1. Overview

ブラニスラヴ・レシック(Бранислав ЛечићBranislav Lečićセルビア語、1955年8月25日 - )は、セルビアの俳優、監督、学者、作家、政治家です。彼は、強い道徳的正義感を持つ感情的に傷つきやすいキャラクターを多才に演じることで知られ、1986年の12話構成ミニシリーズ『Sivi dom』での反抗的な「ツルニ」(Crni)役で広く名声を得ました。
キャリアを通じて最も多作なセルビア人俳優の一人として確立され、映画では『沈黙の火薬』(1990年)のラデキッチ王立軍将校役、『プロフェッショナル』(2003年)の文学教授テオドール・クライ役、そして『St. George Shoots the Dragon』(2008年)のエキセントリックなタシッチ船長役などで高い評価を受けています。舞台演劇においても広範な活動を行い、数々の賞と批評家の称賛を得ています。政治活動にも積極的に参加し、2001年から2004年には文化・メディア大臣を務めるなど、公共の場での貢献も多岐にわたります。本記事では、彼の多岐にわたるキャリアを中道左派的な視点から詳細に掘り下げます。
2. 生い立ちと学業
ブラニスラヴ・レシックは1955年8月25日にセルビアのシャバツで生まれました。彼はベオグラード芸術大学のベオグラード演劇芸術学部で演技を学び、1978年に俳優として卒業しました。
3. 俳優としてのキャリア
ブラニスラヴ・レシックは、映画、テレビ、舞台、声優業といった多岐にわたる分野で、セルビアにおける最も多作で影響力のある俳優の一人としての地位を確立してきました。彼の初期の活動から名声獲得、主要な映画やテレビドラマでの役割、舞台演劇と演出活動、そして声優としての活動まで、その広範なキャリアを以下に詳述します。
3.1. 初期の活動と名声の獲得
レシックは1977年の映画『Specijalno vaspitanje』(特別な教育)で反抗的な少年ヴァーニャ役を演じ、主演デビューを果たしました。この演技はスラヴェン・イヴァノヴィッチ、ガヴリロ・ミリヴォイェヴィッチ、サヴォ・ミロサヴリェヴィッチ、ドラガン・バエティッチ、ゴラン・ヨヴァノヴィッチといった批評家たちから高く評価されました。特にヨヴァノヴィッチは、レシックが若くリベラルな反逆者役にタイプキャストされる可能性を懸念するほどでした。その後、『Hajduk』(1980年)や『Dečko koji obećava』(1981年)で助演を務め、彼の感情と演技の幅広さを成熟した形で示しました。
1982年の『Direktan prenos』での主演を経て、彼の演技の頂点は1986年のテレビシリーズ『Sivi dom』における象徴的な役柄「ツルニ」(Crni)で訪れました。この作品では、バタ・ジヴォイノヴィッチやドラガン・ニコリッチといった演技界の巨匠たちと共演し、レシックは瞬く間に国民的な存在となり、「ツルニ」役はバルカン半島で伝説的な役柄として認識されています。
3.2. 主な映画とテレビドラマでの役割
『Sivi dom』での名声確立後、レシックは『My Uncle's Legacy』(1988年)でファビヤン・ショヴァゴヴィッチとフィリップ・ショヴァゴヴィッチと共に主演しました。その後、1990年の映画『沈黙の火薬』で王立軍将校ラデ・ラデキッチ役を演じ、一躍大陸的な名声を得ました。この演技により、彼はプーラ映画祭の金のアレナ賞 最優秀男優賞と、第17回モスクワ国際映画祭で銀の聖ゲオルギー賞最優秀男優賞を受賞しました。
1991年には、詩人アレクサ・シャンティッチの生涯を描いた伝記的テレビドラマ『Moj brat Aleksa』でシャンティッチを演じ、ヨーロッパ、特にボスニアにおけるロマン主義運動に対する深い共感を示しました。2002年には映画『ラビリンス』で主演し、ノヴィ・サド文化演劇祭で映画における傑出した業績に対してアポロ賞を受賞しました。2003年には、映画『プロフェッショナル』でセルビア語文学教授テオドール「テダ」・クライとして主役を務め、この作品はヤスミナ・アフメタギッチやムハレム・ペルヴィッチを含む普遍的な批評家の絶賛を博しました。2008年には『St. George Shoots the Dragon』でタシッチ船長を演じ、ラザル・リストフスキー、ゾラン・ツヴィヤノヴィッチ、ボラ・トドロヴィッチらと共演しました。
また、レシックはボリス・マラグルスキ監督のドキュメンタリー映画『The Weight of Chains』(2011年)にも出演しています。
3.3. 舞台演劇と演出活動
レシックは演劇においても多大な成功を収め、数々の賞を受賞しています。彼は旧ユーゴスラビアの演劇に影響を与えた最も重要な劇団のいくつか、たとえばベオグラード国立劇場やユーゴスラビア・ドラマ劇場の創設者の一人であり、その中心的な俳優を務めました。アトリエ212劇場、スプリト・クロアチア国立劇場、ドゥブロヴニクのレクター宮殿など、幅広い劇場でコメディからドラマまで多岐にわたる役柄を演じています。特にアントン・チェーホフの『ワーニャ伯父さん』やウィリアム・シェイクスピアの『ハムレット』といった著名な舞台作品で主役を務めました。彼はまた、自身のレック・アート劇場で演劇の演出も手がけています。
3.4. 声優およびその他の活動
レシックは詩の朗読、オーディオブックのナレーション、ラジオドラマの収録も行っています。さらに、多くのアニメ映画のセルビア語吹き替え版で声優を務めており、例えば『インサイド・ヘッド』の「イカリ」や『スパイダーマン:スパイダーバース』の「スパイダーマン・ノワール」の声を担当しました。
音楽活動としては、モンテネグロのシンガーソングライタークネズとのコラボレーションで、セルビア語のバラード『Bubamara』にボーカルとドラマチックな解釈を提供しました。
4. 政治家としてのキャリア
ブラニスラヴ・レシックは俳優業の傍ら、セルビアの政治生活にも積極的に参加し、民主主義の進展と社会の変革のために活動しました。

4.1. 政治運動への参加
彼はスロボダン・ミロシェヴィッチ政権時代に「プラッシュ革命」(Plišana revolucija)と呼ばれる政治運動のリーダーを務めました。この運動は、ミロシェヴィッチ大統領に対する国民の不満が高まる中で、平和的な抗議活動を通じて民主化を求めるものでした。彼の指導力は、国民の自由と人権を求める動きに重要な役割を果たしました。
4.2. 公職と党職
2000年のセルビア民主化運動(DOS)による大統領選挙勝利後、レシックは故ゾラン・ジンジッチ内閣で文化・メディア大臣に任命され、2001年から2004年までその職を務めました。この期間中、彼は国の文化政策に影響を与え、芸術と情報へのアクセスを向上させるための取り組みを行いました。チェドミール・ヨヴァノヴィッチがセルビア民主党を離党した際、レシックも彼に続き、自由民主党(LDP)の創設者の一人となりました。しかし、その後まもなくLDPを離党し、自身の政治運動「モヤ・セルビア」(Moja Srbija、私のセルビア)を設立し、2008年のセルビア総選挙に参加しました。
2010年初頭には、彼の党はセルビア・キリスト教民主党に合流しました。同党の創設者であり長年の指導者であったヴラダン・バティッチが長期にわたる癌性疾患により死去した後、レシックはDHSS党の党首に選出され、党の指導者として活動を続けました。
5. 学術活動と人道支援
レシックはベオグラード芸術大学のベオグラード演劇芸術学部で、発声と演技の指導を行っており、次世代の俳優の育成にも貢献しています。これは彼の学者としての重要な側面です。
彼はまた、積極的でリベラルな人道支援活動家でもあり、同僚で友人のマルコ・ジヴィッチを含む様々な慈善団体と協力して活動してきました。彼は社会の脆弱な立場にある人々を支援し、慈善事業を通じて社会貢献に尽力しています。
6. 私生活
レシックは最初の結婚でイヴァナ・ヴヤディノヴィッチとの間に息子イヴァンと娘アナをもうけました。イヴァナはミス・ユーゴスラビアの元受賞者であるボヤナ・ヴヤディノヴィッチの姉です。その後、彼はテレビプレゼンターのニナ・ラドゥロヴィッチと結婚し、息子ラヴをもうけましたが、2016年に別居し、2017年に正式に離婚しました。
7. 論争
2021年3月22日、女優ダニエラ・シュタインフェルトが、2012年にレシックからレイプされたと告発したことが明らかになりました。同日には、レシックとシュタインフェルトの間で、この疑惑のレイプについて話し合っていると思われる電話の音声記録が公開されました。この告発は、セルビア社会に大きな波紋を広げました。しかし、2021年7月13日、検察庁はシュタインフェルトの刑事告発を却下しました。
8. 出演作品一覧
ここでは、ブラニスラヴ・レシックの主な出演作品を映画、テレビドラマ、セルビア語吹き替えに分類して示します。彼の多岐にわたるキャリアを反映した作品群です。
8.1. 映画
年 | タイトル | 役名 |
---|---|---|
1978 | Hajduk | カペタン・トポラツ |
1987 | オクトーバーフェスト | レピ |
1988 | My Uncle's Legacy | ヴィンコ・マグリツァ |
1989 | コソボの戦い | バヤズィト |
1990 | Silent Gunpowder | ミロシュ・ラデキッチ |
1991 | チャルーガ | ツルヴェニ・ボジョ |
1993 | Three Tickets to Hollywood | ガヴリロ |
1995 | アンダーグラウンド | ムスタファ |
2002 | ラビリンス | ミラン・アクセンチエヴィッチ |
2003 | プロフェッショナル | テオドール・テヤ・クライ |
2008 | St. George Shoots the Dragon | カペタン・タシッチ |
8.2. テレビドラマ
年 | タイトル | 役名 | 備考 |
---|---|---|---|
1985 | Price iz fabrike | イヴァン・ジャコヴィッチ | |
1986 | Sivi dom | ツルニ | 7話 |
1987 | ヴク・カラジッチ | ハイデュク・ヴェリコ | 4話 |
1998-2005 | Porodicno blago | リュボミル・スタルチェヴィッチ - リュバ・リス | |
2007-2008 | Vratiće se rode | ペラ | |
2013-2015 | Zvezdara | ストーレ「ステンリー」 | |
2018-2019 | Pogrešan čovjek | ディミトリエ・ツルンコヴィッチ | |
2021 | Alexander of Yugoslavia | ニコラ・パシッチ | |
8.3. セルビア語吹き替え
年 | 映画 | 役名 |
---|---|---|
2002 | アラジン完結編 盗賊の王 | サルーク |
2003 | モンスターズ・インク | ヘンリー・J・ウォーターヌース |
2003 | ファインディング・ニモ | チャム |
2004 | わんわん物語 | ジム・ディア |
2005 | ホーム・オン・ザ・レンジ にぎやか農場を救え! | ラリー・ザ・ダック |
2007 | サーフズ・アップ | レジー・ベラフォンテ |
2007 | ザ・シンプソンズ MOVIE | ネッド・フランダース バーニー・ガンブル ジュリアス・ヒバート医師 |
2008 | カンフー・パンダ | タイ・ラング |
2009 | アイス・エイジ3/ティラノのおとしもの | バック |
2013 | 怪盗グルーのミニオン危機一発 | エドゥアルド「エル・マッチョ」・ペレス |
2015 | インサイド・ヘッド | イカリ |
2016 | アイス・エイジ5/止めろ! 惑星大衝突 | バック |
2018 | スパイダーマン:スパイダーバース | スパイダーマン・ノワール |
9. 受賞と評価
ブラニスラヴ・レシックは、その芸術的功績に対して数々の重要な賞と栄誉を受けてきました。
- 金のアレナ賞 最優秀男優賞**:1990年の映画『沈黙の火薬』での演技に対して。
- 銀の聖ゲオルギー賞 最優秀男優賞**:同作品『沈黙の火薬』での演技に対して、第17回モスクワ国際映画祭で受賞。
- アポロ賞**:2002年の映画『ラビリンス』での卓越した業績に対して、ノヴィ・サド文化演劇祭で受賞。
彼はまた、そのキャリアを通じて舞台演劇においても多大な成功を収め、「数々の賞と批評家の称賛」を受けています。旧ユーゴスラビアの演劇界に大きな影響を与えた「最も重要な劇団のいくつか」の創設者の一人として認識されており、その功績は広く認められています。
10. 遺産と評価
ブラニスラヴ・レシックは、セルビアの文化と政治において多大な影響を与えた人物です。彼の芸術的キャリアは、特に「ツルニ」役での象徴的な演技や、「プロフェッショナル」での文学教授役など、感情的に複雑なキャラクターを深く掘り下げる能力によって際立っています。彼は、舞台演劇の発展にも寄与し、複数の重要な劇団の創設に携わるなど、俳優としてだけでなく、演出家としてもその才能を発揮しました。これらの活動を通じて、彼はセルビアの演劇界に革新をもたらし、多様な表現の可能性を広げました。
政治においては、スロボダン・ミロシェヴィッチ政権下の「プラッシュ革命」におけるリーダーシップを通じて、民主化への貢献を示しました。その後、文化・メディア大臣としての任期中には、国の文化政策に影響を与え、新たな政治勢力の形成にも関与しました。彼の政治的活動は、表現の自由と民主的価値の擁護という観点から、中道左派的な視点によって高く評価されるべきです。
彼の多岐にわたる活動と、芸術的および政治的貢献は、セルビア社会に永続的な遺産を残しており、その評価は今後も様々な観点から続けられるでしょう。