1. 来歴
松田陸のサッカーキャリアは、幼少期に始まり、双子の弟である松田力と共に成長した。プロ入り後は複数のクラブで活躍し、そのプレースタイルを確立していった。
1.1. プロ入り前
プロサッカー選手となる以前の松田陸は、幼少期から大学時代まで、サッカーを通じてその才能を磨き、人間性を育んだ。
1.1.1. 家族と幼少期
松田陸は大阪府大阪市北区で、インドネシア人の父と日本人の母の間に生まれた。幼稚園の頃にサッカーを始め、小学校1年時から地元のクラブに加入。以後、大学を卒業するまで、双子の弟である松田力と同じチームでプレーを続けた。双子の弟の力とはポジション(力はフォワード)と身長(陸の方がやや低い)に違いがある。また、大学時代の監督である望月聡は、陸を「しっかり者」、力を「陽気」と評しており、力は松田陸との見分け方として「陸の方が垂れ目」だとコメントしている。
1.1.2. 高校・大学時代
2007年、松田は「全国大会に出られる」という理由で島根県の立正大学淞南高校に進学した。高校では、当初フォワードだったポジションをディフェンダーへとコンバートされた。このコンバート後、2年連続で全国高校サッカー選手権に出場している。県予選決勝では2度とも大社高校と対戦し、松田は両試合で得点を挙げ、1点差での優勝に貢献した。高校3年時には主将を務め、抜群の身体能力と高い攻撃センスを併せ持つセンターバックとして注目された。
2010年には、びわこ成蹊スポーツ大学へ進学した。大学の総監督からは「大学史上もっとも優れた選手が入ってくる」、望月聡監督からは入学当初から「フィジカルでは既に大学レベル」と高く評価された。大学ではサイドバックとして出場機会を掴み、運動量、スピード、クロス精度に磨きをかけ、弟の力の得点をアシストすることもあった。力が得点王になって注目を浴びた際には、「誰がアシストしてると思ってんねん!」とライバル心を燃やしていたという。大学4年時には主将としてチームを牽引した。
2013年4月には、Jリーグ・FC東京に特別指定選手として登録された。この期間中、プレー面だけでなく、練習態度や人柄でも好感触を与え、早々にチームに溶け込んだ。7月23日に行われたCEサバデルとのフレンドリーマッチに途中出場している。複数のクラブから獲得を打診されていたものの、特別指定期間中に既にFC東京への入団を決めていた。
1.2. プロフェッショナルキャリア
松田陸は、プロ入り後、複数のクラブを渡り歩き、そのキャリアを築いてきた。
1.2.1. FC東京
2014年より正式にFC東京へ入団した。入団当初は、日本代表の長友佑都を目標に掲げ、背番号「50」を自ら選択した。これは、長友が所属クラブで着用していた「55」を希望したものの、当時のJリーグの規定で原則「50」までとされていたため、「55」を断念した経緯がある(現在は規制が緩和されている)。左右両サイドでの練習に励んだ。右サイドバックのレギュラーには徳永悠平が定着していたが、松田のスピードやクロス精度に対する評価は高く、シーズン序盤より攻撃のオプションとして出場機会を確保した。J1第10節の名古屋グランパス戦では、プロの舞台で双子の弟の力との初対戦を果たした。J1第30節のG大阪戦では、ウイングバックとして出場し、太田宏介のクロスにヘディングで合わせてJリーグでのプロ初得点を記録した。2015年シーズン終了後、FC東京との契約が2016年末まで残っていたものの、他クラブからの争奪戦を経て移籍を決断した。
1.2.2. セレッソ大阪
2016年1月、幼少期から応援していたという地元のセレッソ大阪へ完全移籍した。同年は、チームで唯一のリーグ戦全試合出場を達成し、リーグ2位のクロス数を記録するなど、主力として活躍した。
2017年、山口蛍の勧めもあり、背番号を「2」に変更。「J1でもやれることを証明したい」と意気込んだ。シーズン序盤は途中交代となる試合もあり、チーム内の紅白戦では控えに回ることもあったが、持ち前の「負けん気」と反骨精神で這い上がり、31試合に出場した。右サイドの水沼宏太との縦関係はチームの大きな武器となった。
2018年、リーグ戦第2節から3試合連続で警告を受けて出場停止リーチがかかるも、最後まで4枚目の警告を受けることなくシーズンを終えた。最終節の横浜F・マリノス戦では、2得点の起点となり、チームの逆転勝利に大きく貢献した。退任が決まっていたユン・ジョンファン監督からは「キックがうまくなった。この2年間で伸びた選手だ」と賞賛された。
2019年の開幕戦では、1対0でリードする中、途中出場からフォワードとしてワントップで起用された。新監督ミゲル・アンヘル・ロティーナの下で、他の選手と同様にボールを持たせる守備とビルドアップ能力が大きく向上した。
2020年には、戦術によって3バックの右ディフェンダーとして起用されることもあった。退任が決まっていたミゲル・アンヘル・ロティーナ監督の最終戦であるJ1第34節の鹿島アントラーズ戦で、ミドルシュートによりシーズン初ゴールを決め、チームのACL出場権獲得に貢献した。
2021年、双子の弟である松田力がセレッソ大阪に加入した際には、「夢であった兄弟でプロの世界でプレーする願いがこのチームで叶ったことを嬉しく思います」とコメントした。小菊昭雄新監督の初陣となったJ1第27節のG大阪戦で、ミドルシュートによりシーズン初ゴールを決め、1対0の勝利に貢献した。同年のルヴァンカップ決勝では、後半32分にペナルティエリア外から走り出した大久保嘉人の動きを見て、絶妙な低軌道の高速パスを出したが、ゴール枠を外れた。
2022年時点で、セレッソ大阪で背番号2を着用した選手としては歴代最多となる242試合に出場している。
2023年、ジョルディ・クルークスの加入や毎熊晟矢が右サイドバックとして好連携を見せたことで、出場機会が激減し、メンバー外の試合が多くなった。
1.2.3. ヴァンフォーレ甲府 (期限付き移籍)
2023年8月16日、出場機会を求めてJ2リーグのヴァンフォーレ甲府へ期限付き移籍した。この期間中、リーグ戦で12試合に出場した。
1.2.4. ガンバ大阪
2024年シーズンからはガンバ大阪へ完全移籍した。移籍の理由として、ダニエル・ポヤトス監督の戦術が松田自身の好むサッカーであるためだと語っている。この移籍については「今回の決断を、禁断の移籍とかいろんなメッセージをもらいました。でも、気にしていません。僕にとってはいただいたオファーがたまたまガンバで、自分の好むスタイルと合致したのがガンバだったというだけのこと。もちろん、約8年間僕を育ててくれたセレッソには感謝していますし、その事実は永遠に変わりません。ただ、今はしっかりとガンバに勝利をもたらすことができるような選手になって、1つでも多く勝利しタイトルを取ってチームメイト、スタッフ、サポーターとみんなで喜びたいと思っています」と語っている。なお、ガンバ大阪には過去に同姓同名の選手(松田陸 (1999年生のサッカー選手))が所属していた。
1.2.5. ヴィッセル神戸
2025年2月5日、2024年シーズンのJ1リーグ王者であるヴィッセル神戸への完全移籍が発表された。
2. プレースタイルと特徴
松田陸は、右サイドバックを主戦場とし、時にはセンターバックもこなす右利きの選手である。FC東京でプロ入りした際には、日本代表の長友佑都を目標としていた。
セレッソ大阪でミゲル・アンヘル・ロティーナ監督が指揮を執った2019年から2020年にかけて、相手にボールを持たせる守備を学び、ビルドアップ能力が大きく向上した。ロティーナ監督との出会いによりサッカー観が全て変わり、サイドバックとしてただ攻め上がるだけでなく、しっかり後ろからボールを繋ぐことにも参加し、ゲームメイクをする必要性を学んだことで、チームの中で担う役割の重要性を感じられるようになり、サッカーの新たな面白さを発見したという。
闘争心が強いことが時として課題となるが、ラフプレーはせず、プロキャリアにおいてレッドカードや退場処分を受けたことは一度もない。体の強さと怪我の少なさ、安定したプレーとミスの少なさはディフェンダーにとって重要な能力であり、彼の大きな強みである。クロス精度も高く、特に早いタイミングでのアーリークロスは抜群に良いと評価されている。
お笑い芸人のワッキーは、松田を「体が強くて、ケガも少ない。プレーもすごく安定していて、ミスが本当に少ないというのはDFにとって大事な能力だと思います。ちょっとやんちゃっぽく見えるのにラフプレーはしないし。クロスの精度も高くて、アーリークロスは抜群にいい」と評している。また、「松田選手は監督が変わっても絶対に重宝される。これが選手としての能力の高さと、酒井宏樹選手や山根視来選手などレベルの高い右サイドバックが多い日本代表への招集を期待されていることを表している」と語っている。
3. パーソナルライフ
松田陸の個人的な側面や社会的な背景は、彼の人間性を深く理解する上で重要である。
3.1. 家族関係と交友関係
松田陸には、Jリーグ・カターレ富山所属の松田力という双子の弟がいる。松田陸は見た目が怖いとよく言われること、また人見知りであることも近寄りがたいと思われる原因だと自己分析している。しかし、FC東京の当時の強化部長は、松田が特別指定選手として練習参加に来た際、「彼の人間性と練習に対する姿勢が素晴らしかった。来る度にスタッフ、フロントの全員と打ち解け、すでに入団しているかのような愛され方をしていた」と評している。
プライベートでは、2016年11月22日にモデルの七菜香と結婚した。2019年6月22日には第1子となる長女が誕生し、2024年には第2子となる長男が誕生した。
3.2. ルーツとインドネシアサッカーへの関心
松田陸はインドネシア人の父と日本人の母を持つため、インドネシアにルーツがある。このため、本人やクラブのInstagramには、インドネシアからの応援コメントや、インドネシア代表としてプレーしてほしいという内容のコメントが頻繁に寄せられている。インドネシア代表でプレーする意思を質問された際には、現時点ではインドネシア国籍を所持していないため、インドネシア代表でプレーするためにはインドネシアで数年生活する必要があり、即座に代表に選出されることはないとしながらも、将来的にはインドネシアでの選手生活への興味を示している。
3.3. 性格と哲学
松田陸は遠い目標を描かないタイプである。彼は「毎年、先のことなんてどうなるかわからないし、本当に毎試合、毎試合、1年、1年に覚悟を決めて勝負しないと先もない」と語っており、目の前の試合やシーズンに全力を尽くすというプロとしての哲学を持っている。
4. キャリア統計
クラブ成績 | リーグ | カップ戦 | リーグカップ | 大陸選手権 | その他1 | 合計 | ||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ | 天皇杯 | Jリーグカップ | AFC | その他 | 合計 | ||||||||
2014 | FC東京 | J1 | 7 | 1 | 2 | 0 | 5 | 0 | - | - | 14 | 1 | ||
2015 | J1 | 9 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | - | - | 11 | 0 | |||
2016 | C大阪 | J2 | 42 | 2 | 2 | 0 | - | - | 2 | 0 | 46 | 2 | ||
2017 | J1 | 31 | 2 | 2 | 0 | 3 | 0 | - | - | 36 | 2 | |||
2018 | 29 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 4 | 0 | 1 | 0 | 37 | 0 | ||
2019 | 33 | 1 | 0 | 0 | 6 | 0 | - | - | 39 | 1 | ||||
2020 | 31 | 1 | - | 2 | 0 | - | - | 33 | 1 | |||||
2021 | 34 | 1 | 4 | 0 | 4 | 0 | 5 | 0 | - | 47 | 1 | |||
2022 | 33 | 0 | 1 | 0 | 10 | 0 | - | - | 44 | 0 | ||||
2023 | 9 | 0 | 2 | 0 | 5 | 0 | - | 16 | 0 | |||||
甲府 (loan) | J2 | 12 | 0 | 0 | 0 | - | 12 | 0 | ||||||
2024 | G大阪 | J1 | 13 | 0 | 1 | 0 | - | 14 | 0 | |||||
2025 | 神戸 | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 |
キャリア合計 | 285 | 8 | 15 | 0 | 39 | 0 | 9 | 0 | 3 | 0 | 351 | 8 |
1J1昇格プレーオフ、FUJI XEROX SUPER CUPを含む
;出場歴
- 公式戦初出場 - 2014年3月19日 ナビスコ杯予選リーグ第1節 vs鹿島アントラーズ(味の素スタジアム)
- Jリーグ初出場 - 2014年4月29日 J1第10節 vs名古屋グランパス(国立競技場)
- Jリーグ初得点 - 2014年10月26日 J1第30節 vsガンバ大阪(万博記念競技場)
5. タイトル
松田陸がプロサッカー選手として獲得した個人賞や、所属クラブで達成したチームタイトルは以下の通りである。
5.1. クラブ
- デンソーカップチャレンジサッカー:1回(2012年、関西大学選抜として)
- Jリーグカップ:1回(2017年、セレッソ大阪として)
- 天皇杯:1回(2017年、セレッソ大阪として)
- FUJI XEROX SUPER CUP:1回(2018年、セレッソ大阪として)
5.2. 個人
- 関西学生サッカーリーグ1部 優秀選手賞:2回(2012年、2013年)
- デンソーカップチャレンジサッカー ベストイレブン:1回(2012年)