1. 初期生い立ちと背景
マルティンス・ドゥクルスは1984年3月31日に生まれた。
1.1. 家族
マルティンス・ドゥクルスの家族は、スケルトン競技と深く関わっている。彼の父であるダウニス・ドゥクルス(Dainis Dukursラトビア語)は、元ボブスレーのブレーキマンであり、スィグルダそりトラックの元マネージャー、そり設計者、そしてラトビアスケルトンチームのコーチを務めていた。また、彼の兄であるトマシュ・ドゥクルス(Tomass Dukursラトビア語)もスケルトン選手である。マルティンスとトマシュの兄弟は、共に2010年バンクーバーオリンピックと2014年ソチオリンピックに出場資格を得ている。
2. 選手経歴
マルティンス・ドゥクルスは、その長い選手経歴の中で数々の輝かしい成績を収め、スケルトン競技の歴史に名を刻んだ。
2.1. スケルトンへの入門と初期の活動
マルティンス・ドゥクルスは1998年にスケルトン選手としてのキャリアを開始した。初期の主要な国際大会では、2006年トリノ冬季オリンピックの男子スケルトン種目で7位に入賞。また、2007年FIBT世界選手権では男子スケルトン種目で6位の成績を収めた。
2.2. 世界選手権
ドゥクルスは、世界選手権において男子スケルトンで6度の金メダルを獲得し、世界チャンピオンに輝いた。彼の優勝記録は以下の通りである。
- 2011年FIBT世界選手権
- 2012年FIBT世界選手権
- 2015年FIBT世界選手権
- 2016年FIBT世界選手権
- 2017年FIBT世界選手権
2.3. ワールドカップでの最多優勝
マルティンス・ドゥクルスは、ワールドカップにおいて圧倒的な成績を誇り、合計11回の総合優勝を達成した。これはワールドカップ史上最多のタイトル獲得数である。特に、2010年から2017年までの8シーズン連続でワールドカップ総合優勝を果たし、さらに2020年から2022年まで3シーズン連続でタイトルを獲得した。2019-2020シーズンの終了時点で、彼はワールドカップレースで通算54勝を挙げており、その支配的な強さを示している。
彼のワールドカップ総合優勝シーズンは以下の通りである。
- 2009-10シーズン
- 2010-11シーズン
- 2011-12シーズン
- 2012-13シーズン
- 2013-14シーズン
- 2014-15シーズン
- 2015-16シーズン
- 2016-17シーズン
- 2019-20シーズン
- 2020-21シーズン
- 2021-22シーズン
2.4. オリンピック出場と結果
ドゥクルスは複数の冬季オリンピックに出場しているが、金メダルには惜しくも届かなかった。
- 2006年トリノ冬季オリンピック: 男子スケルトンで7位。
- 2010年バンクーバー冬季オリンピック: 男子スケルトンで銀メダルを獲得。開催国カナダの選手に次ぐ結果となった。
- 2014年ソチ冬季オリンピック: 男子スケルトンで再び銀メダルを獲得。この大会でも開催国ロシアの選手に次ぐ結果となり、2大会連続で銀メダルに終わった。
- 2018年平昌冬季オリンピック: 男子スケルトンで4位に終わった。4回目の走行で決定的なミスを犯し、メダルを逃した。
2.5. 受賞歴と栄誉
2010年、マルティンス・ドゥクルスは三つ星勲章(Triju Zvaigžņu ordenisラトビア語)を受章した。これはラトビア共和国の最高勲章の一つであり、彼のスポーツにおける功績が国家によって認められたことを示すものである。
2.6. 論争と失格
マルティンス・ドゥクルスのキャリアには、いくつかの論争や失格の出来事も含まれる。
2017年11月、ソチオリンピックの金メダリストであるアレクサンドル・トレチャコフがIOCによって失格処分となり、彼のメダルが剥奪された。これにより、マルティンス・ドゥクルスに金メダルが再配分されるかどうかが議論されたが、IBSFは最終的な決定を下さなかった。もし金メダルが再配分されていれば、彼は冬季オリンピックで金メダルを獲得した初のラトビア人選手となるところであった。しかし、トレチャコフはCASに失格処分の取り消しを訴え、その訴えが認められた結果、彼の失格処分は覆され、金メダルは復帰した。
2018年1月19日には、2018年サンモリッツワールドカップにおいて、そりの硬度が規定を超えていたため、マルティンスは遡及的に失格処分を受けた。
3. コーチとしての経歴
2022年8月、マルティンス・ドゥクルスはイギリス代表チームのパフォーマンコーチに任命された。これは彼が選手としてのキャリアを終え、指導者としてスケルトン競技に貢献し続けることを意味する。
4. 詳細な競技結果
マルティンス・ドゥクルスのワールドカップにおける詳細な競技結果は以下の通りである。
4.1. スケルトン・ワールドカップ シーズン別結果
シーズン | 総合順位 | ポイント | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 7 | 8 | 9 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2004-05 | 19位 | 139 | WIN 37 | ALT 20 | IGL - | SIG 14 | CES 10 | STM 19 | LPL 13 | ||
2005-06 | 20位 | 151 | CAL 26 | LPL 10 | IGL 20 | SIG 20 | KON 16 | STM 14 | ALT 19 | ||
2006-07 | 12位 | 255 | CAL 18 | PKC 23 | LPL 24 | NAG 15 | IGL 9 | CES - | WIN 3 | KON 5 | |
2007-08 | 5位 | 1369 | CAL 7 | PKC 11 | LPL 4 | CES1 7 | CES2 7 | STM 6 | KON 11 | WIN 1 | |
2008-09 | 6位 | 1282 | WIN 3 | ALT 2 | IGL 3 | KON 4 | STM 17 | WIN 12 | PKC 11 | LKP 11 | |
2009-10 | 1位 | 1694 | PKC 1 | LKP 3 | CES 2 | WIN 1 | ALT 5 | KON 1 | STM 3 | IGL 1 | |
2010-11 | 1位 | 1719 | WHI 5 | CAL 1 | PKC 3 | LKP 2 | IGL 1 | WIN 1 | STM 1 | CES 1 | |
2011-12 | 1位 | 1751 | IGL 1 | LPL 1 | WIN 1 | ALT 1 | KON 6 | STM 1 | WHI 1 | CAL 1 | |
2012-13 | 1位 | 2010 | LKP 1 | PKC 1 | WHI 2 | WIN 1 | LPL 1 | ALT 1 | KON 1 | IGL 1 | SOC 1 |
2013-14 | 1位 | 1720 | CAL 1 | PKC 2 | LKP 8 | WIN 1 | STM1 1 | STM2 1 | IGL 1 | KON 1 | |
2014-15 | 1位 | 1770 | LKP 1 | CAL 1 | ALT 1 | KON 2 | STM 1 | LPL 1 | IGL 1 | SOC 2 | |
2015-16 | 1位 | 1785 | ALT 1 | WIN 1 | KON1 1 | LPL 1 | PAC 1 | WHI 1 | STM 2 | KON2 1 | |
2016-17 | 1位 | 1662 | WHI 4 | LPL 5 | ALT 2 | WIN 1 | STM 1 | KON 6 | IGL 1 | PYE 1 | |
2017-18 | 4位 | 1440 | LPL 1 | PAC 2 | WHI 6 | WIN 2 | IGL 1 | ALT 5 | STM DSQ | KON 2 | |
2018-19 | 3位 | 1533 | SIG 2 | WIN 7 | ALT 7 | IGL 1 | STM 8 | LPL 2 | CAL1 3 | CAL2 4 | |
2019-20 | 1位 | 1665 | LKP1 2 | LKP1 2 | WIN 4 | PAC 2 | IGL 1 | KON 7 | STM 1 | SIG 1 | |
2020-21 | 1位 | 1456 | SIG1 1 | SIG2 1 | IGL1 1 | IGL2 1 | WIN 2 | STM 2 | KON 11 | IGL3 - | |
2021-22 | 1位 | 1623 | IGL1 2 | IGL2 11 | ALT1 3 | WIN1 4 | ALT2 1 | SIG 3 | WIN2 1 | STM 1 |
5. 影響力と評価
マルティンス・ドゥクルスは、2000年代後半から世界のスケルトン競技においてトップの座を維持し続け、その支配的な強さから「スーパーマン」と称されることもある。彼は長年にわたりワールドカップと世界選手権で圧倒的な成績を収め、スケルトン史上最高の選手の一人として広く認識されている。特に、ワールドカップでの連続総合優勝記録や多数のレース勝利は、彼の競技における一貫性と卓越した技術の証である。オリンピックでの金メダルには届かなかったものの、2つの銀メダルと長年の安定したパフォーマンスは、彼のスポーツ界への大きな影響力を示している。引退後もコーチとして活動することで、次世代の選手育成にも貢献しており、スケルトン競技の発展において重要な存在である。