1. 幼少期とユース時代
小川慶治朗は1992年7月14日に兵庫県三田市で生まれた。幼少期からサッカーを始め、1999年から2004年まで地元の三田市立すずかけ台小学校に通いながらウッディSCでプレーした。その後、2005年から2007年には三田市立けやき台中学校在籍中にヴィッセル神戸ジュニアユースに所属。2008年から2010年には神戸学院大学附属高等学校でヴィッセル神戸U-18で活躍した。
小川は、日本サッカー界の「プラチナ世代」の一人として注目され、高校在学中の2010年にはヴィッセル神戸のクラブ史上初のトップチームとの2種登録選手となった。この時期から、プロとしての頭角を現し始めた。
2. クラブ経歴
小川慶治朗は、ヴィッセル神戸でのプロデビューから始まり、Jリーグでの長きにわたるキャリアを築いてきた。複数のクラブへの期限付き移籍を経験し、国内外のリーグでプレーしている。
2.1. ヴィッセル神戸
小川は、2010年にヴィッセル神戸のトップチームに2種登録選手として加わった。同年3月27日に行われた横浜F・マリノス戦で、17歳8か月13日というクラブ最年少でのJリーグ出場記録を樹立してプロデビューを果たした。その後、9月にトップチームへの昇格が正式に内定。10月には和田昌裕監督の抜擢を受け、負傷離脱した大久保嘉人が務めることの多かった左サイドのポジションで出場機会を得る。2010年10月30日のガンバ大阪戦ではJリーグ初得点を記録し、これは2012年に松村亮によって更新されるまでクラブ史上最年少得点記録だった。残留争いが厳しくなったシーズン終盤の浦和レッズ戦でも決定的なゴールを決めるなど、2種登録ながら15試合に出場し2得点を挙げた。シーズンオフには、その活躍から「人間機関車」と評され、期待の選手として注目された。
2011年シーズンはコンスタントに出場機会を得ていたものの、7月に右足関節脱臼骨折の重傷を負い、長期離脱を強いられた。11月20日のセレッソ大阪戦で復帰したものの、怪我の影響もあり、このシーズンは無得点に終わった。
2012年シーズンには、大久保嘉人の背番号変更に伴い、ヴィッセル神戸のエースナンバーである背番号「13」を受け継いだ。同年5月26日のJ1第14節ジュビロ磐田戦では、19歳と338日でハットトリックを達成し、クラブ史上最年少、J1では歴代3番目の若さでこの偉業を成し遂げた。攻撃陣が怪我や不調に苦しむ中、小川はチーム最多となる自己最多の9得点を挙げたが、チームはJ2降格の憂き目に遭った。
J2での戦いとなった2013年シーズン、小川はシーズン開幕前に自身の目標得点を20と設定した。中盤のサイドハーフとして起用されながらも、第31節から第34節にかけて4試合連続得点を挙げるなど、チームの主軸として活躍。目標得点には届かなかったものの、チームトップタイの16得点を記録し、クラブの1年でのJ1復帰に大きく貢献した。
2014年シーズンは主に右サイドでプレー。4月19日のアウェー鹿島アントラーズ戦では、茨城県立カシマサッカースタジアムでの1999年以来15年ぶりとなる勝利を呼び込む決勝ゴールを決めた。
2015年シーズンはネルシーニョ新監督の下でレギュラーとしてプレーした。3月14日の1stステージ第2節川崎フロンターレ戦では、同シーズンから導入された「トラッキングシステム」において、スプリント回数「47」という年間通しての最多記録を樹立した。2ndステージ第4節ベガルタ仙台戦でJ1通算100試合出場を達成。しかし、このシーズン後半には足首の故障に悩まされ、復帰は翌シーズンに持ち越された。
2016年シーズンは、3月5日の1stステージ第2節アルビレックス新潟戦で公式戦5ヶ月ぶりに復帰。4月1日のガンバ大阪戦では2015年5月以来の得点を記録した。しかし、4月10日のアビスパ福岡戦で負傷し、復帰が大幅に遅れた。さらに、復帰後2試合目となったルヴァンカップ第2戦の浦和レッズ戦では、接触のない場面で右第2中足骨骨折と診断され手術を受けることになった。これにより、2シーズン連続で故障に見舞われ、本領を発揮することができなかった。
2017年シーズンも、開幕早々に鎖骨骨折で離脱したが、5月には復帰しすぐにレギュラーの座を奪回。最終的には25試合に出場した。シーズン終盤には国内および欧州のクラブが獲得を打診しているとの報道もあったが、小川はクラブへの残留を表明した。
2018年シーズンは、開幕前から右サイドバックでの起用も試されたが、次第に出場機会を減らしていった。同年7月には湘南ベルマーレへ期限付き移籍したが、半年間の期限付き移籍期間を終え、シーズン終了後にヴィッセル神戸へ復帰した。
2019年シーズンは、シーズン途中にトルステン・フィンクが監督に就任してから出場機会が増加し、リーグ戦で5得点を挙げた。また、クラブを史上初めて天皇杯の決勝へと導く活躍を見せた。
2020年シーズン、1月1日に新国立競技場で初めて開催された鹿島アントラーズとの天皇杯決勝ではベンチ入りを果たしたが、出場機会はなかった。しかし、チームはこの試合で天皇杯初優勝を飾った。同年1月22日のAFCチャンピオンズリーグ(ACL)第1節ジョホール・ダルル・タクジムFC戦では、ACLにおけるクラブ初得点を記録し、さらにハットトリックを達成する活躍を見せた。しかし、ジョホール・ダルル・タクジムFCが大会途中で参加を辞退したため、当該試合の結果は無効となり、記録上のハットトリックも無効扱いとなった。
2.2. 期限付き移籍
小川はヴィッセル神戸や横浜FC在籍中、他のクラブへの期限付き移籍を経験し、新たな環境で自身のキャリアを広げた。
2.2.1. 湘南ベルマーレ
2018年7月から同年12月まで、J1リーグの湘南ベルマーレへ期限付き移籍した。湘南ではリーグ戦13試合に出場し、無得点だったものの、Jリーグカップ優勝に貢献した。
2.2.2. ウェスタン・シドニー・ワンダラーズ
2021年10月15日には、横浜FCからAリーグ・メンのウェスタン・シドニー・ワンダラーズFCへ期限付き移籍することが発表された。移籍期間は2022年6月30日までで、この期間中にリーグ戦26試合に出場し2得点を記録した。
2.2.3. FCソウル
2022年7月13日、Kリーグ1のFCソウルへの期限付き移籍が発表された。この移籍は完全移籍のオプションが付いており、小川の登録名は韓国語で「ケイジロ」(케이지로韓国語)とされた。FCソウルでは12試合に出場したが、得点はなく、シーズン終了後にチームを退団した。
2.3. 横浜FC
2021年1月6日、小川は横浜FCへ完全移籍した。その後、期限付き移籍期間を経て、2023年に横浜FCへ復帰した。
3. 代表経歴
小川慶治朗は日本のユース代表として国際舞台で活躍した。
2009年10月には、U-17日本代表に選出され、2009 FIFA U-17ワールドカップに出場した。この大会では、高木善朗や堀米勇輝の控えとして、2試合に途中出場した。また、U-15日本代表候補やU-16日本代表にも選ばれている。
4. プレースタイルと特徴
小川慶治朗は、主にフォワードのほか、STやWG、MFではSHやWBといった幅広いポジションでプレーできる多才な選手である。愛称は「ケージロー」で、そのプレースタイルから「人間機関車」とも評された。
身長は170 cm、体重は67 kg。特筆すべき特徴としては、2015年シーズンにJリーグで導入された「トラッキングシステム」において、1試合でスプリント回数「47」という高い記録を樹立したことでも知られている。これは、彼の豊富な運動量と攻守における貢献度を示すものであり、チームにとって重要な存在であることを物語っている。
5. 個人成績
クラブおよび国際試合における小川慶治朗の出場記録、得点、その他の関連統計を以下に示す。
クラブ | シーズン | リーグ | カップ戦1 | リーグカップ戦2 | 大陸選手権 | その他 | 合計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | ||
ヴィッセル神戸 | 2010 | 15 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | - | 15 | 2 | ||
2011 | 12 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | - | 13 | 0 | |||
2012 | 28 | 9 | 1 | 0 | 6 | 0 | - | - | 35 | 9 | |||
2013 | 39 | 16 | 1 | 0 | - | - | - | 40 | 16 | ||||
2014 | 26 | 5 | 1 | 0 | 5 | 0 | - | - | 32 | 5 | |||
2015 | 19 | 4 | 0 | 0 | 7 | 0 | - | - | 26 | 4 | |||
2016 | 7 | 1 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | - | 9 | 1 | |||
2017 | 25 | 2 | 4 | 0 | 4 | 0 | - | - | 33 | 2 | |||
2018 | 5 | 0 | 0 | 0 | 7 | 0 | - | - | 12 | 0 | |||
2019 | 25 | 5 | 5 | 3 | 5 | 0 | - | - | 35 | 8 | |||
2020 | 27 | 1 | - | 1 | 0 | 4 | 3 | 1 | 0 | 33 | 4 | ||
合計 | 228 | 45 | 13 | 4 | 38 | 0 | 4 | 3 | 1 | 0 | 283 | 51 | |
湘南ベルマーレ (期限付き移籍) | 2018 | 13 | 0 | 1 | 1 | 0 | 0 | - | - | 14 | 1 | ||
横浜FC | 2021 | 23 | 1 | 1 | 0 | 3 | 0 | - | - | 27 | 1 | ||
ウェスタン・シドニー (期限付き移籍) | 2021-22 | 26 | 2 | 2 | 0 | - | - | - | 28 | 2 | |||
FCソウル (期限付き移籍) | 2022 | 12 | 0 | 0 | 0 | - | - | - | 12 | 0 | |||
横浜FC | 2023 | 24 | 0 | 5 | 0 | 0 | 0 | - | - | 29 | 0 | ||
2024 | 34 | 7 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | - | 35 | 7 | |||
キャリア合計 | 360 | 55 | 22 | 5 | 42 | 0 | 4 | 3 | 1 | 0 | 429 | 63 |
1天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会を含む。
2Jリーグカップを含む。
なお、2020年のAFCチャンピオンズリーグでは、ジョホール・ダルル・タクジムFC戦で3得点を挙げたが、その試合は相手チームの大会辞退により無効試合となったため、公式記録には反映されていない。
リーグ戦初出場は2010年3月27日、J1第4節横浜F・マリノス戦(ホームズスタジアム神戸)。リーグ戦初得点は2010年10月30日、J1第28節ガンバ大阪戦(万博記念競技場)で記録した。
6. タイトル
小川慶治朗選手が獲得したチームおよび個人の栄誉、受賞歴を以下に示す。
6.1. クラブ
- ヴィッセル神戸U-18**
- プリンスリーグ関西:1回(2009年)
- 湘南ベルマーレ**
- Jリーグカップ:1回(2018年)
- ヴィッセル神戸**
- 天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会:1回(2019年)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2020年)
6.2. 個人
- J2リーグ・月間MVP:1回(2013年9月)
7. 私生活
小川慶治朗の従妹には、ボーカルグループ「大阪☆春夏秋冬」でリーダーとボーカルを務めるMAINA(本名:小川舞奈)がいる。MAINAは、ノエビアスタジアム神戸で行われたヴィッセル神戸の試合で「大阪☆春夏秋冬」としてキックオフセレモニーとハーフタイムショーに出演したことがあると明かしている。
小川は2017年3月22日に一般女性と入籍したことを発表した。
