。彼のチームメイトからは「バク(Bac)」という愛称で呼ばれていました。
6. 引退
バカリ・サニャは、2019年に36歳でプロサッカー選手としての引退を表明しました。
7. 達成と栄誉
バカリ・サニャがクラブおよび個人で達成した主要な優勝記録と受賞歴は以下の通りです。
クラブ
- オセール
- クープ・ドゥ・フランス: 2004-05
- アーセナル
- FAカップ: 2013-14
- フットボールリーグカップ準優勝: 2010-11
- マンチェスター・シティ
- フットボールリーグカップ: 2015-16
- モントリオール・インパクト
- カナディアン・チャンピオンシップ: 2019
個人
- リーグ・アン年間ベストイレブン: 2006-07
- オセール年間最優秀選手: 2006-07
- PFA年間ベストイレブン(プレミアリーグ): 2007-08、2010-11
国際
- UEFA欧州選手権準優勝: 2016
8. 経歴統計
8.1. クラブ
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | 大陸別大会 | 合計 | |||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
オセール | 2004-05 | リーグ・アン | 26 | 0 | 7 | 0 | 10 | 0 | 43 | 0 |
2005-06 | リーグ・アン | 23 | 0 | 3 | 0 | 1 | 0 | 27 | 0 | |
2006-07 | リーグ・アン | 38 | 0 | 3 | 0 | 10 | 0 | 51 | 0 | |
合計 | 87 | 0 | 13 | 0 | 21 | 0 | 121 | 0 | ||
アーセナル | 2007-08 | プレミアリーグ | 29 | 1 | 3 | 0 | 8 | 0 | 40 | 1 |
2008-09 | プレミアリーグ | 35 | 0 | 5 | 0 | 9 | 0 | 49 | 0 | |
2009-10 | プレミアリーグ | 35 | 0 | 1 | 0 | 8 | 0 | 44 | 0 | |
2010-11 | プレミアリーグ | 33 | 1 | 6 | 1 | 4 | 0 | 43 | 2 | |
2011-12 | プレミアリーグ | 21 | 1 | 2 | 0 | 6 | 0 | 29 | 1 | |
2012-13 | プレミアリーグ | 25 | 0 | 3 | 0 | 3 | 0 | 31 | 0 | |
2013-14 | プレミアリーグ | 35 | 1 | 4 | 0 | 9 | 0 | 48 | 1 | |
合計 | 213 | 4 | 24 | 1 | 47 | 0 | 284 | 5 | ||
マンチェスター・シティ | 2014-15 | プレミアリーグ | 9 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 16 | 0 |
2015-16 | プレミアリーグ | 28 | 0 | 6 | 0 | 11 | 0 | 45 | 0 | |
2016-17 | プレミアリーグ | 17 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | 25 | 0 | |
合計 | 54 | 0 | 12 | 0 | 20 | 0 | 86 | 0 | ||
ベネヴェント | 2017-18 | セリエA | 13 | 1 | - | - | 13 | 1 | ||
モントリオール・インパクト | 2018 | メジャーリーグサッカー | 9 | 1 | 0 | 0 | - | 9 | 1 | |
2019 | メジャーリーグサッカー | 26 | 1 | 5 | 0 | - | 31 | 1 | ||
合計 | 35 | 2 | 5 | 0 | - | 40 | 2 | |||
キャリア合計 | 402 | 7 | 54 | 1 | 88 | 0 | 544 | 8 |
8.2. 代表
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
フランス | 2007 | 2 | 0 |
2008 | 4 | 0 | |
2009 | 10 | 0 | |
2010 | 10 | 0 | |
2011 | 6 | 0 | |
2012 | 0 | 0 | |
2013 | 6 | 0 | |
2014 | 7 | 0 | |
2015 | 9 | 0 | |
2016 | 11 | 0 | |
合計 | 65 | 0 |