1. Club Career
パブロ・セサル・バリエントスのプロサッカー選手としてのキャリアは、母国アルゼンチンのクラブから始まり、ロシア、イタリア、メキシコ、ウルグアイのクラブへと広がった。怪我による困難を乗り越え、各チームで重要な役割を果たし、多くのタイトル獲得に貢献した。
1.1. Youth Career
バリエントスは、2001年から2002年までCAウラカンのユースチームでプレーした。その後、2003年にCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロのユースチームに加わり、同年中にクラブのトップチームに昇格し、プロとしてのキャリアをスタートさせた。
1.2. CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ(初期キャリア)
2003年にCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロでプロデビューを果たしたバリエントスは、すぐにアルゼンチンのこのクラブで自身の地位を確立した。そのパフォーマンスは、アルゼンチンU-20およびU-21代表への招集につながった。21歳になるまでに、リーグ戦で72試合に出場し7得点を記録した。彼の活躍は多くの移籍の噂を呼び、複数の欧州クラブが彼に関心を示した。2006年7月、バリエントスはロシアのFCモスクワへ移籍した。
1.3. FCモスクワ
ロシアへ移籍後、バリエントスはFCモスクワでレギュラーの座を確保するのに苦労した。ロシア・プレミアリーグでの2シーズンで、彼はリーグ戦33試合に出場し6得点を挙げた。
1.4. CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ(期限付き移籍)
FCモスクワでの活動後、バリエントスは2008-09シーズンに古巣のCAサン・ロレンソ・デ・アルマグロへ期限付き移籍した。この期間中、彼はリーグ戦21試合に先発出場し9得点を挙げるなど、印象的な活躍を見せた。
1.5. カルチョ・カターニア
FCモスクワへの復帰後、バリエントスは再び複数のクラブから注目を集めた。2009年5月、イタリアのセリエAに所属するカルチョ・カターニアとの契約が確定した。2009年5月30日、彼は正式にカターニアと2013年6月までの4年契約を締結した。しかし、彼は度重なる怪我に悩まされ、2010年5月までシチリアのクラブでのデビューを果たすことができなかった。
2010年5月9日に行われたボローニャFC戦で途中出場し、セリエAデビューを果たした。2009-10シーズン全体でカターニアでの出場は2試合のみ(いずれも途中出場)にとどまり、2010-11シーズン前半は全く試合に出場できなかった。このため、彼はアルゼンチンに戻り、エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタへ6ヶ月間の期限付き移籍をした。
期限付き移籍期間を終え、2011年7月にカターニアに復帰したバリエントスは、新監督ヴィンチェンツォ・モンテッラの下でチームの重要な一員となった。2012-13シーズンには、ローランド・マラン監督率いるチームの主力として、リーグ戦27試合に出場し5得点を記録した。彼はゴンサロ・ベルヘッシオ、アレハンドロ・ゴメス、ルーカス・カストロと共に、カターニアのアルゼンチン人攻撃陣を形成し、チームをヨーロッパリーグ出場圏争いに導いた。
バリエントスは、セリエAで38試合中56ポイントを獲得し、クラブ記録を更新したカターニアの一員だった。このシーズンには、単一シーズンにおけるホームでの最多勝利数、トップリーグでのシーズン全体での最多勝利数、そしてセリエAでの連続5シーズンにおける最多ポイント記録も更新した。
1.6. エストゥディアンテス・デ・ラ・プラタ(期限付き移籍)
カルチョ・カターニアに所属していた2010-11シーズン中に、バリエントスはアルゼンチンのエストゥディアンテス・デ・ラ・プラタへ6ヶ月間の期限付き移籍をした。この期間中、彼はリーグ戦7試合で5得点を挙げる活躍を見せた。
1.7. CAサン・ロレンソ・デ・アルマグロ(復帰)
2014年7月、バリエントスはプロデビューを飾ったサン・ロレンソに3度目の復帰を果たした。2014年から2016年にかけて、彼はリーグ戦で35試合に出場し3得点を記録した。
1.8. デポルティーボ・トルーカFC
2016年7月29日、バリエントスはメキシコのクラブ、デポルティーボ・トルーカFCと契約した。トルーカでは、2016-17シーズンにリーグ戦35試合で8得点、カップ戦6試合で無得点、2017-18シーズンにはリーグ戦26試合で2得点、カップ戦7試合で1得点を記録した。
1.9. クラブ・ナシオナル・デ・フットボル
トルーカでの活躍後、バリエントスはウルグアイのクラブ・ナシオナル・デ・フットボルに所属した。2019年から2020年にかけての期間中、彼は12試合に出場したが、得点は記録されなかった。
1.10. 後期キャリアと引退
クラブ・ナシオナル・デ・フットボルでのプレーを経て、バリエントスは2020年2月にプロサッカーからの引退を表明した。しかし、同年10月には、故郷コモドーロ・リバダビアの元ユースクラブであるホルヘ・ニューベリー・デ・コモドーロ・リバダビアで現役復帰を果たした。
2021年1月に三度目の捻挫を負った後、バリエントスは2021年2月18日に選手としての完全引退を発表した。その1週間後、クラブの副会長でありパブロの兄であるレオ・バリエントスが、パブロがクラブの経営陣に加わることを公表した。
2. International Career
バリエントスは、アルゼンチンU-20代表として15試合に出場し、6得点を記録した。2008年11月15日、当時のアルゼンチン代表監督アルフィオ・バシレによってA代表に招集され、チリ代表戦でデビューした。2009年から2011年にかけて、アルゼンチンA代表として合計1試合に出場した。
3. Personal Life
パブロ・バリエントスの兄であるウーゴ・バリエントスもまたプロサッカー選手である。
4. Career Statistics
| クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | リーグカップ | その他 | 合計 | ||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
| モスクワ | 2006 | ロシア・プレミアリーグ | 8 | 2 | 0 | 0 | - | - | 8 | 2 | ||
| 2007 | 30 | 4 | 0 | 0 | - | - | 30 | 4 | ||||
| 2008 | 4 | 0 | 0 | 0 | - | - | 4 | 0 | ||||
| 合計 | 42 | 6 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 42 | 6 | ||
| サン・ロレンソ (期限付き移籍) | 2008-09 | アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン | 21 | 8 | 0 | 0 | - | 2 | 1 | 23 | 9 | |
| カターニア | 2009-10 | セリエA | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||
| 2010-11 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||||
| 2011-12 | 25 | 4 | 1 | 0 | - | - | 26 | 4 | ||||
| 2012-13 | 31 | 5 | 4 | 0 | - | - | 35 | 5 | ||||
| 2013-14 | 28 | 5 | 0 | 0 | - | - | 28 | 5 | ||||
| 合計 | 86 | 14 | 7 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 93 | 14 | ||
| エストゥディアンテス (期限付き移籍) | 2010-11 | アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン | 13 | 0 | 0 | 0 | - | 6 | 2 | 19 | 2 | |
| サン・ロレンソ | 2014 | アルゼンチン・プリメーラ・ディビシオン | 12 | 1 | 0 | 0 | - | 5 | 1 | 17 | 2 | |
| 2015 | 22 | 1 | 2 | 0 | - | 5 | 0 | 29 | 1 | |||
| 2016 | 13 | 1 | 0 | 0 | - | 6 | 2 | 19 | 3 | |||
| 合計 | 47 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 16 | 3 | 65 | 6 | ||
| トルーカ | 2016-17 | リーガMX | 35 | 8 | 6 | 0 | - | - | 41 | 8 | ||
| 2017-18 | 26 | 2 | 7 | 1 | - | - | 33 | 3 | ||||
| 合計 | 61 | 10 | 13 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 74 | 11 | ||
| キャリア合計 | 270 | 41 | 22 | 1 | 0 | 0 | 24 | 6 | 316 | 48 | ||
5. Honors
バリエントスがキャリアで獲得した主なタイトルは以下の通りである。
- サン・ロレンソ
- コパ・リベルタドーレス: 2014
- スーペルコパ・アルヘンティーナ: 2015
- ナシオナル
- トルネオ・クラウスーラ: 2019
- ウルグアイ・プリメーラ・ディビシオン: 2019