1. 概要
ポール・リチャード・ハルモス(Halmos Pálハルモス・パールハンガリー語)は、ハンガリー生まれのアメリカ人数学者であり、数理論理学、確率論、作用素論、エルゴード理論、関数解析学(特にヒルベルト空間論)といった多岐にわたる分野で基礎的な貢献をしました。彼はまた、数学の概念を非常に明快かつ魅力的に伝える卓越した解説者としても広く知られています。その功績から、彼は「火星人」の一人とも評されています。
2. 生い立ちと教育
ポール・リチャード・ハルモスは1916年3月3日にハンガリー王国(現在のブダペスト)のユダヤ系家庭に生まれました。13歳の時にアメリカ合衆国へ移住しましたが、生涯を通じてハンガリー語のアクセントが残っていたと言われています。彼はイリノイ大学アーバナ・シャンペーン校で学士号(B.A.)を取得し、数学を専攻しながら哲学の学位取得要件も満たしていました。わずか3年間で学位を取得したため、卒業時は19歳でした。その後、彼は同大学のシャンペーン・アーバナキャンパスで哲学の博士課程に進みましたが、修士課程の口頭試験に不合格となったため、専攻を数学に変更しました。そして1938年に博士号を取得しました。彼の博士論文の題目は「ある種の確率的変換の不変量:ギャンブルのシステムの数学的理論(Invariants of Certain Stochastic Transformations: The Mathematical Theory of Gambling Systems)」であり、ジョゼフ・L・ドゥーブが指導教官を務めました。
3. 経歴
博士号取得後まもなく、ハルモスは職も助成金もないままプリンストン高等研究所へ向かいました。半年後、彼はジョン・フォン・ノイマンの下で働くことになり、この経験は彼にとって決定的なものとなりました。高等研究所に在籍中、ハルモスは初の著書である『有限次元ベクトル空間(Finite Dimensional Vector Spaces)』を執筆しました。この著作は、彼が数学の優れた解説者としての評判を確立するきっかけとなりました。
彼は1967年から1968年にかけてダブリン大学トリニティ・カレッジのドネゴール数学講師を務めました。その後、シラキュース大学、シカゴ大学(1946年 - 1960年)、ミシガン大学(1961年頃 - 1967年)、ハワイ大学(1967年 - 1968年)、インディアナ大学(1969年 - 1985年)、カリフォルニア大学サンタバーバラ校(1976年 - 1978年)など、多くの大学で教鞭を執りました。1985年にインディアナ大学を退職してからは、死去する2006年までサンタクララ大学の数学科に所属しました。
4. 数学的貢献
ハルモスは、数理論理学、確率論、作用素論、エルゴード理論、関数解析学(特にヒルベルト空間論)など、多岐にわたる数学分野で根本的な研究成果と貢献を残しました。
4.1. ポリディック代数
ハルモスは、1962年の著書『代数論理(Algebraic Logic)』に再録された一連の論文の中で、一階述語論論理の代数版であるポリディック代数(polyadic algebra)を考案しました。これは、アルフレト・タルスキとその弟子たちによるより広く知られたシリンダー代数(cylindric algebra)とは異なるものです。ポリディック代数の初等的なバージョンは、単項ブール代数(monadic Boolean algebra)で記述されています。
5. 解説能力と著書
ハルモスは、数学の概念を明瞭かつ魅力的に伝える卓越した解説能力で知られています。彼は多くの主要な数学書を執筆し、その教育的・著述的功績に対して数々の賞を受賞しました。
5.1. 主要著書
ハルモスは数多くの著書を出版しており、その多くが数学教育に大きな影響を与えました。
- 1942年:『有限次元ベクトル空間(Finite-Dimensional Vector Spaces)』 - スプリンガー・フェアラーク。彼の解説者としての評価を確立しました。
- 1950年:『測度論(Measure Theory)』 - スプリンガー・フェアラーク。
- 1951年:『ヒルベルト空間入門とスペクトル多重度の理論(Introduction to Hilbert Space and the Theory of Spectral Multiplicity)』 - チェルシー。
- 1956年:『エルゴード理論講義(Lectures on Ergodic Theory)』 - チェルシー。
- 1960年:『素朴集合論(Naive Set Theory)』 - スプリンガー・フェアラーク。日本語訳は1975年にミネルヴァ書房から出版されました。
- 1962年:『代数論理(Algebraic Logic)』 - チェルシー。
- 1963年:『ブール代数講義(Lectures on Boolean Algebras)』 - ヴァン・ノストランド。
- 1967年:『ヒルベルト空間問題集(A Hilbert Space Problem Book)』 - スプリンガー・フェアラーク。
- 1973年:『数学の書き方(How to Write Mathematics)』 - アメリカ数学会。ノーマン・E・スティーンロッド、メナヘム・M・シファー、ジャン・A・デュードネとの共著。ハルモスが1970年に発表した論文「How to write mathematics」の再録であり、日本語訳は1978年に共立出版から出版されました。
- 1978年:『L²空間上の有界積分作用素(Bounded Integral Operators on L² Spaces)』 - スプリンガー・フェアラーク。V. S. スンダーとの共著。
- 1985年:『私は数学者になりたい(I Want to Be a Mathematician)』 - スプリンガー・フェアラーク。自身の数学者としての人生に焦点を当てた「オートマソグラフィー」(数学的自伝)です。
- 1987年:『私には写真のような記憶がある(I Have a Photographic Memory)』 - アメリカ数学協会。
- 1991年:『数学者のための問題集、若き者から老いし者まで(Problems for Mathematicians, Young and Old)』 - ドルチアーニ数学解説シリーズ、アメリカ数学協会。
- 1996年:『線形代数問題集(Linear Algebra Problem Book)』 - ドルチアーニ数学解説シリーズ、アメリカ数学協会。
- 1998年:『代数としての論理学(Logic as Algebra)』 - ドルチアーニ数学解説シリーズ第21巻、アメリカ数学協会。スティーブン・ギヴァントとの共著。
- 2009年(没後出版):『ブール代数入門(Introduction to Boolean Algebras)』 - スプリンガー。スティーブン・ギヴァントとの共著。
5.2. 解説分野での受賞歴
ハルモスは、数学的な解説と教育に対する功績を認められ、以下の主要な賞を受賞しました。
- 1971年および1977年:レスター・R・フォード賞 - 1977年の受賞はW. P. ジーマー、W. H. ウィーラー、S. H. ムールガブカー、J. H. エウィング、W. H. グスタフソンとの共同受賞でした。
- 1983年:アメリカ数学会のスティール賞(解説部門) - 優れた数学的解説に対して贈られました。
- 1994年:デボラ・アンド・フランクリン・ハイモ賞(大学・大学院数学教育功労賞) - アメリカ数学協会から授与されました。
また、彼は1973年に出版された学術数学に関するアメリカ数学会のスタイルガイドを執筆した委員会の議長を務めました。
6. 数学的実践と哲学における革新
ハルモスは、数学の表記法や学習哲学においても革新をもたらしました。彼は「if and only if」(必要十分条件)という言葉を短縮した「iff」という表記を考案したと主張し、これは一般的に認められています。また、証明の終わりを示す「墓石記号」(∎、Unicode U+220E)を初めて使用したのも彼であるとされており、この記号は時に「ハルモス(halmos)」と呼ばれることもあります。
彼は1968年の『アメリカン・サイエンティスト』誌に掲載された論文で、数学は創造的な芸術であり、数学者は単なる計算屋(number cruncher)ではなく芸術家として捉えられるべきだと主張しました。彼は数学の分野を「マソロジー(mathology)」と「マソフィジックス(mathophysics)」に分けるべきだと議論し、さらに数学者と画家は似たような方法で考え、仕事を進めると論じました。
1985年の「オートマソグラフィー」(数学的自伝)『私は数学者になりたい』の中で、ハルモスは数学に取り組むことの意味について次のように述べています。
「ただ漫然と読むだけではいけない;闘うのだ!自ら問いを発し、自ら例を探し、自ら証明を発見せよ。仮定は必要か?逆は真か?古典的で特別な場合はどうか?縮退している場合はどうか?証明のどこに仮定が使われているだろうか?」
また、彼は数学者になるために必要なことについて、「生来の資質は必要だ。常に完璧を目指すよう心掛けなければならない。数学をそれ以外の何にもまして愛さねばならない。休むことなく努力し、そして決して諦めてはならない。」と語っています。
7. 私生活と慈善活動
ハルモスの1985年の著書『私は数学者になりたい』は、彼が「オートマソグラフィー」と呼んだように、私生活ではなく数学者としての人生にほぼ完全に焦点を当てたものでした。
2005年、ハルモスは妻のヴァージニア・ハルモスと共にオイラー書籍賞を設立しました。この賞は、一般の人々の数学に対する見方を向上させる可能性のある書籍に対して、アメリカ数学協会から毎年授与されるものです。最初の受賞は、レオンハルト・オイラー生誕300周年にあたる2007年で、ジョン・ダービーシャーがベルンハルト・リーマンとリーマン予想に関する著書『素数への情熱(Prime Obsession)』で受賞しました。
8. 死去
ポール・リチャード・ハルモスは2006年10月2日に死去しました。
9. 遺産と栄誉
ポール・リチャード・ハルモスの遺産は、数学分野における彼の継続的な影響力と、数学教育に対する多大な貢献にあります。彼が妻と共に設立したオイラー書籍賞は、一般の人々が数学に親しむきっかけを作るという彼の哲学を具現化しています。2009年には、ジョージ・チチェリー監督によるドキュメンタリー映画『私は数学者になりたい(I Want to Be a Mathematician)』が公開され、彼の人生と数学への情熱が広く紹介されました。
10. 関連項目
- クラッシュド・アーク
- 交換子部分空間
- 不変部分空間問題
- 素朴集合論
- 非標準解析の批判
- 火星人 (科学者)