1. 幼少期とキャリアの始まり
マリアーノ・マルティンは1919年10月20日にスペインのカスティーリャ・イ・レオン州ドゥエニャスで生まれた。彼は幼少期からサッカーを始め、バルセロナのペーニャ・フォントというユースチームでその才能を育んだ。プロキャリアの初期には、後に再加入することになるUEサン・アンドレウでプレーした経験も持つ。
2. クラブキャリア
マルティンは、キャリアの大半をFCバルセロナで過ごし、その後の数年間は他のクラブでプレーした後、現役を引退した。
2.1. FCバルセロナ
1939年、マルティンはFCバルセロナに加入した。彼はその卓越した得点能力で、すぐにクラブの主要選手の一人となり、在籍した9シーズンで通算150試合出場128得点という驚異的な記録を残した。特に1942-43シーズンは彼のキャリアの中でも傑出したシーズンであり、わずか23試合の出場で30得点を記録し、この年のラ・リーガ得点王であるピチーチ賞に輝いた。しかし、バルセロナはそのシーズンを3位で終えた。
1944年初頭、カタルーニャ代表チームの親善試合に出場中、マルティンは重度の膝靭帯損傷を負った。この負傷は彼の選手キャリアに大きな影響を与え、完全に回復することはなかった。負傷後も彼はプレーを続けたが、FCバルセロナでの最後の3シーズンではラ・リーガでの出場が合計29試合にとどまった。それでもなお、この期間に14得点を挙げるなど、彼の得点感覚は衰えていなかった。
2.2. 後期クラブキャリアと引退
FCバルセロナを退団した後、マルティンはキャリアの晩年を他のクラブで過ごした。彼は1948年にジムナスティック・タラゴナに加入し、1年間プレーした。続く1949年にはレアル・サラゴサに移籍し、ここでも1年間在籍した。
1950年からは、キャリアの初期にも所属したことのあるUEサン・アンドレウに2年間在籍した。そして1952年、彼はプロサッカー選手としての現役生活に幕を下ろした。
3. 代表キャリア
マリアーノ・マルティンはスペイン国家代表チームの一員として、4年間の期間にわたり3試合に出場した。彼の代表デビュー戦は1942年4月12日にイタリアのミラノで行われたドイツ国家代表チームとの親善試合で、試合は1対1の引き分けに終わった。
4. キャリア統計
以下の表は、マリアーノ・マルティンのクラブにおける公式戦の出場記録と得点記録を示す。
クラブ | シーズン | リーグ | カップ | その他 | 合計 | ||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
バルセロナ | 1939-40 | 3 | 0 | ? | ? | - | 3 | 0 | |
1940-41 | 14 | 12 | ? | ? | - | 14 | 12 | ||
1941-42 | 23 | 17 | 4 | ? | - | 27 | 17 | ||
1942-43 | 23 | 30 | 12 | ? | - | 35 | 30 | ||
1943-44 | 20 | 24 | 4 | ? | - | 24 | 24 | ||
1944-45 | 11 | 4 | ? | ? | - | 11 | 4 | ||
1945-46 | 15 | 9 | ? | ? | 1 | 0 | 16 | 9 | |
1946-47 | 3 | 1 | ? | ? | - | 3 | 1 | ||
1947-48 | 0 | 0 | ? | ? | - | 0 | 0 | ||
バルセロナ合計 | 112 | 97 | 37 | 31 | 1 | 0 | 150 | 128 | |
ジムナスティック | 1948-49 | 18 | 8 | ? | ? | - | 18 | 8 | |
サラゴサ | 1949-50 | 4 | 0 | ? | ? | - | 4 | 0 | |
サン・アンドレウ | 1950-51 | 23 | 22 | ? | ? | - | 23 | 22 | |
1951-52 | 24 | 12 | ? | ? | - | 24 | 12 | ||
キャリア通算 | 181 | 139 | 20 | ? | 1 | 0 | 202 | 139 |
- カップ戦およびその他の公式戦(例: コパ・エバ・ドゥアルテ)の記録については、情報が一部不明な点があるため「?」で表記されている。
- 総キャリア通算では、出場181試合に対し得点141とされている資料もあるが、詳細なデータでは一部不明な得点があるため、上記表の合計得点数は合算可能な範囲で示されている。
- 「その他」の列には、コパ・エバ・ドゥアルテの出場および得点記録が含まれる。
5. 栄誉
マリアーノ・マルティンは、その輝かしいキャリアの中でクラブと個人で数々のタイトルを獲得した。
5.1. クラブタイトル
- ラ・リーガ:1回(1944-45)
- コパ・デル・レイ:1回(1942)
5.2. 個人タイトル
- ピチーチ賞:1回(1942-43)
6. 死去
マリアーノ・マルティンは1998年9月9日、約79歳でこの世を去った。彼は生涯をカタルーニャ州カブリルスで過ごした。
7. 遺産
マリアーノ・マルティンは、FCバルセロナの歴史において最も多作なストライカーの一人として記憶されている。キャリアの初期にプロとしての地位を確立し、特に1942-43シーズンにおけるピチーチ賞獲得は、彼の驚異的な得点能力の証である。重度の膝の負傷という大きな試練に直面しながらも、彼はその才能と粘り強さで数多くのゴールを挙げ続けた。彼の功績は、現代のサッカー界においても高く評価されており、クラブとスペインサッカー史における重要な遺産として語り継がれている。