1. 概要
森川拓巳(森川 拓巳もりかわ たくみ日本語、1977年7月11日 - )は、静岡県浜松市出身の元サッカー選手であり、現在はサッカー指導者として活動している。現役時代のポジションはディフェンダー(DF)。
静岡学園高等学校でサッカー選手としてのキャリアをスタートさせ、全国高等学校サッカー選手権大会で優勝を経験。その後、柏レイソルでプロ入りし、川崎フロンターレ、コンサドーレ札幌、ベガルタ仙台、ロアッソ熊本といった複数のクラブでプレーした。現役引退後は、ロアッソ熊本の強化担当スタッフやコーチ、九州産業大学コーチ、コンサドーレ札幌U-15監督などを歴任し、指導者としての道を歩んでいる。
2. 学生時代
森川拓巳は1977年7月11日に静岡県浜北市(現在の浜松市浜名区)で生まれた。学生時代からDFとしてサッカーを続け、静岡学園高等学校に進学。高校3年時の1995年度には、第74回全国高等学校サッカー選手権大会に出場した。
この大会では、同学年の石井俊也や2学年下の南雄太とともにチームの主力として活躍。準決勝では東福岡高等学校にPK戦で勝利し、決勝では鹿児島実業と引き分けて、両校優勝という形で全国制覇を達成した。この優勝は静岡学園高校にとって初の全国高等学校サッカー選手権大会優勝であり、同大会における最後の両校優勝となった(現在は決勝戦もPK戦で決着を付けるため)。また、この大会の2回戦で対戦した前橋商業の2年生だった大野敏隆は、1997年から柏レイソルで森川の後輩となる縁があった。
3. 選手経歴
森川拓巳のプロサッカー選手としてのキャリアは、Jリーグの柏レイソルで始まった後、複数のクラブでの移籍や期限付き移籍を経験し、その都度チームに貢献した。
3.1. 柏レイソル(1996年 - 1999年途中)
1996年に静岡学園高等学校を卒業後、Jリーグの柏レイソルに入団。同年8月28日のJリーグ第16節ガンバ大阪戦(日立柏サッカー場)でリーグ戦初出場を記録した。2年目の1997年には公式戦出場機会がなかったものの、シーズンオフにはブラジルへ3ヶ月間の短期留学に派遣されるなど、若手DFとしてクラブから将来を期待された。翌1998年にはリーグ戦の半数以上にあたる20試合に出場し、左DFや守備的MFとして成長を見せた。しかし、1999年に入るとトップチームでの出場機会を全く得られなくなった。
3.2. 川崎フロンターレ(1999年4月 - 2000年)
1999年4月、J2リーグに昇格したばかりの川崎フロンターレへ期限付き移籍した。これは、松本育夫新監督によるチーム体制再整備の一環として、川崎からの要請を受けて実現した移籍だった。森川は5月9日のJ2リーグ第11節モンテディオ山形戦でJ2初出場を果たすと、以後、同年のJ2リーグ戦全26試合にフル出場した。中西哲生や佐原秀樹らとともに「3バック」による守備の安定にストッパーとして貢献しただけでなく、攻撃面でも重要な場面で関与した。8月23日のJ2リーグ第23節山形戦(等々力)では、後半終了間際にゴール前に走り込んでJリーグ初ゴールを記録。さらに10月23日のJ2リーグ第33節コンサドーレ札幌戦では延長戦でVゴールを挙げ、チームのJ2優勝とJ1昇格に大きく貢献した。
翌2000年も柏からの期限付き移籍が延長され、引き続き川崎でプレーした。しかし、シーズン途中で2度の監督交代があったことによるチームの混乱は森川にも影響し、リーグ戦では1stステージ終盤の5月以降、出場機会が与えられない状態が続いた。森川は11月になってようやくトップチームでの出場機会を得て、11月11日のJ1リーグ2ndステージ第12節セレッソ大阪戦(等々力)では自身唯一となるJ1リーグ戦でのゴールも記録したが、チームのJ2降格を食い止めることはできなかった。なお、同年にチームはJリーグカップで準優勝を収めている。シーズン終了後、柏からの返却要請もあり、川崎を退団した。
3.3. 北海道コンサドーレ札幌(2001年)
2001年、川崎と入れ替わる形でJ1に昇格したコンサドーレ札幌へ再び期限付き移籍した。札幌では森秀昭や大森健作などの守備陣の控えに回ることが多かったものの、チームはJ1残留に成功した。
3.4. 柏レイソル復帰(2002年)
2002年は柏レイソルに復帰し、4シーズンぶりに柏での公式戦出場を記録したが、出場機会は限られた。同年限りで、8年に及んだ柏との選手契約は終了した。
3.5. ベガルタ仙台(2003年 - 2005年)
2003年、森川はJ1のベガルタ仙台へ移籍した。仙台では試合出場数が増加し、J2降格後の2004年からは森川が得意とする「4バック」のレギュラーとして起用された。しかし、チームは2年連続で4位に終わり、わずかの差でJ1復帰を逃した。仙台がチーム編成の大幅な変更を行った結果、2005年シーズン限りで戦力外通告を受けた。
3.6. ロッソ熊本(2006年 - 2007年)
2006年、森川はJFLのロッソ熊本へ移籍した。柏在籍当時にコーチを務めていた池谷友良監督(ゼネラルマネージャー兼任)の下で、Jリーグ昇格を目指す戦いに加わった。2006年はレギュラーとして起用されたが、熊本は同年のJFLで5位に留まり、Jリーグ昇格は叶わなかった。2007年はケガなどの影響で控えに回ることが多くなったが、チームはJFLで2位となり、Jリーグ昇格を果たした。森川は同シーズン終了をもって現役を引退した。
4. 所属クラブ
森川拓巳が選手として所属したクラブは以下の通りである。
- 1993年 - 1995年 静岡学園高等学校
- 1996年 - 2002年 柏レイソル
- 1997年12月10日 - 1998年2月9日 EC Juventude(ブラジル、期限付き移籍)
- 1999年4月 - 2000年 川崎フロンターレ(期限付き移籍)
- 2001年 コンサドーレ札幌(期限付き移籍)
- 2003年 - 2005年 ベガルタ仙台
- 2006年 - 2007年 ロッソ熊本
5. 個人成績
森川拓巳の各シーズンおよび所属クラブごとの出場記録と得点記録、選手生活全体の通算成績を以下の表に示す。
クラブパフォーマンス | リーグ戦 | カップ戦 | リーグカップ | 総計 | ||||||
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
シーズン | クラブ | リーグ | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 | 出場 | 得点 |
日本 | リーグ戦 | 天皇杯 | Jリーグカップ | 総計 | ||||||
1996 | 柏レイソル | J1 | 2 | 0 | 0 | 0 | 3 | 0 | 5 | 0 |
1997 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1998 | 20 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 24 | 0 | ||
1999 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | ||
1999 | 川崎フロンターレ | J2 | 26 | 2 | 3 | 0 | 0 | 0 | 29 | 2 |
2000 | J1 | 17 | 1 | 1 | 0 | 4 | 0 | 22 | 1 | |
2001 | コンサドーレ札幌 | J1 | 15 | 0 | 1 | 0 | 2 | 0 | 18 | 0 |
2002 | 柏レイソル | J1 | 6 | 0 | 0 | 0 | 4 | 0 | 10 | 0 |
2003 | ベガルタ仙台 | J1 | 13 | 0 | 0 | 0 | 5 | 0 | 18 | 0 |
2004 | J2 | 33 | 0 | 1 | 0 | - | 34 | 0 | ||
2005 | 25 | 0 | 1 | 0 | - | 26 | 0 | |||
2006 | ロッソ熊本 | JFL | 26 | 0 | 3 | 1 | - | 29 | 1 | |
2007 | 9 | 0 | 0 | 0 | - | 9 | 0 | |||
キャリア通算 | 192 | 3 | 10 | 1 | 22 | 0 | 224 | 4 |
- Jリーグ初出場:1996年8月28日 Jリーグ第16節 柏レイソル 1-0 ガンバ大阪(日立柏サッカー場)
- Jリーグ初得点:1999年8月23日 J2リーグ第23節 川崎フロンターレ 1-0 モンテディオ山形(等々力)
- J1リーグ戦での初得点:2000年11月11日 J1リーグ2ndステージ第12節 川崎フロンターレ 4-3 セレッソ大阪(等々力)
6. 指導者経歴
現役引退後、森川拓巳は指導者としてのキャリアをスタートさせた。
- 2008年 - 2009年 ロアッソ熊本:強化担当スタッフ
- 2010年 - 2015年 ロアッソ熊本:コーチ
- 2013年2月 - 2015年 九州産業大学:コーチ(ロアッソ熊本より派遣)
- 2016年 - コンサドーレ札幌U-15監督