1. 概要
川崎健太郎(かわさき けんたろう、Kentaro Kawasakiケンタロウ・カワサキ英語、1982年12月18日 - )は、大阪府大阪市出身の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活動している。現役時代のポジションはMFで、主に左足からの正確なクロスや鋭いドリブルを特徴とした。セレッソ大阪のユース出身で、プロ選手としてJリーグの複数のクラブに所属し、引退後はヴィッセル神戸などで指導者としてのキャリアを築いている。
2. 幼少期とユース時代
川崎健太郎は、ジュニアユース時代から日本の名門クラブであるセレッソ大阪に所属し、若くしてその才能を開花させた。
2.1. 生い立ち
川崎健太郎は1982年12月18日に大阪府大阪市で生まれた。身長は175 cm、体重は65 kgである。
2.2. ユース時代
川崎は1995年から2000年までセレッソ大阪のジュニアユースおよびユースチームに所属した。ユース時代にはその実力が認められ、1999年にはU-18日本代表にも選出されるなど、将来を嘱望される選手として活躍した。
3. プロ選手時代
川崎健太郎は2001年にセレッソ大阪でプロデビューを果たし、その後複数のクラブを渡り歩き、約10年間のプロキャリアを歩んだ。
3.1. セレッソ大阪時代とプロ初期
セレッソ大阪のユースから2001年にトップチームに昇格し、プロとしてのキャリアをスタートさせた。しかし、入団1年目となる2001年シーズンはJ1リーグでの出場機会を得られず、翌2002年シーズンもJ2リーグで一度も出場できない状況が続いた。同年9月には、出場機会を求めてJFLの佐川急便大阪SCへ期限付き移籍し、この期間中に数試合に出場した。
3.2. モンテディオ山形
2003年、川崎はJ2リーグのモンテディオ山形へ移籍した。移籍初年度は左サイドバックとして多くの試合に出場し、特に途中出場選手としてチームに貢献した。2003年3月15日のJ2リーグ第1節、湘南ベルマーレ戦(平塚競技場)でJリーグ初出場を記録し、同年4月5日のJ2リーグ第4節、横浜FC戦(山形県総合運動公園陸上競技場)でJリーグ初得点を挙げた。しかし、2004年以降は出場機会が減少し、2005年シーズン終了後に戦力外通告を受け、モンテディオ山形を退団した。この退団時には一時、現役引退も視野に入れるほどの苦境に立たされた。
3.3. 北海道コンサドーレ札幌
2005年シーズン終了後、川崎はJリーグ合同トライアウトを経て、2006年にJ2リーグの北海道コンサドーレ札幌(当時のチーム名はコンサドーレ札幌)への入団が決定した。札幌では2シーズンにわたり在籍したが、リーグ戦ではほとんど出場機会に恵まれなかった。しかし、2006年の天皇杯 JFA 全日本サッカー選手権大会ではレギュラーとして活躍し、その左足から繰り出される正確なクロスと鋭いドリブルでチームのベスト4進出に大きく貢献した。この天皇杯での活躍が高く評価され、一度は戦力外通告を受けたにもかかわらず、札幌と再契約を結ぶことになった。だが、2007年シーズンはわずか2試合の出場にとどまり、シーズン終了後に再び契約満了により退団が発表された。
3.4. カターレ富山時代と引退
2008年1月23日、川崎は当時JFL所属のカターレ富山への移籍が発表された。富山での初年度は怪我の影響もあり出場機会が少なかったものの、チームは同年末にJリーグへの加盟を果たし、2009年シーズンからはJ2リーグに昇格した。2009年には、上園和明の負傷離脱が影響し、6月からレギュラー選手となり、年間で35試合に出場する活躍を見せた。このシーズンには、天皇杯3回戦の川崎フロンターレ(J1上位クラブ)戦で1得点を挙げるなど、攻撃面でも貢献した。しかし、2010年シーズンは再び出場機会が減少した。シーズン終了をもって戦力外通告を受け、プロとしての現役を引退した。
4. 代表歴
川崎健太郎は、ユース時代に日本の年代別代表として選出され、国際舞台も経験している。
1999年にはU-18日本代表に選ばれ、将来有望な選手として期待された。
5. 引退後のキャリア
プロサッカー選手引退後、川崎健太郎は指導者の道へ進み、若手選手の育成に尽力している。
5.1. 指導者時代
2011年にプロ選手としてのキャリアを終えた後、同年からJリーグクラブであるヴィッセル神戸のスクールコーチに就任した。ヴィッセル神戸では、2011年から2015年までスクールコーチを務め、2016年から2017年にかけてはチーフスクールコーチとして指導の中心的役割を担った。2018年からはDESEOサッカースクールのコーチングスタッフおよび代表を務め、自身の経験を活かして若手サッカー選手の育成に貢献している。
6. 個人成績
川崎健太郎のプロキャリアにおけるクラブごとのリーグ戦、カップ戦、およびリーグカップの成績は以下の通りである。
クラブ成績 | リーグ | カップ | リーグカップ | 合計 | |||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | 合計 | |||||||
2001 | C大阪 | J1 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | |
2002 | J2 | 0 | 0 | 0 | 0 | - | 0 | 0 | |||
2002 | 佐川大阪 | JFL | 6 | 0 | 2 | 0 | - | 8 | 0 | ||
2003 | 山形 | J2 | 21 | 1 | 3 | 2 | - | 24 | 3 | ||
2004 | 14 | 0 | 0 | 0 | - | 14 | 0 | ||||
2005 | 3 | 0 | 0 | 0 | - | 3 | 0 | ||||
2006 | 札幌 | J2 | 4 | 0 | 4 | 0 | - | 8 | 0 | ||
2007 | 2 | 0 | 1 | 0 | - | 3 | 0 | ||||
2008 | 富山 | JFL | 13 | 0 | 0 | 0 | - | 13 | 0 | ||
2009 | J2 | 35 | 1 | 2 | 1 | - | 37 | 2 | |||
2010 | 17 | 0 | 1 | 0 | - | 18 | 0 | ||||
総通算 | 115 | 2 | 13 | 3 | 0 | 0 | 128 | 5 |
7. 私生活とエピソード
川崎健太郎のキャリアの中で、彼が目標とする選手や個人的な交友関係について知られているエピソードがある。
川崎は、元韓国代表のミッドフィールダーである尹晶煥を目標とする選手として挙げている。尹晶煥とはセレッソ大阪時代のチームメイトであり、私生活でも親交が深かったとされる。
8. 選手キャリアの評価
川崎健太郎の選手キャリアは、デビュー当初の出場機会の少なさから、移籍先での奮闘、特に天皇杯での印象的な活躍、そしてカターレ富山でのJ2昇格への貢献といった波瀾に富んだものであった。Jリーグでのキャリアを通じて、常に多くの出場機会を得られたわけではないが、彼の左足から繰り出される正確なクロスとドリブルは、チームにとって重要な武器となる場面が多々あった。引退後は指導者として若手の育成に力を注ぎ、自身の経験を次世代に伝えている。