1. 来歴
佐田啓二の生涯は、京都での生い立ちから始まり、早稲田大学での学業、そして松竹での俳優としての輝かしいキャリアへと展開した。
1.1. 生い立ち

佐田啓二は、1926年(大正15年)12月9日、京都府京都市下京区柳馬場仏光寺南の商家で、父・敬蔵と母・イトコの次男として生まれた。5歳上の兄と2歳上の姉と共に育った。父親は商人であったとされているが、詳しいことは分かっていない。佐田が中学3年生の頃に母を、早稲田大学入学時に父を亡くしたため、兄と姉が親代わりとなり佐田の生活を支えた。
1.2. 教育
幼少期は京都市立聚楽小学校に通い、その後京都市立第二商業学校(後の北野中学)を卒業した。大学進学のため上京し、早稲田大学専門部政経科(のちの政治経済学部)に入学。1947年に同大学を卒業した。大学在学中には、勤労動員で愛知県の豊川海軍工廠に動員された経験もある。
1.3. 初期キャリア

佐田啓二は大学進学のため上京した際、親族の知人であった松竹の人気俳優佐野周二(関口宏の父)の家に下宿した。実際には、佐田の姉と佐野の妻が京都の旧制高等女学校の同級生であり、姉が佐野に弟を女中代わりに使ってくれるよう頼んだという経緯があった。
佐野周二の紹介により、佐田は1946年(昭和21年)6月1日付で松竹大船撮影所に入社した。彼の芸名「佐田啓二」は、佐野周二の姓名から一文字ずつ譲り受けて名付けられたものである。佐野が佐田の卒業後の進路を尋ねた際に俳優になりたいと答えたため、佐野は所長に佐田を紹介し、佐田が佐野のかばん持ちをしていた時に木下恵介監督と出会うことになった。
1947年(昭和22年)、木下恵介監督の『不死鳥』で、いきなり大スター田中絹代の相手役に抜擢され、鮮烈なデビューを飾った。田中絹代とのラブシーンは大きな話題となり、佐田は早くもスターの地位を獲得した。続いて同年、菊田一夫原作のNHKの人気ラジオドラマを映画化した『鐘の鳴る丘』に主演し、さらに人気を高めた。
1948年時点では、佐田は佐野夫妻やその子供、女中、佐田の姉と共に8人暮らしをしていた(夏には7人)。同年には、同居する佐野家が新制中学一年用国定教科書の中流家族の写真に採用されたこともあった。1951年でも同居が確認されているが、1952年には鎌倉市材木座に住所を移している。
佐田はほぼ同時期にデビューした高橋貞二、鶴田浩二と人気を分け合い、「松竹戦後の三羽烏」と称された。彼の人気を決定的なものとしたのは、1953年(昭和28年)に公開された『君の名は』である。当時の大人気ラジオドラマを映画化したこの三部作で岸恵子と共演し、名実共にトップスターの地位を確立した。
2. 主な業績
佐田啓二は、その俳優としてのキャリアにおいて、数々の重要な作品に出演し、演技力の幅を広げながら多大な功績を残した。
2.1. 俳優活動

佐田啓二のキャリアは1950年代に本格的に飛躍し、年間平均で8本から10本もの映画に出演する多忙な日々を送った。彼は当初の「二枚目」のイメージから徐々に演技派へと脱皮していった。
特に、小林正樹監督の1956年(昭和31年)の問題作『あなた買います』では、プロ野球選手のスカウト合戦を題材に、札束で大学生を釣るアコギなスカウト役を演じ、伊藤雄之助を相手に鬼気迫る演技を披露した。この役での演技は高く評価され、彼の代表作の一つとなった。
また、木下恵介監督の『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年)では、高峰秀子と共に灯台守の夫婦役を演じ、新婚時代から初老に至るまでの歳月を表現した。さらに、小津安二郎監督の『秋刀魚の味』(1962年)など、戦後を代表する数々の名作に出演し、その存在感を示した。後年には、癖のある悪役なども演じるなど、役柄の幅を広げ、多様な演技を見せた。
2.2. 受賞歴
佐田啓二は、その優れた演技力により、数々の映画賞を受賞し、その業績が公式に認められた。
- ブルーリボン賞主演男優賞: 1956年『あなた買います』、『台風騒動記』
- 毎日映画コンクール男優主演賞: 1956年『あなた買います』、『台風騒動記』
- キネマ旬報賞男優賞: 1956年『あなた買います』
- 毎日映画コンクール特別賞: 1964年
3. 人物
佐田啓二は、俳優としての顔だけでなく、家庭人としての側面や、映画界の巨匠たちとの深い人間関係、そして個性的な趣味や性格を持ち合わせていた。
3.1. 家族

佐田啓二は1957年2月28日、松竹大船撮影所の前にあったレストラン「月ヶ瀬」の看板娘であった杉戸益子と、10年間の交際を経て結婚した。益子も佐田と同じく京都出身であった。結婚後、二人は田園調布に豪邸を建て、そこで家庭を築いた。
結婚した年の11月には長女の中井貴恵が誕生し、1961年には長男の中井貴一が誕生した。貴恵は、父が家庭的でしっかりとした母を選んだのだと語っている。佐田の突然の死後、妻の益子は車の運転手を責めることなく、女手一つで貴恵と貴一を育て上げた。益子は2016年まで生きた。
3.2. 人間関係と性格
佐田啓二は、そのキャリアを通じて多くの人々と深い関係を築き、その人間性や性格は周囲から多角的に評価された。
- 佐野周二との関係**
佐野周二は、佐田の俳優としての才能を見出し、松竹への入社を斡旋した恩人である。佐野は当初、佐田が俳優になることに反対したが、佐田の固い決意を知り、弟分として支援した。佐田の芸名「佐田啓二」は、佐野周二の姓名から一文字ずつ譲り受けたものである。佐野は佐田を弟のように可愛がり、時には親代わりとして叱ることもあったため、佐田は佐野を「兄貴にはかなわん」と語っていた。佐野は佐田の突然の死を深く悼み、「真実の兄弟以上の生活を続けて二十年、その長きよき日々も、この不慮の死によって、一瞬の夢と崩れ去ってしまった」と語った。また、佐田が俳優からプロデューサーへの転身を図っていたことに触れ、その将来性を惜しんだ。
- 木下恵介と小津安二郎との関係**
佐田は、木下恵介と小津安二郎という日本映画界を代表する二人の監督から、「戦後日本の青年像」として高く評価され、彼らの作品に数多く起用された。木下と小津は佐田の妻である益子とも親交が深く、佐田と益子の結婚式では両人が媒酌人を務めた。木下監督は、松竹の大部屋新人俳優だった佐田を『不死鳥』に抜擢し、彼がスターダムに乗るきっかけを作った。小津作品には『彼岸花』、『お早よう』、『秋日和』、『秋刀魚の味』の計4作品に出演している。1953年の小津作品『東京物語』への出演も打診されたが、『君の名は』の撮影と重なり、出演を断念した。佐田は小津を父のように慕い、小津が亡くなった際には鎌倉で看取り、葬儀では子供のように号泣したという。
- 私生活と性格**
佐田啓二は、自身の「生涯の望み」として、超新型の自動車を乗り回すことと、ロマンチックな死に方を探すことを挙げていた。読書家でもあり、阿部知二や山本有三を愛読し、俳優になってからも阿部知二の『冬の宿』を電車で読んでいたという。好きな俳優には佐野周二と田中絹代を挙げていた。体重は56.25 kg、足のサイズは25.75 cmであった。孤独を愛好する一面も持ち合わせていた。趣味は音楽とラジオで、特にジャズを好み、スイングはスローで甘いものであれば一日中聴いていても飽きなかったという。好きな花はカーネーション、マーガレット、水仙。好物はうどんと蕎麦で、嫌いなものはカキ、ウニ、ナマコであった。指輪や、意地っ張りな女性、自惚れの強い女性は嫌いだった。今日出海の自宅から二軒隣に住んでいた時期もあった。また、高橋貞二の妻の面倒を見ていたという。大学時代の同級生によると、佐田は真面目で物静か、あまり笑わないが冷静に物事を見るタイプで、世の中を知っていたというか大人びており、それでいてどこか寂しげな印象があったという。俳優になってからは、真面目な性格で愛された一方で、毒舌家でもあったとされる。趣味はカメラと車の運転で、生涯の間に何度か高級車を乗り換えた。また、佐伯祐三の絵が好きで、自宅に「洗濯屋」の絵などを飾っていた。高校と大学時代はバスケットボールに熱中し、働きだしてからはゴルフを好んでするようになった。同い年の横綱千代の山雅信とは親交があり、1958年の初場所期間には蔵前国技館の支度部屋で談笑する姿が見られた。千代の山は佐田の葬儀にも参列した。
- 子供たちが語る佐田の映画**
佐田啓二の作品は、実子である中井貴恵と中井貴一にとっても特別な意味を持っている。長女の貴恵が好きな作品は『あなた買います』で、「"二枚目"が先行した父の評価に"芝居上手"が加わった作品」と評している。長男の貴一が好きな作品は小津監督の『お早よう』で、「小津作品の中でも一番好きで、父の小賢しくない余計な芝居のない演技は、私の目標とするところ」と評している。また、貴恵と貴一が共に選んだ作品として『この広い空のどこかに』を挙げ、貴一は「私たちにとっての父親・中井寛一としての素顔が、最もうかがえる映画」と評している。
4. 死去

佐田啓二は1964年(昭和39年)8月17日、37歳の若さでこの世を去った。この時、長女の中井貴恵は7歳、長男の中井貴一は2歳半であった。
佐田は1964年8月13日から、家族と共に長野県蓼科高原の別荘(この年に完成したばかりであった)で夏休みを過ごしていた。NHKドラマ『虹の設計』の収録に参加するため、家族を別荘に残して帰京する途中、8月17日午前6時30分頃、山梨県韮崎市韮崎町の塩川橋手前の左カーブで交通事故に遭遇した。彼が乗っていた車の運転手が前の車を追い越した直後、車が横滑りを起こし、佐田が乗っていた右側から橋柱に激突。さらに跳ね返されて追い抜いた車も衝突するという大事故であった。
佐田はこの事故で頭の骨と右腕を骨折し、すぐに韮崎市立病院に運ばれたが、午前11時過ぎに死去した。同乗していた4名のうち、運転手は頭を打ち2か月の重傷、日刊スポーツ記者の土井新吉(佐田の友人)は顔の骨を折り1か月の重傷、義弟は右肩に1週間の軽症を負った。妻と2人の子供は無事であった。2022年に中井貴一が『徹子の部屋』(テレビ朝日)に出演した際、この事故が運転手の居眠り運転によるものだったことを告白した。母からは「運命だった」と説明されたという。
佐田の葬儀は8月22日午後2時より青山葬儀場にて執り行われ、芸能関係者や一般のファンなど千人近くが参列し、その死を悼んだ。彼の墓所は鎌倉・円覚寺の塔頭松嶺院にある。
生涯で出演した映画は151本に上るとされる。遺作となった『虹の設計』では設計技師・一戸圭介役で主演したが、没後も佐田の役はモンタージュという形で放送が続けられた。また、声の代役として納谷悟朗がアテレコを務めたという。
5. 評価
佐田啓二は、その演技力と存在感により、同時代および後世の批評家や関係者から高い評価を受けている。
5.1. 肯定的な評価
佐田啓二は、その端正な容姿から「二枚目」俳優としてデビュー当初から人気を博したが、キャリアを重ねるにつれて演技派としての評価を確立した。特に小林正樹監督の『あなた買います』での鬼気迫る演技は、批評家や観客から高く評価され、数々の主演男優賞を獲得するきっかけとなった。
彼の演技は、実子である中井貴恵から「"二枚目"が先行した父の評価に"芝居上手"が加わった作品」と評されており、また中井貴一は小津監督の『お早よう』での佐田の「小賢しくない余計な芝居のない演技」を自身の目標としていると語っている。
小津安二郎や木下恵介といった日本映画界の巨匠たちに「戦後日本の青年像」として起用され、彼らの代表作に数多く出演したことは、その演技力と存在感が当時の映画界において極めて重要であったことを示している。佐田は、単なる美男子俳優に留まらず、多様な役柄を演じ分けることで、俳優としての深みを増していった。
5.2. 批判と論争
特筆すべき批判や社会的な論争に関する記述は、提供された情報源には見当たらない。
6. 影響
佐田啓二の作品と活動は、日本映画界および文化全体に大きな影響を与え、その遺産は後世にも受け継がれている。
6.1. 後世への影響
佐田啓二の遺産は、その実子である中井貴恵と中井貴一が俳優の道に進んだことによって、現代の日本映画界にも受け継がれている。特に中井貴一は、父の演技スタイルから大きな影響を受けており、小津監督の『お早よう』における佐田の演技を自身の目標と公言している。
また、貴恵と貴一が共に『この広い空のどこかに』を「私たちにとっての父親・中井寛一としての素顔が、最もうかがえる映画」と評しているように、佐田の作品は家族にとっても特別な意味を持ち、彼の人間性が作品を通じて後世に伝えられている。彼が残した151本にも及ぶ映画作品は、日本映画史における貴重な財産となっている。
6.2. 特定分野への貢献
佐田啓二は、その多岐にわたる役柄と作品選択を通じて、戦後の日本映画の多様な発展に貢献した。社会派ドラマからホームドラマ、コメディまで幅広く出演し、多くの観客に愛されることで、日本映画の大衆化にも寄与した。
佐野周二が佐田の死を悼み、彼が俳優からプロデューサーへの転身を図っていたことに言及したように、もし彼の命が尽きていなければ、日本映画界において新たな分野での貢献も期待されていた可能性がある。彼の存在は、単なる俳優としてだけでなく、日本映画の未来を担う可能性を秘めた人物としても認識されていた。
7. 作品一覧
佐田啓二は、1947年のデビューから1964年の死去まで、数多くの映画やテレビドラマに出演した。
7.1. 映画
- 不死鳥(1947年) - 八坂真一 役
- 旅装(1948年) - 川崎新六 役
- 彼と共に去りぬ(1948年) - 光村雄二 役
- 肖像(1948年) - 中島 役
- 火の薔薇(1948年) - 石川文夫 役
- 鐘の鳴る丘 第一篇 隆太の巻(1948年) - 加賀見修平 役
- 鐘の鳴る丘 第二篇 修吉の巻(1949年) - 加賀見修平 役
- 君待てども(1949年) - 伊藤 役
- お嬢さん乾杯!(1949年)
- 朱唇いまだ消えず(1949年) - 谷川 役
- 新釈四谷怪談 前後篇(1949年) - 小仏小平 役
- 真昼の円舞曲(1949年) - 河野秀隆 役
- 花の素顔(1949年) - 吉晴 役
- 鐘の鳴る丘 第三篇クロの巻(1949年) - 加賀見修平 役
- 母の調べ(1950年) - 湯原恒夫 役
- 乙女の性典(1950年) - 立花哲也 役
- 危険な年令(1950年)
- 恋愛教室(1950年)
- 新妻の性典(1950年)
- 懐しの歌合戦(1950年)
- 七つの宝石(1950年)
- 黒い花(1950年) - 中野宗一 役
- 三つの結婚(1950年) - 望月敬三 役
- おぼろ駕籠(1951年) - 小柳準之助 役
- 愛情の旋風(1951年) - 増内桂助 役
- カルメン故郷に帰る(1951年) - 小川先生 役(初のカラー映画出演)
- 我が家は楽し(1951年) - 内田三郎 役
- 自由学校(1951年) - 堀隆文 役
- 憧れのホームラン王(1951年) - 木村先生 役
- 天使も夢を見る(1951年) - 大田黒英夫 役
- 夢多き頃(1951年) - 高石修二 役
- 海の花火(1951年) - 鯨井民彦 役
- 命美わし(1951年) - 伊村修二 役
- この春初恋あり(1952年) - 三田村五郎 役
- 本日休診(1952年) - 湯川春三 役
- 伊豆の艶歌師(1952年) - 艶歌師潤 役
- 母の願い(1952年) - 阿部一雄 役
- 華やかな夜景(1952年) - 小林和彦 役
- ひばりのサーカス 悲しき小鳩(1952年) - 杉村健吉 役
- 坊ちゃん重役(1952年) - 比野 役
- 母は叫び泣く(1952年) - 高木英樹 役
- うず潮(1952年) - 健二 役
- 若奥様一番勝負(1952年) - 杉浦吾郎 役
- わが母に罪ありや(1952年) - 三上永之介 役
- 春の鼓笛(1953年) - 杉浦啓一 役
- やっさもっさ(1953年) - 赤松太助 役
- 女性の声(1953年) - 三上達哉 役
- ひばりの歌う玉手箱(1953年)
- 落葉日記(1953年) - 熊岡嶺太郎 役
- その妹(1953年) - 野村広次 役
- 日本の悲劇(1953年) - 艶歌師達也 役
- 旅路(1953年) - 津川良助 役
- 君の名は 第一部(1953年) - 後宮春樹 役
- 君の名は 第二部(1953年) - 後宮春樹 役
- お嬢さん社長(1953年) - 秋山五郎 役
- 家族会議 東京篇 大阪篇(1954年) - 京極錬太郎 役
- 真実一路(1954年) - 矢津先生 役
- 勲章(1954年) - 憲治 役
- 君の名は 第三部(1954年) - 後宮春樹 役
- 陽は沈まず(1954年) - 青木三平 役
- おとこ大学 婚前教育の巻(1954年) - 桂木昌平 役
- 新婚たくあん夫婦(1954年) - 目白三平 役
- 真実の愛情を求めて 何処へ(1954年) - 伊能琢磨 役
- この広い空のどこかに(1954年) - 良一 役
- あなたと共に(1955年) - 本堂克也 役
- 続おとこ大学 新婚教室(1955年) - 桂木昌平 役
- 亡命記(1955年) - 顔紹昌 役
- 美わしき歳月(1955年) - 仲尾 役
- 東京-香港 蜜月旅行(1955年) - 山下俊介 役
- 花嫁はどこにいる(1955年) - 八田圭介 役
- 遠い雲(1955年) - 寺田俊介 役
- 花ひらく(1955年) - 下田歯科医 役
- お勝手の花嫁(1955年) - 嵐勇 役
- 太陽は日々に新たなり(1955年) - 新村保 役
- 白い橋(1956年) - 内山軍平 役
- 君のうたごえ(1956年)
- 泉(1956年) - 幾島暁太郎 役
- 女の足あと(1956年) - 浜田孝一 役
- 青春の音(1956年) - 杉本正明 役
- 花嫁募集中(1956年) - 牧直樹 役
- 晴れた日に(1956年) - 鷲尾謙吉 役
- 俺は死なない(1956年) - 関口浩二 役
- スタジオ超特急(1956年)
- 涙(1956年) - 山崎信也 役
- 女優誕生(1956年)
- あなた買います(1956年) - 岸本大介 役
- 台風騒動記(1956年) - 吉成幸一 役
- 白磁の人(1957年) - 五藤民弥 役
- 正義派(1957年) - 藤田 役
- 土砂降り(1957年) - 須藤一夫 役
- ただいま零匹(1957年) - 吉沢議員 役
- 喜びも悲しみも幾歳月(1957年) - 有沢四郎 役
- 集金旅行(1957年) - 旗良平 役
- 風前の灯(1957年) - 佐藤金重 役
- 花嫁のおのろけ(1958年) - 熊沢伝七 役
- 黒い花粉(1958年) - 木曾高志 役
- 渡る世間は鬼ばかり ボロ家の春秋(1958年) - 五味司郎太 役
- オンボロ人生(1958年) - シケタ先生 役
- 日日の背信(1958年) - 土居広之 役
- 花のうず潮(1958年) - 槇五郎 役
- モダン道中 その恋待ったなし(1958年) - 鶴川松夫 役
- 噛みつかれた顔役(1958年) - 泉川 役
- 彼岸花(1958年) - 谷口正彦 役
- 眼の壁(1958年) - 萩崎竜雄 役
- 春を待つ人々(1959年) - 洋画家西脇 役
- 人間の条件 第一・二部(1959年) - 影山少尉 役
- 夫婦合唱(1959年) - 長島雄吉 役
- 惜春鳥(1959年) - 牧田英太郎 役
- お早よう(1959年) - 福井平一郎 役
- ハイ・ティーン(1959年) - 寺崎伸一 役
- 海の地図(1959年) - 外村義高 役
- 暁の地平線(1959年) - 和夫 役
- 三羽烏三代記(1959年) - 辰巳次郎 役
- 人間の条件 第三・四部(1959年) - 影山少尉 役
- 大願成就(1959年) - 小宮 役
- 朱の花粉(1960年) - 武中究二 役
- 四万人の目撃者(1960年) - 高山正士 役
- 白い波濤(1960年) - 滝良一 役
- いろはにほへと(1960年) - 天野竜一 役
- 女の坂(1960年) - 矢追三郎 役
- 暴れん坊三羽烏(1960年) - 桑原編集長 役
- 「青衣の人」より 離愁(1960年) - 境道介 役
- 最後の切札(1960年) - 立野駿介 役
- Blood Is Dry血は渇いてる英語(1960年) - 木口高志 役
- 秋日和(1960年) - 後藤庄太郎 役
- 猟銃(1961年) - 門田礼一郎 役
- 渦(1961年) - 中津洪介 役
- 蒼い海流(1961年) - 高須弓雄 役
- 女舞(1961年) - 西川昌三 役
- 雲がちぎれる時(1961年) - 三崎 役
- 永遠の人(1961年) - 川南隆 役
- 妻あり子あり友ありて(1961年)
- 京化粧(1961年) - 山岡 役
- 千客万来(1962年) - 番取良介 役
- 愛染かつら(1962年) - 服部 役
- しのび逢い(1962年) - 小坂敬三 役
- 二人で歩いた幾春秋(1962年) - 野中義男 役
- かあさん長生きしてね(1962年) - 大島 役
- 続・愛染かつら(1962年) - 服部 役
- 秋刀魚の味(1962年) - 平山幸一 役
- 歌え若人達(1963年)
- 無宿人別帳(1963年) - 宗像弥十郎 役
- 風の視線(1963年) - 久世俊介 役
- 危ない橋は渡りたい(1963年) - 香川直行 役
- 花の咲く家(1963年) - 木津隆三 役
- 結婚式・結婚式(1963年) - 奥山次郎 役
- 丼池(1963年) - 兼光定彦 役
- 踊りたい夜(1963年) - 津村忠雄 役
- モンローのような女(1964年) - 水口志津夫 役
- 続・拝啓天皇陛下様(1964年) - 久留宮良介 役
- 暗殺(1964年) - 坂本龍馬 役
- 悪の紋章(1964年) - 高沢重治 役
- 甘い汗(1964年) - 辰岡 役
7.2. テレビドラマ
- 転落の詩集(1959年、NET)
- 花の生涯(1963年、NHK) - 長野主膳 役
- 青春放課後(1963年、NHK) - 長谷川一郎 役
- 東芝日曜劇場 / 愛する(1963年、TBS)
- 近鉄金曜劇場 太陽をさがせ(1964年、TBS) ※追悼番組として放送
- 虹の設計(1964年 - 1966年、NHK) - 一戸圭介 役 ※遺作
8. 関連人物・作品
佐田啓二の生涯とキャリアに深く関わった人物や、彼の代表的な作品を以下に示す。
- 人物**
- 佐野周二: 佐田の芸名の名付け親であり、松竹入社を斡旋した恩人。
- 木下恵介: 佐田を『不死鳥』に抜擢し、スターダムに押し上げた監督。
- 小津安二郎: 佐田を「戦後日本の青年像」として起用し、数々の名作で共にした監督。
- 田中絹代: デビュー作『不死鳥』で共演した大女優。
- 岸恵子: 『君の名は』で共演し、佐田の人気を決定づけた女優。
- 高峰秀子: 『喜びも悲しみも幾歳月』で夫婦役を演じた女優。
- 伊藤雄之助: 『あなた買います』で鬼気迫る演技を交わした俳優。
- 納谷悟朗: 遺作となったテレビドラマ『虹の設計』で佐田の代役としてアテレコを務めた声優。
- 高橋貞二、鶴田浩二: 佐田と共に「松竹戦後の三羽烏」と称された俳優。
- 千代の山雅信: 佐田と親交のあった同い年の横綱。
- 中井貴恵、中井貴一: 佐田の実子であり、後に俳優として活躍。
- 杉戸益子: 佐田の妻。
- 作品**
- 『不死鳥』(1947年): 佐田のデビュー作。
- 『鐘の鳴る丘』(1947年): 人気ラジオドラマの映画化で、佐田の人気を確立した作品。
- 『君の名は』(1953年): 佐田のトップスターとしての地位を決定づけた大ヒット作。
- 『あなた買います』(1956年): 演技派としての評価を確立し、数々の賞を受賞した代表作。
- 『喜びも悲しみも幾歳月』(1957年): 木下恵介監督による感動的な人間ドラマ。
- 『秋刀魚の味』(1962年): 小津安二郎監督の晩年の代表作の一つ。
- 『虹の設計』(1964年): 佐田の遺作となったテレビドラマ。