1. 概要
北海道岩見沢市出身のプロサッカー選手である千葉和彦(ちば かずひこ、千葉 和彦Chiba Kazuhiko日本語、1985年6月21日 - )は、現在J1リーグのアルビレックス新潟に所属するディフェンダー兼ミッドフィールダーです。彼はJリーグのクラブからのオファーがない中、単身オランダへ渡り、プロとしてのキャリアをスタートさせた「逆輸入Jリーガー」として知られています。そのキャリアを通じて、サンフレッチェ広島で3度のJ1リーグ優勝、アルビレックス新潟でJ2リーグ優勝に貢献し、日本代表にも選出されました。
彼のプロキャリアにおいては、2度にわたるドーピング検査に関する議論が発生しましたが、いずれのケースでも最終的には本人の過失ではないと判断され、活動が再開されています。
2. 来歴
千葉和彦のサッカーキャリアは、北海道での幼少期から始まり、オランダでの海外挑戦、そしてJリーグでの活躍、そして日本代表でのプレーに至るまで多岐にわたります。
2.1. ユース・学歴
千葉和彦は小学校3年生から本格的にサッカーを始め、地元の釧路富原FCに入団しました。その後、父親の転勤に伴い三重県へ移住し、津市立橋北中学校に進学。2001年には特待生として日生学園第二高等学校(現・青山高等学校)に進学しました。高校時代は、三重県選抜の一員として毎年の夏にオランダやスペインへ海外遠征を経験。高校入学当初はFWを務めていましたが、夏以降にボランチへコンバートされました。高校の1年先輩には尾崎瑛一郎がおり、2002年には高校2年生として西村弘司や飛弾暁を擁する四中工を破り、同校史上初の全国高校サッカー選手権大会出場を果たしました。
2.2. 海外挑戦
高校卒業後、千葉はプロ入りを目指していましたが、Jリーグクラブからのオファーがなかったため、知人を頼って単身オランダへ渡りました。2004年1月、オランダ2部リーグのAGOVVアペルドールンにテスト入団を経てアマチュア契約を締結。親からの仕送りに頼りながらサッカーに打ち込み、2004-05シーズン中盤からはウリエ・コールホフ監督によってアンカー(守備的ミッドフィールダー)として起用され、リーグ戦21試合に出場しました。シーズン終了後、コールホフ監督がオランダ2部のFCドルトレヒトに移籍すると、千葉もコールホフに引き抜かれる形で同クラブとのアマチュア契約が内定しました。
2.3. アルビレックス新潟 (第1期)
FCドルトレヒトへの移籍が内定していたにもかかわらず、2005年7月に知人を頼って練習参加していたアルビレックス新潟の反町康治監督から獲得の強い要望を受け、同年8月に新潟とプロ契約を交わし正式に入団しました。新潟入団当初もボランチとしてプレーしていましたが、チームの人材不足により3バックのDFにも起用されました。
2006年からは新潟の監督が鈴木淳に交代しましたが、千葉はコンスタントに試合出場を続け、チーム状況に応じてボランチとセンターバックの両ポジションでプレーしました。2007年にはセンターバックのレギュラーとして活躍し、リーグ中断前にはクラブ史上最高位となる3位にまでチームを押し上げる原動力となりました。同年10月には、かつてアルビレックス新潟で監督を務めた反町康治が率いるU-22日本代表に選出されました。
なお、この2007年には、ドーピング禁止規定に抵触するステロイド系成分を含む薬剤(塗り薬)を使用していたとして、クラブ側から一時的な活動自粛を言い渡される事態が発生しました。しかし、その後のJリーグ側の調査によって、この薬剤は適切な使用方法であれば問題のないものであり、改めて実施されたドーピング検査も陰性であったことから、活動を再開することが認められました。Jリーグ側もこの件について「自粛するほどの大きな問題ではなかった」と回答しています。2008年にはチーム内で負傷者が続出し、J1残留争いに巻き込まれる苦しい状況下で、千葉はそのユーティリティー性を活かしながら奮闘し、U-23日本代表の予備登録メンバーに選出されました。
2009年、チームが4-3-3システムを採用したことで出場機会が減少しましたが、2010年からはチームの副将に就任。シーズンを通してセンターバックとして起用されるようになり、2011年からは正式に登録ポジションをディフェンダーに変更しました。2011年8月6日のJ1第20節清水エスパルス戦では、アディショナルタイムにアンデルソンが蹴ったコーナーキックを頭で合わせ、プロ7年目にして初のゴールを記録しました。
2.4. サンフレッチェ広島
2012年、前年までアルビレックス新潟でヘッドコーチを務めた森保一が監督に就任するサンフレッチェ広島へ、森保監督と共に完全移籍しました。移籍初年度の2012年は、出場停止の1試合を除く33試合にセンターバックとしてフル出場し、広島のJ1初優勝に大きく貢献しました。唯一の出場停止となったJ1第33節のセレッソ大阪戦が、広島のJ1初優勝が決定した試合でした。以降、彼は3バックの一角として不動のレギュラーとして定着しました。
2013年には、サンフレッチェ広島と共にJ1リーグ連覇を達成しました。
2014年からは選手会長に就任。
2015年4月25日のJ1リーグ1stステージ第7節清水エスパルス戦では、前半29分に柴崎晃誠が蹴ったフリーキックを頭で合わせゴールを決め、これがサンフレッチェ広島のJ1通算1000ゴール目となりました。この年、広島は勝ち点74を記録し、3度目のJ1優勝を果たしました。
2016年7月30日、J1リーグ2ndステージ第6節のガンバ大阪戦で、史上87人目となるJ1通算300試合出場を達成しました。
2018年、開幕戦の北海道コンサドーレ札幌戦で手首を骨折したことをきっかけに出場機会を失い、同シーズンをもってサンフレッチェ広島を退団しました。
2.5. 名古屋グランパス
2019シーズンからは名古屋グランパスでプレーすることが発表されました。2019年にはリーグ戦でわずか1試合の出場に終わり、2020年にはプロ入り後15年ぶりに公式戦出場が0となりました。
2.6. アルビレックス新潟 (第2期)
2021年シーズンからJ2リーグに所属するアルビレックス新潟へ完全移籍で加入し、古巣に復帰しました。復帰後もチームの主力として活躍し、2022年にはアルビレックス新潟のJ2リーグ優勝に貢献しました。その後もクラブとの契約を2022年、2023年、2024年と継続的に更新し、チームに貢献し続けています。
2.7. 国家代表経歴
千葉はこれまでにU-21日本代表、U-22日本代表、そしてU-23日本代表(北京オリンピックサッカーアジア予選予備登録メンバー)に選出されています。
2013年には、東アジアカップ2013に臨む国内組のみで構成された日本代表に初選出されました。同年7月25日に行われたオーストラリア戦で代表戦初出場を記録し、チームは3-2で勝利しました。国際Aマッチの出場は1試合0得点です。
2.8. 議論・事件
千葉和彦のキャリアにおいては、2度にわたりドーピング検査に関する議論が発生しましたが、いずれも本人の意図的な不正や重大な過失は認められないと判断され、最終的には活動が再開されました。
- 2007年のドーピング検査問題**:
2007年10月、千葉はドーピング禁止規定に抵触するステロイド系成分を含む薬剤(塗り薬)を使用したとして、所属クラブのアルビレックス新潟から一時的な活動自粛を言い渡されました。しかし、その後のJリーグ側の調査によって、この薬剤は適切な使用方法であれば問題のないものであり、改めて行われたドーピング検査の結果も陰性であったことが確認されました。これにより、千葉は活動を再開することが認められ、Jリーグ側もこの件について「自粛するほどの大きな問題ではなかった」との見解を示しました。この出来事は、選手自身が使用する薬剤の成分確認の重要性と、検査プロセスにおける正確な情報開示の必要性を浮き彫りにしました。
- 2016年のドーピング検査問題**:
2016年10月、試合後のドーピング検査で陽性反応を示し、一時的に暫定的資格停止処分を受けました。しかし、検出された禁止物質は、事前にクラブが製造元に成分内容を確認し、禁止物質を含まず安全であると判断した上で千葉が服用していたサプリメントに含まれていたものでした。このため、年内に処分は解除されることとなりました。日本アンチ・ドーピング規律パネルは、安全確認がなされたクラブ推奨サプリメントを摂取した結果であり、千葉自身に落ち度がなく、選手として可能な注意を尽くしていたと判断しました。しかし、アンチ・ドーピング規程では、どのような原因であれ禁止物質が検出されたことへの責任は選手本人に帰するため、最も軽い処分である譴責処分が科せられました。この件は、クラブと選手が共同でドーピング防止に努めることの重要性を再認識させる事例となりました。
3. プレースタイル・特徴
千葉和彦は、オランダリーグからキャリアをスタートさせた「逆輸入Jリーガー」という異色の経歴を持つ選手です。
彼のプレースタイルは、足元の技術が高く、相手選手との対人能力に優れたセンターバックである点が特徴です。また、ボランチとしてもプレーできるユーティリティー性を持ち合わせています。
明るい性格でも知られており、サンフレッチェ広島時代にはホーム試合勝利後の「サンフレッチェ劇場」を盛り上げるなど、クラブのムードメーカーとしても活躍しました。
4. 人物・エピソード
千葉和彦は、プライベートでは2014年11月11日に一般女性と結婚しています。
彼の興味深いエピソードとして、英語が堪能であることが挙げられます。2014年4月1日のJリーグ開幕戦セレッソ大阪対サンフレッチェ広島の試合中、フォルラン(当時セレッソ大阪所属)の契約期間が当初報道されていた1年ではなく、実際には1年半であったことを、プレー中に直接フォルランから聞き出したという逸話があります。
また、2016年のドーピング検査問題による暫定的資格停止処分が解除された後、初の公の場となった2017年1月15日の「シーズン・イン・イベント2017」(新体制発表イベント)では、新加入選手に続いて壇上に上がり、「アメリカの"FCサプリメント"から期限付き移籍を終えて帰ってきました千葉です」と自虐的なジョークを飛ばし、会場を沸かせました。
5. 統計
千葉和彦のクラブおよび国家代表チームにおける出場記録と得点記録を以下に示します。
5.1. クラブ統計
クラブ成績 | リーグ | カップ戦1 | リーグカップ2 | 大陸別大会3 | その他4 | 通算 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
オランダ | リーグ | KNVBカップ | - | UEFA | - | 通算 | ||||||||
2003-04 | AGOVV | エールステ・ディヴィジ | 0 | 0 | - | - | - | - | 0 | 0 | ||||
2004-05 | 21 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | 22 | 0 | |||||
2005-06 | ドルトレヒト | 0 | 0 | - | - | - | - | 0 | 0 | |||||
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | ACL | その他 | 通算 | ||||||||
2005 | 新潟 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
2006 | 14 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | - | 18 | 0 | ||||
2007 | 27 | 0 | 1 | 0 | 6 | 1 | - | - | 34 | 1 | ||||
2008 | 31 | 0 | 2 | 1 | 6 | 0 | - | - | 39 | 1 | ||||
2009 | 13 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | - | 17 | 0 | ||||
2010 | 33 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 | - | - | 41 | 0 | ||||
2011 | 29 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | - | - | 33 | 1 | ||||
2012 | 広島 | 33 | 1 | 1 | 0 | 6 | 0 | - | - | 40 | 1 | |||
2013 | 34 | 1 | 5 | 1 | 2 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 46 | 2 | ||
2014 | 30 | 1 | 1 | 0 | 5 | 0 | 6 | 1 | 1 | 0 | 43 | 2 | ||
2015 | 34 | 1 | 3 | 0 | 5 | 0 | 3 | 1 | 2 | 0 | 47 | 2 | ||
2016 | 28 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 1 | 0 | 36 | 1 | ||
2017 | 31 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | - | - | 35 | 0 | ||||
2018 | 11 | 2 | 2 | 0 | 0 | 0 | - | - | 13 | 2 | ||||
2019 | 名古屋 | 1 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | - | - | 7 | 0 | |||
2020 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||||
2021 | 新潟 | J2 | 39 | 2 | - | - | - | - | 39 | 2 | ||||
2022 | J2 | 25 | 0 | - | - | - | - | 25 | 0 | |||||
2023 | J1 | 12 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | - | - | 16 | 1 | |||
2024 | J1 | 8 | 1 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | - | 12 | 1 | |||
オランダ通算 | 21 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 22 | 0 | ||
日本通算 | 433 | 11 | 28 | 2 | 57 | 1 | 21 | 3 | 5 | 0 | 544 | 17 | ||
総通算 | 454 | 11 | 29 | 2 | 57 | 1 | 21 | 3 | 5 | 0 | 566 | 17 |
1KNVBカップ、天皇杯
2Jリーグカップ
3AFCチャンピオンズリーグ、FIFAクラブワールドカップ
4FUJI XEROX SUPER CUP、Jリーグチャンピオンシップ
5.2. 国家代表チーム統計
日本代表 | ||
---|---|---|
年 | 出場 | 得点 |
2013 | 1 | 0 |
通算 | 1 | 0 |
6. 獲得タイトル
千葉和彦選手がクラブおよび国家代表チームで獲得した主要なタイトル、および個人受賞歴を以下にまとめます。
6.1. クラブ
- Jリーグ ディビジョン1:3回(2012年、2013年、2015年) - サンフレッチェ広島
- ゼロックススーパーカップ:3回(2013年、2014年、2016年) - サンフレッチェ広島
- J2リーグ:1回(2022年) - アルビレックス新潟
6.2. 国家代表チーム
- 東アジアカップ:1回(2013年) - 日本代表
6.3. 個人
- Jリーグ・優秀選手賞:2回(2012年、2015年)
7. 関連項目
- 北海道出身の人物一覧
- アルビレックス新潟の選手一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
- 名古屋グランパスエイトの選手一覧
- 日本国外のリーグに所属する日本人サッカー選手一覧
8. 外部リンク
- [https://www.national-football-teams.com/player/53118/Kazuhiko_Chiba.html National Football Teams]
- [http://www.jfootball-db.com/en/players/chiba_kazuhiko.html Japan National Football Team Database]
- [https://www.albirex.co.jp/team/player/2021/35/ アルビレックス新潟による公式プロフィール]
- [https://nagoya-grampus.jp/team/top/player/2019/5-kazuhiko-chiba.html 名古屋グランパスによる公式プロフィール]
- [https://web.archive.org/web/20170622085748/http://www.sanfrecce.co.jp/player/top/kazuhiko_chiba.html サンフレッチェ広島による公式プロフィール]
- [https://int.soccerway.com/players/kazuhiko-chiba/ Soccerway]
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