1. 生涯
パブロ・ポソは、チリのサッカー界に深く関わる家庭に生まれ、自身も若くして審判の道を歩み始めた。
1.1. 生い立ちと家族
パブロ・アントニオ・ポソ・キンテロスは1973年3月27日、チリのオイギンス州で生まれた。彼の家族はサッカー審判員としての伝統を持つ。父親のフアンと弟のニコラスもプロのサッカー審判員である。また、兄のマウリシオは元チリ代表のサッカー選手として活躍した。ポソ自身の身長は177 cmである。
1.2. 審判員としてのキャリア開始
ポソは1999年にFIFAから国際審判員の資格を取得した。国際舞台での最初の主審としての活動は、2003年9月10日に開催された2006 FIFAワールドカップ南米予選のボリビア対コロンビア戦であった。国内では主にチリ・プリメーラ・ディビシオンで活動し、その経験を積んで国際的なキャリアへと繋げていった。
2. 主な活動と業績
パブロ・ポソは、そのキャリアを通じて数多くの重要な国際サッカー大会で主審を務め、その公正な裁きで評価された。
2.1. 国際大会での審判活動
ポソは、若年層の国際大会から主要なA代表の大会に至るまで、幅広い国際大会で審判を務めた。
2.1.1. 2008年北京オリンピック
2008年北京オリンピックのサッカー競技では、以下の3試合を担当した。
- グループB: オランダ 対 ナイジェリア
- グループC: ニュージーランド 対 ベルギー
- 準決勝: ナイジェリア 対 ベルギー
2.1.2. 2008 FIFAクラブワールドカップ
2008年FIFAクラブワールドカップでは、以下の2試合を担当した。
- 準々決勝: アデレード・ユナイテッド 対 ガンバ大阪
- 3位決定戦: パチューカ 対 ガンバ大阪
2.1.3. 2009 FIFAコンフェデレーションズカップ
2009年FIFAコンフェデレーションズカップでは、グループステージの以下の2試合を担当した。
- アメリカ合衆国 対 イタリア
- スペイン 対 南アフリカ共和国
2.1.4. 2010 FIFAワールドカップ
2010年南アフリカワールドカップにおいて、ポソは1998年大会で審判を務めたマリオ・サンチェス・ヤンテン以来、チリ人としてワールドカップで審判を担当する初の人物となった。当初、2010年6月13日にヨハネスブルグのエリス・パーク・スタジアムで行われるアルジェリア対スロベニアのグループステージの試合を担当する予定であったが、試合の数日前に負傷したため、FIFAはグアテマラのカルロス・バトレスを代替審判に指名した。
しかし、ポソはその後回復し、以下の2試合で主審を務めた。
- グループG: ポルトガル 対 朝鮮民主主義人民共和国(ケープタウンのケープタウン・スタジアムにて6月21日開催)
- グループE: カメルーン 対 オランダ(同会場にて開催)
2.1.5. その他の国際大会
ポソは、上記以外にも様々な国際大会で審判を務めた。
- 1999年南米U-17サッカー選手権
- 2001年南米ユース選手権
- 2004年CONMEBOLプレオリンピック男子トーナメント
- 2005年南米ユース選手権
- 2007年パンアメリカン競技大会(サッカー競技)
- 2009 FIFA U-17ワールドカップ
3. 私生活
サッカー審判員としての活動の傍ら、パブロ・ポソは実業家としても知られている。彼は監査委員としての職務も兼任していた。
4. 引退
パブロ・ポソは2010年12月19日に行われたアウダックス・イタリアーノ対ウニオン・エスパニョーラの試合を最後に、審判員としてのキャリアを終えた。
5. 評価と影響
パブロ・ポソは、長年にわたり国際舞台で活躍したチリを代表する審判員の一人である。彼が2010年ワールドカップで審判を務めたことは、チリのサッカー界にとって重要な出来事であり、彼の家族が審判員を多く輩出していることも含め、チリの審判界の発展に貢献したと評価されている。彼の公正な審判は、多くの国際試合で円滑な進行を支え、そのキャリアはチリのサッカー史に名を刻んでいる。