1. 概要
李継耐は1942年7月に生まれ、長年にわたり中国人民解放軍の要職を歴任した軍人である。彼は中国共産党に入党し、中国人民解放軍第二砲兵部隊での初期の軍務を経て、中国人民解放軍総政治部、中国人民解放軍総装備部、国防科学技術工業委員会といった主要な軍事機関で重要な役職を務めた。また、中国共産党中央委員会委員および中国共産党中央軍事委員会委員としても活動し、中国の国防と政治において中心的な役割を果たした。
2. 初期生と教育
李継耐の初期の背景と学術的経歴は、彼の後の軍事・政治キャリアの基盤を築いた。
2.1. 出生と成長背景
李継耐は1942年7月、山東省滕県(現在の滕州市)で生まれた。
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2.2. 教育
彼は1966年にハルビン工業大学工程力系を卒業し、工学の専門知識を習得した。
3. 軍歴
李継耐の軍歴は、中国共産党への入党と人民解放軍への入隊から始まり、多様な部署での役職と段階的な昇進を経て、上将の階級に到達した。
3.1. 中国共産党入党と人民解放軍入隊
李継耐は1965年5月に中国共産党に入党し、1967年12月に中国人民解放軍に入隊した。
3.2. 初期服務とキャリア発展
入隊後、彼は中国人民解放軍第二砲兵部隊(現中国人民解放軍ロケット軍)において、小隊長、連隊宣伝係副係長、連隊副政治委員などを歴任した。1977年には第二砲兵政治部組織部の青年科長、次いで組織部副部長を務めた。1983年には第二砲兵基地副政治委員に任命された。
3.3. 主要部署と役職
李継耐は人民解放軍の複数の主要部署で重要な役職を歴任し、それぞれの機関の発展に貢献した。
3.3.1. 中国人民解放軍総政治部
李継耐は1985年に中国人民解放軍総政治部に異動し、幹部管理部長を務めた後、1990年4月には同部の副主任に任命された。2004年9月、徐才厚が中央軍事委員会副主席に選出されたことに伴い、李継耐は総政治部主任に任命された。彼はこの職を2012年10月に退任し、後任は張陽が務めた。
3.3.2. 中国人民解放軍総装備部
1998年4月に中国人民解放軍総装備部が設立されると、李継耐は同部の政治委員に任命され、副党書記も兼任した。2002年には総装備部部長に任命され、同時に中国共産党中央軍事委員会委員にも選出された。
3.3.3. 国防科学技術工業委員会
李継耐は1990年11月に国防科学技術工業委員会副政治委員に就任し、1992年から1998年にかけてこの職を務めた。1995年7月には同委員会の政治委員に昇格した。
3.4. 軍階級と昇進
李継耐は軍務期間中に段階的に昇進を重ねた。1988年9月に少将に昇格し、1993年7月には中将となった。最終的に2000年6月には上将の階級を授与された。
4. 政治経歴と党活動
李継耐は軍務と並行して、中国共産党の中央機構においても重要な政治的役割を担った。
4.1. 中国共産党中央委員会
李継耐は中国共産党中央委員会において重要な役割を担った。彼は中国共産党第14期中央委員会の候補委員に選出され、その後、中国共産党第15期中央委員会、中国共産党第16期中央委員会、中国共産党第17期中央委員会では正式な中央委員を務めた。
4.2. 中央軍事委員会
李継耐は2002年に中国共産党中央軍事委員会委員に選出され、同時に総装備部部長の職務も担った。その翌年には、中華人民共和国中央軍事委員会の委員にも選ばれた。2004年9月に総政治部主任に任命された際も、党および国家の中央軍事委員会委員の職を兼任していた。2007年11月の中国共産党第17回全国代表大会では、引き続き中央委員および中央軍事委員会委員に選出された。
5. 退役と晩年
李継耐は2012年10月に総政治部主任の職を退任した。同年11月の中国共産党第18回全国代表大会を前に、彼は中国共産党中央委員会委員および中国共産党中央軍事委員会委員の職からも退き、軍人としてのキャリアを終え、退役した。
6. 評価と影響
李継耐は、長年にわたり中国人民解放軍の要職を歴任し、特に総政治部主任、総装備部部長、国防科学技術工業委員会政治委員として、中国の軍事および国防科学技術の発展に貢献した。彼のキャリアは、中国共産党の軍に対する絶対的指導を体現するものであり、これは中華人民共和国の一党支配体制を維持・強化する上で重要な役割を果たした。
7. その他の活動
李継耐は、主要な軍事・政治経歴の他にも、2011年11月には高位軍事代表団を率いて北朝鮮の平壌を訪問し、当時の金正日総書記と会談を行った。これは中朝間の軍事交流における重要な出来事であった。