1. 概要
庵野秀明(庵野 秀明あんの ひであき日本語、1960年5月22日生まれ)は、日本のアニメーション監督、映画監督、アニメーター、脚本家、プロデューサー、実業家、そして声優である。山口県宇部市出身。スタジオカラーの代表取締役社長を務め、株式会社プロジェクトスタジオQの創作管理統括、株式会社でほぎゃらりーの取締役、NPO法人アニメ特撮アーカイブ機構の理事長も兼任している。
彼の作品は、ポストモダニズム的なアプローチと、登場人物の心理描写を深く掘り下げる演出スタイルによって特徴づけられる。特に、内面的な葛藤や感情の脱構築を unconventional なシーケンスで表現する手法を多用している。
代表作には、アニメシリーズ『トップをねらえ!』(1988年)、『ふしぎの海のナディア』(1990年)、そして第18回日本SF大賞を受賞した『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年)がある。実写作品では、『ラブ&ポップ』(1998年)、『式日』(2000年)、『キューティーハニー』(2004年)、『シン・ゴジラ』(2016年)を手がけた。特に『シン・ゴジラ』は第40回日本アカデミー賞など数々の賞を受賞し、日本の特撮フランチャイズを再始動させる「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」プロジェクトの幕開けとなった。『シン・ウルトラマン』(2022年)、『シン・仮面ライダー』(2023年)もこのプロジェクトの一部である。
庵野秀明は、その監督作品が日本アカデミー賞の最優秀作品賞と最優秀アニメーション作品賞の両方を受賞した、宮崎駿、山崎貴に続く史上3人目の映画監督である。彼の作品は、日本のアニメーション産業と大衆文化に多大な影響を与え、特に心理描写の深さと物語の語り方に革新をもたらした。
2. 生い立ちと教育
庵野秀明の幼少期と学生時代、そして自主制作活動について詳述する。
2.1. 幼少期
庵野秀明は1960年5月22日、山口県宇部市に父・庵野卓哉と母・文子の間に生まれた。幼い頃から絵画、特にアニメーションや特撮作品、大規模な建造物の絵に並々ならぬ関心を示していた。彼が育った宇部市はセメント工業が盛んな街であり、その工場群の原風景は、彼の人工物やメカニックを好む感性に大きな影響を与えたと語っている。高校時代には「工場のある赤い風景」といった作品を描いている。
父親が若い頃の事故で左足の膝から下を失い義足であったため、庵野は幼い頃から「完全なものを好きになれない」「何かが壊れ、欠けていることが普通」という価値観を持つようになったと述べている。中学生の頃は少女漫画を大量に読むなど、漫画少年でもあった。
山口県立宇部高等学校在学中は、美術部で部長を務めるほどの画力を持っていた。また、アマチュア映像制作グループ「グループSHADO」に所属し、自主制作の映像作品『ナカムライダー』を制作し、文化祭で上映した。
2.2. 大学と初期の自主制作活動
高校卒業後、庵野は大阪芸術大学映像計画学科(現在の映像学科)に進学した。当時の入学試験は実技のみであったため、学業成績が悪くても入学が可能であったという。彼は受験対策として、宮崎駿らの絵コンテを参考にしたと語っている。
大学では南雅彦や西森明良といった同業者、広告デザイナーの碇義彦、漫画家の島本和彦や士郎正宗らが同級生にいた。島本和彦の漫画作品『アオイホノオ』には、この頃の庵野の学生生活が詳細に描かれている。彼自身はSF研究会に所属し、入学当初から山賀博之、赤井孝美らと班を組んで活動した。山賀は、この時期の庵野の画力、特にメカの描写については「圧倒的であった」と後に証言している。
庵野は、学生時代に同級生に誘われた自主制作アニメに熱中し、山賀らと共に自主製作映画グループ「DAICON FILM」の主要メンバーとして活動した。大阪で開催されたSF大会のために、異例のオープニングアニメーションや特撮作品を制作し、プロのクリエイターたちをも驚かせ、高い評価を得た。この時期に、スタジオぬえのメンバーに誘われ、山賀たちと共に『超時空要塞マクロス』の制作に参加し、アマチュアのアルバイトながら数話分の動画から原画までを担当した。この時に描いた爆発シーンは各所で高く評価され、これ以降、アニメーターとしての仕事依頼が増えることになる。
庵野は、共同実習にしか出席せず、学費も未納の状態であったため、3回生時に除籍処分を受けた。しかし彼自身は、単位を取るためだけに周囲のやる気のない学生に付き合い続けるよりも、自分の作品を作り続ける方が意義があると考えていた。またこの頃には既に、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』への参加に伴う上京が決まっていた。一時は漫画家を目指そうとした時期もあったが、自分には漫画の才能がないと考え断念している。
3. アニメーター・監督としての初期キャリア
庵野秀明のアニメーターとしての初期の経歴、ガイナックスの設立、そして初期の監督作品について記述する。
3.1. アニメーター活動
上京後、庵野はアニメーターの板野一郎に紹介された。板野が描いた『機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編』の原画を見て、「本当にすごくて、こんな原画が世の中にはあるんだ」と感動したという。プロ入り後、彼はすぐに板野の間近で『超時空要塞マクロス』の原画修正を任された。劇場版の『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』にも参加している。
その後、劇場アニメ『風の谷のナウシカ』やOVA『メガゾーン23』などの商業作品に参加し、メカや爆発シーンなどのエフェクトアニメーションを手がけた。『風の谷のナウシカ』では、採用時に持参した大量の原画が宮崎駿に高く評価され、難しいとされるクライマックスの巨神兵登場シーンを担当する大役を任された。この時、宮崎から人物も描くよう指示されたが、その出来が悪かったため、宮崎本人に頼んだというエピソードがある。この頃から彼は、原画・動画一筋で活動することの限界を感じ、監督・演出の仕事に重点を切り替えることを考え始めた。宮崎からは特に監督としての仕事の進め方などを学んだという。また、『機動戦士ガンダム』の富野由悠季ら、アニメーション界を代表する作家たちの仕事に参加できたことを、非常に幸運だったと語っている。
3.2. ガイナックス設立と初期監督作品
1984年12月、庵野はDAICON FILMを母体として設立されたガイナックスの共同創設者の一人となった。ガイナックスの初作品である『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年)には「スペシャルエフェクトアーティスト」という肩書きで参加した。この長い肩書きは、彼が「SFX」や「アーティスト」という呼称を嫌っていたため、世間への皮肉として命名したものである。作中のクライマックスシーンでは、戦闘やロケット発射の場面で、絵コンテから作画までほとんどを一人でこなした。このシーンでは、セルを1コマに9枚重ね、3秒間でセル枚数が250枚にも上るカットもあったという。彼は当時、戦車やミサイルなどに極限のリアリティを追求しており、軍事関係の資料を徹底的に読み込み、自衛隊にも体験入隊した。
ガイナックスでの初期監督作品としては、OVA『トップをねらえ!』(1988年)とテレビアニメ『ふしぎの海のナディア』(1990年 - 1991年)がある。
- 両作品ともアニメや特撮のパロディやオマージュを多く取り入れており、特に爆発やエフェクトのパターンは実写を忠実に再現している。
- 『トップをねらえ!』第5話の戦闘シーンの収録では、主演の日髙のり子に「自ら必殺技名を絶叫してみせる」という、庵野自身の体当たりの演技指導が行われたという逸話がある。
- 『ふしぎの海のナディア』のグランディス一味が「タイムボカンシリーズ」における三悪の変形版になったのは庵野自身のアイデアである。また、ハンソンの口癖である「そ、そ、そ、そ」は庵野の口癖が反映されている。
- 主人公ナディアの性格は、当時の庵野自身の性格が反映されたもので、ナディアが冷たかったり、わがままに描かれているのは、彼が恋愛で振られた際の自身の女性観を元にしたためである。また「南の島編」での暴走ぶりも、「周りから見た庵野監督」をモチーフにしていた。ナディアの「偏食家で、肉と魚は一切食べられない」という特徴も、庵野自身がモチーフである。
- キングについては、当初は「実は宇宙人」という設定が構想されており、最終回でキングが着ぐるみを脱いで正体を現す予定だったが、周囲の反対でこの構想はなくなった。
しかし、『ふしぎの海のナディア』では、NHKから宮崎駿のオリジナルコンセプト(『天空の城ラピュタ』も一部基づいている)を元にシリーズが引き継がれ、庵野自身はクリエイティブな面でほとんど裁量を与えられなかった。この経験により、庵野は4年間の鬱病に陥った。1994年には、旧友である中村彰正により、小惑星「9081 Hideakianno」が庵野にちなんで命名された。
4. 『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズ
庵野秀明の代表作である『新世紀エヴァンゲリオン』シリーズの制作背景、内容、社会的反響について詳細に扱う。
4.1. 制作とテーマ
庵野秀明の次のプロジェクトは、アニメテレビシリーズ『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年 - 1996年)であった。このシリーズは、終末後の未来の東京を舞台に、人類が使徒と呼ばれる巨大な怪物との戦いを通じて生き残ろうとする姿を描いている。庵野が経験した臨床的うつ病の病歴は、作品の心理的側面に重点を置く主要な源泉となった。彼は自身の苦難を紙に書き出し、それを作品の登場人物の精神的描写に反映させた。
この作品のプロットは、子供向けのテレビ放送枠で放映されていたにもかかわらず、シリーズが進むにつれて内省的で深遠なものへと変化していった。庵野は、人々が可能な限り若い年齢で人生の現実に触れるべきだと感じており、シリーズの終盤には従来の物語の論理が放棄され、最終2話は主人公の精神世界の中で展開されることになった。
4.2. ファンからの反応と論争
『新世紀エヴァンゲリオン』は、当初の放送時間帯では高い視聴率を獲得しなかったものの、後に大人向けの遅い時間帯に移動されてから、日本中で絶大な人気を獲得した。
しかし、テレビシリーズ後半、特に最終回2話とその前の展開に対して、パソコン通信上では激しい議論が繰り広げられ、多くの批判意見が寄せられた。中には、ファンから庵野への殺害予告や、「原画マンと喧嘩した」「途中までは考えていたが、最後は全く考えていない」といった虚偽の情報が瞬く間に広がり、脚本とされる偽の文書が出回るなど、大きな混乱を招いた。この現象について庵野は、議論の内容よりも「パソコン通信にハマる人たちは『現実世界に帰れ』」と苦言を呈した。また、テレビ放映後から劇場版公開の頃の「エヴァブーム」当時、インターネット上のチャットや電子掲示板での作品論争を「便所の落書き」と厳しく言い放っている。
4.3. その後の関連作品
ガイナックスでの時間的制約もあり、庵野は当初予定していた『エヴァンゲリオン』の結末を、主人公の精神世界を舞台にした2話のエピソードに置き換えることを余儀なくされた。1997年、ガイナックスは『エヴァンゲリオン』の破棄された結末を長編映画として再構成するプロジェクトを開始した。このプロジェクトは最終的に、テレビシリーズの結末を補完する3部構成の映画『The End of Evangelion』として結実した。この映画には、ファンからの手紙が数通(中には殺害予告も含まれる)が作中に挿入された。
1999年9月、庵野はNHKのテレビドキュメンタリー「課外授業 ようこそ先輩!」に出演し、「エヴァンゲリオン」の名称の由来など、作品に関する質問に答え、子供たちにアニメーション制作について教えた。
5. 後期キャリアとスタジオカラー
『新世紀エヴァンゲリオン』以降の活動、実写映画への進出、そしてスタジオカラー設立と「シン」シリーズプロジェクトについて記述する。
5.1. 実写映画への進出
『新世紀エヴァンゲリオン』制作終了後、庵野は実写映画の分野にも進出した。1998年の『ラブ&ポップ』を皮切りに、2000年の『式日』、2004年の『キューティーハニー』などを監督した。
『彼氏彼女の事情』(1998年)では、ガイナックス初の漫画原作アニメとして監督を務めたが、テレビ東京による番組への制限に不満を感じたため、それ以来テレビアニメの監督をすることは稀である。この作品の制作中に、ポケモンてんかん事件以降、テレビ東京から番組への規制が厳しくなったことに対し、庵野は不満を抱くようになった。
実写映画への進出として、援助交際をテーマにしたシネマヴェリテスタイルの作品『ラブ&ポップ』(1998年)を監督した。この映画は、大部分が小型のデジタルカメラで撮影され、アスペクト比が常に変化するという特徴があった。彼はこの作品でヨコハマ映画祭の新人監督賞を受賞し、主演の三輪明日美も新人賞を受賞した。庵野はまた、友人である摩砂雪と共同で、1999年のドキュメンタリー映画『GAMERA1999』(『ガメラ3 邪神覚醒』のメイキング)も監督している。
彼の2作目の実写映画『式日』(2000年)は、「儀式の日」を意味するタイトルで、燃え尽きた元アニメーション監督(岩井俊二が演じる)が、現実から遊離した女性と恋に落ちる物語である。『ラブ&ポップ』と同様に実験的な作品であったが、こちらはより伝統的な2.35:1のアスペクト比で撮影され、全体的に洗練された映像表現がなされており、『ラブ&ポップ』のシネマヴェリテ的な生々しさは抑えられている。この映画は東京国際映画祭で最優秀芸術貢献賞を獲得し、高い評価を得た。
3作目の実写映画『キューティーハニー』(2004年夏公開)は、永井豪の1973年の漫画およびアニメシリーズを原作としている。これまでのリアル志向の実写作品とは対照的に、この作品は明るいファンタジー・スーパーヒーロー映画である。同年後半には、庵野はOVA3部作『Re:キューティーハニー』の監修を務めたが、監督はせず、今石洋之(第1部)、伊藤尚往(第2部)、摩砂雪(第3部)がそれぞれ担当した。また、2004年に公開された映画『ナイスの森』では、庵野はいくつかのカメオ出演を果たしている。
5.2. スタジオカラー設立と『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』

2006年8月1日、庵野秀明の公式サイトが更新され、彼が設立したアニメ制作会社「スタジオカラー」のキーアニメーターや制作スタッフの求人情報が掲載された。2006年9月には、日本のアニメ雑誌『Newtype』10月号で、庵野がガイナックスを退社したことが報じられた。2007年10月、庵野はガイナックスを正式に退社した。
2006年9月9日、ガイナックスの公式サイトで、『ヱヴァンゲリヲン新劇場版』シリーズが制作中であることが確認された。このシリーズは4部作で構成され、最初の3作はテレビシリーズの別伝(多くの新シーン、設定、背景、登場人物を含む)となり、4作目は物語の全く新しい結末となる予定であった。鶴巻和哉と摩砂雪が監督を務め、貞本義行がキャラクターデザイン、山下いくとがメカニックデザインを担当した。樋口真嗣は最初の映画の絵コンテを提供した。
第1作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』は2007年夏に公開され、第2作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』は2009年6月27日に公開された。第3作『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』は2012年11月17日に公開され、完結編である第4作『シン・エヴァンゲリオン劇場版』は2021年3月8日に公開された。庵野は2007年2月17日、Yahoo!の日本ポータルで、シリーズ制作における自身の個人的な関与と目標について公式声明を発表している。
2011年には、庵野は平野勝之監督の映画『監督失格』の共同プロデューサーを務めた。2013年には、宮崎駿監督の長編アニメーション映画『風立ちぬ』で主人公の堀越二郎の声を担当し、声優デビューを果たした。
5.3. 「シン」シリーズとその他のプロジェクト
2012年、庵野は東京都現代美術館で開催された展覧会「館長 庵野秀明特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」のキュレーターを務め、多くの日本の特撮映画やテレビ番組で実際に使用された小道具やスーツを展示した。また、この展覧会のために、スタジオジブリのアニメーション映画『風の谷のナウシカ』に登場する巨神兵を題材とした実写短編映画『巨神兵東京に現わる』を制作した。
庵野は、宮崎駿とスタジオジブリと協力し、三鷹の森ジブリ美術館で上映されるいくつかの短編映画も制作している。彼はまた、2012年に宇宙戦艦ヤマト2199のオープニングアニメーションのデザインも手掛けた。2014年、庵野とスタジオカラーは、様々な監督によるオリジナルネットアニメーションシリーズ「日本アニメ(ーター)見本市」を開始した。
2015年3月には、庵野が旧友でありガイナックスの共同創設者である樋口真嗣とタッグを組み、東宝のゴジラシリーズの2016年のリブート作品『シン・ゴジラ』の脚本と共同総監督を務めることが発表された。この作品は、庵野が脚本と監督を務めた『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』に続いて、彼の復帰作となった。庵野は、シンジの物語は完結したものの、『エヴァンゲリオン』の世界を舞台にした新たなアイデアがあることを示唆している。
「シン・ジャパン・ヒーローズ・ユニバース」プロジェクトの一部として、『シン・ゴジラ』に続き、『シン・ウルトラマン』(2022年)と『シン・仮面ライダー』(2023年)の製作が発表された。庵野はまた、2017年5月にNPO法人「アニメ特撮アーカイブ機構」を設立し、理事長を務めている。彼は株式会社プロジェクトスタジオQの創作管理統括、株式会社でほぎゃらりーの取締役も務めている。かつては日本SF作家クラブの会員でもあった。
6. 芸術スタイルと哲学
庵野秀明の独創的な芸術スタイルと、彼が作品に込める哲学および世界観を分析する。
6.1. 物語と視覚的要素
庵野秀明の作品は、人間のエゴや醜さをえぐり出す心理描写、細部にまでこだわったメカの造型、そして大胆な映像演出によって特徴づけられる。彼は、意外なところから撮るエキセントリックなカメラアングルや、逆光を多用した描写を好む。また、作品中に電柱、電線、交通信号機、遮断機、道路標識、非常口マークなどの短いカットを挿入することが多い。これは、彼自身が人工物、メカニック、大規模な建造物を好む感性に影響されている。特に線路は「自分がどこかに連れて行かれる」というイメージで描写されることがある。彼の設立したスタジオカラーのウェブサイトにも、電柱や電線が使用されている。
実写作品を制作する際には、「被写体をどう撮るか」「欲しい絵は何か」という意図に応じて使用するカメラを変えている。構図を重視し、絵画的な美しさを追求し、緊張感のある迫力あるシーンを撮る場合は35mmフィルム・アナモルフィックレンズを選択する。一方、撮れる範囲を広げつつ、取り扱いやすさや機動性を重視し、色を明快に出してリラックスしたシーンを撮る場合はデジタルビデオカメラを選ぶ。彼は『シン・ゴジラ』以降、iPhoneを撮影に用いることもある。
『シン・ゴジラ』に出演した長谷川博己は、庵野が無口でありながら現場では常に何かを考えていたと証言している。同じシーンを何度も撮ったり、カメラを何台も使用したりするなど、画作りへのこだわりは並々ならぬものがあったという。同じく出演した竹野内豊は、庵野の考えは奥が深すぎて精神が壊れていてもおかしくないと評しており、撮影現場で庵野がゲームをしていることもあったが、それは単に遊んでいるのではなく、そういった気分転換を通じて自身を調整しているように見えたと語っている。庵野は後藤雅巳、村木靖と共に、「板野サーカス」と呼ばれる作画技術の完全会得者の一人とされている。
6.2. 影響とオマージュ
庵野の作品には、彼が愛好する映画、アニメ、漫画からのパロディやオマージュが数多く盛り込まれている。特に、永井豪、石川賢、岡本喜八、実相寺昭雄などからの影響が大きい。同時に、自身のオリジナリティについては、『新世紀エヴァンゲリオン』のコミック第1巻に掲載された所信表明文や『スキゾ・エヴァンゲリオン』の中で、「僕のようなアニメや漫画ばかりを見てきた世代は、パッと浮かんだことにだいたいいつも元ネタがあり、時に嫌になる」という趣旨の発言をしている。
作画面では、建築物や機械、爆発シーンの描写を得意とする。人物は、アニメ的なキャラクターを描くのが苦手と本人も認めており、描くことは少ない。しかし、ゼネラルプロダクツの『アニメック』誌の連載やパンフレットの挿絵、漫画アニメックや同人誌に掲載された短編漫画などもあり、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』ではリン・ミンメイの原画を手掛けている。
作品中の楽曲には、「FLY ME TO THE MOON」、「あの素晴しい愛をもう一度」、「夢の中へ」などのカバー曲が多用されている。
幼少期から深い影響を受けた特撮作品としては、ウルトラシリーズ、特に『帰ってきたウルトラマン』、そして中学生の頃に出会った『宇宙戦艦ヤマト』を挙げている。彼は『宇宙戦艦ヤマト』が自身の人生を変えた作品であると、原作者の西崎義展との対談でも語っている。樋口真嗣によれば、庵野はヒーローやロボットを好む一方で、尻尾のある怪獣はあまり好まないという。
特撮作品では、東京都に定期的に怪獣が出現し、それに対応するための組織が存在し、巨大ヒーローは数分間しか本格的に活動できないという『ウルトラマン』シリーズの特徴的な設定と展開が、『新世紀エヴァンゲリオン』にそのまま受け継がれている。
6.3. ジャンルごとの視点
庵野秀明は、物語において登場人物の主観的なドラマが少なく、粛々と変化する状況を客観的に描いた作品を好む。具体的な作品として、『太平洋奇跡の作戦 キスカ』(1965年)、『日本のいちばん長い日』(1967年)、『激動の昭和史 沖縄決戦』(1971年)、『日本沈没』(1973年)、『八甲田山』(1977年)、『サンダーバード』第1話、『宇宙戦艦ヤマト』第2話・第7話・第22話などを挙げている。
特に怪獣映画では、怪獣が主役であるため人間側はその対処を描くだけで十分であると考えており、自身の監督作品『シン・ゴジラ』も同様の作風で制作した。しかし、東宝側からこの意図を理解してもらうのに苦労したと語っている。一方で、『ウルトラマン』や『仮面ライダー』などヒーローを主役とした作品では、超人と人間の間の存在である主人公の内面を描いた方が面白いとも述べている。
7. 私生活
庵野秀明の私生活に関する公開された情報について記述する。
7.1. 結婚と家族
2002年3月26日、庵野は漫画家の安野モヨコと結婚した。二人は共通の知人である貞本義行の紹介が縁で知り合った。4月28日には「ダブルアンノの結婚を祝う会」と称した結婚披露宴パーティーが開催され、新郎側の主賓として宮崎駿、新婦側の主賓として桜沢エリカがそれぞれスピーチを行った。庵野自身は、安野の漫画作品『ハッピーマニア』などを読んでおり、高く評価していた。安野モヨコのペンネームの読みは「あんの」であるため、「Wアンノ」として話題になった。
安野モヨコの漫画作品『監督不行届』では、二人の結婚生活がコミカルに描写されている。作中での庵野の呼び名は「カントク(庵野)」、安野の呼び名は「ロンパース、モヨ」である。結婚を機に、安野の食事管理によって、体脂肪率40%以上あった庵野の体重が減量され、身長180 cm、体重73 kg、体脂肪率22%にまで改善された。
結婚前の庵野は、身の回りに無頓着で、充分な収入がありながら風呂が壊れたアパートに住んでいたため、時には1年間風呂に入らなかったり、洗濯もせずに服がボロボロになるまで着用し、汚れたら捨てる、という生活を送っていた。しかし、安野との結婚生活を通じて、4・5日おきに着替え、1日おきに入浴するようになった。作中では、庵野がアルマーニを試着する様子も紹介されている。
7.2. ライフスタイルと信条
庵野秀明は不可知論者であり、特定の宗教に所属していない。しかし、日本の精神性が自身の個人的な信念に最も近いと述べている。
彼は極端な偏食家であり、肉や魚は一切食べられない。彼曰く「自ら動く生物は食べられない」とのこと。しかし、菜食主義者かというとそうでもなく、知らないものに対する警戒心が強く、食べられるものが少ない傾向にある。妻の安野モヨコによれば、例えばズッキーニのように食べる必要のなかったものを食べられるようにするのに苦労したという。油断するとスナック菓子ばかり食べていると語られている。竹野内豊は、『シン・ゴジラ』の撮影現場で庵野がワンカットごとに菓子をつまんでいたと証言している。
7.3. 宮崎駿との関係
庵野と宮崎駿との間には、長年にわたる師弟関係と複雑な交流がある。庵野はかつて宮崎監督作品を「つまらない日本映画」と評した時期もあった。しかし、『新世紀エヴァンゲリオン』放送終了後、庵野が精神的に不安定な状態にあるという噂を聞いた宮崎は、彼に電話をかけ、「作れるようになるまで休めばいい」「あれだけのものを作ったんだから、人も金も集まってくる」と励まし、庵野は宮崎の言葉に大いに助けられたという。
1984年、庵野が原画として参加した『風の谷のナウシカ』において、後に作中の登場人物クシャナを主人公にした外伝を作りたいと申し出たが、宮崎は庵野の企画を「戦争ごっこをやりたいだけ」であり、「くだらない最低のものになるのが決まっているから」と却下している。漫画『風の谷のナウシカ』の連載がクライマックスを迎えた頃には、映画会社内で続編の企画が存在したが、宮崎の意向により、制作は行われず企画は立ち消えとなった。しかし、2013年には宮崎が「僕は続編をやる気はない。でも庵野がやりたいやりたいと言うから、やるならやっても良いと思うようになっていってます」と発言している。鈴木敏夫によると、2016年時点では既に宮崎本人から続編を手がける許可を得ているものの、庵野自身がなかなか動かずにいるという。
庵野は宮崎の2013年公開の長編アニメーション映画『風立ちぬ』で、主人公の堀越二郎の声を担当し、声優デビューを果たした。
8. 担当作品
庵野秀明が関与した作品を役割別、媒体別に分類して概観的に説明する。
- 総監督 / 監督**
- テレビアニメ:**
- 『ふしぎの海のナディア』(1990年 - 1991年) - 総監督、脚本(ノンクレジット)、絵コンテ、作画監督。
- 『新世紀エヴァンゲリオン』(1995年 - 1996年) - 監督、企画、原作、メカニックデザイン、脚本、絵コンテ、原画。
- 『彼氏彼女の事情』(1998年 - 1999年) - 監督、音響監督、脚本、絵コンテ、構成、劇メーター。
- 長編アニメ映画:**
- 『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 シト新生』(1997年) - 原作、総監督、脚本、メカニックデザイン、作画監督、原画。
- 『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』(1997年) - 企画、原作、総監督、監督、脚本、メカニックデザイン、絵コンテ、演出、作画監督、設定デザイン、原画。
- 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』(2007年) - 原作、総監督、脚本、音響監督、画コンテ、デザインワークス、原画。
- 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』(2009年) - 企画、原作、エグゼクティブ・プロデューサー、総監督、脚本、画コンテ、デザインワークス、原画。
- 『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』(2012年) - 企画、原作、エグゼクティブ・プロデューサー、総監督、脚本、画コンテ、イメージボード、デザインワークス、原画。
- 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』(2021年) - 企画、原作、エグゼクティブ・プロデューサー、総監督、脚本、画コンテ、原画、宣伝。
- OVA:**
- 『トップをねらえ!』(1988年 - 1989年) - 監督、脚本、画コンテ、設定、原画。
- 『Re:キューティーハニー』(2004年) - 総監督、演出、原画。
- 実写映画:**
- 『ラブ&ポップ』(1998年) - 監督、Self Cam。
- 『GAMERA1999』(1999年) - 総監督、撮影。続編『GAMERA1999+』も同様。
- 『式日』(2000年) - 監督、脚本。
- 『キューティーハニー』(2004年) - 監督、脚本、挿入歌作詞。
- 『シン・ゴジラ』(2016年) - 総監督、脚本、編集、音響設計、ゴジラコンセプトデザイン、画像設計、画コンテ、プリヴィズ企画・監督、予告篇演出、D班監督・撮影・録音、宣伝監修・ポスター/チラシデザイン。『シン・ゴジラ:オルソ』(2023年、モノクロ版)では企画。
- 『シン・仮面ライダー』(2023年) - 監督、脚本、特撮班准監督、コンセプトデザイン、撮影、タイトルロゴデザイン、光学作画、モーションアクター、総宣伝監修、予告編演出・ポスターデザイン。
- 短編映画:**
- 『NAKAMUREDIER』(1979年) - 学生作品。
- 『Proverb Dictionary: He Who Shots Often, Hits at Last!』(1979年) - 学生作品。
- 『At the Bus Stop』(1980年) - 学生作品。
- 『Tough Tire! SHADO Tire!』(1980年) - 学生作品。
- 『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(1983年) - 総監督、光学、主演。
- 『Neon Genesis Evangelion: Genesis 0:0 - In the Beginning』(1995年) - プロモーション短編。
- 『Ryusei-Kacho』(2001年) - 監督、脚本。
- 『Anime Tencho』(2002年) - 監督。
- 『The Invention of Destruction in the Imaginary Machines』(2002年) - 原作、監督、脚本。
- 『The Girl and the Railway』(2003年) - 彼の映画『式日』内の短編映画。
- 『Evangelion-Episode 26'Live Action Cut』(2003年) - 彼の映画『The End of Evangelion』の削除された実写シーン。
- 『巨神兵東京に現わる』(2012年) - 製作、脚本、光学作画、企画。
- 『Peaceful Times (F02) Petit Film』(2013年)。
- 『Evangelion the Movie AVANT: 0706 Version』(2019年) - 『シン・エヴァンゲリオン劇場版』の冒頭15分、エグゼクティブプロデューサー、絵コンテ。
- テレビアニメ:**
- アニメーター / 原画 / 作画監督**
- 『DAICON III OPENING ANIMATION』(1981年) - 原画。
- 『超時空要塞マクロス』(1982年 - 1983年) - 原画、動画。
- 『DAICON IV OPENING ANIMATION』(1983年) - 作画監督、原画。
- 『風の谷のナウシカ』(1984年) - 原画(巨神兵)。
- 『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』(1984年) - 原画。
- 『BIRTH』(1984年) - 原画。
- 『うる星やつら』(1984年 - 1986年) - 原画。
- 『くりいむレモン PART.2 エスカレーション 今夜はハードコア』(1984年) - 原画。
- 『うる星やつら3 リメンバー・マイ・ラブ』(1985年) - 原画。
- 『王立宇宙軍 オネアミスの翼』(1987年) - 作画監督、スペシャルエフェクトアーティスト、原画。
- 『禁断の黙示録 クリスタル・トライアングル』(1987年) - 原画。
- 『真魔神伝 バトルロイヤルハイスクール』(1987年) - 作画監督補佐、原画。
- 『メタルスキンパニック MADOX-01』(1987年) - 原画。
- 『火垂るの墓』(1988年) - 原画。
- 『バオー来訪者』(1989年) - 原画。
- 『MACROSS PLUS』(1994年 - 1995年) - 原画。
- 『ジャイアントロボ THE ANIMATION -地球が静止する日』(1994年 - 1998年) - スペシャル・ゲストキー・アニメーター、アバンタイトル原画。
- 『フリクリ』(2000年 - 2001年) - 監修、原画。
- 『アベノ橋魔法☆商店街』(2002年) - メカニカル作画監督、原画。
- 『トップをねらえ2!』(2004年 - 2006年) - 原画、第二原画。
- 声優 / モーションアクター**
- 『帰ってきたウルトラマン マットアロー1号発進命令』(1983年) - ウルトラマン役。
- 『八岐之大蛇の逆襲』(1984年) - テレビリポーター役。
- 『フリクリ』(2000年 - 2001年) - ミユミユの声(ノンクレジット)。
- 『アベノ橋魔法☆商店街』(2002年) - 第12話にカメオ出演(ノンクレジット)。
- 『Frog River』(2002年) - バーのマスター役。
- 『キューティーハニー』(2004年) - オフィスワーカー役。
- 『茶の味』(2004年) - アニメ監督役でカメオ出演。
- 『恋の門』(2004年) - 旅館経営者夫婦役でカメオ出演。
- 『ナイスの森』(2004年) - 俳優として出演。
- 『日本沈没』(2006年) - 山城教授の娘婿役。
- 『キャッチボール屋』(2006年) - 先代キャッチボール屋役。
- 『クワイエットルームにようこそ』(2007年) - 松原医師役。
- 『デスカッパ』(2010年) - 友情出演。
- 『風立ちぬ』(2013年) - 主人公の堀越二郎の声。
- 『夢と狂気の王国』(2013年) - 本人役(ドキュメンタリー)。
- 『シン・ゴジラ』(2016年) - 京急バスの運転手役(ノンクレジット)。
- 『ラストレター』(2020年) - 岸辺野宗二郎役。
- 『シン・ウルトラマン』(2022年) - ウルトラマンのモーションキャプチャー。
- 『映画 イチケイのカラス』(2023年) - 裁判官役でカメオ出演。
- プロデューサー**
- 『Kantoku Shikkaku』(2011年) - プロデューサー。
- 『巨神兵東京に現わる』(2012年) - 製作。
- 『The Dragon Dentist』(2014年) - エグゼクティブプロデューサー。
- 『Hill Climb Girl』(2014年) - エグゼクティブプロデューサー。
- 『Carnage』(2014年) - エグゼクティブプロデューサー。
- 『20min Walk from Nishi-Ogikubo Station, 2 Bedrooms, Living Room, Dining Room, Kitchen, 2mos Deposit, No Pets Allowed』(2014年) - エグゼクティブプロデューサー。
- 『Yamadeloid』(2015年) - プロデューサー。
- 『Evangelion:Another Impact』(2015年) - エグゼクティブプロデューサー。
- 『Sex and Violence with Machspeed』(2015年) - エグゼクティブプロデューサー。
- 『Tsukikage no Tokio』(2015年) - プロデューサー。
- 『Neon Genesis: Impacts』(2015年) - エグゼクティブプロデューサー。
- 『Cassette Girl』(2015年) - エグゼクティブプロデューサー。
- 『機動警察パトレイバーREBOOT』(2016年) - 企画、エグゼクティブプロデューサー。
- 『A Good Child's History Anime』(2016年) - エグゼクティブプロデューサー、共同編集、撮影。
- 『EVANGELION:3.0(-46h)』(2023年) - 総監修・企画・原作・メカニックデザイン・エグゼクティブプロデューサー。
- その他の役割**
- 『愛國戰隊大日本』(1982年、自主制作) - メカニックデザイン、モンスターデザイン、ナレーション、光学。
- 『機動戦士ガンダム 逆襲のシャア』(1988年) - メカニカルデザイン(ガイナックス名義)。
- 『安堂ロイド~A.I. knows LOVE?~』(2013年、実写テレビドラマ) - コンセプト・設定協力。
- 『龍の歯医者』(2017年) - 音響監督、制作統括。
- 『Virtual-san Looking』(2019年) - クリエイティブスーパーバイザー。
- 『シン・ウルトラマン』(2022年) - 製作、企画、脚本、編集、コンセプトデザイン、撮影、画コンテ、タイトルロゴデザイン、モーションアクションアクター、ティザーポスター・ティザーチラシ表面デザイン、総宣伝監修、選曲、総監修。
8.1. 著作・監修書籍
庵野秀明は、自身の作品に関する書籍や監修本を多数発表している。
- 単著・共著:**
- 『庵野秀明スキゾ・エヴァンゲリオン』(1997年) - 大泉実成との共著。
- 『庵野秀明パラノ・エヴァンゲリオン』(1997年) - 竹熊健太郎との共著。
- 『The end of evangelion 僕という記号』(1997年)
- 『シナリオ ラブ&ポップ』(1998年) - 薩川昭夫との共著。
- 『マジック・ランチャー』(1998年) - 岩井俊二との共著。
- 『庵野秀明のフタリシバイ -孤掌鳴難-』(2001年)
- 『ジ・アート・オブ シン・ゴジラ』(2016年) - 企画・責任編集。
- 『夢のかけら 東宝特撮映画篇』(2021年) - 総監修。
- 『夢のかけら 円谷プロダクション篇』(2021年) - 総監修。
- シナリオ集:**
- 『Evangelion original』全3巻(1996年)
- 原画集:**
- 『新世紀エヴァンゲリオン原画集』全3巻(2000年 - 2001年) - 監修。
- 『新世紀エヴァンゲリオン劇場版原画集』上下巻(2001年 - 2002年) - 監修。
- 『新世紀エヴァンゲリオン画集 DIE STERNE』(2003年) - 総監修。
- 『ふしぎの海のナディアアニメーション原画集 return of Nadia』(2004年) - 監修。
- 『安彦良和アニメーション原画集「機動戦士ガンダム」』(2013年) - 責任編集。
- 『新世紀エヴァンゲリオン原画集ダイジェスト』(2021年) - 監修。
- 『新世紀エヴァンゲリオン劇場版原画集ダイジェスト』(2021年) - 監修。
8.2. その他の活動
庵野秀明は、CMやゲームなど、様々なメディアプロジェクトにも関与している。
- CM:**
- ビクターハイパーロボットコンポ(CM、1987年) - 絵コンテ、原画。
- 日産自動車 Touch Your NISSAN キャンペーン(2005年)。
- KDDI/沖縄セルラー電話 au loves ジブリキャンペーン「ジブリの森」篇・「風立ちぬ」篇(2013年)。
- 本田技研工業 「Go, Vantage Point.」(2017年)。
- サッポロビール サッポロ生ビール黒ラベル(2018年)。
- ゲーム:**
- 龍騎兵団ダンザルブ(1993年) - キャラクター・メカニック・モンスターデザイン。
- プロモーションビデオ:**
- 夢幻戦士ヴァリス(1987年、ファミリーコンピュータ版プロモーション映像) - 監督・絵コンテ。
- 松たか子「コイシイヒト」(MV&15秒スポット、2001年) - 監督。
- 「オープニング(スタジオカラーver.)」(2014年) - 監督・絵コンテ・作画。
- 宇多田ヒカル「One Last Kiss」(MV、2021年) - 監督・編集。
- その他:**
- 『ザ・コンプリート・サンダーバード』(ダイジェスト版、1985年) - 構成・編集。
- 『シズラープロジェクト』(特典映像、2001年) - 原画。
- 『SH-06A NERV』(スマートフォン、2009年) - デザイン。
- 矢野顕子プロモーションビデオ「しあわせなバカタレ」(PV、2011年) - プロデューサー。
- コンテンツビジネス最前線 ジャパコンTV(PV、2012年) - OP原画。
- Peaceful Times(F02)petit film(PV、2013年) - 監修。
- 日本アニメ(ーター)見本市(Webアニメ、2014年 - ) - 企画立案・エグゼクティブプロデューサー、「(ーター)くん」キャラクターデザイン。
- シン・ゴジラ対エヴァンゲリオン交響楽(オーケストラコンサート、2017年) - エグゼクティブ・プロデューサー。
- 準天頂衛星システム「みちびき」2 - 4号機ミッションロゴ(2017年) - 監修。
9. 受賞と栄誉
庵野秀明が生涯に受けた主要な映画祭およびアニメーション関連の賞、および栄誉を時系列で列挙する。
- 1990年:**
- 星雲賞 メディア部門(『トップをねらえ!』)
- 1996年:**
- アニメーション神戸 個人賞(『新世紀エヴァンゲリオン』)
- 1997年:**
- 日本SF大賞(『新世紀エヴァンゲリオン』)
- 日本アカデミー賞 話題賞・作品部門(『新世紀エヴァンゲリオン劇場版 Air/まごころを、君に』)
- 文化庁メディア芸術祭アニメーション部門 優秀賞(『新世紀エヴァンゲリオン』)
- 1999年:**
- ヨコハマ映画祭 新人監督賞(『ラブ&ポップ』)
- 2000年:**
- 東京国際映画祭 最優秀芸術貢献賞(『式日』)
- クレルモンフェラン国際短編映画祭 デジタルコンフェディション部門Canal+賞(「流星課長」)
- 2008年:**
- 東京アニメアワード アニメーションオブザイヤー、監督賞(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』)
- 日本アカデミー賞 優秀アニメーション作品賞(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:序』)
- 2010年:**
- 日本アカデミー賞 優秀アニメーション作品賞(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:破』)
- 2012年:**
- 日本映画プロフェッショナル大賞 作品賞(『監督失格』)
- 2013年:**
- 日本映画批評家大賞 アニメーション監督賞(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』)
- 東京アニメアワード 個人部門・声優賞(『風立ちぬ』)
- 日本アカデミー賞 優秀アニメーション作品賞(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q』)
- 2016年:**
- 報知映画賞 監督賞(『シン・ゴジラ』)
- 日本SF大賞 特別賞(『シン・ゴジラ』)
- 2017年:**
- 毎日映画コンクール 日本映画大賞、監督賞、脚本賞(『シン・ゴジラ』)
- キネマ旬報ベスト・テン 脚本賞(『シン・ゴジラ』)
- ヨコハマ映画祭 特別大賞(『シン・ゴジラ』)
- 日本アカデミー賞 最優秀作品賞、最優秀監督賞、最優秀編集賞(『シン・ゴジラ』)
- 東京スポーツ映画大賞 監督賞(『シン・ゴジラ』)
- 文化庁メディア芸術祭 エンターテインメント部門大賞(『シン・ゴジラ』)
- 芸術選奨文部科学大臣賞 映画部門(『シン・ゴジラ』)
- ブルーリボン賞 作品賞(『シン・ゴジラ』)
- 星雲賞 メディア部門(『シン・ゴジラ』)
- 2022年:**
- 日本アカデミー賞 最優秀アニメーション作品賞、話題賞・作品部門(『シン・エヴァンゲリオン劇場版』)
- 東京アニメアワード 個人賞・原作・脚本部門、監督・演出部門(『シン・エヴァンゲリオン劇場版』)
- 日本映画批評家大賞 アニメーション監督賞(『シン・エヴァンゲリオン劇場版』)
- SPACE SHOWER MUSIC AWARDS BEST CONCEPTUAL VIDEO(宇多田ヒカル「One Last Kiss」MV)
- 紫綬褒章
- 神奈川文化賞
- 星雲賞 自由部門(『ヱヴァンゲリヲン新劇場版シリーズの完結』)
- 2023年:**
- 日本アカデミー賞 優秀編集賞(『シン・ウルトラマン』)
10. 評価と影響
庵野秀明が日本アニメーションおよび大衆文化に与えた影響と、それに対する歴史的・社会的な評価を総合的に扱う。
10.1. 全体的な影響
庵野秀明の作品は、日本のアニメーション産業と大衆文化に革新的な影響を与えた。特に、人間の複雑な心理描写を深く掘り下げた点と、物語の語り方における型破りなアプローチは高く評価されている。彼の作品に見られるポストモダニズム的な要素や、登場人物の内面を象徴的に表現する手法は、その後のアニメーション作品に多大な影響を与えた。
10.2. 批判と論争
庵野の作品、特に『新世紀エヴァンゲリオン』の結末は、ファンから大きな批判と論争を巻き起こした。一部のファンは、結末が期待外れであるとして殺害脅迫に近いメッセージを送るなど、過激な反応を示した。これに対し庵野は、インターネット上の作品論争を「便所の落書き」と評し、現実世界との繋がりを失った「オタク」文化に対する批判的な見解を示した。
10.3. モデルとなったキャラクター
庵野秀明をモデルにした、あるいは彼からインスピレーションを得たキャラクターが、いくつかの作品に登場している。
- 『監督不行届』(安野モヨコ作、祥伝社) - 庵野をモデルとした「カントクくん」が登場。アニメ版の声優は山寺宏一。
- 『式日』(庵野秀明監督の実写映画) - 庵野自身の分身ともいえる「カントク」役を岩井俊二が演じた。庵野の出身地である山口県宇部市がロケ地および映画の舞台となっている。
- 『アオイホノオ』(島本和彦作、小学館) - 庵野をモデルとした「大作家芸術大学学生で後のエヴァンゲリオン監督となる庵野秀明」が登場。テレビドラマ版では安田顕が演じた。
- 『SHIROBAKO』(水島努監督、P.A.WORKS制作のテレビアニメーション) - 第11話で話題に上り、第12話に「菅野光明」という名前で登場するアニメーション監督が、庵野をカリカチュア化したキャラクターとして描かれている。声優は樫井笙人。
11. エピソード
庵野秀明の生涯に関連する、よく知られた興味深い逸話や裏話をまとめて整理する。これには、彼の個人的な習慣や、同僚・関係者とのエピソードなどが含まれる。
- 庵野はかつて宮崎駿監督作品を「つまらない映画」と評した時期もあったが、『新世紀エヴァンゲリオン』放送終了後、庵野が精神的に不安定だという噂を聞いた宮崎が電話をかけ、「作れるようになるまで休めばいい」「あれだけのものを作ったんだから、人も金も集まってくる」と励ました。庵野はこの宮崎の言葉にかなり助けられたと語っている。
- 1988年に公開された『火垂るの墓』で原画を担当した際、神戸港での観艦式(清太の回想)の場面で登場する軍艦(高雄型重巡洋艦「摩耶」)を、出来るだけ史実に則って詳細に描写するよう求められた。彼は舷窓の数やラッタルの段数まで正確に描いたが、完成した映画では(樋口真嗣の妻である高屋法子の手によって)すべて影として塗り潰され、庵野の努力は徒労に終わったという。
- 「アニメージュ」1997年1月号で、最も多く観た映画として岡本喜八監督の『激動の昭和史 沖縄決戦』を挙げており、「一番好きな監督はだれかと言われたら、考える間もなく『岡本喜八』と言ってしまう」と述べている。
- 1999年には海上自衛隊のドキュメンタリービデオ『JMSDF FLEET POWERS』に出演し、同作品の映像監修も務めた。
- 極端な偏食家であり、肉と魚は一切食べられない。彼は「自ら動く生物は食べられない」と語っている。しかし、菜食主義者かというとそうでもなく、知らないものに対する警戒心が強く、食べられるものが少ないため、油断するとスナック菓子ばかり食べているという。竹野内豊は、『シン・ゴジラ』の撮影現場で庵野がワンカットごとに菓子をつまんでいたと証言している。
- 伊藤理佐の漫画『おるちゅばんエビちゅ』のエビちゅの真似をして「~でちゅう」という言葉を日常会話で使っていた時期があったと、安野モヨコの著書『監督不行届』で描かれている。また、1973年公開の映画『日本沈没』で丹波哲郎が演じた山本総理のモノマネも得意である。
- 水島精二、山本寛、高村和宏、京田知己など、1970年代前後生まれのアニメ監督の中には、庵野を尊敬している人物が多く、各所のインタビューで度々その旨を語っている。
- 若い頃は風呂嫌いで、長い時は1年間風呂に入らなかったという。庵野曰く「風呂に入らなくても死なない。死なないことを毎日、習慣でする奴は時間が余ってるからだ。オレにはやることがあるので、余ってる時間などない。ゆえに風呂になど入らない」とのこと。また「頭皮は1ヶ月で痒くなくなる」「(数ヶ月に1度、風呂に入った時は)身体を洗ったお湯が灰色になった」と語っている。しかし、『監督不行届』によれば、結婚生活の中で妻から改善を促され、現在は定期的に入浴するようになった。
- ハリウッド俳優・コメディアンのロビン・ウィリアムズは『新世紀エヴァンゲリオン』好きであったと言われており、彼が主演した映画『ストーカー』ではエヴァンゲリオンのフィギュアを登場させている。庵野自身は、ウィリアムズがファンだったということを彼の死後まで知らなかったという。
- 2024年7月31日、左脚を複雑骨折し入院した。8月11日に兵庫県立美術館で開催が予定されていた安彦良和との対談企画は中止となった。8月3日、妻の安野モヨコが庵野の怪我の詳細を説明したが、骨折の理由については非公開とされた。10月6日、『「宇宙戦艦ヤマト」50周年記念上映』に司会として登壇し、入院を公表して以降初めて公の場に登場した。この際、移動には車椅子を使用し、「なるべく歩く距離を減らしたい」と語った。11月15日に出席したイベントでは、骨折箇所にボルトが11本入っていることを明かし、「わりと動くようになりました」と述べた。
- 時代劇『大江戸捜査網』のファンでもあり、『新世紀エヴァンゲリオン』が同じテレビ東京系列で放送されていたことから、知り合いの関係者に『大江戸捜査網』のソフト化を働きかけることも多かったという。
- 東映特撮ファンクラブ(TTFC)の会員であることを、『シン・仮面ライダー対庵野秀明展』合同記者会見にて明かした。ニチアサはリアルタイムで視聴できないため、TTFCで近年の作品をチェックしているとのこと。
- 東京都現代美術館で2012年7月10日より開催された展覧会「館長 庵野秀明特撮博物館 ミニチュアで見る昭和平成の技」のプロデュースを担当し、会場で上映された短編特撮映画『巨神兵東京に現わる』の脚本などを手がけた。
- 宇宙作家クラブ会員である。

