1. 概要
ミルツ・イフター(ምሩፅ ይፍጠርミルツ・イフターゲエズ語、1944年5月15日 - 2016年12月22日)は、エチオピアの長距離陸上選手である。彼は「イフター・ザ・シフター」または「イフタースパート」の愛称で親しまれ、その独特のレース戦略とラストスパートで知られている。1980年のモスクワオリンピックでは、男子5000mと10000mの両種目で金メダルを獲得し、長距離走におけるエチオピアの地位を確立した。彼の年齢については謎が多く、またハイレ・ゲブレセラシエのような後続の偉大な選手たちに大きな影響を与えたことでも知られる。

2. 初期生い立ちと背景
ミルツ・イフターは、エチオピアのティグライ州、ザランベッサ(またはアディグラート)で生まれた。若い頃は様々な工場で働いたり、御者(馬車や車の運転手)として生計を立てていた。彼の長距離ランナーとしての才能は、エチオピア空軍に入隊した際に発見された。
3. 陸上競技キャリア
ミルツ・イフターの陸上競技キャリアは、1970年代から1980年代初頭にかけて輝かしいものであった。彼はその独特のレース運びと驚異的なラストスパートで多くの勝利を収めた。
3.1. オリンピックデビューと初期の成果
イフターは1968年のメキシコシティオリンピックにエチオピア代表チームとして招集されたものの、実際のオリンピックデビューは4年後の1972年ミュンヘンオリンピックであった。この大会で彼は男子10000mで銅メダルを獲得した。しかし、男子5000m決勝では、腹痛のためトイレにいたとされ、最終コールに間に合わず出場できなかった。
1973年にラゴスで開催されたオールアフリカゲームスでは、10000mで金メダル、5000mで銀メダルを獲得し、その実力を示した。
3.2. 主要国際大会参加
1976年のモントリオールオリンピックでは、アフリカ諸国の多くが大会をボイコットしたため、イフターも出場を辞退せざるを得なかった。彼はこの大会で5000mと10000mの2種目制覇が期待されていたため、これは大きな失望であった。
しかし、4年後の1980年モスクワオリンピックで、イフターはその期待に応え、35歳で男子10000mと5000mの両種目で金メダルを獲得した。10000m決勝では、残り300m地点で一気にスパートをかけ、後続に10mの差をつけて勝利した。その5日後の5000m決勝では、最終ラップで他の選手に囲まれて身動きが取れない状況に陥ったが、残り300mでチームメイトのモハメド・ケディルが道を譲り、再び驚異的なスパートで勝利を掴んだ。彼は表彰式後のインタビューで「この金メダルは世界の若者とアフリカ大陸に捧げたい」と述べた。
1977年2月6日にはプエルトリコのコアモで、ハーフマラソンで1時間2分57秒の世界最高記録を樹立した。
彼は1980年代初頭まで競技を続け、1982年と1983年のIAAF世界クロスカントリー選手権ではエチオピアの金メダル獲得チームの一員として貢献した。1978年以降、彼は1982年まで国際レースで無敗を誇り、ヘンリー・ロノなどと並んで1970年代後半の最高の長距離ランナーの一人として評価されている。
3.3. 特徴的な走り方とニックネーム
イフターの走法は、レース中常に後方に控え、ラスト300mから400mで驚異的なラストスパートをかけてトップに立つという、勝利に徹したものであった。このスパートは「イフタースパート」として知られ、彼のフィニッシュラインに向かう際の急加速は「イフター・ザ・シフター」というニックネームの由来となった。しかし、この戦略は世界記録の樹立には繋がりにくかった。
3.4. 個人的エピソードと影響力
モスクワオリンピック当時、イフターの年齢は33歳から42歳の間と報じられ、その正確な年齢は謎に包まれていた。彼は記者たちに対し、「男は私の鶏を盗むかもしれない。男は私の羊を盗むかもしれない。しかし、誰も私の年齢を盗むことはできない」と語り、明確な回答を避けた。最も一般的な生年月日は1938年1月1日または1944年5月15日とされている。
イフターは、エチオピアの陸上競技界に多大な影響を与えた。特に、後に長距離走の伝説となるハイレ・ゲブレセラシエは、自身の自叙伝的映像の中で「彼は僕のヒーローさ。彼の走りを見て陸上を始めたんだ!」と語っており、イフターが後続の選手たちに与えた影響の大きさを物語っている。
4. 自己ベスト記録
イフターの主要種目における自己ベスト記録は以下の通りである。
- 5000m - 13分13秒82(1977年)
- 10000m - 27分40秒96(1972年)
5. 死去

ミルツ・イフターは2016年12月22日、72歳で死去した。彼は2000年以降、カナダのトロントに居住していた。家族によると、彼は呼吸器系の疾患を患っていたという。
彼の葬儀はエチオピアの首都アディスアベバで行われ、聖三位一体大聖堂の墓地に埋葬された。
6. 評価と功績
ミルツ・イフターは、その輝かしい陸上競技キャリアを通じて、エチオピアの長距離走の歴史に名を刻んだ。彼は1970年代後半から1980年代初頭にかけて、世界の長距離ランナーの頂点に立ち、特にオリンピックでの2冠達成は、彼の類稀なる才能と不屈の精神の証である。彼の独特な「イフタースパート」は、多くの人々に記憶され、後世のランナーたちにインスピレーションを与え続けている。彼の功績は、単なるメダルの数に留まらず、エチオピアの若者たちに夢と希望を与え、陸上競技の発展に大きく貢献したことにある。