1. 概要
本記事は、アルジェリアのサッカー選手・指導者であるラバ・マジェールの生涯とキャリアを包括的に扱います。選手としての主要な業績、代表チームでの活躍、指導者としての経歴、私生活、そしてサッカー界への影響について包括的に紹介します。ラバ・マジェールは、その卓越した技術、特にヒールキックの妙技から「踵の魔術師」(Talonnadeフランス語)と称され、アルジェリアサッカー史上最も偉大な選手の一人と広く認識されています。彼はFCポルトで全盛期を迎え、UEFAチャンピオンズカップやインターコンチネンタルカップを含む数々の主要タイトルを獲得しました。また、アルジェリア代表の主軸として2度のFIFAワールドカップに出場し、1990年にはアフリカネイションズカップ優勝に貢献しました。引退後は指導者としても活動し、複数回にわたってアルジェリア代表の監督を務めたほか、ユネスコ親善大使としても活動するなど、サッカー界内外で多大な影響を与えています。
2. 幼少期と背景
ラバ・ムスタファ・マジェール(رابح مصطفى ماجرラバ・ムスタファ・マジェールアラビア語)は、1958年12月15日にアルジェリアのアルジェ県フセイン・デイ地区で誕生しました。彼はカビル人の家系に属し、その故郷はティグジルトとされています。幼少期からサッカーの才能を示し、後にそのキャリアを通じて「踵の魔術師」(Talonnadeフランス語)という愛称で親しまれることになります。この愛称は、彼が得意とした巧みなヒールキックに由来しています。
3. 選手キャリア
ラバ・マジェールは、1978年から1992年までの14年間にわたるプロサッカー選手としてのキャリアを通じて、数々のクラブで活躍し、アルジェリア代表の主力として国際舞台でも輝かしい功績を残しました。
3.1. クラブキャリア
マジェールは、アルジェリア国内のクラブでキャリアをスタートさせた後、フランス、ポルトガル、スペイン、カタールなどヨーロッパと中東の主要リーグでプレーし、特にFCポルトではクラブの歴史に名を刻む活躍を見せました。
3.1.1. NAフセイン・デイ
マジェールは、地元のクラブであるNAフセイン・デイでプロキャリアをスタートさせ、1978年から1983年まで所属しました。この期間に、彼はリーグ戦94試合に出場し58得点を記録しました。チームは1978-79シーズンにアルジェリアカップで優勝し、また1978年のアフリカンカップウィナーズカップでは準優勝を飾るなど、国内での主要な成果を収めました。
3.1.2. ラシン・クラブ・ド・フランス
1983年、マジェールはヨーロッパでのキャリアをスタートさせ、フランスのラシン・パリに移籍しました。彼はこのクラブで1年半プレーし、1983-84シーズンにはディビシオン2で27試合に出場し20得点を挙げました。続く1984-85シーズンにはディビシオン1で23試合に出場し3得点を記録しました。ラシン・パリでの合計成績は50試合出場23得点でした。
3.1.3. トゥールFC
ラシン・パリに在籍していた1984-85シーズンの途中、マジェールはトゥールFCへレンタル移籍し、シーズン残りをこのクラブで過ごしました。トゥールFCでは7試合に出場し2得点を挙げました。
3.1.4. FCポルト
マジェールは1985-86シーズンにポルトガルの名門FCポルトに加入し、ここでキャリアの全盛期を迎えました。特に翌シーズンのUEFAチャンピオンズカップ決勝では、バイエルン・ミュンヘンを相手に歴史的な活躍を見せました。彼は試合を1-1の同点に追いつく巧妙なヒールキックによるゴールを決め、さらにジュアリーの決勝点をアシストし、ポルトの2-1での勝利と初のヨーロッパカップ優勝に大きく貢献しました。このゴールは、ペレをして「私がこれまで見た中で最も素晴らしいゴールだっただろう、もし彼が振り返らなかったら」と言わしめたと伝えられています。
同年、マジェールはインターコンチネンタルカップでも得点を挙げ、チームを優勝に導き、自身も大会の最優秀選手に選ばれました。この輝かしい1987年の活躍により、彼はアフリカ年間最優秀選手賞を受賞しました。1987-88シーズン前半には、わずか11試合の出場で10得点を挙げるなど、その得点能力は健在でした。
この期間中、彼はインテル・ミラノへの移籍に近づきましたが、過去の太もも筋肉の重傷がメディカルチェックで判明したため、契約は正式に締結されませんでした。また、FCバイエルン・ミュンヘンやAFCアヤックスへの移籍も検討されましたが、実現には至りませんでした。特にアヤックスの監督であったヨハン・クライフは、1987年のUEFAスーパーカップでポルトと対戦した際にマジェール獲得を試みましたが、クラブの役員が移籍の詳細を漏洩したことでポルトが交渉から撤退したとされ、クライフはこれに不満を抱いていました。
ポルトでの6年間で、マジェールは合計9つの主要タイトルを獲得しました。これには、プリメイラ・リーガ3回(1985-86、1987-88、1989-90)、タッサ・デ・ポルトガル2回(1987-88、1990-91)、スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ2回(1986、1990)、UEFAチャンピオンズカップ1回(1986-87)、インターコンチネンタルカップ1回(1987)、UEFAスーパーカップ1回(1987)が含まれます。

3.1.5. バレンシアCF
1988年1月、マジェールはFCポルトからラ・リーガのバレンシアCFへレンタル移籍しました。しかし、彼は数ヶ月でポルトに復帰し、バレンシアでの在籍は短期間に終わりました。バレンシアでは14試合に出場し4得点を記録しました。
3.1.6. カタールSC
マジェールは、FCポルトでの2度目の在籍を終えた後、1992年にカタールSCで短い期間プレーしました。このクラブでの9試合出場6得点を最後に、彼は34歳を目前に現役を引退しました。
3.2. ナショナルチームキャリア
ラバ・マジェールは、1978年から1992年までの19年間、アルジェリア代表の選手として活躍しました。彼は87試合に出場し28得点を記録し、引退時には同国代表の最多得点者でした。
彼は2度のFIFAワールドカップに出場しました。アルジェリア代表が初めてワールドカップ本大会に出場した1982年大会と、続く1986年大会です。特に1982年ワールドカップでは、強豪西ドイツを相手に2-1で勝利した試合で、53分に先制ゴールを決め、その勝利に貢献しました。
また、マジェールはアフリカネイションズカップでも重要な役割を果たしました。開催国として出場した1990年大会では、開幕戦でナイジェリアに5-1で大勝し、決勝でも再びナイジェリアを1-0で破り、アルジェリアを優勝に導きました。彼はこの大会の最優秀選手にも選ばれています。
その他、彼は1991年のアフロアジアカップ、1978年のアフリカ競技大会でも優勝を経験しています。
4. 引退後のキャリア
選手引退後、ラバ・マジェールはサッカー界で指導者、アナリスト、そして親善大使として多岐にわたる活動を展開しました。
彼は指導者としての道を歩み始め、複数回にわたりアルジェリア代表の監督を務めました。最初の監督就任は1993年から1994年で、この期間にはワールドカップとアフリカネイションズカップの予選突破に失敗し、辞任しました。その後、FCポルトのユースコーディネーターとして短期間活動しました。
クラブチームの監督としては、カタールのアル・サッド(1997年-1998年)、アル・ワクラ(1998年-1999年)、アル・ライヤン(2005年)を率いました。
アルジェリア代表監督にはその後も複数回復帰しています。1999年には短期間の監督を務め、2001年から2002年には再び指揮を執りましたが、チーム内の不和により辞任しました。2017年10月には、2018 FIFAワールドカップ予選敗退を受けて解任されたルーカス・アルカラスの後任として、10年以上ぶりの監督業復帰を果たしましたが、7試合中2勝に留まり、翌2018年6月に解任されました。
指導者としてのキャリアと並行して、マジェールはメディアでの活動も行っています。カタールのアルジャジーラ・スポーツ(現在のbeINスポーツ)でプロのアナリストとして活躍しました。
また、彼は社会貢献活動にも積極的に参加しており、2011年にはユネスコ親善大使に任命されました。2009年にはUEFAトロフィーツアーの親善大使も務めるなど、サッカー界の枠を超えた影響力を持っています。
5. 私生活
ラバ・マジェールの私生活については公にされている情報は限られていますが、彼の息子であるロットフィ・マジェールもサッカー選手であり、ユースレベルでカタール代表としてプレーした経験があります。
6. 統計
6.1. クラブ統計
クラブ | シーズン | リーグ | 国内カップ | リーグカップ | 大陸大会 | その他 | 合計 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||||
NAフセイン・デイ | 1978-79 | ナシオナル1 | 6 | 1 | |||||||||||
1979-80 | 4 | 3 | |||||||||||||
1980-81 | |||||||||||||||
1981-82 | |||||||||||||||
1982-83 | |||||||||||||||
合計 | 94 | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 10 | 4 | 0 | 0 | 104 | 62 | |||
ラシン・パリ | 1983-84 | リーグ・ドゥ | 27 | 20 | 5 | 0 | 32 | 20 | |||||||
1984-85 | リーグ・アン | 23 | 3 | 5 | 2 | 28 | 5 | ||||||||
合計 | 50 | 23 | 10 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 60 | 25 | |||
トゥールFC (レンタル) | 1984-85 | リーグ・アン | 7 | 2 | |||||||||||
FCポルト | 1985-86 | プリメイラ・リーガ | 19 | 12 | 2 | 1 | 2 | 0 | 23 | 13 | |||||
1986-87 | 20 | 6 | 6 | 4 | 6 | 3 | 1 | 1 | 33 | 14 | |||||
1987-88 | 11 | 8 | 0 | 0 | 4 | 4 | 1 | 1 | 16 | 15 | |||||
1988-89 | 24 | 6 | 2 | 3 | 3 | 1 | 29 | 10 | |||||||
1989-90 | 26 | 13 | 1 | 1 | 6 | 2 | 33 | 16 | |||||||
1990-91 | 8 | 1 | 0 | 0 | 4 | 4 | 1 | 0 | 13 | 5 | |||||
合計 | 108 | 46 | 11 | 9 | 0 | 0 | 23 | 14 | 5 | 2 | 138 | 71 | |||
バレンシアCF (レンタル) | 1987-88 | ラ・リーガ | 14 | 4 | 0 | 0 | 14 | 4 | |||||||
カタールSC | 1991-92 | カタール・スターズリーグ | 9 | 6 | 9 | 6 | |||||||||
キャリア合計 | 282 | 139 | 21 | 11 | 0 | 0 | 33 | 18 | 5 | 2 | 341 | 170 |
6.2. 国際試合統計
アルジェリアの得点を先に記載。得点欄はマジェールの各ゴール後のスコアを示す。
# | 日付 | 会場 | 対戦相手 | 得点 | 結果 | 大会 |
---|---|---|---|---|---|---|
1 | 1980年6月20日 | 1965年6月19日スタジアム、オラン、アルジェリア | シエラレオネ | 3-1 | 3-1 | 1982 FIFAワールドカップ予選 |
2 | 1980年7月20日 | ディナモ・スタジアム、ミンスク、ソビエト連邦 | シリア | 2-0 | 3-0 | 1980年夏季オリンピック |
3 | 1981年4月10日 | 1965年6月19日スタジアム、オラン、アルジェリア | マリ | 3-0 | 5-1 | 1982 アフリカネイションズカップ予選 |
4 | 4-0 | |||||
5 | 1981年5月1日 | 1967年6月17日スタジアム、コンスタンティーヌ、アルジェリア | ニジェール | 1-0 | 4-0 | 1982 FIFAワールドカップ予選 |
6 | 1981年8月30日 | 1965年6月19日スタジアム、オラン、アルジェリア | オートボルタ | 1-0 | 7-0 | 1982 アフリカネイションズカップ予選 |
7 | 2-0 | |||||
8 | 1981年10月30日 | 1967年6月17日スタジアム、コンスタンティーヌ、アルジェリア | ナイジェリア | 2-1 | 2-1 | 1982 FIFAワールドカップ予選 |
9 | 1982年4月25日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | ペルー | 1-1 | 1-1 | 親善試合 |
10 | 1982年4月28日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | アイルランド | 2-0 | 2-0 | 親善試合 |
11 | 1982年6月16日 | エル・モリノン、ヒホン、スペイン | 西ドイツ | 1-0 | 2-1 | 1982 FIFAワールドカップ |
12 | 1983年4月8日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | ベナン | 4-0 | 6-2 | 1984 アフリカネイションズカップ予選 |
13 | 6-0 | |||||
14 | 1983年4月26日 | アミティエ・スタジアム、コトヌー、ベナン | ベナン | 1-1 | 1-1 | 1984 アフリカネイションズカップ予選 |
15 | 1983年6月10日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | ウガンダ | 1-0 | 3-0 | 親善試合 |
16 | 1983年8月28日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | セネガル | 1-0 | 2-0 | 1984 アフリカネイションズカップ予選 |
17 | 1984年3月17日 | フェリックス・ウフェ=ボワニ・スタジアム、アビジャン、コートジボワール | エジプト | 1-0 | 3-1 | 1984 アフリカネイションズカップ |
18 | 1985年7月13日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | ザンビア | 2-0 | 2-0 | 1986 FIFAワールドカップ予選 |
19 | 1985年8月18日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | ケニア | 3-0 | 3-0 | 1986 アフリカネイションズカップ予選 |
20 | 1985年10月6日 | エル・メンザ・スタジアム、チュニス、チュニジア | チュニジア | 1-1 | 1-4 | 1986 FIFAワールドカップ予選 |
21 | 1985年10月18日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | チュニジア | 1-0 | 3-0 | 1986 FIFAワールドカップ予選 |
22 | 1986年3月14日 | アレクサンドリア・スタジアム、アレクサンドリア、エジプト | カメルーン | 1-0 | 2-3 | 1986 アフリカネイションズカップ |
23 | 1987年3月27日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | チュニジア | 1-0 | 1-0 | 1988 アフリカネイションズカップ予選 |
24 | 1989年1月7日 | 1956年5月19日スタジアム、アンナバ、アルジェリア | ジンバブエ | 3-0 | 3-0 | 1990 FIFAワールドカップ予選 |
25 | 1989年6月25日 | ナショナル・スポーツ・スタジアム、ハラレ、ジンバブエ | ジンバブエ | 2-0 | 2-1 | 1990 FIFAワールドカップ予選 |
26 | 1989年8月25日 | 1956年5月19日スタジアム、アンナバ、アルジェリア | コートジボワール | 1-0 | 1-0 | 1990 FIFAワールドカップ予選 |
27 | 1990年3月2日 | 1962年7月5日スタジアム、アルジェ、アルジェリア | ナイジェリア | 1-0 | 5-1 | 1990 アフリカネイションズカップ |
28 | 2-0 |
7. 受賞と栄誉
ラバ・マジェールは、選手として所属クラブおよびアルジェリア代表で数々のタイトルを獲得し、個人としても多くの栄誉に輝きました。
7.1. クラブタイトル
- NAフセイン・デイ
- アルジェリアカップ: 1978-79
- アフリカンカップウィナーズカップ: 準優勝 1978
- FCポルト
- プリメイラ・リーガ: 1985-86、1987-88、1989-90
- タッサ・デ・ポルトガル: 1987-88、1990-91
- スーペルタッサ・カンディド・デ・オリベイラ: 1986、1990
- UEFAチャンピオンズカップ: 1986-87
- インターコンチネンタルカップ: 1987
- UEFAスーパーカップ: 1987
7.2. ナショナルチームタイトル
- アルジェリア代表
- アフリカネイションズカップ: 1990
- アフロアジアカップ: 1991
- アフリカ競技大会: 1978
7.3. 個人タイトル
- アフリカ年間最優秀選手賞: 1987
- UEFAチャンピオンズカップ得点王: 1987-88(4得点)
- アフリカネイションズカップ大会ベストイレブン: 1982、1990
- インターコンチネンタルカップ最優秀選手: 1987
- アフリカネイションズカップ最優秀選手: 1990
- 20世紀のマスターカードアフリカチーム: 1998
- IFFHS 20世紀の選手62位: 2000
- アラブ20世紀のサッカー選手: 2004
- アルジェリア20世紀のサッカー選手: 2009(ラフダル・ベルーミと共同受賞)
- アルジェリア年間最優秀サッカー選手: 複数回受賞
- IFFHS アフリカ20世紀の選手5位
- ゴールデンフット・レジェンド賞: 2011
- IFFHS レジェンド: 2016
8. 影響と遺産
ラバ・マジェールは、アルジェリアサッカー史上最も偉大な選手の一人として広く認識されており、その功績は国民的英雄として称えられています。特にFCポルトでのUEFAチャンピオンズカップ優勝に貢献したヒールキックのゴールは、サッカー史に残る象徴的な瞬間として記憶されており、彼の創造性と技術力の高さを世界に知らしめました。この革新的なプレーは、多くの選手に影響を与え、サッカーの美しさを追求する姿勢を象徴しています。
アルジェリア代表においては、2度のFIFAワールドカップ出場と1990年のアフリカネイションズカップ優勝という輝かしい記録を残し、国民に大きな誇りをもたらしました。彼の活躍は、アルジェリアのサッカーが国際舞台で戦えることを証明し、後進の選手たちに夢と希望を与えました。
引退後も、彼は指導者として、またサッカーアナリストとしてサッカー界に貢献し続けました。さらに、ユネスコ親善大使としての活動は、サッカー選手としての名声を超え、教育や文化の分野における国際協力と理解の促進に尽力する彼の肯定的な社会的貢献を示しています。マジェールの遺産は、単なるスポーツの記録に留まらず、その人間性と社会への影響力においても高く評価されています。