1. 幼少期とユースキャリア
オ・ジェソクは1990年1月4日に大韓民国の京畿道議政府市で生まれた。彼のサッカーキャリアは幼い頃から始まり、年代別の代表チームにも選出されるなど、将来を嘱望される選手として成長した。

1.1. ユース教育とユースクラブ経歴
オ・ジェソクは2005年から2007年まで新葛高校に在籍し、サッカー選手としての基礎を築いた。高校卒業後、2008年には慶熙大学校に進学し、2009年まで同大学のサッカー部でプレーを続けた。大学時代も年代別代表に選ばれ、継続的に才能を発揮した。
1.2. ユース代表チーム
高校時代から韓国の各年代別代表チームに選出されており、国際舞台での経験も豊富である。2007年には2007 FIFA U-17ワールドカップにU-17韓国代表として出場。その後、2008年のU-19アジアユース選手権大会に出場し、チームの3位入賞に貢献し、翌年の2009 FIFA U-20ワールドカップへの出場権を獲得した。そのFIFA U-20ワールドカップ エジプト大会にもU-20韓国代表として出場している。
2010年には2010年アジア競技大会にU-23韓国代表として出場し、銅メダルを獲得。この経験を通じて、彼はオリンピック代表チームの主要な右サイドバックとしての地位を確立した。
2. クラブキャリア
オ・ジェソクのプロサッカークラブキャリアは、韓国のKリーグから始まり、その後日本のJリーグで長期間にわたり活躍し、再びKリーグへと復帰した。
2.1. 水原三星ブルーウィングスと江原FC
2010年、オ・ジェソクはKリーグの水原三星ブルーウィングスにドラフト1巡目で入団し、プロキャリアをスタートさせた。入団時に彼は、当時チームに所属していたベテランのソン・ジョングクと同じチームでプレーできることを光栄だと語っている。同年3月6日に行われた釜山とのホーム開幕戦でデビューを飾り、当時のチャ・ブンクン監督からも高い評価を受けた。
しかし、水原での出場機会は限られ、2011シーズンには江原FCへ1年間の期限付き移籍をすることになった。江原FCではレギュラーの座を掴み、2011年3月5日の慶南戦で移籍後初出場。同年10月1日には全南戦でプロ初ゴールを記録した。シーズン終了後、2011年11月22日にはクァク・グァンソンとのトレードで江原FCに完全移籍した。
この時期、ガンバ大阪への移籍話が持ち上がったが、当時の江原FCは市民クラブでありながら2か月間の給料未払いが発生するなど財政難に陥っていた。クラブは移籍金収入を得るため、オ・ジェソクにガンバ大阪への移籍を受け入れるよう求めた。彼は当初、日本への移籍に乗り気ではなかったが、当時のU-23韓国代表のフィジカルコーチを務めていた池田誠剛に相談し、「日本に行ったら必ず辛いことが待っている。しかし、その困難を乗り越えれば、お前の人生は変わるだろう」という言葉に励まされ、移籍を決意した。
2.2. ガンバ大阪
2013年、オ・ジェソクは日本のJリーグに舞台を移し、前年にJ1から降格したガンバ大阪に完全移籍した。移籍初年度の2013年は、ベテランの加地亮の控えとして過ごすことが多く、J2リーグでわずか5試合の出場に留まったが、チームはJ2優勝を果たし、1年でのJ1復帰を成し遂げた。
2014年シーズンは、加地亮が移籍し、米倉恒貴が新加入、さらに藤春廣輝が左サイドバックとして台頭する中で、熾烈なポジション争いを繰り広げた。しかし、激しい試合日程の中で長谷川健太監督によるローテーションが採用され、オ・ジェソクはシーズンを通して右サイドバックと左サイドバックの両方で安定した守備力を発揮し、公式戦37試合に出場。ガンバ大阪のJ1リーグ、Jリーグカップ、天皇杯の国内タイトル三冠獲得に大きく貢献した。
2015年シーズンもチームは天皇杯連覇を果たし、FUJI XEROX SUPER CUPも獲得した。しかし、オ・ジェソク自身は左太ももの故障が2度続き、藤春廣輝と米倉恒貴が日本代表に選出される活躍を見せたこともあり、リーグ戦の出場は10試合に留まった(公式戦合計22試合出場)。また、AFCチャンピオンズリーグ2015では準決勝まで進出したが、広州恒大に敗れた。この年のJリーグチャンピオンシップ決勝第1戦のサンフレッチェ広島戦では、後半41分に相手選手への「乱暴な行為」でレッドカードを受け退場処分となり、チームは逆転負けを喫した。この退場により第2戦も出場停止となった。
2016年から2018年にかけては、チームはタイトルを獲得できなかったものの、米倉恒貴、藤春廣輝、そして新進気鋭の初瀬亮といった選手との激しい競争の中で、オ・ジェソクはコンスタントに出場機会を得た。これらのシーズンで、彼はそれぞれリーグ戦18試合、29試合、24試合に出場し、チームの成績はそれぞれ4位、10位、9位であった。
2.3. FC東京への期限付き移籍と名古屋グランパスへの移籍
2019年7月8日、オ・ジェソクはガンバ大阪からFC東京へ期限付き移籍することが発表された。FC東京ではリーグ戦12試合に出場した。
2020年シーズンは一旦ガンバ大阪に復帰したが、同年7月9日には名古屋グランパスへ完全移籍することが発表された。名古屋グランパスでの背番号は34番となった。彼はこのシーズン、リーグ戦22試合に出場した。
2.4. Kリーグ復帰(仁川ユナイテッドFCと大田ハナシチズン)
2021年より、オ・ジェソクは9年ぶりに韓国のKリーグ1に復帰し、仁川ユナイテッドFCへ完全移籍した。仁川ユナイテッドFCでは2021年にリーグ戦26試合に出場。2022年には筋肉系の負傷に悩まされ、リーグ戦全試合を欠場する期間が長引いたものの、上位6クラブによる優勝プレーオフでは5試合中3試合に出場した。
2023年より、彼はDFクォン・ハンジンとのトレードで大田ハナシチズンに完全移籍した。大田ハナシチズンでの背番号は22番であり、移籍初年度からリーグ戦25試合に出場し、チームに貢献している。
3. 代表キャリア
オ・ジェソクは、各年代のユース代表チームからA代表まで、韓国代表として国際舞台で活躍した。
3.1. オリンピック代表
オ・ジェソクは、U-23韓国代表の一員として、2012年ロンドンオリンピックに出場した。彼は最終メンバーに選出されたが、ワイルドカードとして招集されたキム・チャンスに右サイドバックのレギュラーの座を譲り、当初は控えであった。しかし、イギリス戦でキム・チャンスが前半途中で負傷交代したことを受けて出場し、以降もコンスタントに試合に出場。チームの銅メダル獲得に大きく貢献した。このメダル獲得により、彼は兵役を免除された。
3.2. A代表
2015年、オ・ジェソクは2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選のミャンマー戦とラオス戦に韓国代表のバックアップメンバーとして初めて招集された。
2016年3月には、ウリ・シュティーリケ監督によって2018 FIFAワールドカップ・アジア2次予選のレバノン戦などのA代表メンバーに初選出されたが、直前のAFCチャンピオンズリーグでの負傷により辞退し、キム・チャンスが代替招集された。
その後、同年8月に2018 FIFAワールドカップ アジア3次予選の代表メンバーに再選出され、9月1日に行われた中国戦でAマッチデビューを果たした。この試合では左サイドバックとして出場した。国際Aマッチには2016年から2017年にかけて合計4試合に出場している。
4. 人物・エピソード
オ・ジェソクは、そのプロフェッショナルな姿勢と人間味あふれる行動で知られている。
4.1. 影響を与えた人間関係
江原FC在籍時、日本のガンバ大阪からのオファーを受けた際、彼は当初移籍に消極的であった。しかし、当時江原FCが給料の未払いに苦しんでおり、移籍金収入を得るためにクラブから移籍を受け入れるよう要請された。U-23韓国代表のフィジカルコーチであった池田誠剛に相談したところ、「(日本に)行ったら絶対しんどい。でもその難しさを越えたらお前の人生変わるよ」という言葉を受け、最終的に移籍を決断した。ガンバ移籍1年目は様々な面でうまくいかず、「なぜ自分がみんなのために移籍しなければならなかったのか」と悩むこともあったと語っている。
ガンバ大阪に移籍した当初、負傷の影響もあり、なかなか出場機会に恵まれなかったオ・ジェソクは、後ろ向きな態度で練習にも遅れて参加し、誰よりも早く帰るなど、プロとして不真面目な行動が続いていた。韓国から持ち込んだ荷物の大半も送り返してしまい、心配した両親が来日。両親から「選手としてする行動ではない」「お前の後にも韓国の選手が日本に来るかもしれないのに、その選手に被害が及んではいけない」と厳しく叱責され、彼は生活態度を改めた。それ以降、練習には「二番目」に早く来て、最も遅く帰る選手となり、大きく成長した。彼が「一番早く練習にやって来る」と語る加地亮よりは、どうしても早く来られなかったというエピソードもある。
オ・ジェソクは、同じポジションのライバルであったにもかかわらず、常に自分を気にかけてくれた加地亮を深く尊敬している。チームに馴染めずにいたオ・ジェソクを加地亮は自宅でのバーベキューパーティーに招いてチームメイトとの交流の機会を作ったり、髪が伸びれば自身が経営する美容室を紹介したり、両親が来日した際には自身が経営する飲食店に招待するなど、公私にわたって精神的・物理的な支援を惜しまなかった。オ・ジェソクは加地亮を「一生忘れられない人」と今も敬愛しており、2014年以降、ガンバ大阪では加地亮の背番号である21番の隣である22番を愛用した。
4.2. 公衆との交流と人道的活動
2010年の広州アジア競技大会後、自身のミニホームページに投稿した文章が、金メダルを獲得した野球代表チームを批判する内容だと誤解され、インターネットユーザーから集中砲火を浴びたことがある。しかし、彼はその後、野球代表チームではなく日本サッカー代表について言及したものだと釈明した。
2017年、肺の難病治療のため大阪府吹田市の国立循環器病研究センターに来日した韓国人女性に対し、オ・ジェソクは人道的な支援を行った。彼は「自分も来日当初は言葉や文化の違いで苦労した。病気ならなおさら力になりたい」と語り、入院手続きの通訳を務めたり、キムチなどの食材や韓国の映画・ドラマをダウンロードしたタブレット端末を差し入れるなどして、その女性を支えた。この行為は読売新聞で報じられ、広く称賛された。
彼は流暢な日本語を話し、日本人チームメイトとの会話は日本語でこなしている。また、FC東京在籍時には、ガンバ大阪時代のチームメイトであった大森晃太郎と共に関西弁での試合告知VTRに出演するなど、多言語能力を活かしてファンとの交流も深めた。
4.3. 結婚
オ・ジェソクは2022年3月2日、自身のSNSを通じて結婚を報告した。
5. キャリア統計
5.1. クラブ統計
| クラブ | シーズン | リーグ戦 | 国内カップ戦 | リーグカップ戦 | 大陸別大会 | その他1 | 通算 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| ディビジョン | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
| 水原三星ブルーウィングス | 2010 | Kリーグ1 | 5 | 0 | 3 | 0 | 2 | 0 | 2 | 0 | - | 12 | 0 | |
| 江原FC (期限付き移籍) | 2011 | Kリーグ1 | 22 | 1 | 3 | 0 | 2 | 0 | - | - | 27 | 1 | ||
| 江原FC | 2012 | 31 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 31 | 2 | ||
| 合計 | 53 | 3 | 3 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 58 | 3 | ||
| ガンバ大阪 | 2013 | J2リーグ | 5 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 5 | 0 | |||
| 2014 | J1リーグ | 24 | 0 | 3 | 0 | 10 | 0 | - | - | 37 | 0 | |||
| 2015 | 10 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | 4 | 0 | 4 | 0 | 22 | 0 | ||
| 2016 | 18 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 25 | 0 | ||
| 2017 | 29 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 7 | 0 | - | 39 | 0 | |||
| 2018 | 24 | 0 | 1 | 0 | 7 | 0 | - | - | 32 | 0 | ||||
| 2019 | 8 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | - | - | 12 | 0 | ||||
| 2020 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 1 | 0 | ||||
| 合計 | 119 | 0 | 8 | 0 | 26 | 0 | 15 | 0 | 5 | 0 | 173 | 0 | ||
| FC東京 (期限付き移籍) | 2019 | J1リーグ | 12 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 12 | 0 | ||
| 名古屋グランパス | 2020 | J1リーグ | 22 | 0 | - | 1 | 0 | - | - | 23 | 0 | |||
| 仁川ユナイテッドFC | 2021 | Kリーグ1 | 26 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 26 | 0 | |||
| 2022 | 3 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | 4 | 0 | |||||
| 合計 | 29 | 0 | 1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 30 | 0 | ||
| 大田ハナシチズン | 2023 | Kリーグ1 | 22 | 0 | 3 | 0 | - | - | - | 25 | 0 | |||
| キャリア通算 | 262 | 3 | 18 | 0 | 31 | 0 | 17 | 0 | 5 | 0 | 333 | 3 | ||
1 Jリーグチャンピオンシップ、FUJI XEROX SUPER CUP、スルガ銀行チャンピオンシップを含む。
5.2. リザーブチーム統計
| クラブ成績 | リーグ戦 | 通算 | ||||
|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
| 日本 | リーグ戦 | 通算 | ||||
| 2016 | ガンバ大阪U-23 | J3リーグ | 2 | 0 | 2 | 0 |
| キャリア通算 | 2 | 0 | 2 | 0 | ||
5.3. 代表出場記録
| 年 | 出場 | 得点 |
|---|---|---|
| 2016 | 3 | 0 |
| 2017 | 1 | 0 |
| 通算 | 4 | 0 |
6. タイトル
オ・ジェソクは、個人およびチームの一員として以下のタイトルを獲得している。
クラブ
- 水原三星ブルーウィングス
- 韓国FAカップ:1回(2010年)
- ガンバ大阪
- Jリーグ ディビジョン1:1回(2014年)
- Jリーグ ディビジョン2:1回(2013年)
- Jリーグカップ:1回(2014年)
- 天皇杯:2回(2014年、2015年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2015年)
代表
- オリンピック
- 2012 ロンドン:銅メダル