1. 概要

山﨑 雅人(やまざき まさと、Masato Yamazakiマサト・ヤマザキ英語、1981年12月4日 - )は、京都府京都市山科区出身のサッカー指導者、元プロサッカー選手である。現役時代のポジションはフォワード。
プロサッカー選手として14年間にわたり、Jリーグの複数のクラブで活躍した。そのキャリアを通じて、J1リーグ優勝、AFCチャンピオンズリーグ優勝、天皇杯連覇、パンパシフィックチャンピオンシップ優勝など、数々の主要タイトル獲得に貢献した。特に、2003年夏季ユニバーシアードでは日本代表の一員として金メダルを獲得し、国際舞台でもその実力を示した。プロキャリア通算では502試合に出場し、69得点を記録している。
現役引退後はサッカー指導者として、古巣である大分トリニータのアカデミーで若手選手の育成に尽力しており、2024年からはU-18の監督を務めている。前線からの献身的な守備やピッチを広く走り回るアグレッシブなプレースタイルが持ち味で、チームの勝利に貢献するチャンスメーカータイプの選手として知られた。
2. 生い立ちと経歴
山﨑雅人のサッカーキャリアは、幼少期に始まり、学生時代にその才能を開花させ、プロの道へと進んだ。
2.1. 幼少期と学生時代
山﨑雅人は1981年12月4日に京都府京都市山科区で生まれた。サッカーは地元の京都大宅SSSで始めた。京都市立大宅中学校を卒業し、この頃の同級生には後にプロサッカー選手となる松井大輔がいた。
その後、京都府立久御山高等学校(1997年 - 1999年)を経て、2000年に国士舘大学に進学した。大学での同期には、相馬崇人、村山祐介、北一真、冨士祐樹、鈴木弘大、原島喬らがいる。国士舘大学サッカー部では、2001年に関東大学サッカーリーグ戦1部で優勝、2002年には総理大臣杯全日本大学サッカートーナメントで優勝を経験している。
2.2. プロ入り以前
大学在学中の2003年、大学4年時にユニバーシアード日本代表に選出された。背番号10を背負い、エースストライカーとしてチームを牽引。韓国大邱で開催された2003年夏季ユニバーシアードでは、日本の金メダル獲得に大きく貢献した。
3. 選手経歴
山﨑雅人は、プロサッカー選手として14年間のキャリアを築き、複数のJリーグクラブで活躍した。
3.1. クラブ経歴
2004年に横浜F・マリノスに入団しプロキャリアをスタートさせた。しかし、当時の横浜FMのフォワード陣は久保竜彦、安貞桓、坂田大輔、大島秀夫といった厚い選手層を誇っており、山﨑はなかなか出場機会に恵まれなかった。
出場機会を求め、2005年8月に大分トリニータへ期限付き移籍した。同年中にリーグ戦で初得点を含む2ゴールを記録。2006年には大分に完全移籍し、ほとんどが途中出場ながらもリーグ戦25試合に出場した。翌2007年には出場時間が大幅に増加し、シーズン終盤にはスターティングメンバーに定着した。
2008年、ガンバ大阪へ完全移籍。リーグ戦での出場機会は限られたものの、AFCチャンピオンズリーグ2008では5得点を挙げ、チームのACL初優勝に大きく貢献した。同年開催されたFIFAクラブワールドカップ2008では、準決勝のマンチェスター・ユナイテッド戦とCFパチューカ戦で得点を挙げた。特にマンチェスター・ユナイテッド戦でのゴールは、日本人選手として初めて欧州王者から得点を決めた歴史的な一撃となった。2009年の天皇杯制覇にも貢献している。
2010年には、AFCチャンピオンズリーグに出場するサンフレッチェ広島へ1年間の期限付き移籍した。怪我や体調不良、そして李忠成の台頭により、試合出場は限定的だった。広島からの要望により2011年からは完全移籍を果たしたが、同シーズンも全ての出場が途中交代となった。
2011年7月、得点力不足に悩まされていたモンテディオ山形へ期限付き移籍。移籍後すぐに主力に定着し、2度の決勝点を挙げるなど活躍を見せた。2012年には山形に完全移籍。2014年12月7日に行われたJ1昇格プレーオフ決勝のジェフユナイテッド市原・千葉戦では決勝点を決め、チームのJ1昇格に大きく貢献した。
2016年よりツエーゲン金沢へ完全移籍で加入。2018年8月2日にはツエーゲン金沢からザスパクサツ群馬へ期限付き移籍で加入することが発表された。同年12月11日、現役引退が発表され、14年間のプロキャリアに幕を閉じた。
3.2. 代表経歴
山﨑雅人は、ユニバーシアード日本代表として国際舞台で活躍した。
2003年に韓国大邱で開催された2003年夏季ユニバーシアードに日本代表の一員として出場し、チームの金メダル獲得に貢献した。
4. プレースタイルと特徴
山﨑雅人は、純粋なストライカーというよりも、前線からの献身的な守備やピッチを広く走り回るアグレッシブなプレースタイルが持ち味のチャンスメーカータイプであった。その泥臭いスタイルはチームに活力を与えた。
戦術理解度が高く、ペリクレス・シャムスカ監督からは「戦術に忠実な選手」として重用された。また、西野朗監督は彼の勝負強さを評価し、スーパーサブとして重要な局面で起用した。フォワードだけでなく、トップ下やサイドハーフとしてもプレーできるユーティリティ性も兼ね備えていた。
AFCチャンピオンズリーグでは出場したほとんどの年度で得点を記録しており、特に2008年のACLで重要な場面でゴールを奪う活躍を見せたことから、「ACL男」の異名で知られた。
5. 指導歴
現役引退後、山﨑雅人はサッカー指導者の道に進んだ。
2019年より古巣である大分トリニータのアカデミースタッフに就任。2019年から2020年まではU-15コーチを務め、若手選手の育成に携わった。
2021年から2023年にはU-18コーチに就任し、さらに高い年代の指導を担当。そして2024年からは大分トリニータU-18の監督に就任し、チームの指揮を執っている。
6. 個人成績
山﨑雅人のプロサッカー選手としての個人成績を、国内と国際大会に分けて詳述する。
6.1. 国内成績
山﨑雅人の国内クラブにおけるリーグ戦、カップ戦、その他の公式戦出場記録は以下の通りである。
| クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | その他1 | 合計 | ||||||||
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
| 日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | その他1 | 合計 | ||||||||
| 2000 | 国士舘大学 | JFL | 6 | 1 | - | - | - | 6 | 1 | ||||
| 2001 | 12 | 4 | - | - | - | 12 | 4 | ||||||
| 2002 | 1 | 0 | 0 | 0 | - | - | 1 | 0 | |||||
| 2003 | 2 | 0 | - | - | - | 2 | 0 | ||||||
| 2004 | 横浜F・マリノス | J1 | 13 | 0 | 1 | 0 | 6 | 1 | 2 | 0 | 22 | 1 | |
| 2005 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 6 | 0 | |||
| 大分トリニータ | 10 | 2 | 2 | 1 | 0 | 0 | - | 12 | 3 | ||||
| 2006 | 25 | 0 | 1 | 0 | 4 | 0 | - | 30 | 0 | ||||
| 2007 | 26 | 1 | 2 | 0 | 6 | 0 | - | 34 | 1 | ||||
| 2008 | ガンバ大阪 | 30 | 4 | 5 | 2 | 4 | 0 | 6 | 3 | 45 | 9 | ||
| 2009 | 23 | 2 | 5 | 2 | 0 | 0 | 1 | 0 | 29 | 4 | |||
| 2010 | サンフレッチェ広島 | 25 | 3 | 1 | 0 | 3 | 0 | - | 29 | 3 | |||
| 2011 | 8 | 0 | 0 | 0 | 1 | 0 | - | 9 | 0 | ||||
| モンテディオ山形 | 14 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 14 | 4 | ||||
| 2012 | J2 | 35 | 4 | 1 | 0 | - | - | 36 | 4 | ||||
| 2013 | 35 | 8 | 3 | 0 | - | - | 38 | 8 | |||||
| 2014 | 36 | 4 | 6 | 2 | - | 2 | 1 | 44 | 7 | ||||
| 2015 | J1 | 13 | 0 | 0 | 0 | 3 | 1 | - | 16 | 1 | |||
| 2016 | ツエーゲン金沢 | J2 | 38 | 7 | 0 | 0 | - | 2 | 0 | 40 | 7 | ||
| 2017 | 28 | 2 | 2 | 0 | - | - | 30 | 2 | |||||
| 2018 | 4 | 0 | 1 | 1 | - | - | 5 | 1 | |||||
| ザスパクサツ群馬 | J3 | 14 | 1 | - | - | - | 14 | 1 | |||||
| J1通算 | 189 | 16 | 27 | 2 | 19 | 5 | 235 | 23 | |||||
| J2通算 | 176 | 25 | - | 13 | 3 | 189 | 28 | ||||||
| J3通算 | 14 | 1 | - | - | 14 | 1 | |||||||
| JFL通算 | 21 | 5 | - | 0 | 0 | 21 | 5 | ||||||
| 総通算 | 400 | 47 | 30 | 8 | 27 | 2 | 17 | 4 | 474 | 61 | |||
1その他の公式戦には、Jリーグチャンピオンシップ、A3チャンピオンズカップ、スーパーカップ、パンパシフィックチャンピオンシップ、スルガ銀行チャンピオンシップ、FIFAクラブワールドカップ、J1昇格プレーオフ、J2・J3入れ替え戦が含まれる。
6.2. 国際大会成績
山﨑雅人の国際大会におけるクラブ出場記録は以下の通りである。
| シーズン | クラブ | 大会 | 出場 | 得点 |
|---|---|---|---|---|
| 2004 | 横浜F・マリノス | AFCチャンピオンズリーグ | 4 | 1 |
| 2005 | 4 | 1 | ||
| 2008 | ガンバ大阪 | 11 | 5 | |
| 2009 | 6 | 1 | ||
| 2010 | サンフレッチェ広島 | 3 | 0 | |
| 合計 | 28 | 8 | ||
7. タイトル・表彰
山﨑雅人が選手として獲得した主要なタイトルや表彰歴をまとめる。
7.1. クラブでのタイトル
山﨑雅人が所属クラブで達成した主な成果は以下の通りである。
- 国士舘大学
- 関東大学サッカーリーグ戦1部: 2001年
- 総理大臣杯全日本大学サッカートーナメント: 2002年
- 横浜F・マリノス
- J1リーグ: 2004年
- J1リーグ 1stステージ: 2004年
- ガンバ大阪
- 天皇杯: 2008年、2009年
- AFCチャンピオンズリーグ: 2008年
- パンパシフィックチャンピオンシップ: 2008年
- サンフレッチェ広島
- Jリーグカップ: 準優勝 (2010年)
- モンテディオ山形
- Jリーグカップ: 準優勝 (2014年)
7.2. 代表でのタイトル
山﨑雅人が代表チームの一員として獲得したタイトルは以下の通りである。
- ユニバーシアード日本代表
- ユニバーシアード: 2003年 (金メダル)
8. 関係項目
- 京都府出身の人物一覧
- 国士舘大学の人物一覧
- 横浜F・マリノスの選手一覧
- 大分トリニータの選手一覧
- ガンバ大阪の選手一覧
- サンフレッチェ広島F.Cの選手一覧
- モンテディオ山形の選手一覧
- ツエーゲン金沢の選手一覧
- ザスパクサツ群馬の選手一覧
9. 外部リンク
- [https://data.j-league.or.jp/SFIX04/?player_id=7701 Jリーグ公式データサイト]
- [https://www.fifa.com/fifaplus/en/member-associations/japan/player/303577 FIFA Player Profile]