1. 生い立ちと背景
リチャード・S・カステラーノの出生、家族背景、初期の生活など、彼の個人的な背景を紐解く。
1.1. 出生と家族
リチャード・S・カステラーノは、1933年9月4日にニューヨーク市で生まれた。出生地については、資料によりクイーンズ区とするものと、ブロンクス区とするものがある。彼の両親、マリアントニア・アンジェロとフィリッポ・カステラーノは、イタリアシチリア島のカストロフィリッポ出身のイタリア系移民であった。彼のミドルネームであるサルヴァトーレは、彼が生まれる2年前に亡くなった兄に敬意を表してつけられたものである。
俳優になる以前は、建設会社のマネージャーとして働いていたが、New Yiddish Theatreで働く機会を得たことをきっかけに、徐々に俳優としての道を歩み始めた。
1.2. ポール・カステラーノとの関係を巡る論争
リチャード・S・カステラーノの死後、彼の未亡人であるアーデル・シェリダン(『ゴッドファーザー』で彼が演じたピーター・クレメンザの妻役も務めた女優)は、彼がガンビーノ一家のボスであるポール・カステラーノの甥であったと主張した。しかし、リチャード自身の姉妹はこの主張を「私たちはポールとは親戚ではない」と断言し、事実ではないと否定している。
2. 俳優としてのキャリア
リチャード・S・カステラーノの俳優としてのキャリア全体を、彼の主要な出演作品と活動を通じて紹介する。
2.1. 演劇・テレビでの初期
カステラーノは、1962年にテレビドラマシリーズ『裸の町』でプロの俳優としてデビューした。その後、1963年にはスティーブ・マックイーン主演の映画『マンハッタン物語』でクレジットなしながらも映画デビューを果たした。初期の映画出演としては、『マンハッタンの哀愁』(1965年)、『素晴らしき男』(1966年)、『ボディガード』(1968年)などがある。
2.2. 『ふたりの誓い』でのブレイク
1970年に出演したコメディ映画『ふたりの誓い』では、その演技力が高く評価され、第43回アカデミー賞でアカデミー助演男優賞にノミネートされた。この作品によって、彼は世界的な名声を得る足がかりを築いた。
2.3. 『ゴッドファーザー』での象徴的な役柄
1972年、フランシス・フォード・コッポラが監督・脚本を手掛けたマフィア映画の金字塔『ゴッドファーザー』に、ヴィトー・コルレオーネの側近であるピーター・クレメンザ役で出演し、役者としての人気を不動のものにした。この映画は当時の史上最高興行収入を記録し、カステラーノを含む多くの出演者が広く知られるようになった。
特に、彼が演じたクレメンザの象徴的な台詞「銃は置いていけ、カンノーリを持っていけ(Leave the gun; take the cannoli.英語)」は、映画史に残る名言として知られている。この台詞は、カステラーノが部分的にアドリブで付け加えたものであり、彼の演技の深さとキャラクターへの理解を示すものとして、多くの観客や批評家から絶賛された。彼のクレメンザ役は、マフィア映画におけるリアリティと人間性を追求した演技の好例として、その後の作品にも大きな影響を与えた。
2.4. その後のテレビ・映画出演
『ゴッドファーザー』で得た名声の後も、カステラーノはテレビや映画で活躍した。1972年にはテレビシチュエーション・コメディ『The Super英語』でジョー・ジレッリ役として主演を務め、全10エピソードに出演した。この作品では、実生活の娘であるマーガレット・カステラーノが彼の演じるキャラクターの娘ジョアン役を演じた。また、彼の妻であるアーデル・シェリダンも同作で共演している。
1975年から1976年にかけては、『Joe and Sons英語』でジョー・ヴィターレ役として主演した。その他、テレビ映画『The Godfather: A Novel for Television英語』(1977年)やミニシリーズ『The Gangster Chronicles英語』(1981年)などにも出演した。
2.5. 『ゴッドファーザー PART II』降板の経緯
カステラーノは、1974年に公開された『ゴッドファーザー PART II』でピーター・クレメンザ役を再演することはなかった。若き日のクレメンザ役はブルーノ・カービーが演じている。カービーは以前、『The Super』でカステラーノのキャラクターの息子役を演じていた。カステラーノが続編に参加しなかった具体的な理由は明らかではないが、クレメンザのキャラクターは物語の重要な要素として、過去と現在をつなぐ役割を担うことになった。
3. 私生活
リチャード・S・カステラーノは、女優として活動したアーデル・シェリダンと結婚し、彼の死去する1988年まで婚姻関係が続いていた。二人は『ゴッドファーザー』や、彼が出演したテレビドラマシリーズ『The Super』などで共演している。
4. 死去
リチャード・S・カステラーノは、1988年12月10日、ニュージャージー州ノースバーゲンの自宅で心筋梗塞により死去した。55歳であった。
5. 出演作品
彼が出演した映画およびテレビ作品のリストを以下に示す。
5.1. 映画
| 年 | タイトル | 役柄 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1963 | 『マンハッタン物語』 Love with the Proper Stranger | エキストラ | ノークレジット |
| 1965 | 『マンハッタンの哀愁』 Trois chambres à Manhattan | 怒れるアメリカ人 | ノークレジット |
| 1966 | 『素晴らしき男』 A Fine Madness | アーノルド | |
| 1966 | The Star Wagon | テレビ映画 | |
| 1968 | 『ボディガード』 A Lovely Way to Die | バーテンダー | ノークレジット |
| 1969 | The Choice | ||
| 1970 | 『ふたりの誓い』 Lovers and Other Strangers | フランク・ヴェッキオ | アカデミー助演男優賞ノミネート |
| 1972 | 『ゴッドファーザー』 The Godfather | ピーター・クレメンザ | |
| 1973 | 『暗黒街抗争実録 マフィア』 Honor Thy Father | フランク・ラブッツォ | |
| 1973 | 『検事』 Incident on a Dark Street | フランク・ロメオ | |
| 1980 | 『ジャグラー/ニューヨーク25時』 Night of the Juggler | トネリ警部補 | |
| 1981 | 『ギャング』 The Gangster Chronicles | ジュゼッペ・"ジョー・ザ・ボス"・マッセリア | |
| 1982 | Dear Mr. Wonderful | FBI捜査官 | 最終出演映画 |
5.2. テレビドラマ
| 年 | タイトル | 役柄 | 備考 |
|---|---|---|---|
| 1962-1963 | 『裸の町』 Naked City | ||
| 1963 | East Side/West Side | ||
| 1966 | Hawk | ||
| 1968, 1969 | N.Y.P.D. | ||
| 1972 | The Super | ジョー・ジレッリ | 主演、10エピソード |
| 1975-1976 | Joe and Sons | ジョー・ヴィターレ | 主演 |
| 1977 | 『ゴッドファーザー・サガ』 The Godfather: A Novel for Television | ピーター・クレメンザ | |
| 1981 | The Gangster Chronicles | ジュゼッペ・"ジョー・ザ・ボス"・マッセリア |
6. 評価と影響
リチャード・S・カステラーノの俳優としてのキャリアは、彼が演じた役柄の多様性と、特に『ゴッドファーザー』におけるピーター・クレメンザの印象的な演技によって高く評価されている。建設会社のマネージャーから俳優へと転身した彼の経歴は、市民が自身の才能を追求し、成功を収める可能性を示唆している。
『ふたりの誓い』でのアカデミー賞ノミネートは、彼の演技力が批評家からも認められていたことを示している。しかし、彼が最も広く記憶されているのは、やはり『ゴッドファーザー』のクレメンザ役であろう。この役柄は、単なる脇役にとどまらず、マフィアの世界における日常性、家族、そして冷酷さといった多面性を表現し、映画のリアリズムに大きく貢献した。特に、彼がアドリブで加えたとされる「銃は置いていけ、カンノーリを持っていけ」という台詞は、キャラクターの人間性と物語の象徴性を同時に表現するものであり、彼の演技が作品全体に与えた影響の大きさを物語っている。
カステラーノの演技は、大衆文化においてマフィア映画のジャンルが持つ深みと魅力を高める一助となり、彼の存在はハリウッドにおけるイタリア系アメリカ人俳優の地位確立にも寄与したと言えるだろう。彼の夭折は惜しまれるが、その遺した作品と象徴的な役柄は、今もなお多くの人々に記憶され、語り継がれている。