1. 生い立ちとデビュー
滝澤大志がプロレスラーになるまでの生い立ちと、プロレスの道を歩み始めた経緯について解説する。
1.1. 生誕と背景
滝澤大志こと滝澤 雄樹たきざわ ゆうき日本語は、1985年9月3日に神奈川県横須賀市で生まれた。血液型はO型である。
1.2. プロレスラーとしての入門
滝澤はTAKAみちのくの指導のもと、プロレスラーとしてのトレーニングを積んだ。2006年1月7日にKAIENTAI DOJOでプロレスラーとしてデビューを果たし、ヒロ・トウナイ、ランディ拓也と組んで、房総ボーイ雷斗、Kaji Yamato、TAKUみちのく組に敗れた。デビューから1週間後には、Apple Miyukiと組んでK-DOJOタッグリーグ '07 GETブロックに参加したが、十嶋くにおとPSYCHO組に初戦で敗退した。しかし、1月21日には藤澤忠伸を破り、自身初の勝利を収めた。
2. プロレスキャリア
滝澤大志の主要なプロレス活動とキャリアの流れを時系列で解説する。
2.1. KAIENTAI DOJO (2006年-2011年)
滝澤はデビュー後、K-METAL LEAGUE 2007に参加し、2勝2敗の成績でポイントを獲得したが、トーナメントを勝ち進むには至らなかった。クリスマス・イブにはヒロ・トウナイが優勝したクリスマスプレゼントスクランブルバトルロイヤルにも参加した。
2008年1月3日、滝澤はオメガ(大石真翔、MIYAWAKI、旭志織、火野裕士)と谷嵜なおきに、KAZMA、十嶋くにお、Mr.X、PSYCHOと組んで敗戦し、新年のスタートを切った。同年にはKAIENTAI DOJOタッグリーグ 2008にKAZMAと組んで参加したが、房総ボーイ雷斗とKaji Yamato組に初戦で敗れた。4月14日にはKaji Yamatoと組み、WEWハードコアタッグ王座を懸けた7チームバトルロイヤルで初のタイトルマッチに挑戦したが、Apple MiyukiとYOSHIYA組が優勝した。滝澤は2007年と同様にK-METAL LEAGUEに参加し、4試合中3勝を挙げて6ポイントを獲得し、トーナメント決勝に進出した。決勝ではヒロ・トウナイを破り、プロレスキャリア初の功績となるK-METAL LEAGUE優勝を果たした。この勝利を機に、彼は中堅レスラーとして地位を確立し、STRONGEST-Kトーナメント 2008では準決勝に進出したが、真霜拳號に敗れた。12月21日にはタージマハルカップロイヤルランブルで敗れた。
再びWEWハードコアタッグ王座を懸けたバトルロイヤルに参加したが、今度はヒロ・トウナイと組んで敗れた。その後、滝澤とトウナイはタッグチームとして活動を始め、STRONGEST-Kタッグ王座を保持するTAKAみちのくとハンサム・ジョー組に挑戦したが、タイトル獲得には至らなかった。滝澤とトウナイは「最強タッグへの道」5番勝負に臨み、オメガ(大石真翔と旭志織、KAZMAと火野裕士)やハンサム(TAKAみちのくとハンサム・ジョー)といったKAIENTAI DOJOのトップタッグチームと対戦した。この試練を乗り越え、彼らはKAIENTAI DOJOタッグリーグ 2009にブロックAで参加し、全勝で決勝に進出し、オメガ(稲松三郎と火野裕士)を破ってトーナメントで優勝を果たした。トーナメント優勝後、彼らは大石真翔と旭志織組の持つSTRONGEST-Kタッグ王座に挑戦したが、タイトル獲得はならなかった。2009年7月20日、滝澤はSTRONGEST-Kトーナメント 2009に参加したが、準決勝で旭志織に敗れた。その後、モンスタープラント(Kaji YamatoとKAZMA)が優勝し、50.00 万 JPYを獲得したタッグチームロイヤルランブルにも参加した。トウナイと滝澤はブラザー・ケイとブラザー・シューの持つWEWハードコアタッグ王座に挑戦した。11月14日にはトウナイと組んでSTRONGEST-Kタッグ王座のナンバーワンコンテンダー決定3WAYマッチに出場したが、敗れた。
2010年、滝澤はTAKAみちのくと組んでKAIENTAI DOJOタッグリーグ 2010にブロックBで参加し、2勝を挙げて2ポイントを獲得したが、柏大五郎と真霜拳號組も同ポイントであったため、決勝進出決定戦が行われ、柏と真霜組が勝利した。5月5日、梶トマトと組んで火野裕士と稲松三郎組を破り、STRONGEST-Kタッグ王座の第14代王者となった。その後、KAZMAの持つCHAMPION OF STRONGEST-Kに挑戦したが、敗れた。滝澤はSTRONGEST-Kトーナメント 2010に参加したが、準決勝で真霜拳號に敗れた。8月15日、滝澤とトマトはHIROKIと真霜拳號組に敗れ、タッグ王座を失った。2010年12月12日にタッグ王座の再戦に臨み、クリスマスには火野裕士の持つCHAMPION OF STRONGEST-Kに挑戦したが、いずれも敗れた。滝澤とトマトはKAIENTAI DOJOタッグリーグ 2011に参加し、トーナメント決勝まで進出したが、真霜拳號と関根龍一組に敗れた。その後、滝澤とトマトは柏大五郎とマリーンズマスクIIと共に「サイレンス」というユニットを結成した。滝澤とトマトはIWGPジュニアタッグ王座のナンバーワンコンテンダー決定ワンデートーナメントに参加し、決勝まで進出したが、「リトルギャラクシー」(大石真翔と旭志織)に敗れた。滝澤、トマト、マリーンズマスクIIは千葉6人タッグ王座の初代王者決定ワンデートーナメントにも参加したが、ここでもサイレンスは「リトルギャラクシー」(ヒロ・トウナイ、旭志織、佐藤悠己)に敗れた。滝澤はSTRONGEST-Kトーナメント 2011にブロックAで参加し、6ポイントしか獲得できずにトーナメントから敗退した。KAIENTAI DOJOでの最後の試合では、ヒロ・トウナイと組んでKAZMAと旭志織組を破った。
2.2. WWE (2011年-2012年)
WWEとの育成契約締結後、滝澤はリングネーム「Jiroジロー英語」として活動を開始し、2011年12月5日にフロリダ・チャンピオンシップ・レスリング(FCW)のテレビデビューを果たした。彼は元KAIENTAI DOJO所属のサカモトと組んだが、ビッグ・E・ラングストンとニック・ロジャース組に敗れた。その後、ジローはテレビ放送されたFCWの試合で全て敗北を喫した。
WWEが育成団体であるFCWをNXTへとリブランドした後、ジローのNXTテレビデビューは2012年6月27日放送のリブート版『WWE NXT』で行われた。この試合はフル・セイル大学で収録され、ジローはセス・ロリンズに敗れた。ジローは2012年6月にWWEから契約解除された。
2.3. KAIENTAI DOJO復帰 (2012年-現在)

2012年8月5日、滝澤はKAIENTAI DOJOに復帰し、同日開催された「海王トーナメント」に出場した。1回戦で梶トマトを破り、復帰戦を勝利で飾った。その後、稲松三郎、TAKAみちのくを破り、決勝ではヒロ・トウナイを破ってトーナメントで優勝を果たした。滝澤は連勝を続けたが、9月19日にストロングBJの関本大介の持つCHAMPION OF STRONGEST-Kに挑戦したが、タイトル獲得には至らなかった。
2013年2月24日、滝澤はAKITOと組んで「BO-SOゴールデンタッグトーナメント2013」で優勝し、決勝で真霜拳號と関根龍一組を破った。トーナメント優勝後、滝澤は火野裕士の持つCHAMPION OF STRONGEST-Kのナンバーワンコンテンダーに指名された。4月14日、KAIENTAI DOJO最大の年間イベントである『evolution11』の後楽園ホール大会メインイベントで火野裕士を破り、自身初のCHAMPION OF STRONGEST-Kを獲得した。5月6日にはヒロ・トウナイを相手に初防衛に成功した。しかし、7月2日、日本の当局に逮捕されたことを受け、滝澤はタイトルを剥奪され、今後のすべてのイベントから外されることになった(この件の詳細は「騒動」の節を参照)。
約2年間の謹慎期間を経て、滝澤は2015年5月2日のKAIENTAI DOJOのイベントでリングに復帰したが、TAKAみちのくに敗れた。2016年2月25日、タンク永井の持つCHAMPION OF STRONGEST-Kに挑戦したが、タイトル獲得はならなかった。3月13日、滝澤は吉野コータローと組んで「BO-SOゴールデンタッグトーナメント2016」で優勝し、決勝でタンク永井と遊馬組を破った。この優勝を機に、4月17日にSTRONGEST-Kタッグ王座を獲得した。
2.4. 他団体での活動
滝澤はKAIENTAI DOJO以外にも、様々な団体に参戦している。2007年11月24日、新日本プロレスにKAZMAと組んでデビューしたが、和田邦利と上野隆士組に敗れた。2010年8月24日には『NEVER.1』にて、新日本プロレスでのシングルマッチデビュー戦でキング・ファレを破った。
2008年2月15日、滝澤は全日本プロレスにデビューし、「U-30タッグトーナメント」にKaji Yamatoと組んで参加したが、KUSHIDAとT28組に敗れた。
プロレスリング・ノアの「2011年NTV G+杯ジュニアヘビー級タッグリーグ戦」にはザック・セイバー・ジュニアと組んでブロックAで参加した。2勝を挙げて4ポイントを獲得したが、トーナメントを勝ち進むには至らなかった。
2012年11月15日、滝澤は新日本プロレスが主催する初代NEVER無差別級王座決定トーナメントに参加した。1回戦でキャプテン・ニュージャパンを破ったが、11月19日の2回戦で田中将斗に敗れた。
2013年2月11日、滝澤はダイヤモンド・リングの興行に参戦し、宮原健斗、北宮光洋、梶原慧と組んで、再結成されたVOODOO-MURDERS("brother" Yasshiブラザー・ヤッシー英語、村上和成、西村賢吾、TARU)を相手に8人タッグマッチで勝利した。試合後、滝澤と宮原は突如として自身のパートナーを裏切り、VOODOO-MURDERSに加入した。
3. レスリングスタイルと主要な技
滝澤大志のレスリングスタイルの特徴と、彼が主に用いるフィニッシュムーブを含む得意技について説明する。
- MFF:棚橋弘至のWA4と同型である。
- 高飛車(たかびしゃ):ビッグ・E・ラングストンのビッグ・エンディングと同型である。
- リストクラッチ高飛車
- タイガー・ドライバー
- ダブルチョップ:助走をつけながら合掌させた両腕を振り抜き、相手の胸板にチョップを叩き込む。
4. 騒動
滝澤大志のキャリアに大きな影響を与えた、または社会的な議論を呼んだ出来事について、客観的に記述する。特に2013年に発生した不法撮影容疑による逮捕事件とその後の経緯について詳細に扱う。
2013年6月20日、滝澤は千葉県千葉市内の商業施設で、スマートフォンを使い女性の下着を不法撮影した容疑で、千葉県迷惑防止条例違反により千葉中央警察署に逮捕された。7月1日には略式起訴され、罰金刑を科せられた。
所属団体であるKAIENTAI DOJOは当初、滝澤本人との接見が難しいことを理由に、滝澤が怪我で欠場していると発表した。しかし、その2日後に新聞紙上で滝澤の逮捕が報じられたため、KAIENTAI DOJOは滝澤を同席させて記者会見を開き、嘘の報告をしていたことを謝罪した。この会見で、KAIENTAI DOJOは滝澤に対して、保持していたCHAMPION OF STRONGEST-Kの剥奪と無期限謹慎の処分を下した。この処分の後、滝澤は練習生として再び道場に入寮し、反省と再起に向けた活動を始めた。
2014年12月28日、KAIENTAI DOJOは滝澤の無期限謹慎処分を解除することを発表し、この日から彼をセコンド業務などに復帰させた。そして2015年4月12日、後楽園ホールで開催された「KAIENTAI DOJO13周年記念大会 CLUB-K SUPER evolution13」大会で、滝澤はリング復帰を発表した。この発表時にはファンの拍手を受け、涙を流す場面もあった。5月2日に「GWSP in ITABASHI」でTAKAみちのくを相手に復帰戦を行い、敗戦を喫したが、これにより彼のプロレスラーとしての活動が再開された。この一連の騒動と復帰の経緯は、プロレス界のみならず、社会一般においても不法撮影行為に対する倫理と社会規範、そして再犯防止と社会復帰のあり方について議論を提起した。
5. 獲得タイトルと実績
滝澤大志がプロレスキャリアを通じて獲得したチャンピオンシップタイトル、受賞した賞、主要なトーナメント優勝記録などを包括的に列挙する。
- KAIENTAI DOJO / 2AW
- 2AW無差別級王座(2回)
- 2AWタッグ王座(3回、現王者) - パートナーは本田アユム(1回)、若松大樹(2回)
- CHAMPION OF STRONGEST-K(2回)
- STRONGEST-Kタッグ王座(4回) - パートナーは梶トマト(3回)、吉野コータロー(1回)
- BO-SOゴールデンタッグトーナメント(2013年) - パートナーはAKITO
- BO-SOゴールデンタッグトーナメント(2016年) - パートナーは吉野コータロー
- KAIENTAI DOJOタッグリーグ(2009年) - パートナーはヒロ・トウナイ
- K-METAL LEAGUE(2008年)
- 海王トーナメント(2012年)
- ベストパフォーマンス賞(2012年)
- 年間最高試合賞(シングルマッチ部門)(2017年) - タンク永井との試合(10月15日)
- 年間最高試合賞(タッグマッチ部門)(2015年) - 吉野コータローと組んで真霜拳號と佐藤悠己組との試合
- 年間最高試合賞(タッグマッチ部門)(2016年) - 吉野コータローと組んで吉田綾斗と最上九組との試合(11月6日)
- 年間最高試合賞(タッグマッチ部門)(2017年) - 梶トマトと組んでタンク永井と佐藤悠己組との試合(4月23日)
- 年間最優秀選手賞(2017年)
6. メディア出演
滝澤大志のプロレスの試合以外における、テレビ番組など各種メディアへの出演履歴を紹介する。
- 『プロレスKING』(GAORA)
- 『水曜日のダウンタウン』(TBSテレビ)