1. 概要
板野一郎は、1959年3月11日に神奈川県横浜市南区で生まれた、日本のアニメーター、アニメ演出家、監督、プロデューサーです。彼のキャリアは、高校在学中にアニメーターとしての第一歩を踏み出したことから始まり、その後に確立した独自の映像表現は、アニメーション業界に計り知れない影響を与えました。特に、メカニックアクションにおける革新的な演出スタイル「板野サーカス」を開発し、その圧倒的なスピード感とアクロバティックな動きは、後続の多くのアニメーターや映像制作者に多大な影響を与えました。彼はまた、CG分野への早期参入や、後進の育成にも尽力し、アニメーション表現の可能性を広げ続けた人物です。
2. 生い立ち
板野一郎の幼少期から、アニメーターとしてのキャリアを確立し、さらに演出家やCG分野へと活動を広げていく過程、そして長年の師との再会に至るまでの人生の軌跡をたどります。
2.1. 初期とキャリア形成
板野一郎は、1959年3月11日に神奈川県横浜市南区で生まれ育ちました。小・中学生時代は、俳人の望月明が隣家に住んでいました。高校3年生の時、彼はスタジオムサシでテレビアニメ『惑星ロボ ダンガードA』の動画作業からアニメーターとしてのキャリアをスタートさせました。幼少期に読んだ漫画『鉄人28号』や『サブマリン707』の影響でメカ好きになり、メカのカットばかりを手掛けるうちに、自然とメカ専門のアニメーターとなっていきました。
森山ゆうじとのフリー活動やスタジオコクピットを経て、スタジオムサシの先輩であった浜津守の誘いを受けて、テレビアニメ『機動戦士ガンダム』に参加しました。同作では1979年に原画へと昇格を果たし、頭角を現します。次にスタジオビーボォーに籍を移し、『伝説巨神イデオン』の制作に参加しました。これら二つの作品を通じて、安彦良和や湖川友謙(ビーボォー主宰)といったベテランアニメーターから作画技法を深く学びました。特に『イデオン』では、イデオンの「全方位ミサイル発射シーン」や多数のアディゴが乱舞する戦闘シーンにおいて、彼独自のアクション演出が注目を集めることとなりました。
2.2. 演出家およびCG分野での活動
板野一郎は、1982年にスタジオぬえの河森正治に誘われ、同僚の平野俊弘らと共にアートランドへ移籍し、『超時空要塞マクロス』に参加します。主役メカであるバルキリーの斬新なデザインに惚れ込み、メカニック作画監督としてその個性を存分に発揮しました。この作品で見せた、スピーディーかつアクロバティックな戦闘シーンは、後に「板野サーカス」と称され、メカ好きのアニメファンから絶大な注目を集めることになります。
1985年のOVA『メガゾーン23』ではアクション監督として演出を手がけ、これが彼がアニメ演出家としての活動に比重を移すきっかけとなりました(同作では声優としても一言だけ出演しています)。1986年の続編『メガゾーン23 PART II 秘密く・だ・さ・い』では、ついに監督デビューを果たし(メカニック作画監督も兼任)、以降はアニメーターとしての作画作業は徐々に減り、アニメ演出家としての仕事に集中するようになります。同年12月にはアートランドから独立し、結城信輝、本谷利明、門上洋子、森川定美らと共にD.A.S.T (Defence Animation Special Team) を結成。主にOVA作品を中心に、『エンゼルコップ』シリーズなどのアクション作品の監督を務めました。
1994年の『マクロスプラス』で久々に作画を手掛けた後、彼はCGの可能性に目を向け始めました。これにより、ゲームや実写の特撮作品におけるCGモーション監修へと活動領域を広げ、2004年の映画『ULTRAMAN』や『ウルトラマンネクサス』以降の「ウルトラシリーズ」にも参加しています。2008年には企画から監督まで全面的に手がけた『ブラスレイター』を発表し、D.A.S.Tを解散した後は、同作のCG班がGONZOから独立したグラフィニカのアドバイザーとして籍を置き、後進の指導にあたりました。2025年時点では、新潟県のCGスタジオ紺吉に所属し、オリジナル企画『烈火』を進行中です。
2.3. 安彦良和との再会
板野一郎の最初の師匠である安彦良和とは、『クラッシャージョウ』の現場を辞め『超時空要塞マクロス』に参加して以来、関係が途絶えていました。しかし、安彦良和の『ガンダム』画集にまつわる仕事での対談をきっかけに、約30年ぶりに再会を果たしました。この再会は、雑誌『ガンダムエース』の2011年4月号と5月号(前後編)に掲載された対談として記録されています。その後、二人は共同でアニメ版『機動戦士ガンダム THE ORIGIN I』(2015年)の制作に協力することになりました。
3. 板野サーカス
「板野サーカス」は、板野一郎が生み出し、多くのアニメファンに広く知られるようになった、独特のアクション演出スタイルです。このセクションでは、その概要から具体的な技法、そして多岐にわたる分野に与えた影響と、後進への継承について詳述します。
3.1. 概要
「板野サーカス」とは、板野一郎が演出する立体的かつ超高速の戦闘アクション、またはその特徴的な演出を踏襲したアクションシーン全般を指します。この名称は、彼の参加した『伝説巨神イデオン』での演出がアニメ業界で大きな話題を呼び、メカの軽快な動きがサーカスの空中曲芸に喩えられたことに由来します。
「板野サーカス」という呼称が初めて登場したのは、雑誌『マイアニメ』1982年11月号で、メカニックデザイナーの宮武一貴がインタビュー中に「ぼくらは"板野サーカス"っていってるんですけど」と発言したことでした。翌月の同誌12月号では、板野サーカスに関する特集記事が掲載されるに至ります。この「サーカス」という言葉は、大日本帝国海軍のパイロットである源田実が航空機献納式で行った3機編隊のアクロバット飛行が「源田サーカス」と呼ばれたことにちなんでいるとされています。
従来のロボットアニメの戦闘シーンは、西部劇や時代劇のように銃や刀を用いた「決闘」の様式をとり、ロボットの重厚感や決めポーズを重視した演出が主流でした。例えば、『機動戦士ガンダム』などの戦闘シーンにおける殺陣がその好例です。これに対し、板野は敵味方が高速で縦横無尽に飛び回る空中戦(または宇宙空間戦)を舞台に、目まぐるしいスピード感とアクロバティックな動きによって、アニメーションにおける新たな見せ場を創出しました。
「板野サーカス」の原点には、板野自身が少年期に観た特撮テレビ番組『人造人間キカイダー』に登場するハカイダーのオートバイからロケット弾が発射されるシーンがあります。学生時代には、これを模倣して、自身の愛車のフロントフォークにロケット花火を多数取り付け、海岸で追いかけっこをしながら走行中に一斉に打ち出すという遊びに興じていたと語っています。この遊びの中で、「攻撃側よりも追撃される側のほうが面白かった」と語った経験が、後の彼の映像表現に大きな影響を与えました。花火と並走した実体験をアニメ表現に落とし込んだものが、三次元感覚に満ちた画面構成です。さらに、撮影レンズやフレームの変化など、カメラワークの工夫によってスピード感をより強調しています。
3.2. 特徴的な演出技法
「板野サーカス」を構成する具体的な演出技法は多岐にわたります。アスペクト社の『SFアニメがおもしろい-機動戦士ガンダムから新世紀エヴァンゲリオンまで-』(EYE・COM Files著、1996年12月)では、これらの技法が詳細に解説されています。
3.2.1. ミサイル一斉発射
「ミサイル一斉発射」は、ロケット花火遊びから着想を得た板野サーカスの代名詞とも言える技法です。従来のロボットアニメではサブウェポンとして扱われることが多かったミサイルに焦点を当て、板野は「弾数の多さ」と「ミサイルの動き」を強調する演出を行いました。ミサイル群は、まるで絡み合うかのように複雑な軌道を描き、白い煙の航跡によって立体的かつ芸術的な空間を創り出します。その様子から、「納豆ミサイル」という別称でも知られています。
さらに、板野は同じミサイルであっても、それぞれに「性格付け」をして動かしています。例えば、標的へ一直線に飛ぶ「優等生タイプ」、標的の機動を予測して先回りする「秀才タイプ」、目立とうとジグザグに飛ぶ「劣等生タイプ」などです。これら無数のミサイルを緊急回避する標的機の機動もまた見どころであり、時には標的へ向かうことなく、単に画面を通り過ぎるだけのミサイルも描写されることがあります。板野いわく、「ミサイルは軌道が最も重要」であり、「ミサイルが一本でも二本でも、流れが綺麗なら板野サーカスである」と述べています。
3.2.2. レンズ効果
「レンズ効果」は、撮影カメラが被写体の位置によって、レンズの種類を切り替えるかのように画面が変化する技法です。遠距離では望遠レンズのように、中間距離では標準レンズのように、そして手前に近づくほど魚眼レンズのように描かれることで、画面に深い奥行きとスピード感を印象付けます。具体例としては、画面奥で発射されたミサイルが、望遠で捉えられた像から手前に近づくにつれて、ワイドで屈曲した像へと変化していく様子などが挙げられます。板野はこの技法を「画角アニメーション」と呼んでいます。
3.2.3. 動体視点
「動体視点」は、スカイダイビングの空中撮影のように、カメラが自在に移動するカメラワークを指します。これは、主観的な視点で被写体を追いかけ、フレームインやフレームアウトといった演出を交えることで、視聴者に強い臨場感と没入感を味わわせる技法です。さらに極端に言えば、あくまでも最低限のカメラワークで被写体を追いかけようとする概念とも定義できます。
3DCGが採用された作品以降、この傾向は特に顕著となり、一瞬遅れて被写体を追随するカメラの動きなどは、その最たる特徴です。これにより、板野の描く立体的な戦闘シーンは、視聴者により深い印象を与えています。特にマクロスシリーズの3Dシューティングゲームでは、プレイヤーの機体をカメラで撮影しているかのように見せる「バリアブルビュー」の監修も行っています。
3.2.4. 爆発・崩壊エフェクト
「爆発・崩壊エフェクト」は、破壊対象物の構造を緻密に考察し、被弾による内部誘爆(例えば、『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』におけるダイダロスアタックでの敵艦破壊シーンなど)や、衝撃波による崩壊といったプロセスを細かく描き分ける技法です。また、特徴として、円形から三日月型に明滅する無数の爆発光が挙げられます。
3.2.5. 残酷描写
「残酷描写」は、板野一郎が原画マン時代から多用してきた、キャラクターの首が飛ぶ、頭が潰れるなどの過激なスプラッター描写を指します。テレビアニメでは、描写がぼかされることが多いものの(例えば、『機動戦士ガンダム』でシャア・アズナブルがキシリア・ザビを射殺するシーンでは、原画でははっきりと描かれていたものが、映像ではぼかされていました)、映画やOVAではかなり残酷なシーンが描かれ、海外輸出版では全面的にカットされるケースもありました。
3.3. 影響と評価
「板野サーカス」は、日本のアニメーション業界だけでなく、ハリウッド映画やデジタルアートなど、多岐にわたる分野に大きな影響を与え、高く評価されています。
1970年代末、金田伊功が手掛けたエフェクトシーンやオープニングアニメーションに魅了された若手アニメーターたちは、「金田フォロワー」と呼ばれました。板野もまた金田の影響を強く受けた一人であり、「金田さんのいいところを吸収し、その上で自分の表現を探さなきゃと思って、『板野サーカス』が生まれた。金田さんあっての『板野サーカス』だと思っています」と語っています。金田の作品に見られるダイナミックなパースや爆発を駆使する「金田アクション」に影響され、生み出されたアクロバティックな板野サーカスの技法は、当時普及し始めたビデオデッキのコマ送り機能を使って分析され、後進のアニメーターたちに多大なインスピレーションを与えました。
この影響の流れは2000年代以降も続いており、『ほしのこえ』を個人で制作した新海誠は、「『マクロスプラス』や『機動戦士ガンダム0083 STARDUST MEMORY』をコマ送りで見てメカアクションの参考にした」と述べています。また、アニメーターの久保田誓は板野サーカスの熱心なファンとして、『アベノ橋魔法☆商店街』(第3話)、『天元突破グレンラガン』(第14話)、そして『スペース☆ダンディ』(第23話)などで同様の作画を披露しています。『スペース☆ダンディ』での作画は、監督が『マクロスプラス』と同じ渡辺信一郎であったため、恩返しのつもりで描いたとされています。
ミサイル乱射などのアクション演出は今や一般化していますが、河森正治は「美しく見せたりスピード感のあるミサイルを描けるアニメーターはいるが、板野のような"痛いミサイル"を描ける人は少ない」と語り、板野の表現の独自性を高く評価しています。
さらに、「板野サーカス」はハリウッド映画にも影響を与えたという説があります。『超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか』のビデオで板野サーカスを観たハリウッド映画関係者が、映画『トップガン』の空撮シーンのヒントにしたというものです。また、『超時空要塞マクロス』の熱烈なファンであるニール・ブロムカンプ監督は、自身の映画『第9地区』の作中で、パワードスーツがミサイルを発射するシーンに「納豆ミサイル」の表現を盛り込んでいます。
デジタルアート集団チームラボは、板野サーカスへのオマージュとして、二次元のアニメで描かれた「デフォルメされた空間」を三次元で再現する作品「追われるカラス、追うカラスも追われるカラス、そして分割された視点」を制作しています。
3.4. 後進の育成
板野一郎は、彼独自の演出技法である「板野サーカス」を次世代のアニメーターたちに伝承することにも尽力しました。板野自身が認める、「板野サーカス」を完全に会得しているアニメーターは、庵野秀明、後藤雅巳、村木靖の3人であるとされています。
庵野秀明は、アニメ界における最初の師匠として板野の名を挙げ、「妥協しない創作姿勢を教えられた」と語っています。彼は「がんばっているんだけど、なかなかあの境地には達しない。超えようと思ったけど、超えられない人ですね」と板野への敬意を示しており、自身が監督した実写映画『キューティーハニー』にも「板野サーカス」への一種のオマージュが見られます。後藤雅巳や村木靖は、『伝説巨神イデオン』や『超時空要塞マクロス』を見て影響を受けた世代であり、それぞれ『カウボーイビバップ』や『交響詩篇エウレカセブン』でスピード感あふれる空中戦を描きました。
板野自身は、『マクロス ゼロ』完結後のマクロスシリーズの作品には直接参加していませんが、『劇場版マクロスF~サヨナラノツバサ~』のCGを担当したサテライト、unknownCASE、グラフィニカのクリエイターたちは、板野から直接指導を受けた教え子たちです。特にサテライトの八木下浩史(『マクロスF』)と原田丈(『バスカッシュ』)について、板野は「CGの板野サーカスの免許皆伝第1号が原田、卒業生の中の優等生が八木下」と語り、彼らの才能を高く評価しています。
また、板野は『ウルトラマンネクサス』から『ウルトラマンメビウス』に参加していた時期には、円谷プロダクションのCGIチームの指導も行い、その後の特撮作品にも大きな影響を与えました。彼が主宰していたD.A.S.Tは、2011年に解散を表明しており、「育てるべき人間はもう全員卒業したので、これからは自分の好きなことをやろうと」語っています。
4. 逸話
板野一郎は、その独創的な才能と仕事への姿勢を裏付ける、数多くの独特な個人的エピソードを残しており、「バトルアニメーター」の異名を持つ異色の肉体派アニメ業界人として知られています。
4.1. オートバイ関連の逸話
板野一郎は、自身の動体視力を鍛えると称して、オートバイでトラックやバスの隙間をすり抜けるような運転をしていたと語っています。テレビ番組『BSアニメ夜話』に出演した際には、自己紹介で「日本の子供たちの動体視力を上げたと思っています」と述べ、そのユニークな訓練法を披露しました。また、同番組では、学生時代の愛車であるXL125のフロントフォークに多数のパイプを並べて取り付け、ロケット花火を一斉に発射して遊んでいたエピソードも紹介され、これが後の『超時空要塞マクロス』におけるミサイル軌道の着想源となったと語っています。
映画『マッドマックス2』に強く感化され、オートバイで歩道橋を駆け上がったこともあります。さらに、バイクで走行中にトラックに幅寄せされたことに腹を立て、自らも幅寄せし返した結果、転倒したにもかかわらず、転倒しつつもトラックのドライバーを罵倒し続けたという逸話も残っています。
OVA『メガゾーン23』の制作時には、自身のオートバイに撮影機材を取り付け、東京都内を走り回ってロケハンを行いました。当時の愛車は黒いホンダ・VT250Fで、『超時空要塞マクロス』に登場するロイ・フォッカー機を模したドクロマークをあしらっていたといいます。虚淵玄によれば、板野はバイク事故で手首を負傷したことがきっかけで、作画の仕事から身を引き、監督としての仕事に専念するようになったとされています。
4.2. 仕事関連の逸話
板野一郎がアニメーターになったきっかけは、高校停学中に偶然見かけた募集広告で、就職することで親を安心させたいという目的も兼ねていたといいます。一時期はスタント事務所に所属していたこともありますが、実際にスタントの仕事をした経験はありません。
『機動戦士ガンダム』第31話では、ジャブローから発進するホワイトベースの周りをフラミンゴの群れが飛ぶシーンの作画を担当しました。一羽一羽の翼を動かすという骨の折れる作業でしたが、原画担当になりたての板野は自ら志願してこの難題に取り組みました。このシーンは、後に劇場版第二作(哀・戦士編)のラストにも使われる名場面となりました。同作では、演出家から「動きが速すぎる」と文句を言われたにもかかわらず、板野は納得せず、演出家が出かけている隙にエルメスのビットを動かすタイムシートを描き換えました。試写でこのシーンを見た富野由悠季監督は、そのセンスを認めました。
スタジオビーボォー在籍当時は、知人を手伝って深夜にトラックで朝刊を配送するアルバイトをしており、その仕事が終わるとスタジオで仮眠を取り、また夜まで作画をするという過酷な生活を送っていました。『超時空要塞マクロス』の制作では、殺人的なスケジュールのため、吐血や血尿で2回も入院する事態に陥りました。しかし、医師から即入院を勧められながらも、カブに乗って8時間耐久レースに出場したという逸話も残っています。
漫画『プラモ狂四郎』に登場するパーフェクトガンダムの生みの親でもあります。テレビ版『機動戦士ガンダム』に参加していた時、ジオングに対抗する決戦装備として考案し、原画作業の合間に描いたものです。多忙のため、自身がデザインしたことすら忘れていましたが、模型店でプラモデルを見て商品化されたことを知ったといいます。
『マクロスプラス』制作時には、河森正治と共にアメリカへ渡り、模擬空中戦を体験しました。パイロットの極限状態を体験するため、教官の許可なく操縦桿を真上に引いて急上昇し、ブラックアウトや意識喪失(G-LOC)を経験しています。作品の打ち上げの席では、ある仕上げ会社の社長に殴られ、「お前のおかげで何人辞めたと思ってるんだ」と怒鳴られたというエピソードも語られています。
2025年放送のテレビアニメ『全修。』の第2話では、演出技法としてのミサイル一斉発射が再現され、板野本人がゲストスタッフとして作画を監修しました。エンディングクレジットには「板野サーカスパート 絵コンテ・3DCG監修 板野一郎」と表記され、SNSでは「板野サーカス」がトレンド入りするなど、大きな話題となりました。
5. 主要作品リスト
板野一郎が参加または監督した主要なアニメーション、特撮、実写映画、ゲーム作品を以下にまとめます。
5.1. アニメーション作品
年 | タイトル | 役割 |
---|---|---|
1977年 | 惑星ロボ ダンガードA | 動画 |
1977年 | アローエンブレム グランプリの鷹 | 動画 |
1978年 | SF西遊記スタージンガー | 動画 |
1978年 | ピンクレディー物語 栄光の天使たち | 動画 |
1978年 | さらば宇宙戦艦ヤマト 愛の戦士たち | 動画 |
1978年 | 銀河鉄道999(テレビシリーズ) | 動画 |
1978年 | キャプテン・フューチャー | 動画 |
1979年 | 機動戦士ガンダム | 作画 |
1979年 | 銀河鉄道999(劇場版) | 動画 |
1980年 | 伝説巨神イデオン | 作画 |
1981年 | 機動戦士ガンダム(劇場版) | アニメーター |
1981年 | 機動戦士ガンダムII 哀・戦士編 | アニメーター |
1981年 | Dr.スランプ アラレちゃん | 原画 |
1982年 | 機動戦士ガンダムIII めぐりあい宇宙編 | アニメーター |
1982年 | 伝説巨神イデオン 接触篇・発動篇 | アニメーター |
1982年-1983年 | 超時空要塞マクロス | メカニック作画監督、原画、オープニング・アニメーション |
1983年 | うる星やつら | 原画 |
1983年 | クラッシャージョウ | 原画 |
1983年 | プラレス3四郎 | 原画 |
1984年 | 超時空要塞マクロス 愛・おぼえていますか | 作画監督 |
1984年 | うる星やつら2 ビューティフル・ドリーマー | 原画 |
1985年 | メガゾーン23 | アクション監督、演出、絵コンテ |
1985年 | メガゾーン23 PART II 秘密く・だ・さ・い | 監督、メカニック作画監督、絵コンテ |
1985年 | 北斗の拳 | 演出、作画監督 |
1987年 | Good Morningアルテア | 原案 |
1987年 | 真魔神伝 バトルロイヤルハイスクール | 監督 |
1987年 | 王立宇宙軍 オネアミスの翼 | 原画 |
1988年 | バイオレンスジャック 地獄街 | 監督、構成 |
1988年 | 機動警察パトレイバー(OVA版) | 演出 |
1989年 | 孔雀王2 幻影城 | 監督 |
1989年-1994年 | エンゼルコップ | 監督、脚本、演出、絵コンテ |
1991年 | 創竜伝 | スペシャルアニメーター、原画 |
1992年 | STAR DUST | 監督、原案、絵コンテ |
1992年 | 宇宙の騎士テッカマンブレード | 演出、絵コンテ、作画監督 |
1993年 | SLAM DUNK | 作画監督 |
1994年 | マクロスプラス | 特技監督、メカデザイン協力 |
1994年 | タイムボカン王道復古(第2巻) | ゲストアニメーター |
1994年 | プラスチックリトル | 原画 |
1996年 | イーハトーブ幻想~KENjIの春 | 原画 |
1996年 | 魔法使いTai! | アバンタイトル演出、作画 |
1998年 | ポポロクロイス物語 | 原画 |
1999年 | 宇宙海賊ミトの大冒険 | メカニックデザイン、CGスーパーバイザー |
2000年 | メダロット | 原画 |
2001年 | 零花~rayca | 3Dモーションディレクター |
2001年 | 地球防衛家族 | 原画 |
2001年 | 地球少女アルジュナ | 3Dモーション監修、演出、作画 |
2001年 | カウボーイビバップ 天国の扉 | 原画 |
2001年 | デジモンテイマーズ 冒険者たちの戦い | 原画 |
2002年 | マクロス ゼロ | 特技監督 |
2004年 | GANTZ | 監督 |
2006年 | スーパーロボット大戦OG ~ディバイン・ウォーズ~ | 3Dアニメーションアドバイザー |
2008年 | ブラスレイター | シリーズ構成、監督 |
2008年 | 鉄のラインバレル | 特技監督 |
2012年 | ヱヴァンゲリヲン新劇場版:Q | CGI監修、アニメーション・マテリアル、次回予告画コンテ |
2014年 | 楽園追放 -Expelled from Paradise- | モーションアドバイザー |
2014年 | 日本アニメ(ーター)見本市「安彦良和・板野一郎原撮集」 | レイアウト・原画・作画修正(安彦良和と共同) |
2015年 | 機動戦士ガンダム THE ORIGIN I 青い瞳のキャスバル | アバンアニメーション絵コンテ/演出、原画 |
2015年 | 日本アニメ(ーター)見本市『ヤマデロイド』 | 監修 |
2017年 | 十二大戦 | アニメーションアドバイザー |
2018年 | SSSS.GRIDMAN | 怪獣デザイン(幽愁暗恨怪獣 ヂリバー) |
2021年 | SSSS.DYNAZENON | 怪獣デザイン(厚貌深情怪獣 ギブゾーグ) |
2025年 | 全修。 | 絵コンテ・3DCG監修(第2話の板野サーカスパート) |
5.2. 特撮作品
年 | タイトル | 役割 |
---|---|---|
2004年 | ウルトラマンネクサス | CGIモーションディレクター |
2004年 | ULTRAMAN | フライングシーケンスディレクター |
2005年 | ウルトラマンマックス | CGIモーションディレクター、怪獣デザイン(バグダラス、ケサム、キングジョー分離状態) |
2006年 | ウルトラマンメビウス | CGIモーションディレクター、デザイン(ケルビム、ドラゴリー蛾、サイコキノ星人、ファイナルメテオール) |
2006年 | ウルトラマンメビウス&ウルトラ兄弟 | CGI監督 |
5.3. 実写映画
年 | タイトル | 役割 |
---|---|---|
1988年 | 四月怪談 | アニメーションシーン |
2013年 | 赤々煉恋 | CGIモーション監督 |
5.4. ゲーム作品
マクロスシリーズ (ゲーム)に関するゲーム作品の詳細は、そちらの項目も参照してください。
年 | タイトル | 役割 |
---|---|---|
1995年 | おやじハンターマージャン | アニメーションディレクター |
1996年 | マクロス デジタルミッション VF-X | モーション監修 |
1997年 | QUOVADIS 2~惑星強襲オヴァン・レイ~ | 総監督 |
1997年 | 熱砂の惑星 | キャラクターデザイン、アクション監修、ムービー監督・演出 |
1999年 | マクロス VF-X2 | モーション監修、ムービー演出、絵コンテ、メカニック作画監督 |
1999年 | VAMPIRE HUNTER D | ムービーモーション監修 |
2000年 | マクロスプラス -GAME EDITION- | モーション監修、ムービー演出 |
2000年 | ドグウ戦紀 ~覇王~ | 企画、原案 |
2001年 | マクロスM3 | モーション監修、ムービー演出 |
2002年 | タコのマリネ | 作画監督 |
2003年 | 超時空要塞マクロス | モーション監修 |
2004年-2005年 | DIGITAL DEVIL SAGA アバタール・チューナー1、2 | ドラマチック、イベントシーン監修 |
2012年 | アスラズ ラース | 特別演技監督 |