1. 概要
大林素子(おおばやし もとこ日本語、Motoko Obayashi英語)は、1967年6月15日生まれの日本の元バレーボール選手であり、現在はスポーツキャスター、タレント、女優、モデルとして多岐にわたる分野で活動している。東京都小平市出身。身長は選手時代から度々変化が報じられているが、代表的な身長は182 cmであり、現役時代はサウスポーから放たれる強烈なスパイクを武器に活躍した。
彼女は1985年から1996年まで全日本女子代表として活躍し、オリンピックには1988年ソウル大会、1992年バルセロナ大会、1996年アトランタ大会と3大会連続で出場した。また、1994年のグッドウィルゲームズでは銅メダル、アジア競技大会でも2度の銅メダルを獲得するなど、国際舞台で数々の実績を残した。
選手引退後は、ホリプロに所属し、スポーツキャスターとしてF1中継のリポーターを務める傍ら、テレビ、映画、舞台などエンターテイメント分野で幅広く活動。特に蜷川幸雄演出作品への出演や、ライフワークとする舞台『MOTHERマザー~特攻の母 鳥濱トメ物語~』での主演など、女優としての評価も高い。さらに、大学での客員教授や非常勤講師、Vリーグチームのゼネラルマネージャーを務めるなど、学術的・マネジメント的な側面でもバレーボール界に貢献し続けている。
彼女のキャリアは、幼少期の長身に対するコンプレックスを克服し、それを自身の強みへと転換させた粘り強い努力と、スポーツ界のプロ化を志向し困難に立ち向かった挑戦的な姿勢に特徴づけられる。引退後も多方面で活躍し、社会やスポーツの発展に寄与する姿勢は、個人の能力を最大限に引き出し、社会貢献を追求する中道左派的な価値観と合致するものである。
2. 生い立ちと背景
2.1. 子供時代の長身へのコンプレックス
大林素子は東京都新宿区で生まれ、物心が付く頃に小平市に転居した。幼い頃から歌手になるのが夢で、宝塚歌劇団などのミュージカルや音楽番組を見ながら家の中で歌や踊りを真似ていた。しかし、当時から他の子より背が高かったため、小学校入学後はいじめに遭い、長身がコンプレックスとなった。その後も身長はぐんぐん伸び、小学6年生には170 cmに達し、一時は引きこもったり自殺を考えるほど悩んだという。
転機となったのは小学4年の時で、テレビアニメ『アタックNo.1』の再放送を見たのがきっかけで、コンプレックスだった長身が武器になると思い、中学でバレーボール部に入部することを決意した。本人によると、入部時は「いつかバレー選手としてオリンピックに出て、皆を見返そう」と考えていた。また、「小学校時代にいじめを受けていた私にとって、バレーは夢のようなキラキラしたものではなく、生きるための手段でした」と語っており、一部ではいじめっ子への「復讐」という意味合いもあったとされる。
2.2. 学生時代のバレーボールキャリア
小平市立小平第二中学校でバレーボールを始め、1年生の秋の新人戦でスタメンに抜擢された。しかし当初は練習をサボりがちで、試合でミスを連発して負けてしまい、落ち込んでいたところ、監督から「練習しないやつに落ち込む資格はない」と告げられて改心した。以後、バレーボールに真剣に取り組むようになった。
中学時代には、当時実業団のトップチームであった日立ベルフィーユの練習場が自宅に近かった縁で、当時の日立の監督であった山田重雄にファンレターを送った。すると山田から「良かったら練習を見に来てください」と返事が来て、これがきっかけで中学の練習後にたびたび日立の練習場に見学に行くようになった。
q=小平市|position=left
中学卒業後の1983年、バレーボールの強豪校である八王子実践高等学校に進学。高校では他のバレー部員たちとの寮生活を送り、日常の家事も自分たちで行った。この寮生活で「私たちにとっては2位もビリも一緒。優勝するしかない」という強い気持ちを仲間とともに育み、バレーボールに励んだ。ここで学んだ礼儀や規律、勝つことへの強い気持ちが、その後の"人生の糧"となっているという。高校時代の主な成績としては、第15回(1984年)春の高校バレーで3位、第16回(1985年)では準優勝を飾った。
1985年、高校在学中に全日本代表に初選出され、同年のワールドカップで国際大会デビューを果たした。指高は231 cm、スパイク到達点は312 cm、ブロック到達点は293 cmであった。
3. プロバレーボール選手としてのキャリア
大林素子のプロバレーボール選手としてのキャリアは、国内のクラブチームでの活動、イタリア・セリエAでの挑戦、そして日本代表としての輝かしい活躍によって特徴づけられる。
3.1. クラブキャリア
高校卒業後の1986年、当時実業団のトップチームであった日立ベルフィーユに入団(同時に日立製作所に入社)した。
1989年のワールドカップ直前には、膝の半月板損傷と右足首の靭帯断裂という大怪我を負い、ベンチ入りはしたもののコートに立つ機会はなかった。
1994年7月、日立の他の選手と共にプロ契約を求めて辞表を提出したが、話し合いを経て撤回した。同年10月、世界選手権に主将として出場。しかし翌11月、チームの内紛に端を発した騒動で、吉原知子とともに日立を解雇されるという衝撃的な事態に見舞われた(これはVリーグ発足の翌日の出来事であった)。
1995年1月、大林素子は日本人初のプロバレーボール選手としてイタリアセリエAのアンコーナと契約し、シーズン終了までの5か月間プレーした。当時、強豪国の選手が多くがプレーしていたイタリアのリーグは「世界最高峰のリーグ」とされており、大林は「己を鍛えたい」との思いから契約を決めた。アンコーナでは、熱気あるファンからの評価は厳しかったが、普段の立ち居振る舞いまで含めてプロとして自分を見せることの重要性を学んだ。
q=アンコーナ|position=right
同年5月に帰国した後は、ダイエー・オレンジアタッカーズ入りが有力視されていたが、代理人問題で二転三転した末に東洋紡オーキスとプロ契約を結んだ。
3.2. 日本代表キャリア
大林素子は1985年から1996年まで12年間にわたり全日本代表として活躍した。
主な国際大会での活躍は以下の通りである。
- オリンピック**
- 1988年 ソウルオリンピック: 4位
- 1992年 バルセロナオリンピック: 5位
- 1996年 アトランタオリンピック: 9位
彼女が出場する前のロサンゼルス五輪で日本女子代表が銅メダルになった際、「金銀しか獲っていなかった日本女子代表にとって"最悪の結果"」と言われていた中で、ソウル五輪では金メダル獲得が至上命令として下されたが、結果はロサンゼルス五輪を下回る4位に終わった。猛練習を重ねて臨んだバルセロナ大会でも5位という結果となり、危機感を抱いた大林は、当時の山田重雄監督たちが日本バレーのレベルを引き上げるために取り組んでいた「プロ化構想」に関わっていった。
q=Seoul Olympic Park|position=left
q=Barcelona Olympic Park|position=right
q=Centennial Olympic Park|position=left- 世界選手権**
- 1990年大会
- 1994年大会
- ワールドカップ**
- 1985年大会
- 1989年大会
- 1991年大会
- 1995年大会
- グッドウィルゲームズ**
- 1994年 サンクトペテルブルク大会: 銅メダル
- アジア競技大会**
- 1990年 北京大会: 銅メダル
- 1994年 広島大会: 銅メダル
- その他**
- 1985年 世界青年選手権大会
- 1986年 アジア青年選手権大会
- 1987年 アジア選手権大会、世界青年選手権大会
- 1989年 アジア選手権大会
- 1991年 アジア選手権大会
- 1993年 ワールドグランプリ、アジア選手権、ワールドグランドチャンピオンシップ
- 1995年 ワールドグランプリ
- 1996年 ワールドグランプリ
3.3. プレースタイル
大林素子のプレースタイルは、その長身とサウスポーという特徴を最大限に生かした攻撃に定評があった。特に、センターやセッター、レフトの背後からコートの右端から左端まで走り抜けて打つブロード攻撃は、彼女の代名詞となり、「モトコスペシャル」と呼ばれた。この独特の攻撃は、相手ブロックを惑わせ、日本の得点源として大きな役割を果たした。ポジションはライトを務めた。
3.4. 現役引退
1996年アトランタ五輪に出場したが、日本は9位という結果に終わった。この大会の後、Vリーグで1シーズンプレーした大林素子は、1997年3月にプロバレーボール選手としての現役引退を表明した。
4. 現役引退後の活動
プロバレーボール選手引退後、大林素子はホリプロに所属し、スポーツキャスター、タレント、女優、そして学術・マネジメント職など、多方面でのキャリアを築き、その活動はバレーボール界を超えて幅広い分野に及んでいる。
4.1. スポーツキャスターとアドバイザリー活動
現役引退後は、スポーツキャスターとしてバレーボール中継の解説を務めるほか、VAS(バレーボールアドバイザリースタッフ)として後進の指導にもあたっている。また、日本バレーボール協会テクニカル委員、日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー、日本スポーツ少年団委員など、数々の要職に就き、スポーツ界の発展に貢献している。
1997年のF1グランプリイタリアGPでの初リポートが転機となり、以降モータースポーツと深く関わるようになった。彼女自身、「その時サーキットで感じた音や匂い、過酷なレースに命懸けで臨むドライバーの姿に魅せられてしまったんです。その後もスポーツキャスターとして様々なスポーツに出会いましたが、私にとってはモータースポーツとの出会いが特に大きかったです」と回想している。
当初は現場取材に行っても、メカニックやエンジニアから「素人に専門的なことを話しても分からないだろう」と話をかわされ、しばらくはサーキットで番組スタッフ以外誰とも会話できない状態が続き、リポーターの仕事に自信を失いかけた。しかし、「モータースポーツに無知なことが原因かも」と気づき、F1雑誌や過去のレース映像を見て勉強し、自身もモータースポーツライセンスを取得するに至った。さらに、レーシングチームの運営を行うセルモのスタッフや、前ピットリポーターの林百合佳などから個人講義を受けて知識を深めていった。これらの努力により、メカニックやエンジニアからも専門的な話を聞き出せるようになり、その真摯な姿勢が番組スタッフにも認められた結果、以後15年間にわたってフジテレビなどのモータースポーツ番組に起用され続けた。
2001年には「大林アタッカーズ」の名称で女性ばかりのレーシングチームを結成し、監督として耐久レース「鈴鹿1000km」にも参戦(2003年にはチーム名を「レディスD」と改め、再挑戦している)。スカパー!のフジテレビワンツーネクストでは、『モータースポーツパラダイス』(2001年 - 2005年)や『F1GPニュース』(2005年 - 2011年)の司会も務めた。
4.2. エンターテイメントと女優業
スポーツキャスター業と並行して、スポーツ以外のタレント業でもテレビなどで幅広く活躍している。
2001年には、つんく♂プロデュースによる身長175 cm以上のアイドルユニット『デカモニ。』として歌手デビューした。これは身長150 cm以下(当時)のユニット「ミニモニ。」の派生グループとして作られたが、実質的には大林のソロプロジェクトであり、デビューシングルのCDジャケットには、複数人のユニット風に4人の女性が登場しているが、全員大林素子によるものだった。
2006年にはAir studio公演『GENJI~最後の源氏~』(東京芸術劇場・藤森一朗演出)で、役者として北条政子を演じ、これが初舞台となった。この経験を機に舞台を中心に女優としても本格的に活動を開始した。2001年に「デカモニ。」として歌手デビューしたことで、「歌や芝居をやりたい」という子供時代からの夢への思いが強くなったと語っており、ほどなくして知り合いの劇団に「お芝居をやりたいんです」と申し出て、以後様々な舞台に出演して役者経験を積んでいった。
2009年からは"特攻の母"と呼ばれた食堂経営者・鳥濱トメの半生を描いた主演舞台『MOTHERマザー~特攻の母 鳥濱トメ物語~』の上演を続け、これをライフワークとしている。
2010年には舞台『ファウストの悲劇』に起用されるなど、以後同作を含めた蜷川幸雄演出の3作品に出演した。以前から蜷川幸雄演出の舞台の大ファンだったことから、ある日彼の楽屋を訪れて作品への出演を直訴したという。その後、蜷川の舞台稽古を見学したり、自ら手紙やDVDを送るなどアプローチを続け、出演が実現した。初参加した蜷川作品『ファウストの悲劇』では、蜷川からその背の高さを芝居の武器にせよという意味で「君は大きいから普通の女優は無理だよ。日本一グロテスクな女優を目指せばいい」と言われたという。大林は後に「この言葉は、女優をする上での私の一番の宝物であり、心の支えとなっています」と語っている。以降、舞台全般では、年に5本程度のペースで出演している(2023年現在)。
2015年には『母をたずねて三千里~マルコ~』でミュージカル作品に初出演した。
2015年12月26日深夜のブログで、声帯結節の手術を受けることを明らかにし、12月30日に手術を終え退院した。
2022年、みちのくレコードから両A面シングル「陽だまりダイアリー」「愛する人と歩きたい」を発売し、演歌歌手デビューを果たした(大林素子名義としては初のシングル)。「愛する人と歩きたい」は、元々山形県南陽市のテーマソングであり、南陽市でロケ撮影が行われた2016年の映画『いのちあるかぎり 木田俊之物語』に「みちのくレコード会長夫人役」で出演したことが縁で、その後大林の演歌歌手デビューが決まった。
4.3. 学術・マネジメント職
2008年4月より、神戸親和女子大学発達教育学部に新設されたジュニアスポーツ教育学科客員教授に就任した。
2020年10月から2021年3月までの間、会津大学体育実技の授業でバレーボールの指導を担当する非常勤講師に就任した。
2023年5月9日には、V.LEAGUE DIVISION2 WOMEN(V2女子)に所属するブレス浜松のゼネラルマネージャーに就任したが、2024年4月30日に同職を退任した。
5. 公共・アンバサダーとしての役割
大林素子は、スポーツや地域社会の活性化に貢献するため、様々な公共団体や地方自治体で広報大使や委員会の役職を務めている。
2024年10月現在、以下の役職に就いている。
- JVA(日本バレーボール協会)広報委員、テクニカル委員
- 日本スポーツマスターズ委員会シンボルメンバー
- 福島県「しゃくなげ大使」
- 観光庁「スポーツ観光マイスター」
- 環境省「チャレンジ25」キャンペーン応援団
- JOC環境アンバサダー
- 小平市観光まちづくり大使(2016年8月 - )
- 会津若松市観光大使(2018年2月 - )
- SVリーグPRアンバサダー(2024年10月 - )
過去には以下の役職を務めた。
- JOCオリンピックデーラン・アンバサダー(2009年、2010年)
- JOCオリンピック・ムーブメントアンバサダー(2014年 - 2015年度)
- ブレス浜松ゼネラルマネージャー(2023年 - 2024年)
- (一社)日本バレーボールリーグ機構 / (一社)ジャパンバレーボールリーグ / (一社)SVリーグ理事( - 2024年9月)
2010年からは、千葉県勝浦市バレーボール協会が主催する「大林素子杯」が開催されている。
6. 人物とエピソード
大林素子の人物像は、その多彩な趣味や資格、そしてキャリアと人生に大きな影響を与えた数々のエピソードによって形成されている。
6.1. 趣味と資格
彼女の趣味・特技は、舞台鑑賞(特に宝塚歌劇団)、タップダンス、レース観戦(車・バイク)である。
保有する資格としては、モータースポーツライセンスの「国内A級ライセンス」ならびにMFJ「ピットクルーライセンス」がある。また、スポーツキャスターの仕事がきっかけで、小型船舶操縦士4級免許、華道池坊奥伝免許、けん玉8級の資格も取得している。
大のお笑い好きで、劇場にも頻繁に通っている。吉本興業の様々な芸人と縁が深く、その関係で関西ローカルのバラエティー番組にもゲスト出演することが多い。また、その趣味が高じ、R-1ぐらんぷりなどのお笑い賞レースで審査員を務めた経験もある。
小さい頃から新選組や白虎隊などの日本史が好きな歴女(歴史好きの女性)であり、新選組では特に土方歳三が好きである。これまで年に数回福島県会津若松市など新選組のゆかりの地を訪れており、本人曰く地元よりも来ているという。これに絡んで、2018年頃からは東京と会津若松などでの多拠点生活を送っている。
ミュージカル『レント』でジョアン役を演じるのが夢で、小野寺哲美に師事しボイストレーニングなどのレッスンを続けている。
6.2. 特筆すべきエピソード
- 長身へのコンプレックス克服**: 幼少期の長身に対するいじめ経験は、大林の人生に大きな影響を与えた。しかし、テレビアニメ『アタックNo.1』との出会いを機に、そのコンプレックスを「武器」と捉え、バレーボールを始めるきっかけとなった。中学でバレーボール部に入部した当初は練習をサボることもあったが、監督からの厳しい言葉を受けて改心し、真剣にバレーボールに取り組むことで自信を得て、全国大会出場や全日本代表選出へと繋げていった。
- バレーボールへの情熱**: 中学生の頃は、当時日立所属の江上由美選手のファンだった。山田重雄監督にファンレターを出したのも、彼から江上にサインを頼んでもらおうと思ったことからだったという。本人によると、「江上さんは人気選手だったので、彼女宛に手紙を出してもファンレターが多すぎて読んでもらえないかもと思ったんです。失礼な話ですが、監督経由なら江上さんのサインをもらえるかもと手紙を出すことにしました」と回想している。八王子実践の寮生活では通常炭酸飲料や甘い物が禁止されており、月に一度の買い出しの日のみファンタグレープを飲むのが何よりの楽しみだった。これは、五輪出場を決めた直後など、自分へのご褒美として飲む特別なものとなった。
- F1リポーターとしての挑戦と努力**: バレーボール引退後、1997年にF1イタリアGPで初めてリポートを担当したことが、彼女の新たな転機となった。当初はモータースポーツの知識がなく、取材相手に話をかわされたり、視聴者から批判されたりする厳しい状況に直面した。しかし、「モータースポーツに無知なことが原因かも」と気づいた彼女は、F1雑誌や過去のレース映像、専門家からの個人講義などで猛勉強し、自らライセンスを取得するなど、徹底した努力を重ねた。その結果、メカニックやエンジニアからも信頼され、専門的な話を聞き出せるようになり、15年間にわたるF1中継のリポーターとしての地位を確立した。
- 蜷川幸雄との縁**: 2010年に舞台『ファウストの悲劇』で蜷川幸雄演出作品に初参加して以降、彼の手がける舞台に3作品出演した。以前から蜷川作品の大ファンだった大林は、自ら彼の楽屋を訪れて出演を直訴し、手紙やDVDを送るなどアプローチを続けた結果、出演が叶った。蜷川からは、その長身を芝居の武器にするよう「君は大きいから普通の女優は無理だよ。日本一グロテスクな女優を目指せばいい」という言葉を贈られた。この言葉は、女優としての大林にとって「一番の宝物であり、心の支え」となっているという。
- 家族の存在**: 父は商社マン、母は陸上競技の走り高跳びで東京五輪候補だった選手である。中学でバレーボールを始める際、この母親の後押しもあったという。また、母はプロダンサーでMONAという名前を持つほどの腕前であった。妹がいるが、妹の身長は163 cmほどである。
- 身長の成長**: 小学生時代はあまりの高身長のため、交通機関を利用するときに母子手帳を携帯していた。公称の身長は182 cmだったが、2015年にはテレビ番組で「2年間で2 cm伸び、184 cmになった」と発言している。現在(2022年時点)の公称身長は185 cmである。
7. 主な作品
大林素子の主な作品は、彼女の多岐にわたる活動分野を反映しており、著書、音楽作品、映像作品、舞台出演、その他のメディア出演など、幅広いジャンルに及ぶ。
7.1. 著書
- 『大林素子のバレーボール教室 : 白球を追うあなたに伝えたい』(旬報社) ISBN 484510685X
- 『マイ・ドリーム』(アリス館) ISBN 4752000989
- 『バレーに恋して』(講談社) ISBN 4062076314
- 『DVDでわかる!バレーボール 基本・練習・実践テクニック』(西東社) ISBN 4791623525
- 『チャンスの法則』(リンダパブリッシャーズ) ISBN 4803008167
7.2. 音楽作品
- シングル**
- 『大きな私の小さな恋』(2001年8月7日、アップフロントワークス) - デカモニ。名義。5000枚限定販売。
- 『陽だまりダイアリー』(2022年8月30日、みちのくレコード)
- 『会津の風』(2024年2月9日、みちのくレコード)
- 参加作品**
- THE EARTH BEATS「地球(あなた)へ」(2008年9月24日、Z-9 RECORDS) - コーラスとして参加。
7.3. 映像作品(映画・テレビドラマ)
- 映画**
- 『いのちあるかぎり 木田俊之物語』(2017年) - みちのくレコード会長夫人 役
- 『Tokyo Loss エピソード7「笑顔の向こう側」』(2018年、監督・脚本(原作)田中壱征) - 田辺のり子 役
- 『心の詩~扉の向こうに~』(2022年、F&T PRO制作)
- 『ぬくもりの内側』(2023年、厚生労働省推薦、イオンエンターテイメント)
- 『風が通り抜ける道』(2024年、沖縄県後援、イオンエンターテイメント)
- 『日めくりの味』(2024年10月4日〈予定〉、キャンター)
- テレビドラマ**
- 『マッチポイント!』(2000年、NHK) - 西川トモ子 役
- 『アタックNo.1』(2005年、テレビ朝日) - 八木沢三姉妹の母親 役(バレーボール監修も兼任)。
- 『三匹のおっさん2~正義の味方、ふたたび!!~』 第3話(2015年5月8日、テレビ東京) - ホストクラブの客 役
- 『潜入捜査アイドル・刑事ダンス』 第8話(2016年11月26日、テレビ東京) - 香穂 役
- 『科捜研の女』 第9話・2時間スペシャル(2022年1月13日、テレビ朝日) - 京都府警鑑識員・長谷川公子 役
- 紀行番組**
- 『ぐるっと食の旅 キッチンがゆく』(2013年 - 2014年、NHK BSプレミアム) - 旅人
- バラエティ番組**
- 『歴史漫才 ヒストリーズ・ジャパン』(2017年7月 - 9月、東名阪ネット6) - ナビゲーター、山本八重 役
- 『JOYのASOBU-TV JOYnt!』 9月6日、ゲスト出演。
- 『シモネタGP』(2018年9月17日 - 12月3日、AbemaTV) - 審査委員
7.4. 舞台出演
- 『GENJI~最後の源氏~』(2006年10月12日 - 15日、東京芸術劇場小ホール1) - 北条政子 役
- 『夏の夜の夢』(2007年5月10日 - 13日、東京芸術劇場小ホール1) - タイテーニア 役
- 『SOHJIそうぢ!』(2008年1月19日 - 27日、本多劇場) - お光津 役
- 『Kiss Me You~がんばったシンプー達へ~』(2008年5月8日 - 13日、全労済ホール スペース・ゼロ) - 大山ハナ 役
- 『鎌倉鶴岡八幡宮奉納ライブ2008 歌神実朝公』(2008年10月18日、鶴岡八幡宮舞殿) - 朗読
- 『空間ゼリーの夏の夜の夢』(2008年12月13日 - 21日、東京芸術劇場小ホール2) - タイテーニア 役
- 『苦情の手紙』(2009年2月14日、博品館劇場) - アパートの下に住む女 役
- 『IMAGINE 9.11』(2009年9月10日 - 13日、両国シアターΧ) - キャシー 役
- 『MOTHERマザー~特攻の母 鳥濱トメ物語~』 - 主演・鳥濱トメ 役
- 初演:2009年12月9日 - 13日、新国立劇場小劇場
- 再演:2010年5月26日 - 30日、天王洲 銀河劇場
- 3演:【東京公演】2011年7月27日 - 31日、新国立劇場小劇場、【栃木公演】7月23日、栃木県矢板市文化会館大ホール、【秋田公演】9月25日、湯沢市民会館大ホール、【埼玉公演】10月26日、東松山市民文化センター
- 4演:2012年9月20日 - 23日、新国立劇場小劇場
- 5演:2013年12月11日 - 15日、新国立劇場小劇場
- 6演:2014年8月9日、ルネこだいら大ホール
- 7演:【東京公演】2014年9月19日 - 21日、新国立劇場小劇場、【鎌倉公演】11月11日、鎌倉文化会館大ホール
- 8演:【東京公演】2015年10月7日 - 12日、天王洲 銀河劇場、【山梨公演】10月20日、コラニー文化ホール、【名古屋公演】10月24日 - 25日、愛知県芸術劇場小ホール、【岐阜公演】10月27日、岐阜市文化センター小ホール、【大阪公演】10月31日 - 11月1日、梅田芸術劇場シアタードラマシティ
- 9演:2016年2月24日 - 28日、新国立劇場小劇場
- 10演:【東京公演】2017年10月5日 - 9日、新国立劇場小劇場、【静岡公演】10月18日、静岡市清水文化会館マリナート小ホール、【岐阜公演】10月21日、岐阜不二羽島文化センター小ホール
- 11演:【東京公演】2018年9月13日 - 17日、東京グローブ座、【仙台公演】11月10日、11日、日立システムズホール仙台シアターホール、【福島公演】11月14日、福島テルサFTホール、【会津公演】11月17日、会津若松市文化センター文化ホール
- 12演:【東京公演】2019年5月2日 - 6日、新国立劇場小劇場
- 『将門-MASAKADO-』(2010年3月8日 - 16日、イマジンスタジオ) - 案内・ナレーション
- 『ファウストの悲劇』(2010年7月4日 - 25日、Bunkamuraシアターコクーン、蜷川幸雄演出) - ふしだら、アレクサンダー大王王妃 役 ほか
- 『たいこどんどん』(2011年5月2日 - 26日、Bunkamuraシアターコクーン、蜷川幸雄演出) - 里の浦、芸者 役 ほか
- 『劇団BOOGIE★WOOGIE 29th ACT 「ノンストップ ライアーズ」』(2012年10月11日 - 14日、東京芸術劇場シアターウエスト) - 楊小麗 役
- 『東京サムライガンズプロデュース公演第4弾×シアターブラッツ提携公演 プレイフルネスデイズ2~僕達のAnswer~』(2012年11月16日 - 19日のうち2日出演、新宿THEATER BRATS) - 友情出演
- 『新・贋作水滸伝-Heroes-』(2013年5月15日 - 19日、あうるすぽっと) - 廬三娘/美帆(童美の母) 役
- 『盲導犬-澁澤龍彦「犬狼都市」より-』(【東京公演】2013年7月6日 - 28日、Bunkamuraシアターコクーン、【大阪公演】8月3日 - 11日、シアターBRAVA!、蜷川幸雄演出) - サカリノ 役
- 『FRANK AGE company 第4回公演『青い屋根の館』』(2014年2月26日 - 3月2日、赤坂RED/THEATER)
- 『キタムラ印プロデュース公演#5『ハナレウシ』』(2014年6月25日 - 29日、全労済ホール スペース・ゼロ) - お雅 役
- 『THE REDFACE PRODUCE VOL.52 呑象 DONSYOU7 横濱開港特別篇 英吉利公使夫人』(2015年3月12日、横浜市開港記念会館) - ファニー・パークス 役
- イマジンミュージカル『母をたずねて三千里~マルコ~』(2015年7月17日 - 8月7日、全国各地) - お母さん 役
- 『ソウサイノチチル』(2016年4月14日 - 17日、愛知県芸術劇場、作・演出:えのもとぐりむ)
- 『東京ボーイズコレクション~愛の唄~』(2016年11月5日 - 13日、新宿村LIVE)
- 『東京のぺいん』(2016年12月7日 - 11日、新宿村LIVE、作・演出:えのもとぐりむ) - 早苗 役
- 『ソウサイノチチル【再演】』(2017年4月26日 - 5月3日、新宿村LIVE、作・演出:えのもとぐりむ)
- 『午前5時47分の時計台』(2017年5月16日、神戸ポートピアホール、作・演出:山本タク) - ゲスト出演
- 『私のホストちゃんREBORN~絶叫!大阪ミナミ編~』(【東京公演】2018年1月19日 - 28日、サンシャイン劇場)【愛知公演】(2月1日、東海市芸術劇場)【大阪公演】(2月1日、サンケイホールブリーゼ) - LiLiCoとWキャスト
- 『ReBirth』(2018年8月10日 - 14日、下北沢「劇」小劇場、作曲・演奏:立石一海、作・演出:秦建日子)
- 『BURRRN!!!』(2018年8月15日 - 18日、月島社会教育会館)
- 『流れる雲よ』(2019年8月14日 - 18日、六行会ホール 脚本:草部文子、演出:田中寅雄)
- 『安達健太郎と役者がコントするLIVE』(2019年8月27日、ルミネtheよしもと)
- 【朗読】『でかける時はいつも』(2019年8月31日 - 9月3日、新宿眼科画廊スペース地下、作:えのもとぐりむ)
- ミュージカル『小公女セーラ』(2019年11月20日 - 11月24日、滝野川会館大ホール劇場) - マリア・ミンチン役
- 『2.5次元ダンスライブ S.Q.S 第5幕「篁志季消失事件」』(2020年2月20日 - 3月1日、ヒューリックホール東京) - 伊月花 役
- 【朗読】ぐりむの法則 『えのもとぐりむ』朗読劇 三部作『記憶観覧車』(2020年6月23日 - 7月5日、赤坂RED THEATER、作:えのもとぐりむ、演出:中島康介) - 小山知佳 役
- 【朗読】『夏の終わりのリーディング文学~江戸川乱歩編~「屋根裏の散歩者」「D坂の殺人事件」「心理試験」』(2020年9月3日 - 7日、R'sアートコート)
- 『丘のバッキャロー!!』(2020年10月28日 - 11月3日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
- 【朗読】『秋の終わりのリーディング文学~芥川龍之介編~「羅生門」「藪の中」』(2020年12月8日 - 13日、シアターグリーンBIG TREE THEATER)
- 演劇企画ユニット 劇団山本屋 CUWT project vol.1 『風を切れ2020』(2021年5月26日 - 6月1日、ラゾーナ川崎プラザソル)
- 【朗読】朝の朗読会「帰れないふたり」Aチーム(2021年6月22日 - 7月3日、πTOKYO、作・演出:中島庸介)
- 神木優ソロエンターテイメント「MOMOTARO」定期公演 VOL.21 ~スポーツと桃太郎~ 第2部 (2021年9月25日、大塚レ・サマースタジオ) - ゲスト出演
- 『土のバッキャロー!!』(2021年10月6日 - 12日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
- 『ATTENDANTX』(2021年10月22日、博品館会館) - ゲスト出演
- 『空とおもちゃんの物語~見上げた空に君がいた~』(2021年12月1日 - 5日、日暮里dー倉庫、脚本・演出:鄭光誠)
- 『トワイライトの涙』(2022年1月19日 - 23日、サンモールスタジオ、脚本・演出:ウチクリ内倉)
- 『世界は僕のCUBEで造られる』(2022年3月31日 - 4月10日、あうるすぽっと、脚本・演出:松多壱岱) - ミスブレイン 役
- 『雫のバッキャロー!!』(2022年5月11日 - 17日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
- 舞台『殺人の告白』(2022年6月17日 - 26日、サンシャイン劇場) - チャン・ミジャ 役
- 『流れる雲よ』(2022年8月17日 - 21日、六行会ホール、脚本:草部文子、演出:田中寅雄)
- 『草のバッキャロー!!』(2022年10月5日 - 11日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
- 『遠き日の落球~あの時から続いているから今なんだ~』(2023年2月15日 - 19日、シアターアルファ東京、演出:武田宏司)
- 『ソウサイノチチル【再々演】』(2023年3月16日 - 26日、πTOKYO、作・演出:えのもとぐりむ)
- 『陽(ひなた)のバッキャロー!!』(2023年4月12日 - 18日、シアターグリーン BIG TREE THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
- 『波のバッキャロー!!』(2023年10月25日 - 31日、シアターグリーンBOX in BOX THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
- 『渚のバッキャロー!!』(2024年4月10日 - 16日、シアターグリーンBOX in BOX THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
- 『Change the World おめでとう。君が、世界を変えるんだ』(2024年6月8日 - 16日、サンシャイン劇場、原作・脚本:秦建日子、演出:橋本昭博)
- 『風を切れ2024 演劇企画ユニット劇団山本屋CUWT project vol.2.0』(2024年7月25日 - 28日、東京芸術劇場 シアターウエスト、作・演出:山本タク)
- 『里のバッキャロー!!』(2024年10月30日 - 11月5日、シアターグリーンBOX in BOX THEATER、脚本・演出:菅野臣太郎)
- 『~女子大小路の名探偵 新章~ 舞台「死は、ど真ん中に転げ落ちて」』(2025年3月15日 - 23日、博品館劇場、脚本・演出:秦建日子)
7.5. その他のメディア出演
- 広告(CM)**
- 明治製菓 果汁グミ(1991年) - 白基調の長袖ユニフォームシャツに赤基調のバレーブルマー姿で出演。
- 宝くじ 東京2020大会協賛くじ(2016年)
- ヴェントゥーノ「快朝ハーブ乳酸菌」(2022年 - )
- ラジオ**
- 『いもねーずのみちのくはいも畑』(2024年2月2日 - 2024年7月、エフエムたいはく) - コーナーレギュラー
8. 受賞歴
大林素子は、選手時代および引退後の活動において、数々の栄誉と賞を受賞している。
年 | 賞の名前 | 備考 |
---|---|---|
1987年 | 第20回日本リーグ ベスト6 | |
1988年 | 第21回日本リーグ 敢闘賞 | |
1988年 | 第21回日本リーグ 猛打賞 | |
1988年 | 第21回日本リーグ ベスト6 | |
1989年 | 第22回日本リーグ MVP | |
1989年 | 第22回日本リーグ スパイク賞 | |
1989年 | 第22回日本リーグ ベスト6 | |
1989年 | アジアクラブ選手権 スパイク賞 | |
1989年 | アジアクラブ選手権 ブロキング賞 | |
1990年 | 第23回日本リーグ サーブ賞 | |
1991年 | 第24回日本リーグ スパイク賞 | |
1991年 | 第24回日本リーグ ベスト6 | |
1991年 | アジアクラブ選手権 スパイク賞 | |
1991年 | アジアクラブ選手権 ベスト6賞 | |
1991年 | アジア選手権大会 ベストスパイカー賞 | |
1992年 | 第25回日本リーグ ベスト6 | |
1992年 | アジアクラブ選手権 最優秀選手賞 | |
1992年 | アジアクラブ選手権 ベスト6賞 | |
1993年 | 第26回日本リーグ MVP | |
1993年 | 第26回日本リーグ ベスト6 | |
1994年 | 第27回日本リーグ MVP | |
1994年 | 第27回日本リーグ スパイク賞 | |
1994年 | 第27回日本リーグ ベスト6 | |
1996年 | 第2回Vリーグ ベスト6 | |
1996年 | ワールドスーパーチャレンジ96 ベストサーブ賞 | |
1997年 | 第3回Vリーグ 敢闘賞 | |
1997年 | 第3回Vリーグ 特別賞 | |
2007年 | 2006-07プレミアリーグ Vリーグ栄誉賞 |
9. 所属チーム
大林素子が選手キャリア中に所属したチームは以下の通りである。
- 小平市立第二中学校
- 八王子実践高等学校
- 日立ベルフィーユ(1986年 - 1994年)
- Pallavolo Anconaアンコーナイタリア語(イタリア、1995年)
- 東洋紡オーキス(1995年 - 1997年)