1. 概要
リッキー・ガトームソンは、アメリカ合衆国カリフォルニア州出身の元プロ野球選手で、主に先発投手として活躍しました。彼は日本プロ野球(NPB)の東京ヤクルトスワローズに所属していた2006年に、セ・パ交流戦史上初のノーヒットノーランを達成したことで知られています。また、韓国プロ野球(KBO)のKIAタイガースでは、2009年の韓国シリーズ優勝に大きく貢献しました。NPB時代には、フィナステリドによるドーピング違反が発覚し、日本プロ野球における初のドーピング違反者となりましたが、後に世界アンチ・ドーピング機構(WADA)の禁止リストからフィナステリドが除外されています。
2. 初期経歴と背景
プロ野球選手としてのキャリアを開始する前、ガトームソンはアメリカでアマチュア野球を経験し、その後プロ入りを果たしました。
2.1. MLBドラフトおよびマイナーリーグ時代
ガトームソンは、アナコルテス高校を卒業後、ワシントン州リンウッドのエドモンズコミュニティ大学に進学しました。1997年7月のMLBドラフトにおいて、サンディエゴ・パドレスから22巡目、全体680位で指名され入団しました。入団後は主にマイナーリーグでプレーし、独立リーグの球団でも活動しました。
2004年には、AAチームのサンアントニオで先発投手からクローザーに転向し、1勝25セーブを記録するなど活躍しました。同年冬に参加したベネズエラのウィンターリーグでも好成績を残し、その後のキャリアに繋がるきっかけを作りました。
2.2. シアトル・マリナーズ時代
2005年、ガトームソンはシアトル・マリナーズのスプリングトレーニングに招待選手として招かれました。これは彼にとって初めてMLBでプレーするチャンスでしたが、40人ロースター枠には残ることができず、AAA級に降格となりました。
しかし、このマリナーズでの活躍に東京ヤクルトスワローズが注目していました。当時、ヤクルトの先発陣は怪我人が相次ぎ苦しい台所事情であったため、ガトームソンとの契約を結ぶことを決定しました。
3. 日本プロ野球 (NPB) 時代
ガトームソンは、2005年から2008年まで日本プロ野球(NPB)でプレーし、東京ヤクルトスワローズと福岡ソフトバンクホークスに所属しました。
3.1. 東京ヤクルトスワローズ
2005年にヤクルトに入団したガトームソンは、まず二軍で4試合に登板し、防御率8.25と振るわない成績でした。しかし、一軍の先発陣が手薄だったため、すぐに一軍に昇格しました。一軍では16試合に先発登板し、8勝5敗、防御率4.18の成績を挙げ、先発ローテーションの一角として期待に応えました。完投はありませんでしたが、打者としても中日ドラゴンズの川上憲伸から本塁打を放つなど、打撃面でも才能を見せました。
2006年5月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(明治神宮野球場)で、プロ野球史上72人目(83回目)、セ・パ交流戦では初となるノーヒットノーランを達成しました。この試合で許した走者は、遊撃手の失策によるものと四球によるものの2人だけでした。マイナーリーグ時代を含めても自身初の完封勝利がノーヒットノーランという快挙となりました。しかし、この快挙の翌日には、外国人枠の関係で採用されていた変則ローテーションのため、ディッキー・ゴンザレスと入れ替わる形で登録を抹消されました。
このシーズンは、最終的に勝利数は2桁には届かなかったものの、防御率2.85を記録し、リーグ6位の好成績を残しました。しかし、変則ローテーションに不満を持っていたガトームソンは、オフの契約交渉でヤクルトに対し2年総額7.00 億 JPYという高額な契約を要求し、交渉は決裂。自由契約選手となりました。この年も打者として広島東洋カープの林昌樹から本塁打を放っています。
3.2. 福岡ソフトバンクホークス
2006年12月14日、福岡ソフトバンクホークスはガトームソンの獲得を発表しました。契約は2年契約で、出来高を含み2.50 億 JPY程度の契約と報じられました。
2007年3月9日、オープン戦初登板を予定していた日に、朝食のチーズをナイフで切っていた際に誤って自身の指を切り、登板を回避するというアクシデントを起こしました。この件で王貞治監督から厳重注意を受けました。
同年8月10日、NPBの根來泰周コミッショナー代行は、ガトームソンが7月13日の対千葉ロッテマリーンズ戦で行われたドーピング検査で禁止薬物であるフィナステリドに陽性反応を示したことを発表しました。これに伴い、ガトームソンには同日より20日間の出場停止処分、所属球団のソフトバンクには制裁金750.00 万 JPYが科されました。これは2007年から本格的に開始された日本プロ野球におけるドーピング検査で、違反者が出た初めての事例となりました。
球団は、ガトームソンが2007年2月のキャンプでのドーピング説明会で、フィナステリドを含む育毛剤の服用を球団側に申請していたものの、球団がNPB側への照会を怠ったため服用を続けていたと説明しました。しかし、その後の球団による聞き取り調査で、ガトームソンがヤクルト所属当時にもフィナステリドが禁止薬物に該当するとの警告を受けていたことが確認されたと発表されました。なお、フィナステリドは2009年1月1日に世界アンチ・ドーピング機構(WADA)の禁止リストから除外されています。
この年は5勝に終わり、右肩の故障を抱えているなどの事情もあり、2年目の契約を残して解雇されることが濃厚と見られていましたが、一転して残留となりました。
2008年シーズン開幕当初は、故障したクローザーの馬原孝浩に代わってリリーフとして起用されましたが、ほどなくして先発に固定されました。5月28日の対横浜ベイスターズ戦(新大分球場)では、投手としては交流戦史上初となる場外ホームランを三浦大輔から左翼へ放ちました。試合は雨天コールドゲームとなり、そのまま完投勝利を収めました。しかし、好調を維持していた矢先の8月6日、ブルペンでの投げ込み中に右足を痛め、そのまま離脱しました(代わりに髙橋秀聡が登板)。9月に復帰したものの、この年も5勝7敗と、前年とほぼ同じ成績に終わりました。このため、10月12日にジェイソン・スタンリッジ、ジェレミー・パウエル、クリストファー・ニコースキー、マイケル・レストビッチと共に戦力外通告を受けました。
4. 韓国プロ野球 (KBO) 時代
日本プロ野球でのキャリアを終えたガトームソンは、2009年に韓国プロ野球(KBO)へ活躍の場を移しました。
4.1. KIAタイガース
2009年1月21日、ガトームソンはKIAタイガースと契約しました。公式戦では26試合に登板し、13勝4敗、防御率3.24という好成績を挙げ、アキリーノ・ロペスと共にチームのエースとして活躍しました。彼の活躍は、KIAタイガースの12年ぶりの韓国シリーズ優勝に大きく貢献しました。
しかし、シーズン終盤に球威が落ちたことや、韓国シリーズでの活躍が期待されたほどではなかったことなどにより、球団の評価は低く、年俸交渉で条件が合わなかったため、2009年限りで解雇されることになりました。韓国では「グトムソン」という登録名を使用し、「グドンソン」という韓国式の愛称も持っていました。
5. フィリーズ時代
国際的なキャリアを積んだ後、ガトームソンは短期間ながらアメリカ球界に復帰しました。
2010年3月2日、ガトームソンはフィラデルフィア・フィリーズとマイナーリーグ契約を結び、2005年以来5年ぶりにアメリカ球界へ復帰することになりました。しかし、同月中に解雇となり、その後は野球とは異なる仕事をしているとされています。
6. プレースタイル
ガトームソンは、常時150 km/h近いストレートと、切れのあるスライダー、チェンジアップを投げる本格派の投手でした。制球力も高く、与四球が非常に少ないのが特徴でした。また、打撃も得意であり、NPBでは通算で3本の本塁打を放っています。
7. 主な記録と功績
ガトームソンのプロ野球キャリアにおける主要な記録と特に際立った功績について解説します。
7.1. ノーヒットノーラン達成
2006年5月25日、東京ヤクルトスワローズに所属していたガトームソンは、対東北楽天ゴールデンイーグルス戦(明治神宮野球場)で、プロ野球史上72人目(83回目)となるノーヒットノーランを達成しました。これは、セ・パ交流戦史上初の快挙であり、彼にとってマイナーリーグ時代を含めても自身初の完封勝利となりました。この試合で許した走者は、遊撃手の失策と四球による2人のみでした。ヤクルトの投手が本拠地である神宮球場でノーヒットノーランを達成したのは初めてのことであり、またヤクルトスワローズ(東京- 含む)の名になってからノーヒットノーランが出た年(1995年のテリー・ブロス、1997年の石井一久)はいずれも日本一になっていたが、この年チームは3位に終わりジンクスは破られました。NPBにおける外国人投手によるノーヒットノーランは、2022年に北海道日本ハムファイターズのコディ・ポンセが達成するまで、ガトームソンが最後の達成者でした。
7.2. 韓国シリーズ優勝
2009年、KIAタイガースに所属していたガトームソンは、レギュラーシーズンで13勝を挙げ、チームのエースとして活躍しました。彼の貢献により、KIAタイガースは1997年以来12年ぶりとなる韓国シリーズ優勝を果たしました。ガトームソンは、アキリーノ・ロペスと共にチームの先発ローテーションを支え、ポストシーズン進出と最終的な優勝に大きく貢献しました。
8. 詳細情報
8.1. 記録
==== NPB投手成績 ====
- 初登板・初先発:2005年5月22日、対オリックス・バファローズ3回戦(明治神宮野球場)、6回1失点
- 初奪三振:同上、1回表に早川大輔から空振り三振
- 初勝利・初先発勝利:2005年5月31日、対オリックス・バファローズ4回戦(大阪ドーム)、6回1/3を2失点
- 初完投勝利・初完封勝利:2006年5月25日、対東北楽天ゴールデンイーグルス5回戦(明治神宮野球場) ※史上72人目のノーヒットノーラン
==== NPB打撃成績 ====
- 初安打:2005年6月28日、対読売ジャイアンツ6回戦(東京ドーム)、4回表に内海哲也から左前安打
- 初本塁打・初打点:2005年8月2日、対中日ドラゴンズ12回戦(ナゴヤドーム)、7回表に山本昌から左越ソロ
9. 論争
ガトームソンの選手キャリア中に発生した主な論争や問題点について、客観的な情報を提供します。
9.1. ドーピング違反
2007年8月10日、福岡ソフトバンクホークスに所属していたガトームソンは、7月13日に行われたドーピング検査で禁止薬物であるフィナステリドに陽性反応を示したことが発表されました。この結果、彼は20日間の出場停止処分を受け、所属球団のソフトバンクには制裁金750.00 万 JPYが科されました。これは、2007年から本格的に導入された日本プロ野球におけるドーピング検査で、初の違反者が出た事例となりました。
ソフトバンク球団は、ガトームソンが2007年2月のキャンプでのドーピング説明会で、フィナステリドを含む育毛剤の服用を球団側に申請していたものの、球団がNPB側への照会を怠ったため服用を続けていたと説明しました。しかし、その後の球団による調査で、ガトームソンがヤクルト所属当時にもフィナステリドが禁止薬物に該当するとの警告を受けていた事実が判明しました。
なお、フィナステリドは2009年1月1日に世界アンチ・ドーピング機構(WADA)の禁止リストから除外されています。
10. 引退後の活動
プロ野球選手としてのキャリアを終えた後、ガトームソンは野球とは異なる分野で活動していると報じられています。
11. 通算成績
ガトームソンのプロ野球キャリアにおける詳細な記録を、所属リーグごとにまとめて提示します。
11.1. 日本プロ野球 (NPB) 成績
年度 | 登板 | 先発 | 完投 | 完封 | 無四球 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 勝率 | 打者 | 投球回 | 被安打 | 被本塁打 | 与四球 | 敬遠 | 与死球 | 奪三振 | 暴投 | ボーク | 失点 | 自責点 | 防御率 | WHIP | ||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2005年 | ヤクルト | 16 | 16 | 0 | 0 | 0 | 8 | 5 | 0 | 0 | .615 | 418 | 97.0 | 102 | 9 | 30 | 3 | 3 | 62 | 0 | 1 | 46 | 45 | 4.18 | 1.36 | |
2006年 | 25 | 25 | 2 | 1 | 0 | 9 | 10 | 0 | 0 | .474 | 698 | 173.2 | 145 | 9 | 38 | 3 | 7 | 127 | 3 | 1 | 62 | 55 | 2.85 | 1.05 | ||
2007年 | ソフトバンク | 22 | 21 | 1 | 0 | 0 | 5 | 7 | 0 | 0 | .417 | 590 | 143.0 | 138 | 10 | 28 | 1 | 9 | 89 | 2 | 0 | 62 | 56 | 3.52 | 1.16 | |
2008年 | 18 | 13 | 2 | 0 | 0 | 5 | 7 | 0 | 0 | .417 | 426 | 100.0 | 104 | 11 | 35 | 5 | 4 | 51 | 0 | 2 | 48 | 45 | 4.05 | 1.39 | ||
NPB:4年 | 81 | 75 | 5 | 1 | 0 | 27 | 29 | 0 | 0 | .482 | 2132 | 513.2 | 489 | 39 | 131 | 12 | 23 | 329 | 5 | 4 | 218 | 201 | 3.52 | 1.21 |
- 各年度の太字はリーグ最高
11.2. 韓国プロ野球 (KBO) 成績
年度 | チーム | 平均自責 | 試合数 | 先発数 | 勝利 | 敗戦 | セーブ | ホールド | 完投 | 完封 | イニング | 被安打 | 被本塁打 | 4死球 | 奪三振 | 失点 | 自責点 | 備考 |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
2009年 | KIA | 3.24 | 26 | 25 | 13 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 161.1 | 149 | 15 | 54 | 100 | 61 | 58 | |
KBO:1年 | 3.24 | 26 | 25 | 13 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 161.1 | 149 | 15 | 54 | 100 | 61 | 58 |
12. 背番号
ガトームソンが日本プロ野球(NPB)時代に着用した背番号は以下の通りです。
- 34 (2005年 - 2006年)
- 43 (2007年 - 2008年)
- 50 (2009年、KIAタイガース時代)
13. 外部リンク
- [https://npb.jp/bis/players/41845110.html NPB.jp 個人年度別成績]
- [http://eng.koreabaseball.com/teams/playerinfopitcher/summary.aspx?pcode=79650 KBOでの成績]
- [http://www.statiz.co.kr/index.php?mid=player&name=%EA%B5%AC%ED%86%B0%EC%8A%A8&birth=1977-01-11 statiz.co.kr(KBOでの成績)]
- [http://www.baseball-reference.com/minors/player.cgi?id=guttor001ric Baseball Reference - リック・ガトームソン]