1. 概要
大倉 智(おおくら さとし、Satoshi Okuraサトシ・オオクラ英語、1969年5月22日 - )は、神奈川県川崎市出身の元サッカー選手であり、現在はスポーツ経営者として活躍している。現役時代のポジションはFW。早稲田大学卒業後、日立製作所(現・柏レイソル)でプロキャリアをスタートさせ、その後ジュビロ磐田、ブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)、アメリカのジャクソンビル・サイクロンズでもプレーした。選手引退後は、スペインのヨハン・クライフ大学でスポーツマネジメントを学び、その知識を活かしてセレッソ大阪のチーム統括ディレクター、湘南ベルマーレの強化部長、ゼネラルマネージャー、取締役社長、代表取締役社長を歴任し、クラブの変革に貢献した。現在はいわきFCの運営会社である株式会社いわきスポーツクラブの代表取締役を務め、自身の経営哲学である「スポーツの産業化」と「真に模範的なクラブ」の実現を通じて、日本サッカー界に新たな価値観を提示しようとしている。
2. 幼少期と学歴
大倉智は、その後のキャリアに繋がるサッカーとの出会い、そして高い学識を身につけるための教育を受けた。
2.1. 子供時代と学生時代
大倉智は1969年5月22日に東京都で生まれ、その後神奈川県川崎市に移り幼少期を過ごした。川崎市立南百合丘小学校在学時には百合丘子どもSCに所属。川崎市立長沢中学校を経て、1985年に暁星高校に入学し、サッカー部で活動した。高校時代には、第65回全国高等学校サッカー選手権大会および第66回全国高等学校サッカー選手権大会の2度にわたり、全国高等学校サッカー選手権大会に出場している。
2.2. 大学生活とアマチュアキャリア
1988年、大倉は早稲田大学商学部に入学し、ア式蹴球部に入部した。大学サッカーでは主力選手として活躍し、4年時には第40回全日本大学サッカー選手権大会でチームを優勝に導いた。大学卒業後、1992年に日立製作所に入社し、社員選手としてプレーを続けた。この時期はプロ契約ではなく、会社に籍を置くアマチュア選手としての活動であった。
3. 選手経歴
大倉智は、そのキャリアを通じて日本のサッカーリーグの変遷を経験し、国内外の複数のクラブでフォワードとしてプレーした。
3.1. 柏レイソル時代
1992年に日立製作所に入社後、大倉はフォワードとしてプレーを開始した。日立製作所サッカー部は1994年にJリーグ昇格に伴い、「柏レイソル」へと名称を変更し、大倉もこれに合わせてプロ選手に転向した。レイソル時代には、ブラジル代表のスター選手であったカレカと良好な連携を見せ、カレカは大倉を「弟子の様な存在」と語り、大倉自身もカレカを「師匠の様な存在」と慕っていた。1993年9月25日に行われたJリーグカップのベルマーレ戦ではハットトリックを達成し、チームの勝利に貢献した。また、1995年のJリーグ開幕戦である清水エスパルス戦では、柏レイソルの選手としてJリーグのリーグ戦におけるクラブ第1号ゴールを記録した。
3.2. その後のプロ経歴
柏レイソルを退団後、大倉は1996年にジュビロ磐田に移籍した。しかし、磐田では出場機会に恵まれず、リーグ戦4試合、カップ戦5試合の計9試合のみの出場にとどまった。1997年にはジャパンフットボールリーグ所属のブランメル仙台(現・ベガルタ仙台)へ移籍。ブランメル仙台ではレギュラー選手として1シーズンを過ごし、リーグ戦26試合に出場して8得点を挙げるなど、チームの攻撃を牽引した。1998年には活躍の場をアメリカ合衆国に移し、ジャクソンビル・サイクロンズに入団した。
3.3. 選手引退
ジャクソンビル・サイクロンズでのプレーを最後に、大倉智は1998年9月にプロサッカー選手としての現役生活を終えた。引退後、彼は選手としての経験を活かし、スポーツビジネスの世界へと足を踏み入れることになる。
4. クラブ成績
| クラブ成績 | リーグ | カップ戦 | リーグカップ | 合計 | |||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
| 日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||
| 1992 | 日立 | JFL1部 | 6 | 0 | - | - | 6 | 0 | |||
| 1993 | 柏レイソル | JFL1部 | 12 | 5 | 1 | 0 | 6 | 4 | 19 | 9 | |
| 1994 | 19 | 8 | 0 | 0 | 0 | 0 | 19 | 8 | |||
| 1995 | 柏レイソル | J1 | 17 | 1 | 2 | 0 | - | 19 | 1 | ||
| 1996 | ジュビロ磐田 | J1 | 4 | 0 | 0 | 0 | 5 | 1 | 9 | 1 | |
| 1997 | B仙台 | JFL | 26 | 8 | 2 | 2 | 3 | 0 | 31 | 10 | |
| 総通算 | 84 | 22 | 5 | 2 | 14 | 5 | 103 | 29 | |||
5. 経営者経歴
選手引退後、大倉智はスポーツマネジメントの世界に身を投じ、日本のサッカークラブの経営者として多大な影響を与えた。
5.1. スポーツマネジメント研究
選手引退直後の1998年から2000年にかけて、大倉はカタルーニャ州(スペイン)のバルセロナにあるヨハン・クライフ大学でスポーツマネジメントを学んだ。この留学期間中に、彼はバイエルン・ミュンヘンのGM(ゼネラルマネージャー)であったウリ・ヘーネスと出会い、「サッカーはいかに負けるかが大事なんだ」という言葉に感銘を受け、この哲学が彼のその後の経営者としての考え方の礎となった。
5.2. セレッソ大阪チーム統括ディレクター
2001年シーズン途中から、大倉はセレッソ大阪のチーム統括ディレクターに就任した。この職務を2004年まで務め、クラブの運営とチーム強化において、マネジメントの視点から貢献した。
5.3. 湘南ベルマーレ経営
2005年、大倉は湘南ベルマーレの強化部長に就任した。当時の湘南ベルマーレは低迷期にあり、J1昇格争いに絡むような成績を収められずにいた。大倉は強化部長としてチームの再建に取り組み、徐々にチームをJ1昇格を争えるレベルへと変貌させていった。2013年4月にはゼネラルマネージャーに就任し、クラブ全体の運営に関与する範囲を広げた。さらに、2014年4月には取締役社長に、2015年には代表取締役社長に就任し、名実ともにクラブ経営のトップとして辣腕を振るった。
5.4. いわきFCでのリーダーシップ
湘南ベルマーレの社長を務めていた大倉は、当時のJリーグが「落ちない(降格しない)ように戦っているようにも見える」と感じ、常に「前に前にとゴールを目指す」世界のサッカーとの間にギャップがあることを認識していた。そのような中で、大学時代から面識があり、同学年でもある株式会社ドーム社長の安田秀一が掲げる「スポーツの産業化」というビジョンに強く共感し、意気投合した。
安田が福島県リーグ2部に所属していたいわきFCの運営権を取得すると、大倉は「10年後に『こういうクラブが本当の意味でのお手本なんだ』ということを示したい」という思いから、その趣旨に賛同。2015年12月、湘南ベルマーレの社長を辞任し、いわきFCの運営会社である株式会社いわきスポーツクラブの代表取締役に就任した。いわきFCでは、単なるサッカークラブ運営に留まらず、スポーツを通じた地域社会の活性化、人材育成、そして新たなビジネスモデルの構築を目指すリーダーシップを発揮している。
6. 経営哲学とビジョン
大倉智の経営哲学は、日本のサッカー界に新たな風を吹き込むものとして注目されている。彼のビジョンは、単に勝利を追求するだけでなく、スポーツが持つ可能性を最大限に引き出し、社会全体に貢献することを目指している。
彼の掲げる主要な哲学の一つは「スポーツの産業化」である。これは、スポーツを単なる競技やエンターテイメントとしてではなく、経済活動の重要な一部として捉え、ビジネスとして成立させることを意味する。彼は、プロスポーツクラブが自立し、持続可能な経営を行うことで、地域経済の活性化や雇用の創出にも寄与できると考えている。株式会社ドームの安田秀一社長との意気投合も、この「スポーツの産業化」という共通のビジョンがあったからこそである。
もう一つの核心的なビジョンは、「真に模範的なクラブ」を創り上げることである。これは、大倉が湘南ベルマーレ社長を辞任し、当時地域リーグに所属していたいわきFCの代表取締役に就任した動機そのものである。彼は、いわきFCを拠点に、プロフェッショナルな運営体制、選手育成、地域連携、ファンエンゲージメントなど、あらゆる面で他のクラブの模範となるような存在を目指している。特に、東日本大震災で大きな被害を受けた福島県いわき市という地で、スポーツを通じて復興を支援し、希望を与える役割を担うことは、彼のビジョンにおける重要な要素となっている。彼の哲学は、短期的な成功だけでなく、長期的な視点に立ち、社会的な影響力を持つクラブの創造に焦点を当てている。
7. 所属クラブ
- 百合丘子どもSC(川崎市立南百合丘小学校)
- 川崎市立長沢中学校
- 暁星高校
- 早稲田大学
- 1992年 - 1995年 日立製作所 / 柏レイソル(選手)
- 1996年 ジュビロ磐田(選手)
- 1997年 ブランメル仙台(選手)
- 1998年 ジャクソンビル・サイクロンズ(選手)
- 1998年 - 2000年 ヨハン・クライフ大学(在学)
- 2001年8月 - 2004年 セレッソ大阪(チーム統括ディレクター)
- 2005年 - 2015年 湘南ベルマーレ(強化部長 → ゼネラルマネージャー → 取締役社長 → 代表取締役社長)
- 2015年12月 - いわきFC(株式会社いわきスポーツクラブ 代表取締役)