1. 概要
栗原恵(くりはら めぐみ、Megumi Kurihara英語)は、日本の元女子バレーボール選手であり、現在はスポーツキャスター、タレント、モデルとして多岐にわたる活動を行っている。1984年7月31日に広島県佐伯郡能美町(現・江田島市)で生まれ、小学校4年生でバレーボールを始めた。その才能は早くから開花し、高校時代には全国大会で3冠を達成。2001年には日本代表に初選出され、2003年のワールドカップでは大山加奈と共に「メグカナ」として国民的な人気を博し、「プリンセス・メグ」の愛称で親しまれた。
プロ選手としては、NECレッドロケッツ、パイオニアレッドウィングス、ロシアのディナモ・カザン、岡山シーガルズ、日立リヴァーレ、JTマーヴェラスに所属し、国内外で活躍。特にパイオニア時代にはVリーグ優勝に貢献し、最高殊勲選手賞など数々の個人賞を受賞した。日本代表としては、2004年アテネオリンピックと2008年北京オリンピックに出場し、2010年の世界選手権では銅メダル獲得に貢献した。
現役中には度重なる怪我や、2016年には脳静脈洞血栓症と診断されるなど、深刻な健康問題に直面したが、その度に不屈の精神でリハビリを乗り越え、コートに復帰した。2019年に17年間のプロバレーボール選手としてのキャリアを引退。引退後は、その経験と人柄を活かし、スポーツキャスターとしてバレーボールの魅力を伝え、モデルやタレントとしても活動。健康美容食育指導士やファスティングマイスターの資格を取得するなど、多方面で社会に貢献している。2024年には結婚と妊娠を発表し、新たな人生のステージに進んでいる。
2. 生い立ちと背景
栗原恵は、バレーボール選手としての輝かしいキャリアを築く前、幼少期から学生時代にかけて、その基礎を培ってきた。
2.1. 幼少期と教育
栗原恵は広島県佐伯郡能美町(現江田島市)で、両親と兄妹の4人家族の長身一家に生まれた。父親は身長182 cm、母親は160 cm、兄は183 cmで、家族の中で栗原が最も背が高い。小学校4年生の時、父親がコーチを務めていた地元のバレーボールチーム「鹿川フラワーズ」でバレーボールを始めた。
中学1年生の時には身長が176 cmを超え、バレーボールの技術向上を強く望んでいた栗原は、中学2年生の1998年6月に兵庫県姫路市にある姫路市立大津中学校にバレーボール留学を決意した。大津中学校には、後に陸上長距離で北京オリンピックに出場する竹澤健介が2年後輩として在籍していた。
高校は山口県防府市の三田尻女子高校(現・誠英高校)に進学。高校1年生の時には、インターハイ、国体、春高バレーという高校バレーボール界の主要3大会全てで優勝を経験し、「高校3冠」を達成した。この高校時代に、チームメイトとの喜びを分かち合うため、「笑う練習」を寮の洗面所の鏡で行っていたというエピソードも残っている。
2.2. バレーボール選手としての始まり
高校3年生だった2001年には、早くも日本女子代表に初選出された。翌2002年には日米対抗に出場し、代表デビューを果たした。
2003年、栗原はVリーグの強豪チームであるNECレッドロケッツに入団。同年5月の黒鷲旗大会では、将来を嘱望される若手選手に贈られる「若鷲賞」を受賞した。同年11月に日本で開催されたFIVBワールドカップバレーボール2003では、当時19歳だった大山加奈と共に「メグカナ」と呼ばれ、その若さと才能で全国的な人気を博した。この大会での活躍により、栗原恵は「プリンセス・メグ」という愛称で広く知られるようになり、日本のバレーボール界の新たなアイコンとして注目を集めた。
3. プロバレーボール選手としての経歴
栗原恵は、日本国内のVリーグだけでなく、海外リーグも経験し、そのキャリアは多岐にわたる。度重なる移籍と怪我を乗り越えながら、常にチームの勝利に貢献し、日本の女子バレーボール界を牽引する存在であり続けた。
3.1. 所属チームでの活動
栗原恵は、プロバレーボール選手として以下のチームに所属し、それぞれのチームで重要な役割を担った。
3.1.1. NECレッドロケッツ
2003年、高校を卒業した栗原はNECレッドロケッツに入団し、Vリーグ(プレミアリーグ)でのプロキャリアをスタートさせた。入団初年度からその才能を発揮し、同年5月の黒鷲旗大会では若鷲賞を受賞するなど、早くも頭角を現した。しかし、2004年10月、「NECのバレースタイルと、自分のスタイルが合わない」という理由から、NECレッドロケッツを退団するに至った。この退団時には、イタリアのセリエAへの移籍の噂も報じられた。
3.1.2. パイオニアレッドウィングス
NEC退団後、栗原は2004年11月にパイオニアレッドウィングスへ入団した。しかし、2004-05年第11回Vリーグでは、「シーズン開幕後に移籍した選手はリーグ戦の参加を認めない」という大会規定により、リーグ戦に出場することができなかった。翌2005年5月に開催された黒鷲旗大会で公式戦に復帰し、チームの優勝に大きく貢献した。
この大会後、当時の監督であったアリー・セリンジャーとの対立により、一時期チームを離れる事態となったが、同年8月中旬にはチームに戻り、2005-06年第12回Vリーグでは開幕戦から出場を果たした。栗原は、パイオニアを2シーズンぶりの優勝に導く原動力となり、個人としても「最高殊勲選手賞」「サーブ賞」「ベスト6」の各賞を獲得する活躍を見せた。
2006年には2年ぶりに日本代表に選出されたが、合宿中に左足有痛性分裂種子骨障害と診断され、約半年間の長期リハビリ生活を送ることになった。しかし、2006-07Vプレミアリーグで復帰を果たし、同シーズンと第56回黒鷲旗大会でチームを3位に導いた。
2009年秋には左膝半月板を断裂する重傷を負い、治療を続けながらプレーをしていたものの悪化。2010年3月中旬に手術を行った。半年に及ぶ懸命なリハビリを乗り越え、同年10月の世界選手権で復帰し、銅メダル獲得に貢献した。2011年1月上旬に左膝の違和感を覚え、2月下旬に左膝軟骨損傷の手術を受けた。同年6月、治療に専念するため、パイオニアレッドウィングスを退団した。
3.1.3. ディナモ・カザン
パイオニア退団後、栗原恵は日本を離れ、2011年9月3日にロシアスーパーリーグの強豪クラブ、ディナモ・カザンへの移籍が発表された。海外リーグでの挑戦は、彼女のキャリアに新たな経験をもたらした。しかし、故障している左膝の回復状態を考慮し、同年11月のワールドカップでは最終登録メンバーから外れた。2012年3月にはディナモ・カザンを退団し、日本への復帰を決断した。
3.1.4. 岡山シーガルズ
ロシアでのプレーを終え日本に帰国した栗原は、2012年7月11日に岡山シーガルズへの移籍が決定した。岡山シーガルズでは、背番号11を背負い、チームの主力として活躍した。しかし、2014年6月に岡山シーガルズを退団することになった。
3.1.5. 日立リヴァーレ
岡山シーガルズ退団後、栗原は2014年9月に日立リヴァーレへの移籍を発表した。日立リヴァーレでは、2016年1月23日のデンソー戦に出場し、Vリーグ通算出場試合数が230試合となり、Vリーグ栄誉賞の受賞資格を得るという金字塔を打ち立てた。
しかし、この時期に栗原は再び深刻な健康問題に直面する。2016年9月、脳血栓のために入院。この病名と入院の事実は当時伏せられていたが、栗原は長期のリハビリを経て、2017年1月に奇跡的な試合復帰を果たした。この困難な状況を乗り越えてコートに戻った彼女の姿は、多くの人々に感動と勇気を与えた。2018年2月28日、日立リヴァーレは栗原の退団を発表した。
3.1.6. JTマーヴェラス
日立リヴァーレを退団した栗原は、2018年6月にJTマーヴェラスへ移籍し、背番号10を背負った。これが彼女のプロバレーボール選手としての最後の所属チームとなった。JTマーヴェラスでの活動を経て、2019年6月4日、自身のブログを通じて現役引退を発表した。同年6月10日には都内で引退会見が開かれ、パンツスーツ姿で登場した栗原は、涙をにじませながらも笑顔でファンや関係者への感謝の思いを語り、17年間のプロキャリアに幕を閉じた。
4. 女子バレーボール日本代表での経歴
栗原恵は、2002年から2004年、そして2006年から2012年まで、長きにわたり日本女子代表の一員として国際舞台で活躍した。彼女は「プリンセス・メグ」の愛称で親しまれ、日本の女子バレーボールを象徴する選手の一人として、数々の主要国際大会で重要な役割を担った。
4.1. 主要国際大会への参加

栗原恵が日本代表として出場した主な国際大会とその成績は以下の通りである。
- 2003年ワールドカップ**:日本で開催されたこの大会で、日本代表は5位に入賞した。栗原は大山加奈と共に「メグカナ」として注目を集め、若きエースとしてチームを牽引した。
- 2004年アテネオリンピック**:初のオリンピック出場となったアテネ大会で、日本代表は5位に入賞した。栗原はチームの主力として活躍し、その存在感を国際舞台で示した。
5. 受賞歴
栗原恵は、その卓越したプレーと献身的な姿勢により、プロキャリアを通じて数々の個人賞、チームとしてのタイトル、そして日本代表としての栄誉を獲得した。
5.1. 個人賞
- 2003年:第52回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会 若鷲賞
- 2005年:第54回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会 ベスト6
- 2006年:第12回Vリーグ 最高殊勲選手賞 / サーブ賞 / ベスト6
- 2007年:2006/07プレミアリーグ サーブ賞 / Vリーグ日本記録賞(サーブ部門)
- 2007年:第56回黒鷲旗全日本男女選抜バレーボール大会 ベスト6
- 2008年:ワールドグランプリ2008 ベストスコアラー / ベストサーバー
- 2008年:第14回プリンセスカップ MVP / ベストスパイカー
- 2009年:2008/09プレミアリーグ サーブ賞
- 2016年:Vリーグ栄誉賞(10シーズン以上、230試合出場)
5.2. チーム・代表チームでの受賞
- 2006年:第12回Vリーグ 優勝(パイオニアレッドウィングス)
- 2007年:アジア選手権 優勝(日本代表)
- 2008年:皇后杯 準優勝(パイオニアレッドウィングス)
- 2009年:アジア選手権 銅メダル(日本代表)
- 2010年:世界選手権 銅メダル(日本代表)
6. 健康問題と回復
栗原恵の選手としてのキャリアは、度重なる怪我や病との闘いの歴史でもあった。特に、2016年に診断された脳静脈洞血栓症は、彼女の人生とキャリアにおいて極めて大きな試練となったが、その困難を乗り越えた回復の過程は、彼女の不屈の闘志と、多くの人々に希望を与える肯定的なメッセージを伝えるものとなった。
2016年9月、栗原は脳血栓のために緊急入院した。この病名と入院の事実は当時、公には伏せられていた。脳静脈洞血栓症は、脳の静脈に血栓ができる重篤な疾患であり、彼女は手術を受けることになった。手術後、栗原は歩くことから再び学び直す必要があったほど、厳しいリハビリテーションに直面した。
しかし、彼女は決して諦めなかった。過酷なリハビリを乗り越え、驚くべき回復力を見せ、わずか数ヶ月後の2017年1月には、再び試合のコートに復帰した。この復帰は、病気を乗り越えた栗原の精神的な強さと、アスリートとしての並外れた回復力を示すものであった。彼女のこの経験は、後にメディアで明かされ、多くの人々がその困難と回復の物語に感動し、勇気づけられた。栗原恵のこの闘病と復帰の経験は、単なるスポーツ選手の記録に留まらず、逆境に立ち向かう人間の強さと、希望を失わないことの重要性を伝える象徴的なエピソードとなっている。
7. 引退後の活動
プロバレーボール選手としての現役生活を終えた栗原恵は、その経験と知名度を活かし、多岐にわたる分野で活躍している。スポーツキャスター、モデル、タレントとしてメディアに登場する傍ら、健康や美容に関する資格を取得し、社会貢献活動にも積極的に取り組んでいる。
7.1. メディア出演とキャリア

引退後の栗原恵は、主に放送・芸能界で活動している。スポーツキャスターとしては、バレーボール中継や関連番組に出演し、自身の豊富な経験に基づいた解説で、競技の魅力を伝えている。
モデルとしても活躍しており、2021年5月21日には自身初となるデジタル写真集『Princess, Again』が「週刊FLASH(光文社)」からリリースされ、話題となった。また、2010年11月13日にはTBSのドキュメンタリー番組『バース・デイ』で「エース栗原恵復活!激動の1年 涙のわけとは...」と題して特集が組まれた。2013年7月には山口舞と共に山陽マルナカのCMキャラクターを務めた。2023年10月23日には「ベストヘアー2023」の30代の部を受賞し、その美しさが改めて評価された。
7.2. 資格取得とその他の活動
栗原恵は、引退後も自己研鑽を怠らず、新たな分野での学びを深めている。2021年6月4日には自身のインスタグラムで「健康美容食育指導士」の資格を取得したことを報告。さらに同年3月には「ファスティングマイスター」の資格も取得しており、健康や食育に関する専門知識を身につけている。
また、バレーボール界への貢献も続けている。2021年5月22日には、現役引退を発表した後輩選手たち(佐藤美弥、芳賀舞波、堀井有蘭、小野寺友香)を送り出すべく日立リヴァーレ内で開催された引退試合(紅白戦)にサプライズで登場し、後輩たちを労った。
8. 私生活
栗原恵の私生活は、そのバレーボール選手としてのイメージとは異なる、親しみやすい側面も持ち合わせている。
8.1. 家族と結婚
栗原恵は広島県佐伯郡能美町(現江田島市)で、両親と兄妹の4人家族の長身一家に生まれた。父親は身長182 cm、母親は160 cm、兄は183 cmで、家族の中で栗原が最も背が高い。
2024年9月には、モデル兼フォトグラファーのKouki(大越光貴、35歳、身長183 cm)との結婚と妊娠を報告した。この発表は多くのファンに喜びをもって迎えられた。
8.2. 趣味と嗜好
栗原恵には、現役時代から複数の愛称が存在する。最も有名な「プリンセス・メグ」は、そのルックスの良さから2004年アテネ五輪前に定着した。また、チームメイトの高橋みゆきからは「コウ」というニックネームをつけられた。これは「最高を目指せ」という意味が込められており、当時日本の1年先輩に同じ名前でニックネームが「メグ」の河村めぐみがいたことも理由の一つとされている。
私生活では、現役時代は犬派で、愛犬のパグ(オス、名前はプーマ)を実家に預けていた。しかし、引退後は保護猫のアメリカンショートヘアを2匹飼い始め、その後もう1匹を引き取ったことで、現在は3匹の猫と暮らす猫派になったという。
また、現役時代のトレーニングで自転車を取り入れていたことがきっかけで、競輪ファンになったという意外な一面も持つ。2023年には、ガールズケイリンGI「パールカップ」の決勝戦中継で司会を担当したほか、同年末のGP「オッズパーク杯ガールズグランプリ」のテレビ中継でもゲストとして招かれるなど、競輪関連の仕事にも携わっている。
栗原は、そのルックスの良さでも知られ、9頭身であることなどがメディアで取り上げられ、人気を集めていた。2008年1月には東京都・警視庁の防犯ポスターモデルに協力。同年9月3日の第5回「The Beauty Week Award」授賞式では、4年前から美容師の兄にカラーとカットをしてもらっていると語り、家族との絆も垣間見せた。
9. 影響力と評価
栗原恵は、その卓越したバレーボールの技術と、度重なる困難を乗り越える不屈の精神、そして親しみやすい人柄によって、日本のバレーボール界に計り知れない影響を与え、国民的なアイコンとしての評価を確立した。
彼女は「プリンセス・メグ」の愛称で広く親しまれ、そのルックスの良さも相まって、バレーボールファンだけでなく、一般大衆からも絶大な人気を誇った。特に、2003年のワールドカップで大山加奈と共に「メグカナ」として脚光を浴びたことは、若い世代、特に若い女性選手にとって、バレーボール選手という職業の魅力を高める上で非常に大きな影響を与えた。彼女の存在は、単なるスポーツ選手に留まらず、多くの人々にとって憧れの的であり、スポーツを通じて夢や希望を与える象徴的な存在であった。
選手としての象徴性は、彼女が直面した数々の怪我や、脳静脈洞血栓症という重病からの奇跡的な復帰によってさらに強固なものとなった。これらの経験は、彼女の精神的な強さと、逆境に立ち向かう姿勢を明確に示し、多くの人々に勇気を与えた。彼女の回復の物語は、困難な状況にある人々にとって、希望を捨てずに努力することの重要性を伝える肯定的なメッセージとなった。
引退後も、栗原はスポーツキャスター、モデル、タレントとして多方面で活躍し続けている。バレーボールの普及活動に貢献するだけでなく、健康や美容に関する資格取得を通じて、人々のより良い生活を支援する活動にも取り組んでいる。これらの活動は、彼女が単なる元アスリートではなく、社会に積極的に貢献するインフルエンサーとしての評価を高めている。栗原恵は、そのキャリア全体を通じて、日本の女子バレーボールの発展に貢献し、多くの人々にポジティブな影響を与え続ける、稀有な存在として高く評価されている。
10. 個人成績
V.LEAGUEの個人成績は下記の通り。
大会 | チーム | 出場 | アタック | バックアタック | アタック 決定本数 | ブロック | サーブ | サーブレシーブ | 総得点 | |||||||||||||||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
試 合 数 | セ ッ ト 数 | 打 数 | 得 点 | 失 点 | 決 定 率 | 打 数 | 得 点 | 失 点 | 決 定 率 | セ ッ ト 平 均 | 得 点 | セ ッ ト 平 均 | 打 数 | ノ 丨 タ ッ チ | エ 丨 ス | 失 点 | 効 果 | 効 果 率 | 受 数 | 成 功 ・ 優 | 成 功 ・ 良 | 成 功 率 | ア タ ッ ク | ブ ロ ッ ク | サ 丨 ブ | 得 点 合 計 | ||
V1 2018-19 | JT | 29 | 27 | 104 | 30 | 6 | 28.8 | 10 | 4 | 3 | 40.0 | 1.11 | 5 | 0.19 | 16 | 2 | 0 | 3 | 5 | 15.6 | 10 | 1 | 3 | 25.0 | 30 | 5 | 2 | 37 |
V1 2017-18 | 日立 | 19 | 43 | 449 | 151 | 22 | 33.6 | 22 | 8 | 1 | 36.4 | 3.51 | 12 | 0.28 | 135 | 2 | 6 | 14 | 40 | 10.7 | 78 | 24 | 17 | 41.7 | 151 | 12 | 8 | 171 |
V1 2016-17 | 14 | 34 | 288 | 87 | 15 | 30.2 | 26 | 5 | 0 | 19.2 | 2.56 | 6 | 0.18 | 111 | 4 | 3 | 4 | 41 | 15.0 | 30 | 15 | 0 | 50.0 | 87 | 6 | 7 | 100 | |
V1 2015-16 | 24 | 24 | 119 | 33 | 6 | 27.7 | 5 | 1 | 0 | 20.0 | 1.38 | 8 | 0.33 | 30 | 0 | 0 | 9 | 7 | 5.8 | 14 | 4 | 0 | 28.6 | 33 | 8 | 0 | 41 | |
V1 2014-15 | 26 | 74 | 697 | 199 | 45 | 28.6 | 80 | 16 | 6 | 20.0 | 2.69 | 18 | 0.24 | 257 | 6 | 2 | 15 | 75 | 10.3 | 167 | 99 | 0 | 59.3 | 199 | 18 | 8 | 225 | |
V1 2013-14 | 岡山 | 24 | 56 | 465 | 136 | 27 | 29.2 | 27 | 6 | 2 | 22.2 | 2.43 | 18 | 0.32 | 125 | 1 | 6 | 13 | 37 | 12.0 | 166 | 89 | 0 | 53.6 | 136 | 18 | 7 | 161 |
V1 2012-13 | 20 | 72 | 826 | 280 | 59 | 33.9 | 26 | 5 | 3 | 19.2 | 3.89 | 21 | 0.29 | 229 | 9 | 12 | 8 | 72 | 16.0 | 331 | 198 | 0 | 59.8 | 280 | 21 | 21 | 322 | |
V1 2010-11 | パイオニア | 13 | 36 | 343 | 114 | 22 | 33.2 | 74 | 25 | 5 | 33.8 | 3.17 | 22 | 0.61 | 120 | 1 | 4 | 4 | 38 | 11.4 | 93 | 50 | 0 | 53.8 | 114 | 22 | 5 | 141 |
V1 2009-10 | 13 | 46 | 625 | 197 | 43 | 31.5 | 150 | 47 | 19 | 31.3 | 4.28 | 19 | 0.41 | 164 | 2 | 7 | 17 | 55 | 13.0 | 175 | 100 | 0 | 57.1 | 197 | 19 | 9 | 225 | |
V1 2008-09 | 27 | 102 | 943 | 316 | 58 | 33.5 | 142 | 45 | 13 | 31.7 | 3.10 | 38 | 0.37 | 374 | 11 | 19 | 39 | 125 | 15.4 | 783 | 487 | 0 | 62.2 | 316 | 38 | 30 | 384 | |
V1 2007-08 | 27 | 106 | 1107 | 383 | 75 | 34.6 | 237 | 69 | 31 | 29.1 | 3.61 | 42 | 0.40 | 411 | 14 | 12 | 53 | 91 | 11.3 | 387 | 252 | 0 | 65.1 | 383 | 42 | 26 | 451 | |
V1 2006-07 | 31 | 122 | 1163 | 394 | 75 | 33.9 | 227 | 75 | 17 | 33.0 | 3.23 | 40 | 0.33 | 488 | 13 | 24 | 69 | 139 | 13.7 | 409 | 260 | 0 | 63.6 | 394 | 40 | 37 | 471 | |
第12回 | 32 | 119 | 947 | 369 | 69 | 39.0 | 121 | 48 | 10 | 39.7 | 3.10 | 51 | 0.43 | 537 | 9 | 35 | 80 | 215 | 16.9 | 434 | 249 | 0 | 57.4 | 369 | 51 | 44 | 464 | |
第10回 | NEC | 22 | 72 | 546 | 165 | 49 | 30.2 | 34 | 8 | 8 | 23.5 | 2.29 | 29 | 0.40 | 226 | 10 | 4 | 32 | 57 | 12.1 | 222 | 149 | 0 | 67.1 | 165 | 29 | 14 | 208 |
通算:14大会 | 324 | 933 | 8622 | 2854 | 571 | 33.1 | 1181 | 362 | 118 | 30.7 | 3.06 | 329 | 0.35 | 3223 | 84 | 134 | 360 | 997 | 11.7 | 3299 | 1977 | 20 | 60.2 | 2854 | 329 | 218 | 3401 |
11. 関連項目
- メグカナ世代
12. 外部リンク
- [https://web.archive.org/web/20160803003345/http://www.vleague.or.jp/team_player_detail/id=41198 栗原恵|Vリーグ オフィシャルサイト](アーカイブ)
- [https://web.archive.org/web/20190331134046/https://www.jti.co.jp/knowledge/marvelous/profile/kurihara/index.html 栗原恵|JTマーヴェラス 公式サイト](アーカイブ)
- [https://www.ldh.co.jp/management/kurihara/ 栗原恵|LDHオフィシャルサイト]
- [https://ameblo.jp/kurihara-megumi/ 栗原恵オフィシャルブログ「メグログ」]
- [https://www.instagram.com/megumi_kurihara_official/ kurihara megumi Instagram]
- [https://twitter.com/megumikurihara 栗原 恵 official Twitter]
- [https://web.archive.org/web/20190331083122/https://www.jti.co.jp/knowledge/marvelous/profile/kurihara/interview/index.html JTマーヴェラス|栗原恵のインタビュー](アーカイブ)
- [https://news.livedoor.com/article/detail/14997416/ ライブドアニュース|「簡単に返事をしてはいけない」栗原恵が移籍のオファーに迷った訳](2018年7月11日)
- [https://entamenext.com/articles/detail/11205 ENTAME next|元バレー日本代表・栗原恵が本格グラビア初挑戦、デジタル写真集で抜群のプロポーションを披露](2021年5月21日)