1. 経歴
横山道哉のプロ野球選手としての全経歴は、プロ入り前のアマチュア時代から始まり、横浜ベイスターズでの第一期、北海道日本ハムファイターズへの移籍、そして横浜ベイスターズへの復帰を経て、現役引退後のスカウトとしてのキャリアに至るまで、時系列に沿って展開する。
1.1. プロ入り前
神奈川県海老名市で生まれた横山道哉は、中学校時代に愛甲シニアに所属し、野球の基礎を培った。その後、横浜高校に進学。高校時代には、1学年先輩に斉藤宜之、多村仁、矢野英司、紀田彰一が、2学年先輩には高橋光信がいた。また、1学年後輩には阿部真宏、松井光介、幕田賢治が、2学年後輩には上地雄輔がおり、多くの才能ある選手たちと共にプレーした。
1995年秋に開催されたドラフト会議において、地元の横浜ベイスターズから3位指名を受け、プロ入りを果たした。
1.2. 横浜ベイスターズ時代(第1期)
1997年、横山は7月6日に横浜スタジアムで行われた対広島東洋カープ戦で敗戦処理としてプロ初登板を飾る。この試合では、チームが逆転サヨナラ勝ちを収めたことで、救援ながら自身初の勝利を記録した。この年は合計18試合に登板し、シーズン終盤にはプロ初先発や初セーブも達成するなど、プロとしてのキャリアを順調にスタートさせた。
1998年には、中継ぎとして53試合に登板し、4勝4敗、防御率3.09という好成績を残した。この活躍は、横浜ベイスターズの38年ぶりとなるリーグ優勝と日本一に大きく貢献した。当時の抑えであった佐々木主浩がフォークボールを武器に活躍していたことから、同じくフォークを決め球とする横山は、「小魔神」や「大魔神二世」という愛称で親しまれた。
しかし、1999年には佐々木主浩の離脱に伴い、残された中継ぎ投手たちで抑え投手を分担することとなり、横山にもその役が回ってきた。この年は43試合に登板し、4勝3敗2セーブを記録したが、防御率4.93と安定感を欠いた。
2000年にはさらに登板機会が減少し、29試合の登板に留まり、2勝1敗1セーブ、防御率4.78という成績に終わった。
2001年から2003年にかけても不振は続き、登板機会が激減した。そして2003年のオフには、野中信吾との交換トレードにより、北海道日本ハムファイターズへ移籍することになった。
1.3. 北海道日本ハムファイターズ時代
2004年、北海道日本ハムファイターズに移籍した横山は、新たな転機を迎えた。当初抑え投手を務める予定だった建山義紀や伊達昌司がシーズン前に故障で離脱し、開幕当初の抑えである伊藤剛も開幕直後に故障で離脱したため、横山が暫定的に抑えの座を任されることになった。この年はチーム最多となる58試合に登板し、4勝5敗28セーブ、防御率3.39という成績を収めた。安定感は今一つだったものの、この年新人王を獲得した三瀬幸司と共に、最優秀救援投手のタイトルを獲得した。
チームはこの年3位でシーズンを終え、パシフィック・リーグに導入されたプレーオフに進出した。プレーオフでは2位の西武ライオンズと対戦。第2戦でセーブを挙げたものの、第3戦では2点ビハインドの8回から登板し、この回は無失点に抑えた。しかし、9回に先頭打者の和田一浩にサヨナラ本塁打を打たれて敗戦投手となり、チームは敗退を喫した。
2005年は開幕から再び抑え投手を任され、序盤は好投を見せたが、7月から不調に陥り、中継ぎに降格となった。9月に入っても復調の兆しが見えず、二軍に降格し、そのままシーズンを終えた。2年連続でチームトップの48試合に登板したものの、1勝4敗12セーブ、防御率4.47という成績に終わった。
2006年1月20日の契約更改交渉では、推定年俸が前年より40.00 万 JPY減の4300.00 万 JPYで合意した。しかし、この年は武田久やマイケル中村の活躍もあり、一軍登板はゼロに終わった。9月29日に戦力外通告を受け、横浜ベイスターズの秋季キャンプで入団テストを受けた。合否は10月27日に伝えられる予定だったが、「12球団合同トライアウト前に、各球団が独自で入団テストを行わない」という日本プロ野球選手会の申し合わせに反するとして苦情を受け、合否発表は保留となった。その後、正式に獲得が発表され、4年ぶりに古巣である横浜に復帰することになった。
1.4. 横浜ベイスターズ復帰後(第2期)
2007年、横浜ベイスターズに復帰した横山は、開幕を二軍で迎えた。しかし、夏場に一軍に昇格し、肘の故障を抱えながらも貴重な中継ぎ投手として36試合に登板。6ホールド、防御率3.32という成績を残し、古巣での復活を果たした。
2008年には、中継ぎ投手陣の一角としてチーム最多の51試合に登板した。5月17日の対中日ドラゴンズ戦では、移籍後初となる3年ぶりの勝利投手となり、シーズン防御率も3.22と改善された。しかし、同点の場面での登板では安定感を欠き、勝ち越しを許して5敗を喫する場面もあった。
2009年になると、肘の状態が悪化し、二軍での生活が続いた。投球すらままならないほど症状が悪化していたため、この年はわずか14試合の登板に終わった。10月1日に戦力外通告を受け、横山は「横浜で終われたのは幸せな部分もある」とコメントし、現役引退を表明した。
1.5. 引退後
現役引退後、横山道哉は2010年から横浜DeNAベイスターズのスコアラー(アナリスト)として球団に残留した。その後、2022年からは同球団のスカウトに転身し、現在はその職務を務めている。彼が主に担当した選手の中には、度会隆輝などがいる。度会は、横山の現役時代の応援歌を継承したことでも知られている(後述)。
2. 人物
横山道哉は横浜ベイスターズ在籍時、投手でありながらも専用の応援歌が作られていた点が特筆される。当時発売されていた選手のテーマCDにも1998年版から収録されていたが、中継ぎとしての起用が中心であったことや、球場で投手の応援歌が演奏される機会がほとんどなかったため、実際に球場で披露されることは少なかった。
しかし、スカウトに転身後の2024年、横山が担当し、かつ自身の横浜高校の後輩でもある度会隆輝が横浜DeNAベイスターズに入団した際、この応援歌の歌詞を一部変更した上で度会隆輝の応援歌として流用されている。
3. 詳細情報
横山道哉のプロ野球における年度別成績、獲得したタイトルや表彰、そしてキャリアの中で達成した記録は以下の通りである。
3.1. 年度別投手成績
年度 | 球団 | 登 板 | 先 発 | 完 投 | 完 封 | 無 四 球 | 勝 利 | 敗 戦 | セ 丨 ブ | ホ 丨 ル ド | 勝 率 | 打 者 | 投 球 回 | 被 安 打 | 被 本 塁 打 | 与 四 球 | 敬 遠 | 与 死 球 | 奪 三 振 | 暴 投 | ボ 丨 ク | 失 点 | 自 責 点 | 防 御 率 | WHIP |
---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
1997 | 横浜 | 18 | 1 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | 1 | -- | 1.000 | 105 | 27.0 | 20 | 1 | 6 | 0 | 0 | 27 | 1 | 0 | 5 | 5 | 1.67 | 0.96 |
1998 | 横浜 | 53 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 4 | 0 | -- | .500 | 286 | 70.0 | 62 | 5 | 22 | 1 | 0 | 59 | 3 | 1 | 28 | 24 | 3.09 | 1.20 |
1999 | 横浜 | 43 | 1 | 0 | 0 | 0 | 4 | 3 | 2 | -- | .571 | 298 | 69.1 | 77 | 12 | 19 | 1 | 1 | 57 | 2 | 0 | 38 | 38 | 4.93 | 1.38 |
2000 | 横浜 | 29 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 1 | 1 | -- | .667 | 143 | 32.0 | 40 | 1 | 15 | 2 | 0 | 24 | 2 | 0 | 17 | 17 | 4.78 | 1.72 |
2001 | 横浜 | 4 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | .--- | 27 | 6.1 | 5 | 2 | 4 | 0 | 2 | 2 | 1 | 0 | 3 | 3 | 4.26 | 1.42 |
2002 | 横浜 | 13 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 2 | 1 | -- | .333 | 58 | 12.1 | 10 | 2 | 8 | 2 | 3 | 13 | 1 | 0 | 10 | 6 | 4.38 | 1.46 |
2003 | 横浜 | 3 | 2 | 0 | 0 | 0 | 0 | 2 | 0 | -- | .000 | 48 | 9.0 | 18 | 4 | 3 | 0 | 1 | 5 | 0 | 0 | 10 | 10 | 10.00 | 2.33 |
2004 | 日本ハム | 58 | 0 | 0 | 0 | 0 | 4 | 5 | 28 | -- | .444 | 248 | 61.0 | 48 | 5 | 20 | 4 | 0 | 54 | 2 | 0 | 27 | 23 | 3.39 | 1.11 |
2005 | 日本ハム | 48 | 0 | 0 | 0 | 0 | 1 | 4 | 12 | 3 | .200 | 225 | 50.1 | 49 | 5 | 21 | 0 | 4 | 46 | 5 | 0 | 27 | 25 | 4.47 | 1.39 |
2007 | 横浜 | 36 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 6 | .--- | 164 | 38.0 | 40 | 2 | 15 | 1 | 1 | 27 | 2 | 0 | 14 | 14 | 3.32 | 1.45 |
2008 | 横浜 | 51 | 0 | 0 | 0 | 0 | 3 | 5 | 0 | 11 | .375 | 254 | 58.2 | 55 | 8 | 22 | 3 | 4 | 61 | 2 | 1 | 25 | 21 | 3.22 | 1.31 |
2009 | 横浜 | 14 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 66 | 15.0 | 19 | 2 | 4 | 1 | 0 | 12 | 0 | 0 | 9 | 8 | 4.80 | 1.53 |
通算:12年 | 370 | 4 | 0 | 0 | 0 | 21 | 26 | 45 | 20 | .447 | 1922 | 449.0 | 443 | 49 | 159 | 15 | 16 | 387 | 21 | 2 | 213 | 194 | 3.89 | 1.34 |
- 各年度の太字はリーグ最高
3.2. タイトル
- 最優秀救援投手:1回 (2004年)
3.3. 表彰
- JA全農Go・Go賞:1回 (救援賞:2004年7月)
3.4. 記録
横山道哉のキャリアで達成された重要な節目となる記録を以下に詳細に説明する。
3.4.1. 投手記録
- 初登板・初勝利:1997年7月6日、対広島東洋カープ14回戦(横浜スタジアム)、8回表に5番手で救援登板・完了、2回無失点
- 初奪三振:同上、8回表に前田智徳から
- 初先発登板:1997年9月17日、対読売ジャイアンツ26回戦(横浜スタジアム)、2回1失点
- 初セーブ:1997年10月8日、対広島東洋カープ27回戦(広島市民球場)、9回裏に3番手で救援登板・完了、1回無失点
- 初ホールド:2005年5月7日、対阪神タイガース2回戦(札幌ドーム)、9回表に5番手で救援登板、3回無失点
3.4.2. その他の記録
- オールスターゲーム出場:1回 (2004年)
3.5. 背番号
横山道哉がプロ野球キャリア中に着用した背番号は以下の通りである。
- 43 (1996年 - 2003年)
- 15 (2004年 - 2006年)
- 99 (2007年 - 2009年)