1. 概要
堤俊輔は、埼玉県新座市出身の元プロサッカー選手であり、現在はJFA登録仲介人として活動している。現役時代のポジションは主にディフェンダー(左サイドバック、センターバック)を務めた。浦和レッドダイヤモンズのユース出身で、トップチーム昇格後、ロアッソ熊本、栃木SCへの期限付き移籍を経て、アビスパ福岡、鹿児島ユナイテッドFCでプレーし、2020年1月に現役を引退した。
2. 個人情報
堤俊輔の基本的な個人情報、出生地、幼少期の環境、学歴について詳述する。
2.1. 出生と幼少期
堤俊輔は、1987年6月8日に埼玉県新座市で生まれた。幼少期には地元のサッカークラブである新座市立野寺小学校を拠点とする新座たけしのキッカーズに所属し、サッカーを始めた。その後、新座市立第五中学校に進学した。
2.2. 学歴
サッカー選手としてのキャリアに関連する学歴として、堤は浦和レッドダイヤモンズの育成組織に所属していた。新座市立第五中学校在学中の2000年から2002年まで浦和レッドダイヤモンズジュニアユースでプレーし、浦和実業学園高校在学中の2003年から2005年まで浦和レッドダイヤモンズユースに所属した。ユース時代にはチームのキャプテンを務めるなど、リーダーシップを発揮した。
3. ユースキャリア
堤俊輔のプロ入り前のユース年代におけるサッカー活動について詳述する。
3.1. ジュニアユースおよびユースチームでの活動
堤俊輔は、2000年から2002年まで浦和レッドダイヤモンズジュニアユースに、2003年から2005年まで浦和レッドダイヤモンズユースに所属し、この期間にサッカー選手としての基礎を築いた。ユースチームではキャプテンを務め、チームを牽引した。2005年8月には、西澤代志也、小池純輝とともに2種登録選手として浦和レッドダイヤモンズのトップチームに登録され、トップチームの練習に帯同した。当時のユース時代の同期には、後にプロとして活躍する宇賀神友弥らがいる。
4. プロキャリア
堤俊輔のプロサッカー選手としてのキャリアの変遷を時系列で詳細に記述する。
4.1. 浦和レッズ
2006年、堤は浦和レッドダイヤモンズのトップチームに昇格した。しかし、昇格当初は公式戦での出場機会に恵まれず、ベンチ入りすらできない日々が続いた。同年にはAFCユース選手権にU-19日本代表として出場したが、浦和での経験不足が原因で2007年のFIFA U-20ワールドカップメンバー入りを逃した。
2007年シーズンには、A3カップの山東魯能泰山戦で公式戦初出場を果たし、Jリーグカップのガンバ大阪戦で国内戦デビューを飾った。2008年には、監督交代後にJ1第3節のアルビレックス新潟戦でリーグ戦初出場を飾り、チームのリーグ戦初勝利に貢献した。この活躍により、坪井慶介に代わってレギュラーに定着した。
しかし、2008年5月1日には、大原サッカー場近くで自動車運転中にバイクとの接触事故を起こし、チームから厳重注意処分を受けた。同年シーズン終盤には、トレーニング中に左膝前十字靭帯断裂の重傷を負い、シーズン終了後に手術を受けた。当時のフォルカー・フィンケ監督から「堤がいるので補強を見送った」と言われるほど高い期待を受けていたが、新しい靭帯がうまく適合せず再手術となり、2009年シーズン中の復帰は絶望的とされた。それでも同年10月下旬から部分的にトレーニングに合流し、11月にはほぼ全てのトレーニングに参加、練習試合にも出場できるまでに回復した。
2010年2月20日に行われた徳島ヴォルティスとのプレシーズンマッチで左サイドバックとして先発出場し、久々の実戦復帰を果たした。シーズン開始後はリーグ戦とカップ戦でそれぞれ1試合に出場したが、長期離脱の影響で試合勘が戻らず、低調なパフォーマンスに終始した。その後は出場機会に恵まれず、同年6月よりロアッソ熊本へ期限付き移籍することとなった。
4.2. 期限付き移籍
浦和レッズ在籍中に、堤俊輔は2度の期限付き移籍を経験した。
4.2.1. ロアッソ熊本
2010年6月から同年12月まで、堤はロアッソ熊本に期限付き移籍した。移籍直後からDF市村篤司の負傷もあり、主力選手として活躍。チームのJ2上位進出に貢献した。シーズン終了後の2010年12月8日、2011年シーズンから浦和レッズへ復帰することが発表された。
4.2.2. 栃木SC
2011年シーズンに浦和レッズに復帰したものの、出場機会がないまま同年7月14日に栃木SCへ期限付き移籍することが発表された。しかし、栃木SCでも5試合の出場にとどまり、同年12月2日には栃木SCとの期限付き移籍期間満了と、所属元の浦和レッズからの契約満了が発表され、来シーズンの契約は更新されなかった。
4.3. アビスパ福岡
2012年より、堤はアビスパ福岡へ完全移籍した。移籍初年度の2012年は、調子の波があり本来の実力を十分に発揮できなかった。しかし、2013年には開幕戦となる第1節の東京V戦(味の素スタジアム)でスターティングメンバーに起用されると、その後も主力選手として完全に定着した。同年第13節の横浜FC戦(ニッパツ三ツ沢球技場)では、決勝点となるプロ入り初ゴールを決めた。
2018年シーズン終了後、契約満了によりアビスパ福岡を退団した。同年12月12日には、フクダ電子アリーナで行われたJリーグ合同トライアウトに出場した。
4.4. 鹿児島ユナイテッドFC
2019年、堤は鹿児島ユナイテッドFCに加入した。センターバックとして33試合に出場したが、チームはJ2で21位となりJ3への降格が決定した。シーズン終了後、契約満満了により鹿児島ユナイテッドFCを退団した。
4.5. 引退
2020年1月22日、堤俊輔はプロサッカー選手としての現役引退を発表した。
5. プレースタイルとポジション
堤俊輔の選手としての特徴、主に担当したポジション、プレーの強みや戦術的な役割について解説する。
5.1. 主なポジションとプレースタイル
堤俊輔は主にディフェンダーとして、左サイドバックやセンターバックのポジションでプレーした。利き足は右足であるにもかかわらず、左足のキック精度も非常に高く、そのため左サイドでの起用が多い選手であった。守備戦術においてチームに貢献する堅実なプレーが特徴であった。
6. 代表歴
堤俊輔の各年代の日本代表チームでの活動歴と、参加した主な国際大会の記録をまとめる。
6.1. 年代別代表での活動
堤俊輔は、各年代の日本代表に選出され、国際舞台での経験を積んだ。
- 2005年:U-18日本代表に選出された。
- 2006年:U-19日本代表に選出され、AFCユース選手権2006に出場した。この大会では、U-19日本代表は準優勝の成績を収めた。
- 2007年:U-20日本代表に選出された。
7. 個人成績
堤俊輔の所属クラブや代表チームでの公式戦における詳細な出場記録、得点記録などを集計して示す。
7.1. クラブ別記録
堤俊輔のクラブ別公式戦記録は以下の通り。
クラブ | シーズン | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | ACL | その他* | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
浦和 | 2006 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | ||
2007 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | 3 | 0 | |
2008 | 18 | 0 | 1 | 0 | 5 | 0 | 1 | 0 | - | 26 | 0 | ||
2009 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||
2010 | 1 | 0 | - | 1 | 0 | - | - | 2 | 0 | ||||
熊本 | 2010 | 18 | 0 | 2 | 0 | - | - | - | 20 | 0 | |||
浦和 | 2011 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | - | - | 0 | 0 | |||
栃木 | 2011 | 5 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | 6 | 0 | |||
福岡 | 2012 | 23 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | 24 | 0 | |||
2013 | 40 | 1 | 0 | 0 | - | - | - | 40 | 1 | ||||
2014 | 42 | 4 | 0 | 0 | - | - | - | 42 | 4 | ||||
2015 | 40 | 0 | 2 | 0 | - | - | - | 42 | 0 | ||||
2016 | 15 | 0 | 2 | 0 | 3 | 0 | - | - | 20 | 0 | |||
2017 | 17 | 0 | 2 | 0 | - | - | - | 19 | 0 | ||||
2018 | 11 | 0 | 2 | 0 | - | - | - | 13 | 0 | ||||
鹿児島 | 2019 | 33 | 0 | 1 | 0 | - | - | - | 34 | 0 | |||
キャリア合計 | 263 | 5 | 14 | 0 | 11 | 0 | 1 | 0 | 1 | 0 | 290 | 5 |
*その他にはA3チャンピオンズカップを含む。
その他の公式戦
- 2015年:J1昇格プレーオフ 2試合0得点
- 2017年:J1昇格プレーオフ 2試合0得点
公式戦初出場: 2007年6月7日 A3カップ vs山東魯能泰山戦 (山東スポーツセンタースタジアム)
Jリーグ初出場: 2008年3月30日 J1第3節 vsアルビレックス新潟戦 (埼玉スタジアム2002)
Jリーグ初得点: 2013年5月6日 J2第13節 vs横浜FC戦 (ニッパツ三ツ沢球技場)
7.2. 国際試合記録
堤俊輔の年代別国際試合記録は以下の通り。
代表チーム | 年 | 出場 | 得点 |
---|---|---|---|
U-20日本代表 | |||
2005 | 2 | 0 | |
2006 | 5 | 0 | |
合計 | 7 | 0 |
年代別代表での主要大会出場記録。
チーム | 大会 | カテゴリー | 出場 | 得点 | チーム成績 | |
---|---|---|---|---|---|---|
先発 | 途中出場 | |||||
U-20日本代表 | AFCユース選手権2006 予選 | U-18 | 2 | 0 | 0 | 予選突破 |
U-20日本代表 | AFCユース選手権2006 | U-19 | 5 | 0 | 0 | 準優勝 |
8. 受賞歴・栄誉
堤俊輔のプロキャリアを通じて獲得したチームタイトルを一覧化する。
8.1. クラブでの受賞
- 浦和レッドダイヤモンズ
- Jリーグ ディビジョン1:1回(2006年)
- 天皇杯:2回(2005年、2006年)
- AFCチャンピオンズリーグ:1回(2007年)
- スーパーカップ:1回(2006年)
9. 引退後の活動
堤俊輔の現役引退後にどのような分野で活動しているか、その経歴について説明する。
9.1. エージェントへの転身
プロサッカー選手引退後、堤俊輔はJFA登録仲介人(エージェント)に転身した。現在はSARCLEに所属し、サッカー選手の移籍や契約交渉などをサポートする活動を行っている。
9.2. 現役引退後のプレー
2020年1月にプロサッカー選手としての現役を引退したが、2023年にはとらばこ赤坂FCでプレーしている。
10. エピソード
堤俊輔の選手時代の個人的なエピソード、人間関係、趣味嗜好など、選手以外の側面を紹介する。
10.1. 個人的エピソード
- 堤俊輔は利き足が右足であるにもかかわらず、左足のキック精度も非常に高いことで知られている。そのため、サイドバックやセンターバックとして左サイドで起用されることが多かった。
- 細貝萌とは公私ともに非常に親しい関係であり、漫画家古沢優の作品『赤菱のイレブン』では、二人の関係が度々ネタにされていた。
- 元プロ野球選手の山崎勝己とは、山崎が福岡ソフトバンクホークスに所属していた頃からの親交があり、山崎がオリックス・バファローズに移籍した後も、福岡PayPayドーム(旧福岡ヤフオク!ドーム)でのオリックス戦に応援に駆けつけるなど、深い交友関係を続けている。
- 安室奈美恵の熱心なファンであり、チームメイトの金城クリストファー達樹と共にライブに参戦する様子を自身のブログに掲載していた。
- アビスパ福岡在籍時の個人チャントの原曲は、ボニーMの楽曲「バビロンの河」である。
- 彼の名言として「細胞が求めている。」という言葉が挙げられる。
11. 外部リンク
- [https://www.fifa.com/player/268475 FIFA Player Profile]
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=7587 Jリーグ選手名鑑]
- [https://www.avispa.co.jp/club-info/df19tutumi アビスパ福岡でのプロフィール]
- [http://soccer.yahoo.co.jp/jleague/players/detail/500919 Yahoo! Sportsでのプロフィール]
- [https://twitter.com/ttm0019 堤俊輔公式Twitter]
- [https://ameblo.jp/ttm0019/ 堤俊輔オフィシャルブログ「金髪日記」]