1. 生涯
ペルッティ・カルピネンは、その競技キャリアを通じて数々の偉業を成し遂げたが、その始まりはフィンランドの故郷にあった。
1.1. 出生と幼少期
カルピネンは1953年2月17日にフィンランドのアスカイネンで生まれた。彼の出身地はトゥルク・ポリ州南西スオミ県である。身長は201 cm、体重は98 kgから102 kgであった。
1.2. 初期活動
カルピネンは、ナーンタリのクラブ「Nesteen Soutajat」に所属し、ボート競技のキャリアをスタートさせた。彼は若くしてその才能を開花させ、やがて国際舞台へと活躍の場を広げていくことになる。
2. 主な活動と功績
カルピネン選手の競技キャリアは、特にオリンピックでの圧倒的な強さと、世界選手権での安定した成績によって特徴づけられる。また、彼の独特のレーススタイルと、長年のライバルとの激しい戦いも、彼の功績を語る上で欠かせない要素である。
2.1. オリンピック3連覇
カルピネンは、シングルスカル種目において、ボート競技史上初のオリンピック3大会連続金メダルという歴史的な偉業を達成した。

- 1976年モントリオールオリンピック:初の金メダルを獲得。この大会では、ライバルであるペーター=ミヒャエル・コルベがレースを終始リードしていたにもかかわらず、ゴール直前の数メートルで彼を抜き去り、劇的な勝利を収めた。
- 1980年モスクワオリンピック:2度目の金メダルを獲得。この大会では、西ドイツがソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻に抗議してオリンピックをボイコットしたため、コルベとの直接対決は実現しなかった。
- 1984年ロサンゼルスオリンピック:3度目の金メダルを獲得。この大会でも、1976年と同様にコルベがレースをリードする展開となったが、カルピネンは再びゴール直前でコルベを逆転し、金メダルを手にした。
この3連覇は、ロシアのヴャチェスラフ・イワノフと並び、男子シングルスカルで3大会連続金メダルを獲得した唯一の選手としての地位を確立した。
2.2. 世界選手権メダル
カルピネンはオリンピックでの輝かしい成績に加え、世界ボート選手権でも複数のメダルを獲得し、その実力を証明した。
2.2.1. シングルスカル
シングルスカル種目では、以下のメダルを獲得している。
- 金メダル:1979年世界ボート選手権(ブレッド)、1985年世界ボート選手権(ハーゼウィンケル)
- 銀メダル:1977年世界ボート選手権(アムステルダム)、1986年世界ボート選手権(ノッティンガム)
- 銅メダル:1987年世界ボート選手権(コペンハーゲン)
- 10位:1990年世界ボート選手権
2.2.2. ダブルスカル
シングルスカルに加えて、カルピネンは弟のレイマ・カルピネンと共にダブルスカル種目にも出場した。
- 銀メダル:1981年世界ボート選手権(ミュンヘン)
- 8位:1991年世界ボート選手権
2.3. レーススタイルと記録
カルピネンのレーススタイルは非常に独特であった。彼は序盤にスピードを抑え、ライバルに数艇身の差をつけられることも少なくなかった。しかし、レースの後半、特にゴール直前で驚異的なスプリントを爆発させ、相手を抜き去るという劇的な展開を何度も演じた。この「後半追い込み型」のスタイルは、彼の代名詞ともなった。
また、彼はインドアローイングにおいても一度世界記録を樹立している。
2.4. 主要なライバル関係
カルピネンと西ドイツのボート選手ペーター=ミヒャエル・コルベとのライバル関係は、ボート競技の歴史において最も偉大なものの一つとして広く認識されている。コルベはオリンピックと世界選手権でカルピネンよりも多くのメダルを獲得したが、オリンピックの金メダルだけは一度も手にすることができなかった。
両者の間で特に記憶に残る対決は、1976年モントリオールオリンピックと1984年ロサンゼルスオリンピックである。これらのレースでは、コルベが終始リードを保っていたにもかかわらず、カルピネンがゴール直前の数メートルで劇的な逆転勝利を収め、コルベは銀メダルに終わった。
1980年モスクワオリンピックでは、西ドイツがソビエト連邦によるアフガニスタン侵攻に抗議して大会をボイコットしたため、両者の対決は実現しなかった。
2.5. 後期のオリンピック出場
カルピネンは、1984年のロサンゼルスオリンピックでの3連覇後も競技生活を続け、さらに2度のオリンピックに出場した。
- 1988年ソウルオリンピック:この大会でカルピネンは決勝進出を逃し、順位決定戦で7位に終わった。一方、ライバルのコルベは決勝に進出し、トーマス・ランゲに敗れたものの、3度目の銀メダルを獲得した。
- 1992年バルセロナオリンピック:カルピネンにとって最後のオリンピック出場となったこの大会では、10位という結果に終わった。
3. 現役引退後の活動
競技生活を引退した後も、ペルッティ・カルピネンはボート競技との関わりを続けている。
3.1. コーチとしての活動
カルピネンは現在、フィンランドのナショナルボートチームのコーチとして活動している。また、自身の子供たちである息子のユホ・カルピネンと娘のエーヴァ・カルピネンも国際レベルでボート競技に参加しており、彼らを指導している。
4. 評価と影響
ペルッティ・カルピネンは、その卓越した競技能力と精神力により、ボート競技史にその名を刻んだ。
4.1. 同時代の選手との比較と評価
カルピネンは、ヴャチェスラフ・イワノフ(ロシア)と並び、男子シングルスカルで3大会連続オリンピック金メダルを獲得した唯一の選手である。これは、彼の競技における支配的な地位と、長期にわたる一貫したパフォーマンスを明確に示している。
特にペーター=ミヒャエル・コルベとのライバル関係は、ボート競技における最も象徴的なものの一つとして語り継がれている。コルベが世界選手権やオリンピックでより多くのメダルを獲得したにもかかわらず、カルピネンがオリンピックの金メダルを3度も獲得した事実は、彼が最も重要な舞台で最高のパフォーマンスを発揮できる「勝負強さ」を持っていたことを示している。彼の独特なレーススタイル、特に後半の驚異的な追い上げは、多くのファンを魅了し、ボート競技の歴史に深い印象を残した。カルピネンは、単なるメダルコレクターではなく、その競技哲学と劇的なレース展開で、ボート競技の魅力を世界に伝えた選手として高く評価されている。