1. 概要
フィデル・ウリアルテ(Fidel Uriarte Machoフィデル・ウリアルテ・マチョスペイン語)は、スペイン・バスク州のセスタオ出身の元サッカー選手、サッカー指導者である。主にフォワードとして活躍し、そのキャリアの大部分をアスレティック・ビルバオで過ごした。彼はラ・リーガのピチーチ賞を1967-68シーズンに受賞し、コパ・デル・レイを2度制覇するなど、アスレティック・ビルバオの歴史において100以上の公式戦ゴールを記録した忘れがたい選手として記憶されている。選手引退後は指導者としても活動し、アスレティック・ビルバオの下部組織やビジャレアルCFなどで監督を務めた。2016年12月19日に71歳で死去した。
2. 生涯
フィデル・ウリアルテは、選手として目覚ましい活躍を見せ、指導者としてもその経験を次世代に伝えた。
2.1. 幼少期と教育
フィデル・ウリアルテ・マチョは、1945年3月1日にビスカヤ県のセスタオで生まれた。身長は174 cm。彼は幼い頃からサッカーに親しみ、1960年から1962年にかけてアスレティック・ビルバオのユースチームで育成された。
2.2. 初期キャリア
17歳という若さでアスレティック・ビルバオのトップチームに昇格し、1962年9月23日に行われたCDマラガ(現在のマラガCFの前身)とのアウェイ戦でラ・リーガデビューを果たした(結果は0-2で敗戦)。21歳を迎えた1965-66シーズン終了時には、すでにリーグ戦で100試合に出場し、14ゴールを記録するなど、若くしてチームの主力としての地位を確立した。
3. 主な活動と功績
フィデル・ウリアルテは、選手として輝かしいキャリアを築き、引退後も指導者としてサッカー界に貢献した。
3.1. クラブキャリア
ウリアルテは、選手キャリアの大部分をアスレティック・ビルバオで過ごした。
- アスレティック・ビルバオ
- 1967-68シーズンには、リーグ戦わずか24試合の出場で自己最多となる22ゴールを挙げ、ラ・リーガのピチーチ賞(得点王)を獲得した。このシーズン、アスレティックはリーグ7位で終えた。
- 特に1967年12月31日には、レアル・ベティスとのホームゲームで8-0の大勝に貢献し、そのうち5ゴールに絡む活躍を見せた。
- クラブ在籍中にコパ・デル・レイを2度制覇した(1969年、1972-73シーズン)。
- 1974年にアスレティックを退団するまでに、公式戦通算389試合に出場し、121ゴールを記録した。
- CDマラガ
- 1974年、ウリアルテはCDマラガに移籍した。
- マラガでの在籍期間中、チームは1度の昇格と2度の降格を経験した。
- この時期、彼はしばしばスウィーパーとしてプレーした。
- 1977年、32歳で現役を引退した。
3.2. 代表キャリア
ウリアルテはスペイン代表として4年間で9試合に出場した。
- 1968年2月28日、セビリアで行われたスウェーデン代表との親善試合でA代表デビューを果たした。
- 1971年2月20日に行われたイタリア代表との親善試合では、アウェイでの2-1の勝利に貢献する唯一の代表ゴールを記録した。
- A代表以外にも、1962年から1963年にかけてU-18スペイン代表で5試合に出場(0得点)、1967年から1970年にかけてU-23スペイン代表で4試合に出場(1得点)、1963年から1964年にかけてスペインアマチュア代表で7試合に出場(5得点)している。
3.2.1. 代表での得点
# | 日付 | 場所 | 相手 | スコア | 最終結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1. | 1971年2月20日 | イタリア カリアリ サンテルモ | イタリア | 0-2 | 1-2 | 親善試合 |
3.3. 指導者キャリア
現役引退後、ウリアルテは指導者の道に進んだ。
- アスレティック・ビルバオのリザーブチームやユースチームの監督を歴任した。
- 1978年にはセスタオRCの監督を務めた。
- 1990年から1991年、そして1991年から1992年にかけては、アスレティック・ビルバオのトップチームでコーチを務めた。
- 1991年と1993年から1994年にはビルバオ・アスレティックの監督を務めた。
- 1992年から1993年にはアスレティック・ビルバオの下部組織で指導にあたった。
- 1995年にはビジャレアルCFの監督を務めた。
4. 私生活
フィデル・ウリアルテには、弟のガブリエル・ウリアルテもサッカー選手であった。ガブリエルもフォワードの選手で、主にバレンシアCFのリザーブチームでプレーしていた。
5. 死去
フィデル・ウリアルテは、長きにわたる闘病生活の末、2016年12月19日にビスケー湾沿岸のカストロ・ウリアルデスで死去した。享年71歳であった。
6. 栄誉と評価
フィデル・ウリアルテは、その選手としての功績により、スペインサッカー史に名を刻んだ。
6.1. 主な栄誉
- クラブ
- アスレティック・ビルバオ
- コパ・デル・ヘネラリシモ:1969年、1972-73シーズン(2回)
- アスレティック・ビルバオ
- 個人
- ピチーチ賞:1967-68シーズン(1回)
6.2. 評価と影響
フィデル・ウリアルテは、特にアスレティック・ビルバオにおいて「忘れがたい選手」として評価されている。彼の1967-68シーズンのピチーチ賞獲得は、クラブの歴史における重要な功績の一つであり、彼の得点能力とチームへの貢献は高く評価されている。また、2度のコパ・デル・レイ優勝に貢献したことは、彼が単なる個人技に優れた選手ではなく、チームの成功に不可欠な存在であったことを示している。引退後も指導者として後進の育成に尽力し、その経験を伝えることでスペインサッカー界に影響を与え続けた。