1. 生涯と背景
王皓は1983年12月15日に中華人民共和国吉林省長春市で生まれた。身長は1.75 m、体重は70 kgである。彼は北京大学を卒業している。卓球選手としてのキャリアは1996年に吉林省卓球チームに入団したことから始まり、1998年には中国ナショナルチームに選抜され、プロ選手としての道を歩み始めた。

2. 選手としてのキャリア
王皓の卓球選手としてのキャリアは、地方チームでの活動から始まり、ナショナルチームでの輝かしい実績、そして指導者への転身へと続く。
2.1. ナショナルチームでのキャリア
王皓は1996年に吉林省卓球チームに加入し、卓球選手としての基礎を築いた。その2年後の1998年には、中国ナショナルチームに選抜され、プロとしてのキャリアをスタートさせた。彼は16年間にわたり中国卓球国家代表として活動し、数々の国際大会で活躍した。2000年代には馬琳、王励勤と共に中国男子卓球界の「Тройкаトロイカロシア語」と呼ばれ、世界のトップ選手として君臨した。
2.2. プレースタイルと使用用具
王皓はペンホルダーグリップを使用する選手であり、特にその革新的な裏面打法(RPB: Reverse Penhold Backhand)の完成者として知られている。彼のプレースタイルは、ペンホルダーの新たな波を代表するもので、両サイドからの攻撃と守備に優れていた。ペンホルダーグリップ特有の手首の自由度の高さにより、フォアハンド側で大量のスピンを生み出すことができた。
他のプロのペンホルダー選手と比較して、王皓はバックハンド側のほとんど全てのショットで裏面打法を使用し、ショートやプッシュはほとんど行わなかった。サーブ時に非常に遅く短いボールが台の奥に置かれた場合を除き、バックハンドで表面を使わず全て裏面で処理するこのスタイルは、当時のトップレベルの選手の中では王皓以外には存在しなかった。この裏面打法のみをバックハンドに用いるスタイルは、彼がナショナルチームに初めて加入した当初は「不適切」と見なされ、ほとんどの選手から高く評価されていなかったが、彼はこの技術を磨き上げた。前陣での安定した両ハンドによるカウンタープレーに加え、ラリー戦における強さ、裏面打法による独特な球質のフリックに代表される台上技術、そしてブロックも秀逸であった。また、前陣で両ハンドでのカウンターに持ち込むため、アジア人選手としては珍しく、ヨーロッパ人選手のように横回転系のサービスを出してラリーを組み立てることが多かった。
使用用具としては、フォアハンドにDHS Neo Skyline III Blue Spongeを貼ったDHS Hurricane Haoブレード(王皓専用のN656ブレード)を、バックハンドにはBryceスポンジにButterfly Sriverのトップシートを貼ったラバーを使用していた。
2.3. 世界ランキングと主要な受賞歴
王皓はキャリアを通じて、世界卓球連盟(ITTF)の世界ランキングで何度も1位を獲得した。特に2007年10月から2009年12月までの27ヶ月間連続で世界ランキング1位を維持した。2010年1月には馬龍にその座を譲ったが、2011年4月には再び世界ランキング1位に返り咲いた。
彼は主要な世界大会の決勝に歴代最多となる12回出場しており、男子シングルスではアジア選手権、アジアカップ、アジア競技大会、中華人民共和国全国運動会で少なくとも一度は優勝している。
2010年には世界卓球殿堂入りを果たした。
2.4. 引退と指導者としての活動
王皓は2014年末に中国ナショナルチームから現役引退を表明した。彼は2014年12月20日に同僚の卓球選手である郝帥の息子の100日祝いに出席し、選手生活からの引退を宣言した。その後、2014年12月23日には自身のブログで正式に引退を発表した。引退発表文の中で、王皓は「2012年のロンドンオリンピック以降から引退を考えていた。しかし、世代交代期において中心を担う人物が必要だという代表チームの事情により、今年の国際大会まで現役を続けた。今では後輩たちが完全に地位を確立したため、心置きなく現役生活を終える」と述べた。これにより、2014年初めに引退した馬琳や王励勤に続き、王皓も引退することで、2000年代の中国男子卓球を牽引した「Тройкаトロイカロシア語」全員が同じ年に現役を退くことになった。
引退後、王皓は指導者としての道を歩み始めた。中国卓球スーパーリーグの八一チームでコーチを務めた後、2023年には中国男子卓球ナショナルチームの監督に就任し、2024年からは男子代表監督を務めている。

3. 主な実績
王皓は卓球選手としてのキャリアにおいて、数々の輝かしい実績を残している。
3.1. オリンピック
王皓はオリンピックの男子シングルスで3大会連続で銀メダルを獲得するという、卓球界でも稀有な記録を持つ。
大会 | 種目 | メダル |
---|---|---|
2004 アテネ | 男子シングルス | 銀メダル |
2008 北京 | 男子シングルス | 銀メダル |
2008 北京 | 男子団体 | 金メダル |
2012 ロンドン | 男子シングルス | 銀メダル |
2012 ロンドン | 男子団体 | 金メダル |
3.2. 世界卓球選手権
王皓は世界卓球選手権において、シングルス、ダブルス、団体戦の全てで優勝経験を持つ。
大会 | 種目 | メダル |
---|---|---|
2003 パリ | 男子ダブルス | 銀メダル |
2003 パリ | 混合ダブルス | 銅メダル |
2004 ドーハ | 男子団体 | 金メダル |
2005 上海 | 男子ダブルス | 金メダル |
2006 ブレーメン | 男子団体 | 金メダル |
2007 ザグレブ | 男子シングルス | 銅メダル |
2007 ザグレブ | 男子ダブルス | 銀メダル |
2008 広州 | 男子団体 | 金メダル |
2009 横浜 | 男子シングルス | 金メダル |
2009 横浜 | 男子ダブルス | 金メダル |
2010 モスクワ | 男子団体 | 金メダル |
2011 ロッテルダム | 男子シングルス | 銀メダル |
2011 ロッテルダム | 男子ダブルス | 銅メダル |
2012 ドルトムント | 男子団体 | 金メダル |
2013 パリ | 男子シングルス | 銀メダル |
2014 東京 | 男子団体 | 金メダル |
3.3. ワールドカップ
卓球ワールドカップでは、シングルスで3度の優勝を飾っている。
大会 | 種目 | メダル |
---|---|---|
2004 杭州 | 男子シングルス | 銅メダル |
2005 リエージュ | 男子シングルス | 銀メダル |
2006 パリ | 男子シングルス | 銀メダル |
2007 バルセロナ | 男子シングルス | 金メダル |
2007 マグデブルク | 男子団体 | 金メダル |
2008 リエージュ | 男子シングルス | 金メダル |
2010 ドバイ | 男子団体 | 金メダル |
2010 マグデブルク | 男子シングルス | 金メダル |
2011 マグデブルク | 男子団体 | 金メダル |
2011 パリ | 男子シングルス | 銀メダル |
2013 広州 | 男子団体 | 金メダル |
3.4. アジア競技大会・アジアカップ
アジア地域における主要大会でも、王皓は優れた成績を収めている。
大会 | 種目 | メダル |
---|---|---|
2003 バンコク アジア選手権 | 男子シングルス | 金メダル |
2003 バンコク アジア選手権 | 男子団体 | 金メダル |
2003 バンコク アジア選手権 | 男子ダブルス | 銅メダル |
2005 済州道 アジア選手権 | 男子団体 | 金メダル |
2005 ニューデリー アジアカップ | 男子シングルス | 金メダル |
2006 神戸 アジアカップ | 男子シングルス | 金メダル |
2006 ドーハ アジア競技大会 | 男子シングルス | 金メダル |
2006 ドーハ アジア競技大会 | 男子団体 | 金メダル |
2007 揚州 アジア選手権 | 男子シングルス | 金メダル |
2007 揚州 アジア選手権 | 男子団体 | 金メダル |
2007 揚州 アジア選手権 | 男子ダブルス | 銀メダル |
2009 杭州 アジアカップ | 男子シングルス | 銀メダル |
2010 広州 アジア競技大会 | 男子シングルス | 銀メダル |
2010 広州 アジア競技大会 | 男子ダブルス | 金メダル |
3.5. ITTFプロツアーおよびグランドファイナル
ITTFプロツアー
王皓はITTFプロツアーおよびグランドファイナルでも数多くのタイトルを獲得している。
大会 | 年 | シングルス | ダブルス |
---|---|---|---|
メルボルンオープン | 1999 | 32強 | 8強 |
海南オープン | 2001 | 8強 | 8強 |
ソウルオープン | 2001 | 32強 | 8強 |
横浜オープン | 2001 | 16強 | 優勝 |
スコブデオープン | 2001 | 32強 | 16強 |
ファルムオープン | 2001 | 優勝 | 準優勝 |
ヴェルスオープン | 2002 | 16強 | 4強 |
カイロオープン | 2002 | 優勝 | 4強 |
青島オープン | 2002 | 4強 | 16強 |
フォートローダーデールオープン | 2002 | 32強 | 8強 |
マグデブルクオープン | 2002 | 64強 | |
アイントホーフェンオープン | 2002 | 優勝 | 4強 |
クロアチアオープン | 2003 | 優勝 | 8強 |
済州市オープン | 2003 | 16強 | 4強 |
広州オープン | 2003 | 準優勝 | 準優勝 |
ブレーメンオープン | 2003 | 8強 | 8強 |
オーフスオープン | 2003 | 8強 | 優勝 |
マルメオープン | 2003 | 16強 | 優勝 |
アテネオープン | 2004 | 優勝 | 準優勝 |
平昌オープン | 2004 | 準優勝 | 優勝 |
シンガポールオープン | 2004 | 16強 | 4強 |
無錫オープン | 2004 | 準優勝 | 4強 |
長春オープン | 2004 | 準優勝 | 優勝 |
神戸オープン | 2004 | 32強 | 4強 |
ドーハオープン | 2005 | 8強 | 優勝 |
ハルビンオープン | 2005 | 4強 | 準優勝 |
深センオープン | 2005 | 準優勝 | 4強 |
横浜オープン | 2005 | 4強 | 8強 |
ヴェレニエオープン | 2005 | 優勝 | 4強 |
ザグレブオープン | 2006 | 4強 | 優勝 |
ドーハオープン | 2006 | 4強 | 優勝 |
クウェートシティオープン | 2006 | 32強 | 4強 |
昆山オープン | 2006 | 4強 | 4強 |
横浜オープン | 2006 | 準優勝 | 優勝 |
ザグレブオープン | 2007 | 16強 | 優勝 |
ヴェレニエオープン | 2007 | 優勝 | 8強 |
ドーハオープン | 2007 | 8強 | 8強 |
サルワカップオープン | 2007 | 16強 | 8強 |
千葉オープン | 2007 | 優勝 | 準優勝 |
南京オープン | 2007 | 準優勝 | 優勝 |
深センオープン | 2007 | 優勝 | 優勝 |
トゥールーズオープン | 2007 | 準優勝 | 優勝 |
ブレーメンオープン | 2007 | 8強 | 準優勝 |
ストックホルムオープン | 2007 | 優勝 | 優勝 |
クウェートシティオープン | 2008 | 8強 | 優勝 |
ドーハオープン | 2008 | 準優勝 | 4強 |
長春オープン | 2008 | 優勝 | |
横浜オープン | 2008 | 準優勝 | |
大田オープン | 2008 | 4強 | 優勝 |
上海オープン | 2008 | 準優勝 | 準優勝 |
クウェートシティオープン | 2009 | 準優勝 | 4強 |
天津オープン | 2009 | 優勝 | 4強 |
ソウルオープン | 2009 | 4強 | 優勝 |
ドーハオープン | 2010 | 16強 | 優勝 |
クウェートシティオープン | 2010 | 8強 | 4強 |
ベルリンオープン | 2010 | 準優勝 | 4強 |
蘇州オープン | 2010 | 8強 | 4強 |
ヴェレニエオープン | 2011 | 4強 | 優勝 |
シェフィールドオープン | 2011 | 4強 | 準優勝 |
ドーハオープン | 2011 | 8強 | 4強 |
ドバイオープン | 2011 | 優勝 | 4強 |
ドルトムントオープン | 2011 | 4強 | 準優勝 |
深センオープン | 2011 | 4強 | 準優勝 |
蘇州オープン | 2011 | 16強 | 準優勝 |
シュヴェヒャートオープン | 2011 | 16強 | 優勝 |
ストックホルムオープン | 2011 | 準優勝 | 16強 |
ヴェレニエオープン | 2012 | 8強 | 準優勝 |
ドーハオープン | 2012 | 準優勝 | |
仁川オープン | 2012 | 4強 | 準優勝 |
上海オープン | 2012 | 16強 | 優勝 |
ポズナンオープン | 2012 | 優勝 | 準優勝 |
クウェートシティオープン | 2013 | 4強 | |
ドーハオープン | 2013 | 4強 | 準優勝 |
仁川オープン | 2013 | 4強 | 8強 |
長春オープン | 2013 | 準優勝 | 4強 |
蘇州オープン | 2013 | 16強 | |
蘇州オープン | 2013 | 16強 | |
ドバイオープン | 2013 | 8強 | |
マグデブルクオープン | 2014 | 16強 | 優勝 |
成都オープン | 2014 | 8強 | 4強 |
ストックホルムオープン | 2014 | 4強 | 優勝 |
ITTFプロツアー・グランドファイナル
大会 | 年 | シングルス | ダブルス |
---|---|---|---|
ストックホルム | 2002 | 4強 | |
広州 | 2003 | 優勝 | |
北京 | 2004 | 4強 | 準優勝 |
香港 | 2006 | 優勝 | |
北京 | 2007 | 準優勝 | 準優勝 |
マカオ | 2008 | 準優勝 | |
ロンドン | 2011 | 4強 | 準優勝 |
杭州 | 2012 | 準優勝 |
4. プライベート
王皓は2010年に閻博雅と出会い、2013年に結婚した。同年には息子の王瑞廷が誕生している。王皓は、自身の息子には卓球の道に進んでほしくないと語っている。
5. 評価と影響
王皓は、その特異なオリンピックでの成績や、卓球技術の発展に与えた革新的な影響により、卓球界において特別な存在として評価されている。
5.1. 「永遠の銀メダリスト」とオリンピックの物語
王皓は、2004年アテネ、2008年北京、2012年ロンドンと、3大会連続でオリンピック男子シングルスの決勝に進出しながら、いずれも金メダルには届かず銀メダルに終わったという、卓球史上稀に見る経歴を持つ。このことから、彼は「永遠の銀メダリスト」(Forever Silver英語)というニックネームで呼ばれることもある。
2004年のアテネオリンピック決勝では、それまで一度も敗れたことのなかった柳承敏(大韓民国)に敗れ、金メダルを逃した。続く2008年の北京オリンピックでは、同じ中国の馬琳に敗れ、2012年のロンドンオリンピックでは、やはり同じ中国の張継科に敗れる結果となった。
しかし、2008年の北京オリンピックと2012年のロンドンオリンピックでは、男子団体戦で金メダルを獲得しており、オリンピックでの金メダルを手にしている。彼はオリンピック卓球男子部門における最多メダル獲得記録(シングルス銀メダル3個、団体戦金メダル2個)を保持している。
5.2. 一面打法イーミェンターファ中国語(裏面打法)の先駆者
王皓は、中国式ペンホルダーグリップを用いる選手の中でも、特に裏面打法(RPB: Reverse Penhold Backhand)を高いレベルで完成させ、その普及に大きく貢献した先駆者として評価されている。
王皓以前にも馬琳や劉国梁など、中国式ペンホルダーの選手は国際舞台で活躍していたが、彼らのバックハンドは主に片面での直線的なショートが中心であり、日本式ペンホルダーの片面打法と大きくは変わらなかった。これに対し、王皓は裏面打法を主軸とした攻撃スタイルを採用し、シェークハンド選手のバックハンドドライブにも劣らない強力な回転量とパワーをバックハンドで自由自在に繰り出した。ある卓球チームの監督は、「中国式ペンホルダー選手の中で、バックハンドで連続して打ち合いのドライブをかけられる選手は王皓が唯一である」と評した。
この革新的な裏面打法を武器に、王皓は27ヶ月連続世界ランキング1位を達成し、数多くの大会で優勝を飾るなど、その強力さを示した。彼の引退後も、中国の許昕や香港の黄鎮廷といった選手が、中国式ペンホルダーの裏面打法を駆使して活躍しており、王皓が卓球技術の発展に与えた影響は計り知れない。